浮島丸事件不当判決糾弾!
――「戦時」下の朝鮮人犠牲者への責任逃れと賠償の免罪を許すな
――それは現「有事法制」・「国民保護法制」の正体を暴露している
敗戦直後の45年8月24日、京都府・舞鶴港で旧海軍の輸送船「浮島丸」が爆発・沈没し、日本に強制連行された後、帰国のために乗船していた朝鮮人ら500人以上が死亡した事件(浮島丸事件)に関し、韓国在住の生存者と遺族計80人が日本政府に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審で、大阪高裁・岡部裁判長は5月30日、一部原告に対して日本政府の安全運送義務違反を認めた一審・京都地裁判決の賠償命令を覆し、原告側の請求をいずれも退ける反動的判決を言い渡しました。
この判決は何重もの意味で不当極まる差別的・反動的・犯罪的なものです。まず裁判の原告が求めたのは日本政府が朝鮮人を強制連行し、様々な労働に酷使したことそのこと(この裁判の直接の争点ではありませんが)、さらに敗戦で徴用が解除された上は安全に故国に帰ることができる権利そのものを侵害した等、朝鮮人への「戦争犯罪」に対する、日本政府の誠意ある「謝罪と賠償」でした。しかし、この判決の裁判長はその点を全く無視しています。そこにあるのは頑なに日本政府の戦争犯罪を認めない政府の姿勢の反映でしかありません。
次に判決は浮島丸の運航を「海軍の作戦計画により行われた行政上(軍事上)の措置で、国の権力行為」とし、一審が認めた国の安全配慮義務違反を否定しました。つまり「有事」=「戦時」状態下では、政府の行為で仮に命を落とすようなことがあっても、政府はその被害者に何ら責任を負うことはないという論理なのです。これほど有事法制下の人民の「人権」の状態を端的に示した判例はありません。今まさに国会ではこのように国民の人権をいともあっさり抹殺する体制作りを目指す有事法制と、将来的には「国民保護法制」を通過させようとしているのです。この判決に有事下での政府の姿勢は鮮明に示されたのですから、それを教訓に二度と同じような悲劇が起こらぬよう有事法案廃案、有事体制作り反対を訴えなければなりません。
(1) 朝鮮人強制連行等「戦争犯罪」を認めず、罪に罪を重ねた判決
そもそも浮島丸事件とはどのような事件であったのか、事件後すでに58年が経過し、事件の「風化」も図られる昨今、今一度確認しておく必要があります。
それは1945年8月24日、青森・大湊港から朝鮮半島・釜山港に向かう途中の旧海軍の輸送船「浮島丸」(4730トン)が舞鶴港への入港時、船体下部付近で突然爆発を起こし、沈没した事件です。国の資料では、乗船者は戦時中、青森の海軍施設や飛行場などに強制連行された徴用工や家族ら朝鮮人3735人と乗組員255人で、このうち朝鮮人524人、乗組員25人が亡くなったとされています。原因については、朝鮮半島で抑留されることを恐れた日本人乗組員が出航に反対していたことなどから「爆破工作」説や、軍の関与も取りざたされました。しかし政府は調査もせずに「米軍が敷設した機雷に触れたことによる沈没」と一方的に発表したのです。なお、一審の京都地裁、二審・大阪高裁とも旧日本軍による爆破説を退け、米軍機雷触雷を前提に結論を出しています。
さて、当時青森県には約21000人の朝鮮人が強制連行されていました。戦争末期、米軍との「本土決戦」のための下北半島の要塞化、鉄道建設、弾薬など資材備蓄のために彼らは強制労働、最も過酷な労働を強いられていました。
敗戦の上は、日本政府には、強制連行された朝鮮人に対して「連行前の原状回復」や補償・謝罪を一刻も早く、実現しなければならない責任と義務がありました。しかし、日本政府は、朝鮮人の「原状回復」を全く無視し、もっぱら「暴動を起こすことを恐れ、治安上の理由から」、つまり「やっかいばらい」として朝鮮人の帰還を計画したのです。それが浮島丸による帰還計画だったのです。朝鮮人はあたかも「軍事物資」のごとく扱われ、浮島丸に押し込まれたのでした。
今回の判決と絡みますが、結局は日本政府のいう「作戦」そのものが、強制連行した朝鮮人を敗戦によって恐怖し、邪魔者扱いした結果であること、その「作戦」下で、朝鮮人を「もの」「自分に不利益な証拠物」として「廃棄」するというむきだしの民族差別であったということです。こういう点だけでも日本政府の責任は明らかではないでしょうか。
日本政府の朝鮮人に対するこのうえない無責任さは、浮島丸事件の対処の仕方に現れています。浮島丸が沈没した事実は、全く無視されたのです。日本政府やマスコミも一切口をつぐみました。乗船していて、命からがら朝鮮半島に帰った人々の噂として広まり、事件はようやく明るみに出たのです。それだけではありません。船体や遺体の引き上げも、9年以上たってようやく実現されたのです。朝鮮人犠牲者は、実に9年間も誰に知られることもなく、舞鶴湾の海底で眠り続けることを余儀なくされたのでした。
浮島丸事件には数多く謎や不明の点があります。例えばなぜ朝鮮人を急いで帰国させようとしたのか。1945年8月21日政府次官会議で強制移入朝鮮人らの徴用解除方針を決定し、22日には帰還輸送問題打ち合わせ会を開いているのですが、何と浮島丸に帰還命令が出たのは8月19日となっているのです。この事件を報告した政府資料は、「(朝鮮人工員多数は)連合軍の進駐を極度に恐れたためか、帰朝の熱望を訴えて不穏の兆しを示した・・・」と記すのみです。
またなぜ進路を変更して舞鶴に寄港したのか。乗客には水の補給のため、などと説明されていますが、乗員の中には、「舞鶴まで」と家族に伝えていたり、舞鶴で下船の準備をしている・・・と証言があります。また、海軍省は、米軍の進駐のため8月24日18時以降船舶の航行禁止命令を出しており、はじめから釜山へは行かない計画ではなかったかと指摘されているほどです。
乗船者数、死亡者数は正確なのか。政府資料では乗船者数を3735人としていますが、他に駆け込み乗船があったと記しています。船員の中には、青函連絡船に代替就航した際の経験から、5、6000人という声も出ています。また死亡者数は遺体収容にあったった人達から5、600人以上との証言があります。
爆発の原因は「触雷」なのか、「自爆」なのか。当時、出港に際し、火薬を積み込んだ、爆破装置がセットされている、という噂が乗組員の家族の間に伝えられていたそうです。舞鶴湾は、米軍が連夜機雷を投下し確かに危険な海域ではありました。しかし、船体を引き揚げた時も爆破の原因は調査されなかったのです。
このように事件の真相究明は全く闇の中なのです。日本政府による責任ある調査は、事件直後から今日に至るまで一貫して全くなされていないのです。
事件から58年が経ち、生存者は年々少なくなり、平均年齢は80歳を超えたといわれています。遺族の高齢化も進んでいます。事件の犠牲者である日本人乗組員の遺族には「戦没者」として年金が支給されています。しかし、原告ら旧植民地出身者には何の補償もないままなのです。
このように原告たちが最も強く求めているのは、自分たち旧植民地出身者への仕打ちに対する、日本政府による「謝罪と賠償」なのです。ところが今回の判決はそれを一顧だにしていません。まことに「偏った歴史観から結論が導かれている」としか言いようがありません。
日本政府への公式謝罪請求・戦争被害者に対する補償について判決は、「国の侵略戦争や植民地支配の被害者個人に対する謝罪を憲法が法的義務として課していない」「(戦争被害者に対する補償を)現憲法も明治憲法も予想しておらず、謝罪と賠償の理由はない」と述べ、これらを斥けました。およそ現憲法下で司法に携わる裁判官にあるまじき憲法解釈です。法理論・理念上から言えば、およそ日本国憲法は大日本帝国憲法下におけるアジア・太平洋諸国への侵略と戦争犯罪、植民地支配の歴史への反省と自己批判から生まれ出てきたものではないのでしょうか。だからこそ平和主義、何ら制約なき基本的人権の尊重、国民主権をその原理・原則としているのです。その原理から言えば、日本の引き起こした戦争犯罪とその責任について当然「謝罪と賠償」の理由を持つというべきではないでしょうか。
また「当時の法秩序下では国が被害者に不法行為責任を負う余地はない」と指摘しています。政府が一、二審を通じて主張していた「旧憲法下で国は、公権力の作用で個人への賠償責任を負わない」とされる「国家無答責」の法理を適用し、原告の請求を斥けたのです。これほどひどい理屈はありません。これは戦争状態なんだから死んでも仕方がない、命の保証なんてものはない、国も色々ひどいことをやりますが、その結果がどうなっても国民・被害者に何の責任も取りませんからね、という理屈なのです。そして何より注目すべきはこれこそが有事法制・「国民保護法制」の正体なのだ、ということです。
(2) 有事法制・「国民保護法制」の本質をはからずも暴露した判決
一昨年8月の京都地裁判決は、生存者について「乗船時、国との間に旅客運送契約に類似した法律関係があった」との前提で、国の安全輸送義務違反を認めました。これは敗戦で徴用が解除されたこと、つまり「平時」であることを踏まえ、国が乗船者を安全に運ぶ義務に反したと認定したのです。
京都地裁判決の意義は確認しておかねばなりません。地裁では原告側有利に進んでいた裁判の途中で、裁判官を転勤させるなどの措置を当局側がとったにもかかわらず、判決は「政府無答責」など被告側の主張(換言すれば政府側の圧力とそれまでの判例)を入れながらも、何とか原告救済の道を探ろうとしていたのです。
ところが、今回、岡部裁判長は「当時は旧ソ連軍との戦闘が続くなど緊迫した状況にあり、朝鮮人徴用工らの運送行為は海軍の作戦計画の実行として行った行政上(軍事上)の措置だった。国と乗船者との間には公法上の特殊な関係が成立していた」と位置づけ、国が安全運送義務を負うとする原告側の主張を斥けたのです。
これはきわめて危険な判決です。なぜなら裁判長は「旧ソ連軍との戦闘」=「有事」状態下で、朝鮮人徴用工と国は「海軍の作戦計画の実行として行った行政上(軍事上)の措置」で結ばれており、「公法上の特殊な関係が成立していた」というのです。そしてその間に起こったことについては、すなわち命を失った者がいたとしても国はそのことに責任を取る理由はないということを言っているのですから。
これこそが、今まさに参議院を通過しようとしている有事法案、さらに今後整備するという「国民保護法制」の正体なのです。
「武力攻撃事態」と国が判断すれば、指定公共機関に働く国民はもちろん、民間人も戦争に「協力」を強いられ、戦場にも駆り出されることになります。しかし、そこで何が起ころうと(仮に戦死しようと)国は一々保証はしませんよ(ただし軍人にはかつての「恩給」のように手厚い保証を与えるのでしょうが)、と宣言しているのです。今回の判決は「司法」の側からこうした行政の姿勢にお墨付きを与えることによって、有事法制の国民・民間人に対する真の姿を暴露することになっているのです。
政府は今回の控訴審で一審と同じ判断が示された場合の主張まで姑息に用意していました。それは「安全運送義務違反があっても事故から10年後に時効が成立した」というものです。浮島丸の運送がどう認定されようと「とにかく国に責任はない」と逃げまくるつもりだったのです。一方で事故の死没者名簿や報告書などの全面開示には応じず、原告らが望む真相究明にはまったく消極的でした。
さらに「65年の国交回復時の日韓協定で韓国国民の損害賠償請求権は消滅した」と主張していました。
判決はこれらの点は判断しないことによって、結局政府の主張を追認しています。
(3)「戦後補償裁判の初期に出されたような」反動判決――有事法案廃棄要求とあわせ再逆転判決を
この間戦後補償に関わる訴訟について、立て続けに反動的な判決が出されました。3月25日、最高裁によって関釜裁判の上告が棄却され、反動的な高裁判決が確定。27日には静岡・元朝鮮人女子勤労挺身隊訴訟および対日民族訴訟が最高裁によって棄却。続いて28日、江原道遺族訴訟、金順吉三菱造船損害賠償請求訴訟、在日の元「慰安婦」訴訟が最高裁によって棄却。これらはいずれも、戦後補償裁判の先駆けといえるものであり、困難な中でも日本と日本政府を鋭く追及したものばかりでした。そして今回の浮島丸訴訟では一審の積極的な側面を完全に否定し、国の主張を全面的に取り入れた反動的な判決がなされたのです。「戦後補償を巡る裁判の初期に出された判決のようだ」と批判されるゆえんです。
これら反動判決の背景には、執拗なまでの北朝鮮バッシングと「拉致」問題報道の過熱化、「つくる会」をはじめとする右翼的論壇の台頭が間違いなくあります。このような中で司法は歴史認識そのものを大きく後退させています。
しかし原告たちは上告して闘おうとしています。他の戦後補償裁判も闘い続けられるでしょう。被害者の高齢化が進み、亡くなる方が増え続けている下でも闘おうとしているのです。
今ほど日本の戦争責任追及と有事法案廃棄を結合して闘わねばならないことはありません。
確かに戦後補償を巡る訴訟の高裁段階で、国に賠償を命じた例はありません。日本の「司法」は行政の肩を持つように、戦後補償に対して大きな「壁」を設けているのです。
それでも戦後補償を巡る裁判で、徐々にではあれ積み上げてきた司法判断もあったのです。今回の判決はそれらを一切無視し、「積み上げ」を一挙に破壊する・無に帰するものといっていいほどの反動的判決です。
判決には批判が相次いでいます。「裁判官の偏った歴史観から結論が導かれている。争点への判断もなく、戦争状態だから死んでも仕方がないと切り捨てる論理だ」。「被害を受けた人々の感情から大きく懸け離れたもの」。「戦後補償訴訟は・・・日本が過去とどう向き合うかという国の品格が問われており、今回の司法判断が国際的な舞台でどれほどの説得性を持ち、受け入れられるかは疑問だ。」「国際的にもひんしゅくを買うだろう。」「このような判決が出るようでは、日本はアジアの信頼を得ることはできないだろう。」「日本は信じてはいけない国だと、世界に言いたい」。
事件の真相解明さえ行わない日本政府は、原告側に不信感と失望を植え付けてきました。今回の判決は原告のみならず、韓国人民の、そしてアジア人民の日本と日本政府に対する不信感を決定的にするものです。折りも折り、今国会ではアメリカと一体となって戦争準備を整える有事法制が決議されようとしています。これらがアジア人民への挑戦・戦争挑発以外の何ものでもないと受け取られても何の不思議もありません。
さらにこの間、反北朝鮮キャンペーンに呼応するように、またそれと一体のものとして朝鮮人・韓国人に対する悪質ないたずら、いやがらせ、人権侵害が「組織」されています。この状態で「朝鮮有事」が叫ばれる時、意図的あるいは無意識に組織されるであろう民族排外主義や、民族差別・虐待とその結果は想像を絶するものです。判決はこうした問題とも無縁ではないのです。
私たちはこの判決を断固糾弾します。判決が棄却され、すでに高齢の被害者救済を含め日本政府による事件への誠意ある謝罪と賠償が行われることを要求します。そのためには日本の過去の侵略と植民地支配による戦争犯罪追及と賠償を求める運動と、有事法案・有事法制反対など現在の日本の軍国主義化・反動化と闘う諸運動が結合して闘われねばなりません。過去の日本の侵略と植民地支配、それに伴う戦争犯罪を徹底追求し弾劾することは、現在の日本の軍拡・軍国主義化と闘うことと一体のものです。日本政府に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対する敵対行為と挑発を止めさせ、善隣協力関係に基づく、日本国憲法に基づく平和・友好外交を進めさせねばなりません。そのためにも日本政府に浮島丸事件はじめ戦後補償を誠実に行うことを断固要求していきましょう。
2003年6月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局