「対テロ戦争」への加担に反対し、イラク・インド洋からの自衛隊撤退を求めるシリーズ(その3) |
2007年のイラク民間人犠牲者は2006年に比べて激増
米軍の増派はイラクにおける暴力・抗争・殺戮を拡大した |
(1)2007年9月10日米議会において、イラク駐留多国籍軍のペトレアス司令官は、今年2月14日に開始されたイラクへの3万人の増派の目標はおおむね達成されたと報告した。この増派作戦の目標は、「宗派抗争を封じ込め、イラクの、とりわけバグダッドの民間人に安全を提供すること」であったという。ブッシュ大統領はこの報告を受けて、イラクに現在派遣している16万8000人の米軍兵士のうち、3万人を来年夏までに削減し、増派前の水準に戻す方針を発表した。イラクのマリキ首相も、この増派を評価し、「再建、経済発展、人々の生活水準の改善への鍵は安全保障である。バグダッドでの暴力は75パーセント低下した」と述べている。
しかしこれは全くのデマゴギーである。米国が派遣部隊の部分的な撤退を表明したのは、イラクの状況が改善されたからでも何でもない。米国が後押しするイラク・マリキ政権は、スンニ派だけでなくシーア派内の反米強硬勢力サドル派の脱退によって、崩壊の崖っぷちに立たされている。政治的にも軍事的にも、もはや米国は身動きが取れなくなっている。ブッシュは、あえて「改善」をアピールするため、米軍の派遣規模を増派前の水準に戻すことを表明したにすぎない。
※Death Toll Makes a Mockery of US
Optimism
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article2950298.ece
(2)このブッシュ政権とマリキ政権による大々的な宣伝とは裏腹に、イラクの状況は1年前に比べてさらに悪化している。その悪化・泥沼化の事態を劇的に示すものが、今年に入ってからのイラク民間人犠牲者の激増である。
それを示すデータを見てみよう。図1は処刑・銃撃・爆弾等により殺された民間人の死亡者の数を2006年と2007年の同じ月ごとに比較したグラフである。スペンサー・アッカーマン氏が、AP
通信が配信した記事をもとに作成し、左翼系ブログTMP(Talking
Point Memo)に寄稿した。
図1(TPM Media LLCより) |
2006年後半から史上最高の水準に達した民間人の死者は、高いレベルのままであり、1年前に比較すると、およそ2倍以上に増加している。これは2007年2月14日の増派以降もほとんど変わらない。「民間人に安全を提供する」という増派の目的はまったく達成されていないどころか、事態を悪化させている。昨年に比べ毎月2倍から4倍、1500人から2000人の犠牲者が記録され続けているのである。
※Iraqi Civilian Casualties: 2007 More
Deadly
Than 2006
http://www.tpmmuckraker.com/archives/004116.php
図2は、「イラク・ボディ・カウント」による、イラク戦争が開始されてから現在までの民間人の死者数を示すグラフである。(2007年9月24日現在)
図2(Iraq Body Countより) |
侵攻直後の無差別爆撃と大量殺戮によって民間人に多大な死傷者が出た後、米国の「勝利宣言」が出される。しかし、その後もイラクの民間人の犠牲者は増大し続け、2006年後半には、半年の単位では、イラク侵攻が開始されて以来最高の水準に達している。民間人の死者はとほうもなく増大し、日常化している。
※The Baghdad ‘surge’ and civilian
casualties
http://www.iraqbodycount.org/analysis/numbers/baghdad-surge/
また別の指標では、月ごとの市民、米軍、イラク治安部隊に対する攻撃回数が2006年の後半から激増し、高水準で推移している(図3)。これは米軍自身が、3ヶ月に一度報告する“Measuring
Stability and Security in Iraq”の9月最新版で明らかにしている。ペトレアス司令官もブッシュ大統領も決定的な事実を隠蔽しているのである。
(3)スペンサー・アッカーマン氏がAP配信の記事のみを元にし、「イラク・ボディ・カウント」が全メディアを対象としてより慎重なふるい分けをしていることから、二つのデータは異なっているが、2006年前半に比べて2007年前半が著しく悪化していること、犠牲者数という点では2006年後半から最悪の水準で推移しているという点では共通している。また、すべての死者を網羅しているわけではないことは、そのスタッフ自身が自覚している。これらの数字は、あくまで、報道され、記録された事件だけを集計した氷山の一角である。実際の数字は数倍から十数倍に登るのは間違いない。
米軍とイラク政府は意図的に犠牲者の数を少なく見せようとしている。米軍の規則では、処刑による殺人であったとしても、頭を後ろから打ち抜かれていれば「宗派抗争による殺害」と見なされるが、前からの射殺であれば犯罪によるものと見なされて、公式の統計から排除される。これはまったく姑息な手段であり、少しでも宗派対立による死者を少なく見せようとするものに他ならない。
バグダッドに住む20歳のスンニ派の青年オマール・アル・フセイニは、この8月にシーア派の武装集団によって、騒動に関わったと誤解されて殺されたのだが、米軍とイラク警察はオマールを盗人と決め付け、それゆえに殺されたのだとみなした。「純粋な犯罪行為」は彼らの管轄外というわけである。
9月10日にはサドルシティで若い母親と二人の娘の葬式が行なわれた。彼女らは、米軍とイラク政府軍が4つの家を急襲した時に殺されたのだが、米軍はこの作戦で銃撃をしたことを報告はしても、この市民の犠牲者についてはまったく報告をしていない。
このような悲惨な事件が、増派による軍事作戦が「成功」をもたらしたはずのイラクで毎日のように生じているのである。イラクに暴力と混乱をもたらしている最大の要因は米軍の存在である。
(4)イラクに駐留している多国籍軍は櫛の歯が欠けていくように次々と撤退していっている。そのような中で、日本はあくまで米軍を支援し続けている。航空自衛隊が武装米兵や戦略物資の輸送を担うという形で。
そしてまた、最近、アフガニスタンでの「不朽の自由作戦」に限定されているはずの「テロ特措法」の名目で、イラクでの軍事作戦に従事する米艦船に海上自衛隊が間接・直接に給油をしていたことが改めて暴露された。
国内でどれほど失業や貧困が拡大しようとも米軍のために無償援助を行う日本のような国があるからこそ、米国はいつまでもイラクでまたアフガニスタンで傍若無人の振る舞いを続けているのである。
「テロ特措法」であれ、給油新法のようなものであれ、これ以上米軍を支援することは許されない。
イラクのことはイラク人自身が決める以外に道はない。自衛隊をイラク・インド洋から完全撤退させ、給油を断絶し、米政府をいっそうの苦境に陥らせることこそが、日本の平和運動にとっての真の国際貢献である。
2007年9月25日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
翻訳資料
バグダッド「増派」と民間人の死傷者
http://www.iraqbodycount.org/analysis/numbers/baghdad-surge/
2007年2月に開始された米軍の「増派」(Fardh
al-Qanoon作戦)の目的は、民間人、特にバグダッドの民間人に安全を提供し、宗派的暴力を封じ込めることにあると言明されていた。
暴力による死がどのような傾向にあるかは、人々の安全の最も直接的な指標である。
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バグダッドへの米国の派兵の増加は、民間人に対する暴力にどんな影響を与えているか?
下記のグラフは、2007年1月1日からの期間に「イラクボディ・カウント(Iraq
Body Count, IBC)」が記録した暴力による民間人の死を、月ごとに集計し傾向を明らかにしている。
これらの図表は、死因を射撃および処刑によるものと爆弾によるものとに区別し、それを地域別に(バグダッド首都圏とそれ以外のイラク全土)分け、そして2007年2月14日の最初の米軍の「増派」以前(茶色)と以後(オレンジ)で時期的な区分をしている。
このページのグラフは動的であり、新しいデータが分析され追加されるごとに更新されることになっている。より最近の期間のデータは、たいていあまり完全ではなく今後さらに大きな上昇を示す可能性がある。
2007年1月1日以降の1日平均の民間人の死者
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射撃と処刑による殺人 |
爆弾による殺人 |
バグダッド |
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バグダッド
以外 |
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2007年9月第二週と第三週についての覚え書き
IBCは、米国政府の新安全保障計画つまり「増派」の進捗に関連して公式の報告が差し迫っていることを意識している。しかしながら、IBCの仕事は、政治上の日程とは連動していないし、上の図表も当局筋から提供されるデータに直接比較できるよう意図されてはいない。
これらの図表は、増派後普通のイラク人にとって治安状況が穏やかに改善していることを示していることもある。時にそういうこともあるということは議論の余地のないことではあるが。しかし、これらの図表は、上記の理由で、より最近の期間について報告された暴力を不十分にしか表示しない傾向がある。これらの図表に見られる低下傾向は、まだ統計数値に載せられていない情報が加えられるにつれて(まだ未処理のデータに関しては「Recent
Events」参照)、おそらく著しいものではなくなっていくであろう。
2007年の出来事を全体の脈絡の中に置くのことが重要である。暴力のレベルは2006年の最後の6カ月で史上最高を記録した。それとの比較だけでは、2007年の前半を改良と見なすこともできよう。増派に注がれたあらゆる努力にもかかわらず、2007年前期の6カ月は、侵攻以来のいかなる年の前半6ヶ月と比べても、民間人にとって最も死者の多い6カ月だった。
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