「対テロ戦争」への加担に反対し、イラク・インド洋からの自衛隊撤退を求めるシリーズ(その4)
補給艦“ときわ”が直接給油した米強襲揚陸艦ペリリューとESG−1が、ペルシャ湾で軍事作戦を行った事実関係を明らかにせよ!
□防衛省は、イラクの自由作戦海上阻止行動による「テロリスト拘束」を、自衛隊の給油活動の「成果」と主張するのか!?

(1)はじめに

 私たちは、本シリーズ1において、防衛省(当時は防衛庁)が2005年10月に発行したパンフレットの中で、OEF−MIO参加国による海上阻止行動でのダウ船臨検と乗組員拘束を成果として誇示していることを批判し、詳細を明らかにするよう主張した。そのパンフレットでは、防衛省は、「OEFにおける成果の例」として2003年12月15日、2003年12月20日、2004年1月1日、2004年5月7日、2004年9月、2005年3月6日、2005年5月20日の行動を挙げている。
「海上阻止行動(OEF−MIO)で拘束したのは「海賊」なのか、「テロリスト」「アル・カイダ」なのか−−日本政府は明らかにせよ!」(署名事務局)

 私たちはその記事を作成した時点では、これら臨検・拘束活動が、海上自衛隊が給油支援をしている「不朽の自由作戦の海上阻止行動」(OEF−MIO)に基づいて行われたもの、すなわちインド洋あるいはアラビア海においてアフガニスタンを対象に行われたものであることを前提にしていた。ところが、私たちが米軍サイトなどを調べているうちに、これらの活動がイラクの自由作戦か、少なくともイラクの自由作戦に不可分に組み込まれた一連の軍事作戦の中で行われた疑いが浮上した。
 もちろん私たちは、いかなる地域・作戦で行われようと、航行する艦船を手当たり次第無線照会、臨検を加え、乗組員を「テロリスト」の名目で不当拘束する海上阻止行動そのものに反対であり、その活動への海上自衛隊による給油支援を許すわけにはいかない。それは有志連合軍の一員として「対テロ戦争」に加担する集団的自衛権の行使であり、憲法違反である。だか、もしそれがテロ特措法が支援対象としている「不朽の自由作戦(OEF)」ではなく、対象外の「イラクの自由作戦(OIF)」の一環として行われているならば、全くの違法行為である。私たちがここで以下の点を改めて批判する。すなわち、@補給艦“ときわ”が給油した米艦船ペリリューなどがペルシャ湾におけるイラクの自由作戦海上阻止行動に参加したこと、これはテロ特措法からの逸脱である。米軍のホームページなどで記されているこれら作戦行動全体の事実関係を明らかにすべきである。Aそれらの軍事作戦で行われた一連の「テロリストの拘束」について防衛省は「OEF−MIOの成果」として誇示しているが、これはあからさまな虚偽宣伝であるだけでなく、自衛隊の給油活動とイラク戦争との関係を自ら暴露するものである。B「テロリスト」「アル・カイダ」とは何か、拘束された乗組員がどこに送られ、どのような扱いを受ているのかが全く不明であり、明らかにすべきである。以下、これら点を詳しくみてみたい。

(2)2003年12月5日、補給艦“ときわ”が強襲揚陸艦ペリリューなどに給油

 私たちが今回特に注目したのは、2003年12月15日、2003年12月20日、2004年1月1日の3回の拘束活動である。
 米海軍や中東を担当する米中央軍第5艦隊のホームページなどによって、2003年12月5日、海上自衛隊の補給艦“ときわ”が、北アラビア海で、米強襲揚陸艦ペリリュー、ドック型揚陸艦ジャーマンタウン、ミサイル巡洋艦ポートロイヤルの三隻に燃料を提供したことが明らかになっている。この3隻はいずれも「第一遠征攻撃群」(ESG−1)に所属し、「『イラクの自由作戦』と『不朽の自由作戦』を支援するため展開」していた。
 写真は、米海軍によって撮影された写真である。自衛隊の補給艦“ときわ”(左から2番目)が強襲揚陸艦ペリリュー(同3番目)に給油を行っている。左側後方にはミサイル巡洋艦ポートロイヤル、右側後方にはむらさめ級フリーゲート艦“あけぼの”が見え、“ときわ”から給油ホースを出して、ペリリューに燃料供給している。
※ Militaryphotos net
http://www.militaryphotos.net/forums/showthread.php?t=5853

(3)防衛省が誇示する「テロリスト拘束」はペルシャ湾で行われた

 12月5日に補給艦“ときわ”から給油を受けた後、この3隻は12月中旬、北アラビア海から北上してペルシャ湾に入り、“海上阻止行動”に従事した。
 強襲揚陸艦ペリリューの活動を紹介する“ペリリュー・ウェブサイト(THE PELELIU WEBSITE)”はこの海上阻止行動での臨検・拘束活動の「成果」に言及する。「その警備活動は12月に、ESG−1の部隊がペルシャ湾で2つの別個の海上阻止行動に従事していた際に成果を勝ち取った。12月15日、米ミサイル駆逐艦ディケーター(DDG 73)が一隻のダウ船およびその12人の乗組員を拘束し、1000万ドルを越える大麻を押収したのである。さらにその2週間後(つまり2004年1月1日)、ペリリューと第13海兵隊遠征部隊(特殊作戦能力)の小部隊が、米巡洋艦ポート・ロイヤル(CG 73)および米ドッグ型揚陸艦ジャーマンタウン(LSD 42)に随伴しながら、オーストラリアの偵察機とともに活動し、別のダウ船およびその15人の乗組員の拘束、末端価格1100万ドル、2,800ポンドの大麻を押収した。」
※THE PELELIU WEBSITE
http://www.peleliu.navy.mil/history.asp
※なお、ここに登場するディケーターは2006年3月15日に、「600番目の顧客として」海自の補給艦“ときわ”から燃料補給をうけたことが明らかになっているが、それ以外についての詳細は明らかではない。
http://www.navy.mil/search/display.asp?story_id=22769

 この記述は、防衛省の「2003年12月15日 乗組員12名拘束、大麻(末端価格1000万ドル相当)」「2004年1月1日 乗組員15名拘束 大麻(末端価格1100万ドル相当)」とのパンフレットの記述と完全に一致する。そして少なくとも2004年1月1日の行動には補給艦“ときわ”が直接給油した強襲揚陸艦ペリリューら3隻が直接関与しているのである。

 また以下のサイトには、これらの活動に加えて、12月20日の乗組員拘束が、ミサイル巡洋艦フィリピン・シーによって行われたことを伝えている。「(12月15日の5日後)ミサイル巡洋艦フィリピン・シーは2隻の小型船を捕捉し、21名の乗組員、ヘロイン95ポンド、覚醒剤50〜100ポンドを押収した。33名の乗組員の内、10名はアルカイダとの関係が疑われ、拘束施設に移送された。ある高官によると、幾人かはアフガニスタンのバグラム空軍基地に拘束された。それ以外の23名は出身国の当局に返還された。」
 この記述はまた、防衛省の「12月15日分と併せて拘留した33名のうち、10名はアル・カイダへの関与の疑いあり」という記述と一致する。そして防衛省のパンフレット同様、12月15日、12月20の活動が一連のものとして記述されている。しかも、アルカイダとの疑いを受けた乗組員が、アブグレイブ、グァンタナモと並んで拷問施設として悪名高い、アフガニスタン国内のバグラム空軍基地に移送・拘束されたことまで言及しているのである。
※United Press International/02 January 2003 “DRUG SHIP SEIZED IN ARABIAN SEA”
http://www.highbeam.com/doc/1P1-89025183.html

(4)「イラクの自由作戦海上阻止行動」(OIF−MIO)

 さらなる問題は、これら一連の拘束活動はどこで行われたのか、ということである。米国防総省の機関紙“ディフェンド・アメリカ”の「イラク日誌」は、以下のように作戦が行われた場所を明らかにしている。2004年1月1日の強襲揚陸艦ペリリューによる拘束活動は「アラビア海北部」であった。同じく12月20日ミサイル巡洋艦フィリピン・シーとニュージーランド軍、英海軍による拘束活動も「アラビア海北部」である。一方、12月15日のミサイル駆逐艦ディケーターによる拘束活動は、ホルムズ海峡の近くの湾岸と書かれている。これはペルシャ湾内である。ところが、前掲の“ペリリュー・ウェブサイト”や“グローバルセキュリティ”のペリリューの活動を紹介するページなどは、「ペルシャ湾」としている。この違いは、ペリリューの行動軌跡をたどれば理解できるかもしれない。“グローバルセキュリティ”によれば、ペリリューの航行位置は、2003年12月5日オマーン湾、12月22日ペルシャ湾、12月31日北アラビア海、2004年1月5日アデン湾、1月6日紅海と、短期間に次々と活動場所を移動し広範囲で作戦行動を行っている。この記録が正しければ、ペリリューとその艦隊は、12月5日の“ときわ”による給油はオマーン湾でおこなわれ、その直後からホルムズ海峡を通過してペルシャ湾に入り、12月には大規模な対テロ活動をペルシャ湾内で行いながら、再び北アラビア海に戻ってアデン湾に入ったことが推測される。紹介するサイトによって海上阻止行動の場所が違うのは、頻繁にペルシャ湾と北アラビア海などの出入りを繰り返しているからではないか。

 “HAWAII NAVYNEWS”2004年2月27日号はこの海上阻止行動の中身を以下のように説明している。「このグループは、イラク南部の陸上およびペルシャ湾海上でのイラクの自由作戦海上阻止行動だけでなく、イラクにおける人道支援と治安維持活動を行った。さらに、グループは、テロリストと資材の輸送を阻止するために、紅海とアフリカの角における国際海域をパトロールした。」
 つまり、海上自衛隊が補給を行ったペリリュー、ジャーマンタウン、ポートロイヤルは、イラク南部の陸上からペルシャ湾海上までを単一の作戦地域とし、「イラクの自由作戦海上阻止行動」という言葉で表われる作戦に従事しているのである。従って、彼らが12月半ばに行っていた海上阻止行動とは、アフガニスタンを対象とした「不朽の自由作戦」ではなく、イラクを対象とした「イラクの自由作戦」の一環として行われていた可能性が高いのである。
※HAWAII NAVY NEWS
https://www.cnic.navy.mil/navycni/groups/public/@pub/@hawaii/documents/document/cnip_011817.pdf

 付け加えれば“ディフェンド・アメリカ”の「イラク日誌」の中で、海上阻止行動の「テロリスト拘束」が、バグダッドにおける掃討作戦など対イラク作戦と一体のものとして紹介されている。「アラビア海北部」「ペルシャ湾」「イラク本土」が、彼らにとってはイラクの自由作戦の一部として展開されていることの証左ではないか。
※ディフェンド・アメリカ
http://www.defendamerica.mil/iraq/update/jan2004/iu010504.html
※Peleliu ESG WESTPAC 03 Deployment LHA-5 Peleliu ex-Da Nang / ex-Khe Sanh Pax Per Potens: "Peace Through Power"
http://www.globalsecurity.org/military/agency/navy/lha-5-westpac03.htm

(5)OIF−MIOの目的は、「テロリスト」の往来やイラクからの「石油の不当輸出」阻止

 ここで言われている「イラク自由作戦海上阻止行動」(OIF−MIO)とは何か。それは、イラク戦争に先立って、アメリカを中心とする帝国主義諸国が経済制裁を補強するために10年以上にわたって行ってきた、ペルシャ湾岸での海上阻止行動が、イラク戦争開戦以降も継続されたものである。イラク戦争後は、イラクにおける「人道支援」と治安維持活動と深く結びつき、イラク南部の陸上地域からペルシャ湾海上までを含む地域全体で「テロリスト」の往来や「石油の不当輸出」を阻止するためのものとなった。
 問題となる2003年の秋から冬にかけて、イラク情勢はすでに泥沼化が認識されはじめ、2003年10月のラマダン攻勢によって肝をつぶした米軍が、北部ではスンニ派トライアングルに対する掃討作戦を強化する一方、石油産出地帯の集中する南部では、石油施設の防衛と破壊活動の阻止、海上ルートを通じた石油の窃盗を阻止する活動を強化していた。海上阻止行動は、イラクに対する経済制裁の延長であると共に、まさにイラク戦争の一環なのである。
※ Maritime Interception Operations (グローバルセキュリティ)
http://www.globalsecurity.org/military/ops/mio.htm
Maritime Interception Operations(海上阻止行動 MIO)とは本来、イラクに対する経済政策の一環として行われてきた海上封鎖を言う。ここでは元々の使われ方をされているということになり、自衛隊はまさにこの活動に協力しているということになる。
※また今回の問題とは別だが、イラク戦争開戦前からイラクに対して行われてきた陸・空域に対する監視活動としてはOperation Southern Watchがある。この活動も同様、イラク戦争における大規模戦闘が終了した後も続けられてきた。
 Operation Southern Watch (グローバルセキュリティ) http://www.globalsecurity.org/military/ops/southern_watch.htm

 イラク戦争の一環として海上阻止行動が行われていることは、米軍の支援として派遣された米沿岸警備隊の活動を紹介するホームページでも明らかにされている。沿岸警備隊は、米沿岸での活動の経験を下にペルシャ湾岸で、「石油の不当輸出」や「テロリストの拘束」活動に従事していた。たとえば、上記の拘束を行ったのと同時期である2004年1月9日に海軍支援をし、「Operation Iraqi Freedom and Maritime Interception Operations」 (イラクの自由作戦と海上阻止行動)を行う沿岸警備隊の活動を報道している。
http://cgvi.uscg.mil/media/main.php?g2_itemId=94264
[OPERATION IRAQI FREEDOM (FOR RELEASE)
 ARABIAN GULF (Jan. 9, 2004)-- Machinery Technician 2nd Class Chad Parker, 29, inspects a large containter in the hold of a cargo dhow as a boarding team from the U.S. Coast Guard Cutter Adak searches the vessel for smuggled Iraqi oil. The Coast Guard has deployed four 110-foot patrol boats to the region to support U.S. Navy 5th Fleet and coalition forces during Operation Iraqi Freedom and Maritime Interception Operations to stop illegal oil smuggling and to search for terrorists. USCG photo by PA1 Matthew Belson ]

(6)「不朽の自由作戦」と「イラクの自由作戦」は米中央軍第5艦隊のもとで不可分一体化

 米中央軍はアフガニスタンとイラクを統括し、その海洋での作戦を遂行する第5艦隊がOEFもOIFもどちらも指揮しており、一体のものとして進めている。日本では、政府が明確に区別されているかのように宣伝するイラク戦争とアフガニスタン戦争は、ここでは「A Global War on Terror」、すなわち「テロに対する世界戦争」の一構成要素として闘われているのである。
 米中央軍第5艦隊は、中東の産油地帯を管轄地域とした、まさに中東の石油支配のために作られた軍である。それは、インド洋からペルシャ湾、紅海、オマーン湾、アフリカの角とソマリア、イエメンなど広大な地域の軍事作戦を担う。
 中東地域においては現在、インド洋(というよりイエメン沖に重点がある)に展開する多国籍海軍任務部隊CTF150、ペルシャ湾南部に展開するCTF152、そしてイラク本土に通じるペルシャ湾北部に展開するCTF158の3つの作戦海域が存在している。有志連合軍の艦船・艦隊はこれら3つの作戦海域を移動し、OEF、OIF、MIOを不可分一体のものとして遂行しているのである。
 海上自衛隊の補給艦は、テロ特措法であれ何であれ、一旦派遣されてしまえば、事実上米軍の指揮の下に入り、米軍が進めている戦争に次々となしくずしてきに加担させられてしまうということになる。
※地図はhttp://deploy-monitor.over-blog.com/article-5336953.html

(7)問題は「流用疑惑」だけではない。給油活動の全貌を明らかにせよ!

 だが、ここで明らかにした事実は、「何に使われるかわからない」「OIFとOEFは事実上区別できない」などという「流用疑惑」や「結果責任」の問題ではない。また、海自の補給艦が供給した燃料何キロリットルで米艦船がどこを何キロメートル航行できたのかというような些末な問題でないことは明らかである。
 イラクの自由作戦海上阻止行動で米軍が行った「テロリスト拘束」を、給油活動の成果として誇示するということは、防衛省自身が、テロ特措法、給油活動、「テロリスト拘束」、不朽の自由作戦、イラクの自由作戦を一体のものとして捉えていることを意味し、それを承知した上で自覚的にイラク向け艦船への給油活動を行っていることを意味するからだ。しかも、2004年1月1日に拘束活動をおこなった強制揚陸艦ペリリューが、自衛艦の給油を受けてペルシャ湾に入ったことは紛れもない事実である。
 政府は、給油新法の骨子の検討に当たって、間接給油すなわち米補給艦への補給を除外するかのような案を提示していると言われるが、これは、問題を「流用疑惑」に矮小化し世論を欺くためのマヌーバーである。私たちがここで問題にしたのは直接給油であり、「テロとの戦争」そのものへの加担である。問題は、海上自衛隊の燃料供給によって、インド洋からアラビア海、ペルシャ湾、アフリカ地域までの広大な地域を、米軍をはじめとした多国籍軍が軍事作戦を遂行することを可能としているという事実である。
 政府と自衛隊は、海上自衛隊の補給艦による給油実績について、全貌を明らかにすべきである。補給艦“ときわ”“はまな”“とわだ”が、米軍と多国籍軍の「どの艦船に」「いつ」「どこで」「どれだけの量」の給油をおこなったのか、そして補給を受けた艦船はいかなる作戦に従事したのか。直接給油であろうと間接給油であろうと、イラク戦争とアフガニスタン戦争に加担し、人民の大量殺戮と国土の破壊に協力した責任、海上阻止行動で不当拘束してバグラム空軍基地やグァンタナモへの移送に加担した責任は免れない。まず、その責任を明らかにしなければならない。

2007年10月3日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局