シリーズ<安倍の教基法改悪と反動的「教育改革」>その2
イギリス「教育改革」の悲惨な実態とその破綻
◎教育への市場原理導入による学校間・生徒間の差別選別、底辺校と「できない子どもたち」の廃校・切り捨て
◎点数=成績至上主義による子どもの人格と発達過程そのものの破壊
◎「大英帝国」の反動的・国家主義的イデオロギー教育



はじめに−−破綻したイギリス型「教育改革」を日本に導入させてはならない

(1) 安倍新政権との最大の対決点の一つは教育基本法改悪、教育反動です。その安倍が手本とするのはサッチャー「教育改革」です。サッチャー「教育改革」は以下のような内容を持っていました。大英帝国の植民地政策を批判的に取り上げる歴史教育を「自虐史観の偏向教育」として「是正」する、現場の自主性尊重を否定し全国国定カリキュラム(ナショナル・カリキュラム)を作成する、全国共通学力テスト(ナショナル・テスト)を実施して学校別の評価を公表し序列化する、女王直属の学校査察機関が5千人以上の査察官を全国に派遣しナショナル・カリキュラム通りに教育がおこなわれているかどうかを徹底的にチェックする、その結果、水準に達していないことがわかった学校には懲罰を加え、容赦なく切り捨て・廃校にする等々。
 それは実際に、それまでのイギリスの教育体制を根底からひっくり返すほどのものでした。安倍は、このイギリス型「教育改革」を模範として、全国的な学力テストの実施とその結果の公表、国の監査官による学校評価制度や学校選択制の導入などを強行しようと目論んでいるのです。


(2) 安倍が深く関与し右翼日本会議国会議員懇談会の下に設立された「教育基本法改正促進委員会」に巣くう議員たちは、彼らの「勉強会」の中で「イギリスも偏向歴史教科書問題や学力低下に苦しんでおり、それを時のサッチャー政権が教育基本法を改正して解決した話」を学んだといいます。「懇談会会長」の平沼赳夫は、当時自民党幹事長代理であった安倍晋三らと相談し、2004年秋イギリスに、2004年秋自民党と民主党の国会議員による合同調査団を派遣しました。その調査結果をまとめたものが『サッチャー改革に学ぶ 教育正常化への道 英国教育調査報告』(中西輝政監修 英国教育調査団編 PHP 2005年)です。
 この本の見出しを見るだけでも、安倍を初めとする日本会議の議員たちが、サッチャー「教育改革」から何を学ぼうとしているのか、その関心の所在がはっきりとわかります。「『イギリス病』との戦いから生まれた『1988年教育改革法』」「国家戦略としての教育」「いかにして偏向教科書を排除したか」「宗教教育の充実と家族強化の試み」「日本版『教育水準局』の設置を」「教職員組合と教育行政との癒着を断ち切り、チェック体制の確立と情報公開を」−−要するに、教育に対する国家の支配をいかに確立し、統制・管理を強めるか、いかに「偏向教育」を「是正」するか、いかに徳目教育を植え付けるか、いかに教職員組合の影響を学校から排除するか等々。


(3) しかし、本稿で述べるように、それらの試みはすでにイギリスでは破綻が顕在化しています。「教育改革」によってもたらされた学校教育のゆがみに対して全国から悲鳴が上がり、教育制度の修正に向かいつつあるのです。特にウェールズでは全国共通学力テストが全廃されることが決定しています。安倍は外国ですでに破綻した制度を導入し、国が教育権を奪い、それを強権的に振りかざし、教育の中央統制によって強行的に競争原理を導入しようとしているのです。イギリスで子どもたちや教職員たち、さらに保護者たちが被った甚大な被害を、この日本で再現しようというのです。しかも日本では、主導するのは札付きの自民党文教族と右翼勢力です。やり方も中身もイギリスと比較にならぬほどひどいものとなるのは間違いありません。安倍の教育政策を放置することは、日本の教育そのものに、さらには社会全体に二度と立ち直れない、取り返しのつかない災厄をもたらすことになります。絶対に阻止しなければなりません。


(4) イギリスのサッチャー「教育改革」についても、安倍がそれを導入しようとしていることについても、日本ではほとんど知られていません。最近、ようやく少しずつではありますが、その矛盾や危険性が暴露され、破綻と行き詰まりが明らかになり始めたばかりなのです。
※私たちがイギリス「教育改革」の行き詰まりについての情報源としたのは幾つかありますが、邦文では在英ジャーナリストの阿部菜穂子さんの現場からのレポートが一番まとまったものでした。しかしながら彼女に対する的外れの批判を、文部科学省の官僚で中教審の委員であり、国立教育政策研究所の教育政策・評価研究部長、日本教育行政学会・国際交流委員会委員長(この目がくらむような肩書きを見るだけでも文部官僚の中のイギリス「教育改革」の代弁者であることが分かります)を勤める小松郁夫氏が行っています。「英国教育への誤解を流布させている責任は重大だと思っている。英国の教育が中央集権化しているなどという理解は、この間の教育改革の経緯や歴史などを知らな過ぎるし、ジャーナリストを名乗るにしてはきちんとした取材もほとんどしていないような原稿だ。」と。(彼の個人的ブログ「小松郁夫のつれづれ日記」より)とんでもありません。彼が依拠するのは「英国政府がらきちんと反論をいただくことができた」という代物に過ぎないのです。英国文部官僚の見解を口移しにするが、教育現場、現場教職員と子どもたちの悲鳴は彼の目には入っていないようです。

 イギリスの「教育改革」とはどのようなものなのか、そしてなぜ破綻したのかを明らかにすることは、日本でどのような教育を行ってはならないのかを明らかにすることでもあります。反面教師としてのイギリス「教育改革」批判を、できるだけ多くの人々に知らせなければなりません。それが本稿の大きな目的です。

【参考文献】
※『美しい国へ』安倍晋三 文春新書 2006年7月
※『イギリスの教育改革と日本』佐貫浩 高文研 2002年8月
※『サッチャー改革に学ぶ 教育正常化への道 英国教育調査報告』中西輝政監修 英国教育調査団編 PHP 2005年4月
※「イギリスの学校から・1〜15」阿部菜穂子 『教職研修』2005.7〜2006.9
※「岐路に立つイギリスの『教育改革』」阿部菜穂子 『世界』2006年9月号
※「安倍晋三氏の改革モデル 英国流教育改革は行き詰まっている」阿部菜穂子 『エコノミスト』2006年9月26日号
※「安倍政権は問題の多いイギリス『教育改革』に追随するのか」阿部菜穂子 『世界』2006年11月号



[1]ナショナル・カリキュラムとナショナル・テストの実施による学校の序列化と教育の国家統制

(1)サッチャーの中央集権的「教育改革」

 安倍及び彼も深く関与する日本会議の議員達が高く評価するサッチャーの「教育改革」とはどのようなものか。彼らが注目するのは主に以下の三点です。
−−「教育改革法」の制定
−−「自虐的な偏向教育の是正」
−−全国的なナショナル・テストの実施


 明らかなように、一番目は教育基本法改悪、二番目は、いわゆる日本軍「慰安婦」を記述した教科書に対する「偏向」「自虐」批判と「つくる会教科書」の促進、そして三番目は全国共通テストとそれを介した教育・教育内容の国家統制の強化をそれぞれ想起させるものであり、いかに日本の「教育改革」をイギリスに倣ってやり遂げようとしているか、その密接な関連がわかります。
 サッチャー政権によって推進された新自由主義的社会政策の中でも「教育改革」は最も重要なものの一つと称されています。それは1988年の「教育改革法」制定に端を発しています。これはそれまでのイギリスの教育を根本からひっくり返すものでした。要約すると、国が決めたナショナル・カリキュラムに基づいてナショナル・テストを行い、その到達点をリーグ・テーブル(学校成績順位一覧表)で公表し、学校の運営方法や目標の達成状況を監査・評価し、それらの管理と競争によって急速に教育の達成度を向上をめざすというのが、この制度改革の根幹といえるでしょう。
※サッチャー「教育改革」の全体像は以下の8点で示されるものです。すなわち、1、ナショナル・カリキュラムとそれに基づくナショナル・テストの設定、2、ガバナー制度、3、地方財政経営(LMF)による財政権限の学校への委譲、4、グランド・メインテインド・スクール(GMスクール)の創設、5、CTC(シティー・テクノロジー・カレッジ)の設立、6、学校へのオープン・エンロールメント・システムの導入、7、大学システム、制度の変更、8、インナー・ロンドン教育当局(ILEA)の廃止。

 サッチャー「教育改革」は、「中央集権化」と「分権化」の両方を目指すものと称されていますが、「分権化」とは、国家統制と序列化をより強化するために、「中央集権化」の枠組みの中で部分的に「現場裁量」をもたせたものにすぎません。イギリスの「教育改革」を「中央集権化」と「分権化」の異質な2側面の同時推進と捉えることは、サッチャー教育改革の本質とその破綻を見誤ることになると私たちは考えます。
※本稿の冒頭で述べた、小松郁夫氏による阿部菜穂子さんへの誹謗中傷も、このまやかしの「真の分権化なき分権化」をイギリス政府の口移しで対置するものであるし、後述する佐貫浩氏の論も、この側面を過大評価するものです。


(2)イギリスの教育の性格を変質させたナショナル・カリキュラム、ナショナル・テスト、リーグ・テーブル

 教育改革法によって、義務教育段階のすべての教科にわたって、国定の教育達成計画=ナショナル・カリキュラムが設定され、すべての公営学校は、これに従って教育をする義務を負うことになりました。そして四つのキーステージ(基準となる学習段階)時点で、カリキュラムへの到達度を評価することになったのです。コア教科は英語(国語)、数学(算数)、科学。基礎教科は歴史、地理、技術、音楽、芸術、体育、外国語(キーステージ3、4)。その結果、教育内容と実施方法に対する国家管理・統制を強めると共に、著しい競争をもたらすことになりました。またすべての公営学校は、宗教の授業をすべての子どもに提供しなければならなくなりました。これは、日本会議が飛び上がって歓迎する部分です。

 7歳(2年生)、11歳(6年生)、14歳(9年生)の生徒には一斉に「全国テスト」(SATs)が実施されます。さらにイギリスには昔から、セカンダリー・スクール卒業年度の16歳は「一般中等教育資格試験」(GCSE)、シックスス・フォーム二年目の18歳は大学入学資格のための試験(Aレベルテスト)が存在していました。
 そしてその11歳と16歳と18歳の試験結果が、それぞれ、小学校、セカンダリー・スクール、シックスス・フォームの「リーグ・テーブル」(学校成績順位一覧表)となって新聞発表されるのです。小学校のナショナル・テストの成績順位一覧表でも大判の新聞16頁にも及ぶと言われていますが、それを大手新聞各紙が一斉に発表し、数万人の親たちがそれに見入るというのです。もちろんそれが、わが子を試験成績のいい学校へ入学・転学させるためであるのは言うまでもありません。新聞各紙は、「全国成績上位20校」「全国自治体成績ランキング」、さらには「全国成績ワースト50校」のような刺激的な一覧表を作成して大々的に報道するといいます。これらは、生徒、教職員、学校、子どものいる家庭、さらには自治体に成績至上主義、点数至上主義を生みだし、教育の性格やあり方を根本的に変えてしまいます。


(3)プロスペクト(将来見通し)を通じた地方への統制

 ナショナル・カリキュラム、ナショナル・テスト、リーグ・テーブルに典型的に示される強力な国家的成績向上戦略は、イギリスの教育の性格を急速に変質させてきました。この中で、従来伝統的に独立性の強かったイギリスの地方教育当局は、「教育改革プラン」の提出を国家に対して求められ、学校は目標(ターゲット)を設定し、それを親にも地域にもプロスペクト(学校毎の将来見通し)として公表し、その目標達成度は、リーグ・テーブルの順位や「インスペクション」(外部機関による立ち入り検査を含む学校評価)報告として公表されるのです。教育の地方分権は否定され、中央集権化、官僚主義的国家統制の方向が強まっていくのです。
※イギリスのリーグ・テーブルの性格は単純ではありません。それは到達度評価に立つ成績評価であり、学校の目標は「みんなが合格を」となります。AからC評価をみんなで達成しようということが生徒の共通の目標なのです。生徒個々人の間の競争というよりも、学校の教育力を高めること、少なくとも名目上は基準を突破できない底辺層の生徒を強力に押し上げることが何より重要な課題となるわけです。この点が来年度から日本で実施される全国学力テストとの恐らく最大の相違点になるでしょう。しかし、これはあくまでも建前でのこと、幻想を持つことは誤りです。イギリスの場合もテスト結果は個々人にとっても相当な圧力となり、さらにはGCSEやAレベルの場合は進学や就職の際の評価対象となります。結局は、「みんなが合格を」はスローガン倒れになり、「できない子」は切り捨てられていくのです。


(4)植民地主義を批判する「自虐史観」「偏向教育」の是正
 
 先に紹介した日本会議の議員連中は、「イギリス病の克服」を掲げて登場したサッチャー保守政権が「経済再建とともに、イギリス国民としての誇りの回復、道徳の重要性を訴え続け」たとして、1985年インナー・ロンドン教育当局が管轄する中等学校で使用されていた『人種差別はどのようにイギリスにやってきたのか』の使用中止を目論んだことを絶賛します。いわゆる「偏向教育の是正」です。彼らによれば、「イギリス植民地支配の残虐性とその犠牲となった移民(アジア、アフリカ、中南米の人々)の悲劇をグロテスクなイラストで強調する一方、イギリスを『人種差別に満ちた侵略国家』と非難し、国旗(ユニオン・ジャック)、キリスト教、君主制に対する激しい憎悪を煽る」ものなのです。
 サッチャーは、労働党の教育政策であった「児童の権利を尊重する人権教育の推進」、「イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進」、「教師の自主性を尊重する教育行政の確立」が反映した「1944年教育法」を抜本的に改悪し、教育内容と教育課程への国家統制を強めていったのです。



[2]教育基準局の設置と、「失敗」評価で学校を廃校に追い込む懲罰システム=インスペクションの導入

(1)「女王陛下の査察官」を頂点とする懲罰システムのピラミッド

 メージャー保守党政権下の1992年教育法で、教育基準局(オフステッド)が設置され、新しいインスペクション(査察)のシステムが開始されました。インスペクションは、普通のセカンダリー・スクールでは延べ人数にして60人・日(例えば6人で10日間)程度を費やす大掛かりなものと言われています。これは教師達にとっては大変きついものであり、これで低い点数をつけられたベテラン教師が自殺した例もあると新聞は報じています。

 インスペクションは4年に一回行われます。「インスペクター」(査察官)は絶大な権力を持っており、数人のグループで学校を訪れ、授業を中断させて教師を質問責めにしたり、詳細な授業計画の提出を要求したりする言われます。そして調査の中心には「政府機関インスペクター」(女王陛下の査察官)がいて、その指揮を執ります。すべての教師への面接も行い、短期間に膨大な報告書を作り公表します。「失敗」の評価を受けると、「失敗」の評価を受けると毎年行われ、特別の監視付きということになります。まさに懲罰システムのピラミッドが構築されているのです。


(2)59校を閉鎖に追い込んだ教育基準局の巨大な権限

 インスペクションに伴う教育基準局の権限は、非常に強権的な面を持っています。学校運営が「失敗」と判定されて「特別基準」を適用されると、若干の追加予算を受けるが、成績の向上に特別の工夫を求められます。1993年以来「特別基準」におかれた875の学校のうち、372校がこの基準から改善したとしてはずされた一方、59校が閉鎖されました。特別基準に置かれた学校の5分の3の教師がほとんどいつもストレスを感じていますが、一般の学校では、36%の教師がそう感じているに過ぎないと言われます。またある調査では特別基準の学校の49%の校長がインスペクションの後に交替しています。校長の採用は学校単位でガバニング・ボディー(後述)が決定するので、日本のような移動を意味しません。別の学校で採用されなければ失業あるいは退職となります。同調査ではまた、特別基準校におけるモラール(士気)の低下と一定の業績の改善という相反する事態の進行があるといわれます。

 教育基準局によるインスペクションは各地方教育当局(LEA)に対しても行われ、「失敗」に対してはLEAのサービス独占を解除し、他の民間業者にもサービスを提供させ、市場で競わせる方法(教育サービスの民営化)を求めています。1999年の4月段階では、六つのLEAが教育改善計画の再提出を求められました。特に最も成績の悪いロンドンのインスリン地区は、政府の指導によってそのほとんどの教育サービスが民営化されたと言われます。この地域では、9つのコンプリヘンシブ・スクールの25%以下の生徒しかGCSEの五科目A〜C達成者がおらず、この地区の小学校卒業者の上位3分の1がこの地域の公立のセカンダリー・スクールに進学しないという状況だそうです。このシステムによって、LEAも厳しい中央政府の監督の下におかれることになりました。


(3)サマーヒル・スクール事件−−国家による廃校攻撃と「教育の自由」との対立
 以上のような様々な方策を利用してイギリス国家が教育の国家統制・管理を行ってきたことは容易に理解できますが、それが教育内容の細部にまで及ぶことを示したのが「サマーヒル・スクール介入事件」と言われるものです。
※サマーヒル・スクールは<恐怖からの自由を伸ばす>という理念に立って1922年にニールによって創設された私立学校です。日本でも自由学校としてよく知られています。生徒の自由を最大限に保障し、授業に出るか出ないかも生徒の自由な判断に任されています。1999/2000年度で見ると、6歳から16歳までの63名の生徒が在学する完全な寄宿舎学校です。授業料は年間6550ポンド(約130万円)。教師は12名。教師一人あたりの生徒数は5人と、イギリスの私立学校の平均(10名)の約半分という好条件です。ただし外国からの生徒が多数を占めています。

 生徒の自由を最大限に保障するというこの学校の教育方法は、イギリスの「教育改革」すなわち学校管理の方法にとってはやっかいな存在でした。それでこの10年の間にオフステッドは9回もインスペクションに入りました。1999年のインスペクション・レポートでは、学校の達成度が悪く、その原因は授業の出席が悪いことにあるとし、改善がなければ閉鎖にすると勧告したのです。そして2001年の夏、時の担当大臣はその報告に基づき、6ヶ月の期限付きで改善がなければ閉鎖にすると勧告しました。しかし学校側は、授業に出席するかしないかを生徒自身が決めることはサマーヒルの教育哲学の核心、生徒の自由の大原則であり、この点での変更はあり得ないとして抵抗し、逆に独立学校法廷に訴えました。

 2002年の1月には独立の調査団も組織されて学校を訪問し教育基準局とは異なった報告を出しました。学校が落ち込みつつあるという証拠はなく、GCSEは少しずつ向上しつつあり、生徒の自由についても200以上の決まりがあり、それを破った生徒への裁判制度もあります。また卒業生のその後も全体として高く評価できるというのです。
 結局3月にこの問題は担当大臣が謝罪する形で和解が成立しました。授業への出席が強制されていないことと、生徒への「評価」が行われていない点について問題にしないことを同意しました。さらにサマーヒルは「失敗」の場合に毎年受けなければならないインスペクションを免れ、2004年まではこれを受けなくてもよいことになりました。
 教育基準局の評価と介入の不当性を決定づけたサマーヒル・スクール事件は、後で詳しく述べるサッチャー教育改革の破綻を象徴的に示しています。



[3]教育の国家統制の下請け機関として機能するガバナー制度

(1)強力な国家統制のもとでの裁量権

 イギリスの学校改革、「教育改革」の1988年の特徴の一つは、学校設立、経営、運営の主体としての「スクール・ガバニング・ボディー」に、改革のイニシアティブを与えるというガバナー制度があります。この点、安倍の「教育再生」中にはこのような発想はありません。この制度は、学校運営を親、地域、教職員などの参加で進めるという学校運営の「参加民主主義」を推進する組織であり、分権化の典型としてしばしば賞賛されます。
 しかしながら、このガバナー制度は、一見したところ分権化と民主的な体裁を持ちつつも、全体としての国家統制の枠内にあり、その中での裁量権をもたらされているに過ぎません。
※イギリスのガバナー制度は、日本では学校理事会制度などと訳されます。各学校ごとに親、教師、校長、LEA(地方教育当局)、地域の識者などからなるガバニング・ボディーがつくられるのです。それは以下のような権限をもっています。
−−学校財政、カリキュラム、人事(個別学校の教員・スタッフの採用、校長の採用)、建物の管理、生徒指導、学校評価などの決定。1988年教育改革法及びその後の教育法はこの点で非常に強力な権限をガバナーに与えた。
−−サッチャー政権は、このガバナーに、伝統的なLEAのコントロールを脱出してGM学校(グラント・メインテインド・スクール、国家補助学校)になる権限を与えた。そして労働党が多数を支配するLEAのコントロールから学校を「離脱」させ、個別の学校に生徒の選抜をも導入する権限を与え、学校の多様化、競争化を促進した。
−−さらに労働党政府も、学校のガバナーにLEAが提供する教育サービスを選択(拒否)する権限を与え、LEAと地域の教育産業が教育サービス(具体的には、給食、清掃、カウンセリング・サービスなど)をめぐって競争するシステムを推進している。教育のプライバタイゼーション(民営化)も、このようにガバナーの権限の拡大(教育サービスの市場化の下での選択の拡大)という形で推進されている。
 

(2)ロボットのように、教育内容を指図

 実際ガバナーには、詳細な学校改善の年度目標(短期、長期)の設定が義務づけられています。そしてその学校運営のあり方が、@教育基準局によるインスペクション、A毎年のナショナル・テストによるリーグ・テーブル、B入学時における親の選択という三点で評価・監視する制度によって縛られています。すべての学校が結局はリーグ・テーブル上での自校の上昇と親の選択(すなわち予算の獲得)を目当てに同一の土俵で一斉に競争させられており、その競争に勝利するためのわずかばかりの「工夫」の余地が与えられているだけなのです。
 ナショナル・カリキュラム(国定の教育達成計画)の締め付けは相当なものであり、まるで機械かロボットのように、特定の時間に特定内容が、コンピュータで指図され、教員がそれを子どもたちに教えるのです。「今朝、イギリスの全六年生児童が同じ内容を学習したのです」といった発言が飛び出すようなナショナル・カリキュラムの締め付け・統制の下で、どれほど「自由」な「学校づくり」が可能というのでしょうか。
※私たちがこのガバナー制度をあえて取り出して批判するのは、イギリス「教育改革」を「中央集権化」部分と「分権化」部分に機械的に分離し、「分権化」部分を全体から切り離して評価する傾向が専門家の間にも見られるからです。すでに述べたように、冒頭に取り上げた文部官僚・小松郁夫氏による阿部菜穂子さんへの誹謗中傷の主要な論点もここにあります。
 このほか例えば、法政大学教授佐貫浩氏はその著書『イギリスの教育改革と日本』の中で、一方ではサッチャー「教育改革」を厳しく批判しながら、他方でこのイギリスにおけるガバナー制度を「二つの面」で評価しています。すなわち、「第一は、今日の教育矛盾に対して、校長を中心に、親と学校と地域が共同して、かなり強い私立学校並の教育の自由の下、成績向上と非行や問題行動に取り組むことを可能にしているという面であり、第二は、同時にそのガバナーズが、学校選択によってきつい親の評価にさらされつつ、また基本的には厳しい財政事情のなかで、生き延びるための成績向上と効率的な学校経営に競争的に組み込まれつつあるという面である」と。しかし、このような「分権化」は、廃校や解雇の恐怖のもとで、国家の決めた目標を達成するために馬車馬のように働く「自由」に過ぎないのではないでしょうか。



[4]サッチャー「教育改革」の行き詰まりと破綻−−学校間・生徒間の格差拡大、点数至上主義と子供の人格と発達の破壊、教員の大量退職と定員割れ

(1)学力テストの弊害で吹き出たイギリス「教育改革」の諸矛盾の全面的な顕在化

 イギリス在留のジャーナリスト阿部菜穂子氏は、イギリス「教育改革」の行き詰まりと破綻の実状について、自身の子どもたちの経験をも基にしながら、学校・教育現場から系統的に報告しています。そのイギリス教育の問題点を列挙すれば以下のようなものになります。

−−第一に、所得格差、貧富の格差に伴う学校間格差が広がりました。希望者の殺到した学校が対策として、住まいが学校から近い順に生徒を採用するなどの基準を設けたところ、多くの家庭が学校周辺に引っ越し、不動産価格を二割も引き上げる現象が全国で起きたというのは、あちこちで引用される例です。「結果的に人気校には裕福な家庭の子どもしか通えなくなるという階層の分化を促した」。

−−第二に、ナショナル・テストの重圧が点数至上主義を生み、学校の授業をゆがめることにつながりました。テスト科目の教科は詰め込み教育となり、テストと無関係の科目の授業数が極端に減るという問題です。

−−第三に、現政権下で作成された膨大な授業指導をこなすために、多くの学校が悪戦苦闘し、始業時間を早めたり、昼休みを短縮するなどの措置をとっていました。

−−第四に、ナショナル・テストの子どもたちへの悪影響です。合格水準のボーダーライン付近にいる子ども(特にテストが実施される六年生児童)は毎年、「ブースター・クラス(後押し授業)」と呼ばれる補習クラスに入れられ、早朝や放課後に補習授業を受けます。小学生がテストのストレスで食欲不振や睡眠障害を起こしているケースも多数、報告されています。

−−第五に、学校と教師が重圧にあえぐなか、学校間の競争は激化し、不正事件が起きる土壌を作りました。教師がテスト用紙を事前に見て生徒に解答を教えたり、答案用紙を試験後に生徒に返し、間違えているところを書き直させるなど、これまでに様々な不正が報告されています。ここまで露骨な不正ではなくても、たとえば英語能力が不十分な移民など外国人の子どもが多い学校では、テストの実施日にこうした生徒たちを欠席させたり、別の場所に集めて「研修」させるなど、学校全体の成績に悪影響が出ないような措置が取られることは「よく知られている」といいます。

−−第六に、知力重視の教育体制は教育の低年齢化を招きました。教育法では義務教育の開始は「五歳の誕生日の次の学期から」と規定されているそうですが、実際には子どもたちは一年生になる前の四歳から就学し、教室で読み書きや計算を習うといいます。これは、イギリス社会に幼児教育施設が極めて少なかったことを背景に、20世紀の終わりに各地で小学校が未就学児童を受け入れるようになってなし崩し的に誕生した「レセプション・クラス」なるものをブレア政権がこれに目をつけて「早期教育」の場として制度化したものです。

−−最後に、深刻な「校長不足」、教員の意欲の減退、早期退職希望者の増大等が起こっています。学校運営の失敗を許さないこのような体制下では、校長のなり手が急減し、深刻な「校長不足」が社会問題化しています。全英校長会(スコットランドを除くイギリス連合王国の小中等学校長約3万人で構成)の調べでは、現在、校長のいない公立校が全国に1300校近くもあり、50万人近い生徒が校長のいない学校に通っているそうです。

 また、リバプール大学の教育・雇用研究センターが2002年に発表した調査では、1998年から2001年までに公立校教師の辞職率が急増し、新任教師の18%が三年以内に辞めていました。中等学校教師が辞職の原因としてあげたのは、第一が「仕事の多さ」(57.8%)でしたが、「政府主導の政策」も37.2%と高く第三位を占め、教師が政府の干渉を嫌っている様子が示されました(2003年の追跡調査ではこの後辞職率はやや減少傾向にありますが、年間の辞職者は約4万1000人で依然高い水準です)。
 教職員の66%を組織するイギリス最大の教職員組合「NUT(全英教職員組合)」のクリスティーヌ・ブロワー副書記長は「子どもたちの授業態度が悪いことも、教師が辞める大きな原因です」と述べています。授業がおもしろければ子どもの態度はよくなるはずだが、教師が管理された体制の中では独創的で楽しい授業をするのはむずかしいと感じている、そこに悪循環がある、と同副書記長はいっています。


(2)「学力向上」にも疑問が相次ぐ−−ある校長の悲鳴「教育には市場原理の適用はなじまないし、間違っている」

 これほどまでに徹底したナショナル・テスト体制下でそれでは実際に「学力」が向上したのかというと、イギリス政府が公表している11歳児テスト結果に関して、それに疑問を呈する研究結果が相次いでいます。データの豊富さから最も権威ある調査結果においても、1997年から2002年までの期間に算数では若干の向上が見られたが、英語の「読解力」ではほとんど変化がみられなかったということです。
 また、政府が「飛躍的な学力向上が見られた」という1990年代後半に、11歳児「読解力テスト」の判定基準が大幅に緩和されていたという調査や、同時期の11歳児「読解力テスト」で年々困難な問題が姿を消し、より解答の容易な問題が増えていたという指摘もあります。「政府発表のナショナル・テストの結果は、学力水準の変化を監視するデータとしては信頼できない」との見方が教育界では浸透しているようです。
 そして何よりナショナル・テストで全国一の成績を挙げている、ある小学校の校長自身が政府の姿勢を徹底批判しているのです。その校長は現行の教育制度を「ナショナル・テストで学校を不必要に競争させ、結果を公表して序列化するシステム」であると表現し、「確実に敗者を作る不公正な教育体制だ」と非難しています。そして「教育には市場原理の適用はなじまないし、間違っている」と語り、「個々の学校の特色や規模、生徒の家庭環境などまったく考慮せずに、どの学校にもナショナル・テストに関する非現実的な成績到達目標を課す今の教育体制は、到底正当化できるものではない」とまで言うのです。
 さらに彼女は政府作成の授業プランについて「教師の独創性を殺す以外の何ものでもない。何日目に何を教えなさい、と政府が規定するのは子どもの関心、興味を無視した愚策」と手厳しく批判し、同校が全国一位の成績をあげたのは、「政府指導をすべて無視した授業をしているから」と言い切ったとのことです。


(3)イングランドを除き、イギリス連合王国内の他地域では競争主義に基づく全国テスト体制を中止し「子ども中心」の教育理念への復帰始まる

 このようにナショナル・テストの弊害を通じてイギリス教育改革の破綻は表面化しています。イギリス連合王国内の他地域では非常に興味深い現象が起きています。イングランド以外の地域では競争主義に基づくテスト体制をやめ、「子ども中心」の教育理念の下でテストでは計れない「総合的な学力」をつけさせることを目指した体制が模索されているというのです。これまでも統一学力テストの導入に一貫して反対してきたスコットランドは、学習内容をさらに減らして教師に大幅な自由裁量を与え、個々の生徒の需要に合った学習を可能にする改革を進行させているといいます。また独自の学力テストを実施してきた北アイルランドでは数年前にテスト結果の公表をやめ、2007年度までにテストを廃止することを決めています。
 最も劇的な変化が起きているのはウェールズだと言われています。もともとウェールズは連合王国の中でも一番イングランドに近く、あらゆる行政制度をイングランドと共有し、1988年の教育改革はウェールズでも実施されましたが、2001年にナショナル・テストの結果公表をやめ、さらに七歳児テストを廃止。2007年度までに全テストを廃止することが決まりました。また今後、幼児教育も改編して幼児をのびのびと遊ばせる教育体制にするといいます。
 要するに安倍が「教育改革」の模範とする本家のお膝元で深刻な危機が積み重なった結果、その見直しが始まっているのです。
※安倍が『美しい国へ』で賞賛するサッチャー改革では、基礎学力は向上せず、教育機会格差は拡大し、放校、退学処分者続出、彼らによる犯罪が増加したが、ブレアはこれを根本的に改善し、教育の荒廃を止めたという主張をする人がいます。ブレアは、教育機会の地域間格差、階層間格差の是正、いわば「落ちこぼれを出さない施策」に注力し、社会保障費を削ってまで教育予算を三割ふやしたのだ、と。しかし私たちはこのような説に簡単に納得できません。ブレアはサッチャー改革を教育の面でも継承しました。そしてその結果が今悲惨なものになりつつあるのです。私たちがなすべきはこの二人の「改革」の区別だてでなく、両者の「改革」がイギリスの子どもたちと教職員、ひいては国民全体にもたらしている悲惨な結果であり、それを「継承」しようとする安倍に対する批判と弾劾なのです。
(2006年10月20日 MO)