小樽市「米空母に反対する市民の会」からの短信
「あまみ」船橋展示に反対する申し入れ
自衛艦入港、「体験航海」反対行動


 小樽市「米空母に反対する市民の会」から非常に重要な運動の紹介が、事務局に寄せられました。@「あまみ」船橋展示に反対する申し入れ、A自衛艦入港「体験航海」反対行動です。特に@では、昨年12/22に巡視船「あまみ」が行った船舶撃沈という不法行為を全面的に批判し、その行為を正当化し誇示するための船橋展示を厳しく追及しています。全国で船橋展示をしていくという試みは、北朝鮮の脅威を煽り、「有事法制」制定を目指すものに他なりません。私たちは「米空母に反対する市民の会」の取り組みを大変重要と考え、以下に転載します。(2002年7月31日)


以下市民の会の方からのメール(抜粋)


 7月19日、20日に、第一管区海上保安本部前の駐車場で、「あまみ」の船橋展示が行われました。これは、第一管区が独自で企画・実行したのではなく、海上保安庁本部の指示によるもののようです。これから、各管区(全部で11管区)で巡回展示するようです。わたしたちは、7月18日に第一管区へいき、つぎの申しいれをしました。
 7月28日朝の自衛艦オタル入港と「体験航海」にたいする抗議行動は、これまでのようなあからさまな妨害がなく、自衛艦に接近しておこなうことができました。さらに、夕方には、「自衛艦はオタルに来るな」「自衛艦はアフガニスタンへ行くな」などと書いたプラカードをもったまま艦内に10分ほど入るという「出来事」もありました。



巡視船「あまみ」の船橋部分展示にかんして

 昨年12月22日、公海上(中国の排他的経済水域)で、第10管区海上保安本部の船団が1隻の船を銃撃しました。その結果、その船は沈没し、10数人の乗組員全員が死亡しました。

 公海上で、人の命を奪っておきながら、いまだ、第10管区海上保安本部も、海上保安庁本部も、日本政府も、謝罪はおろか、哀悼もしていません。海洋条約法によれば国家の主権が及ぶのは沿岸12海里の領海であり、第10管区の船団が、この船の追跡を開始したのは、日本の領海から200キロメートル以上離れた公海上(日本の排他的経済水域)でした。

 第10管区の船団は、この船の船尾や船首部分を撃ちぬく射撃をしており、この船は、船体射撃をうけて出火しました。この船が自力で消火、再度航行をはじめると、第10管区の船団は、再び機関砲攻撃をしました。銃撃をくりかえす第10管区の船団に対して、この船が発砲したのはその後でした。

この船が沈没したのち、第10管区の船団は、乗組員の救助をおこなわず、見殺しにしました。

武装した日本国の船団が、約15人の外国人とおもわれる人たちの命を失わせました。このようなことは、1945年夏以後これまでなかったことです。この事件は、日本海軍(海上自衛隊)の駆逐艦(護衛艦)や補給艦が、インド洋海域で、「キティホーク」などアメリカ合州国の軍艦といっしょになってアフガニスタン民衆殺戮をおこなっているさなかの事件でした。この事件の際にも、第10管区海上保安本部の船団は、自衛隊の艦船と共同行動していました。


 第1管区海上保安本部は、7月19日と20日に、第10管区の「あまみ」の船橋部分の展示をするそうですが、この展示にかんして、つぎのように申し入れと質問をします。


申し入れ

 展示の際には、第10管区の船団がおこなった違法・不当行為の全体、および、沈没した乗組員を見殺しにしたという非人道的な事実を、見物人にきちんと伝えてください。

 第1海上保安本部は、ホームページに、「九州南西海域不審船事案で被弾した巡視船「あまみ」の船橋部分を一般公開します」と書いていますが、これではこの「事案」が公海上ではなく日本の領海内でのことであったかのようです。


質問

1、 第1海上保安本部は、今回の展示の目的を、「広く市民の皆さんに海上保安業務に対する理解を深めてもらうため」としていますが、「あまみ」の被弾のみを強調する展示は、市民が事件の実態と本質を正確に知ることを妨げるのではないですか。はじめに激しい銃撃をおこなったのは、第10管区の船団ではなかったのですか。

2、今回の展示は、第1管区独自の企画なのですか、それとも国土交通省や海上保安庁本部の指示にもとづくものなのですか。

3、1950年に、小樽に第1管区海上保安本部が設置されてからまもなく、10月に、第1管区の掃海船2隻が小樽港をでて、アメリカ合州国海軍とともに朝鮮海域で機雷除去作戦をくりかえしました。このとき、その1隻は、群山沖で座礁沈没しました。

ふたたび、小樽港を基地とする船舶を戦争に荷担させないために、朝鮮戦争以後これまで、第1管区は、どのようなことをやってきましたか。


第1管区が第10管区と同様のことをおこなうことがないように、以上の申し入れと質問をしました。

第10管区の船団が、外国の船を銃撃し沈没させた事件について、事件直後に、韓国の『朝鮮日報』は、「正当防衛」ではなく先に攻撃した「過剰反応」であったとのべています。


2週間後の8月1日までにこたえてください。


2002年7月18日

第1管区海上保安本部長杉原和民さま


米空母に反対する市民の会




 7月26日午後1時ころから、iオタル港に7隻、石狩湾新港に2隻の自衛艦がはいってきました。
 オタル港に入港した自衛艦の接岸バースはつぎのとおりです。

護衛艦DD(駆逐艦)ゆうぐも(大湊):勝内1
護衛艦DD(駆逐艦)ゆうぎり(横須賀):勝内2
護衛艦DEちくま(舞鶴):勝内2
護衛艦DEゆうばり(大湊):勝内3
輸送艦LST(揚陸艦)ねむろ(大湊):中央1
潜水艦はましお(横須賀):中央2
潜水艦救難母艦ちよだ(横須賀):中央2

 余市の基地にPG(ミサイル艇)が3隻常駐しており、そのうちの2隻が、27,28日の石狩湾内「展示訓練」に参加。
 石狩湾新港にはいった掃海艇1隻、水中処分母船1隻の船名は未確認。

 7月17日から29日まで、掃海母艦うらが(横須賀)、掃海母艦ぶんご(呉)、掃海艇やえやま(横須賀)、掃海艇つしま(横須賀)、掃海艇つしま(横須賀)ら17隻の自衛艦と航空機16機、USA軍機1機と水中処理員10人が、陸奥湾で掃海特別訓練をやっていますが、そのうちの掃海母艦うらが(横須賀)が8月3日にオタルに入港し、5日に「体験航海」をやろうとしてます。
 日米合同軍事訓練の延長として、うらがによる「体験航海」が実行されようとしているわけです(ノーザン・スピリット2002)。
 うらがは、昨年11月25日に横須賀をでて、12月12日にパキスタンのカラチまで、軍事行動としてアフガニスタン難民のためと称してテントなどを運んだ軍艦です(そのテントは、パキスタン製で、パキスタで購入すれば半額以下であったらしい)。うらがが横須賀に戻ったのは、キティホークがアフガニスタン民衆殺戮戦争から須賀にもどった数日後の12月31日。


 護衛艦ゆうぎりは、オタルをでたあと、8月3日、4日に、苫小牧で一般公開と「体験航海」をやるようです。

 27日の『北海道新聞』朝刊に、「米空母に反対する市民の会は、28日に中央ふ頭で抗議活動を予定している」と報道されていましたが、明日28日は、朝8時10分に、かつない臨海公園に集合し、そこから護衛艦4隻がならんでいる勝内埠頭にいって抗議行動をします。