憲法改悪のための「国民投票法案」に反対する |
−−憲法改悪反対の議論や運動を禁止する驚くべき言論弾圧法案−−
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[1]言論の自由・表現の自由の圧殺。憲法違反をやってまで憲法を改悪する−−これが「国民投票法案」の本質。 |
(1) 民主党「偽メール」問題と、政府与党・マスコミが一体となったその責任追及は、国内政局を一変させました。ライブドア事件と政府与党を挙げての株式バブル礼賛・経済犯罪会社支援、耐震強度偽装と建築基準規制緩和、防衛施設庁官製談合と防衛庁・自衛隊を巻き込んだ構造汚職問題、食の安全を無視した牛肉輸入等、いわゆる「4点セット」で守勢に回っていた政府・自民党はこれで息を吹き返しました。
確かに、これらの問題全てが、小泉政権の新自由主義的「構造改革」、対米追随政策生み出した根の深い構造的な問題なので全てがお仕舞いなのではありません。しかし、野党第一党の惨めな“自滅”は、国内政局を大きく変えつつあります。何の議論もなくあっという間に06年度政府予算案は衆院で通過しました。私たちが最も恐れるのは、後半国会の目玉がないと言うことです。様々な理由で先送りされてきた悪法、教育基本法改悪、共謀罪、脳死臓器移植法改悪等一連の反動法案が、民主党を巻き込み、屈服させながら一挙に成立に向かわないという保証はどこにもなくなったように思えます。
(2) とりわけ危険なのが「国民投票法案」です。そもそも「国民投票法案」というものに皆さんはどういうイメージを持っておられるでしょうか。「憲法改正」に賛成か、反対かを国民自身が決める純粋に中立的な法律。−−恐らく多くの人々が持っているであろうそのイメージと、政府与党、改憲勢力が成立させようとしている法案の中身とが、天と地ほどにも違うということが、ほとんど国民に知らされていません。マスコミは、せいぜい年齢制限、個別投票か一括投票かといった投票方式などしか問題にしていません。
しかし、以下で詳しく述べますが、最大の論点は、憲法改悪反対の議論や運動をさせないところにあります。言論の自由、表現の自由を抹殺し奪うことが、その本質なのです。内容(自民党改憲案)と形式(国民投票法案)は一致しているのです。与党は、「公職選挙法」準拠を云々していますが、憲法の問題は、一人の政治家を選挙で選ぶのとは全く次元の異なることなのです。憲法改悪に反対する議論や運動を弾圧するような法案の下で、口を塞がれ、耳を塞がれ、手足を縛られたもとでの投票など、絶対に許されないことです。
自民党は2月19日、争点になっている投票方式で「個別投票」を、年齢制限で「18歳以上」に、メディア規制も「原則自由」に、「譲歩」する方向で調整を始めました。全ては民主党を取り込むためです。公明党や民主党がクレームを付けてきたものです。だから、この「譲歩」こそが危険なのです。民主党が安易にこの誘導に乗らないよう圧力を加えることが極めて重要になってきました。
しかし、このように個々の条項が様々に改変されたとしても、政府・与党からする「国民投票法案」の基本的な考え方、発想、目的、本質は変わりません。自民党の「譲歩」には、決定的に重要な条項、すなわち言論の自由や表現の自由に大幅な制限を設ける条項の修正が全く含まれていません。結局は、憲法改悪反対の議論や運動を禁止する本質、基本線が変わらないのです。
※『個別投票』採用へ−−国民投票法案(東京新聞)http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20060220/mng_____sei_____001.shtml
(3) 私たちは、このような言論弾圧法である「国民投票法案」そのものに絶対反対です。ところが、改憲反対派や護憲派の一部の中に、国民投票をすべきだとの意見があります。自民党や与党の「憲法改正案」はダメだが国民投票はやるべきだ。国民投票は住民投票と同じ直接民主制の行使である。国民投票を、国民の一人一人が憲法を自分自身の問題としてじっくり考える契機とし、投票によって憲法改悪に「ノー!」を突きつければ良い。守勢に甘んじるのではなく、攻勢に打って出るべきである。等々。
しかしながら、事態はそんな甘いものではありません。事柄を具体的に考えなければなりません。まず第一に、その法案は憲法改悪のための法案だということです。2001年11月に発表された「憲法調査推進議員連盟」の「日本国憲法改正国民投票法案」がまず存在し、これに若干の修正を加えたものを基にして、法案化の作業が進められているのです。よく見てください。法案名は「日本国憲法改正」の「国民投票法案」です。そんなものを許す訳には行きません。
第二に、すでに与党と民主党の改憲派が中心になって法案作りが相当程度進行しているということです。実際昨年の郵政政局の下で一旦は、自民党、民主党、公明党の3党の間で、この「憲法改正」を大前提とする「国民投票法案」を審議するための協議機関を設置することで合意するところまでいったのです。
さらに第三に、昨年の衆院選での与党の圧勝と議会独占、最近の政局の主導権の交替、民主党の自滅などの政治的力関係も考えなければなりません。政府与党主導の法案が上程されれば、彼らは一気呵成に成立を強行させるでしょう。上程させないことが重要なのです。
(4) 改憲の具体的政治過程や政治的力関係からすれば、私たちの課題は明白です。
a)まずは、現在進められている「憲法調査推進議員連盟」の「日本国憲法改正国民投票法案」、あるいはその修正案が、憲法9条を改悪し、基本的人権や国民主権を否定する、憲法改悪の“突破口”である、と警鐘を鳴らすことです。誰がこの法案を作り、誰が主導しているのか。この点を国民に知らせることです。
b)次に「日本国憲法改正国民投票法案」が、国民が考えているような純粋の「国民投票法案」ではないということ、言論弾圧法案であるということを真正面から批判すること、その危険性を根本から暴露することです。
c)そして、自民党や公明党に、特に民主党に対して国民世論の圧力を加えることで、「国民投票法案」を促進するための与野党協議機関の設置を阻止することです。現に、直近の2月22日段階では、民主党が、自公民三党の衆参合同協議機関設置を拒否する考えを与党側に伝えました。この事実は、「国民投票法案」の作業中断が、憲法改悪過程を阻止しているという紛れもない現実を示しています。
※民主、3党協議拒否 国民投票法案、「機関設置せず」(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060223-00000007-san-pol
要するに、すでに進んでいる政府与党ペースの改憲の具体的政治過程、具体的法案に対して批判的態度を示さねばならない、一つ一つその進捗と具体化を阻止していかねばならないということなのです。これとは別個に、全く抽象的に国民投票法案の制定を求めるのは、現に進むこの「国民投票法案」の危険性を覆い隠すことになるのではないか。私たちはそう考えます。「国民投票の是非」を巡る議論に集中するのではなく、現にある法案の危険性を徹底的に暴露することによって、その危険を広く国民に知らせることによって、現に進行中の「国民投票法案」の作業を中止・中断に追い込むことが必要である。私たちはそう考えます。
(5) 今考えられている「国民投票法案」は、国民に“信を問う”はずの国民投票制度を、国民の意見を圧殺するための制度に変えるためのものとして出されようとしているのです。
国民投票を実質のない単なる形式的なものにすること、国会の発議さえクリアすれば実質的に改憲できるようにすること、最終的には国民が審判を下すのだからと人々を安心させた上で、結局は国民の自由な言論活動を封じ込めることを目的としているのです。そして何より憲法を改悪することのみを前提として発議されようとしているのです。
これは明らかに憲法違反の法律です。憲法違反の法律を手段として、憲法“改正”という目的を果たそうとする。−−ここに問題の全核心があるのです。
問題なのは民主党自身もマスコミも、この法律の危険な本質を真正面から暴露して自公を追及することも、危険性を国民に広く宣伝することも行っていないことです。
以下、法案の恐るべき内容を具体的に見ていきましょう。検討の対象は、超党派の国会議員から成る憲法調査推進議員連盟が2001年に公表した「日本国憲法改正国民投票法案・要綱」(以下「01議連案」と略記)および、これに2004年の自民・公明与党協議会において修正を加えた「日本国憲法改正国民投票法案骨子(案)」(以下「04骨子案」と略記)です。(ここで検討するのは、あくまでも上記の2つの原案です。上で紹介した最近の修正を巡る議論は含まれていません。)
[2]憲法改悪を容易にするための様々な手練手管−−国民がじっくり考えないように、できるだけ簡単に、どさくさ紛れに。 |
(1) この法律が成立すれば、まず何よりも、憲法についての自由な報道は封じ込められ、公務員は表だって憲法について語ることができなくなり、教育者は子どもたちの前で憲法の意義を教えることができなくなってしまいます(01議連案63条〜94条、04骨子案 第八〜第九)。憲法の大切さ、意義を語ってきた、これまで当たり前のように行なっていた発言や活動が、刑罰をもって禁じられる犯罪行為と規定されてしまうのです。民意を反映させるどころではありません。
(2) さらに、この法案では、国民の一人一人が憲法についてじっくり考えることなど不要だといわんばかりに、短期間で慌ただしく投票をさせようとしています。
国会での発議から投票までの期間は、わずか30日から90日以内(04骨子案)とされています。(01議連案では60日から90日であったのが、さらに短縮されています。)
しかも、官報による改憲の条文の告示は、国民投票期日の20日前までに行われればいいということになっています。この国民投票が、参議院選挙と同時に行われる場合は17日前まで、衆院選と同時の場合はなんと14日前までに告示すればOKというのですから驚きです。
(3) また、投票方法にしても、複数の条文についての賛否を問う場合、個々の条文についてそれぞれ賛否を問う個別投票方式の方が、国民の意見を明確に表現できるものであるはずなのに、この法案ではそこを明確に定めず、別の法律で明らかにするとし、いくつかの法改正を抱き合わせで行なう一括投票方式への可能性を残すものとなっています。
(4) 憲法で定められた要件である「国民投票の過半数」も、有権者の過半数でもなければ、全投票者数の過半数でもなく、全投票数から無効票を差し引いた有効投票の過半数とされています(01議連案54条、04骨子案 第四)。「国民投票の過半数」の解釈の中で最も少ない数字を選んでいるのです。しかも、国民投票が成立するための最低投票率については何も定められておらず、このままでは、非常に低い投票率でも、そこで過半数を取れば、国民の承認があったとみなされてしまうのです。
憲法における憲法改正の条件としては、まず国会の両議院の総議員の3分の2以上の賛成と決められています。一般の法律の成立条件が両議院の出席議員の過半数(総議員の3分の1の出席で議決が可能となるので総議員の6分の1以上で可決されることもありうる)と決められているのに比較して、非常に厳格な条件が義務付けられています。
国のあり方の根幹をなす憲法を変えるということは、その時々で必要とされる一般の法律の制定や改訂とはわけが違うのです。その憲法の精神に従えば、この国民投票における過半数とは、国会議員で総議員を分母としているのと同じく、全有権者を分母とし、その過半数とするのが妥当であると少なくとも考えるべきです。そうではなく、最低投票率の規定なしの有効投票数の過半数としているところに、いわば国民を騙してでも憲法を変えようとしているという意図があからさまに読み取れます。
総有権者の過半数を改憲に賛成させるためには、国民の関心をかき立て、改憲の意義を理解させなければならないはずです。しかしながら、有効投票数の過半数さえ賛成すればいいというわけですから、できる限り情報と活動を規制し、国民全体が関心ももたず、理解もしない内に、できる限りすみやかに投票を行うことがよしとされるのです。こんな卑劣なやり方で改憲を可能とするようにしているのが、この「国民投票法案」なのです。これはまた、彼らの目論む改憲がいかに国民に対して後ろめたいものであるかの証左でもあります。
(5) また、選挙権は18歳以上というのが今日の世界の趨勢ですが、この国民投票法案では、公職選挙法の時代遅れの規定をそのまま適用して20歳以上からとしています(すでに述べたように、これについては民主党を巻き込むつもりでか、18歳案が浮上していますが)。それから、後に述べるように、日本国籍を持たない在日外国人については、投票権はおろか、意見を述べたり寄付をしたりすることすら厳しく禁止しています。
[3]この法案の3分の1は、何と規制・罰則に関するもの−−法案の眼目は、憲法改悪反対の意思表明や運動の規制。 |
この法案は、「国民投票法」という名前によって、あたかも「国民投票」の手続きを定めただけの形式的で無害な法律であるかのような装いをとっています。しかしながら、この法案の眼目は、「国民投票運動」、すなわち、憲法改悪に反対するほとんどすべての意見表明を規制することにあるのです。この法案の約3分の1が、何と、その運動の規制と罰則に関するものなのです。
この法案では、「国民投票運動」とは、「国民投票に関し憲法改正に対し賛成又は反対の投票をさせる目的をもってする運動」(01議連案63条)であると定義されています。その「目的」のあるなしをいったい誰がどういう基準で判定するのか、まったく曖昧で恣意的な運用を可能とするものです。そもそも「賛成又は反対・・・の運動」と言いますが、政府与党や財界が賛成している中では、事実上、「国民投票運動」とは、改憲反対運動のことなのです。
この「国民投票運動」が規制される姿を具体的に見ていきましょう。
(1)マスコミは憲法に関する記事や論説を自由に載せられなくなる!
この法案では、新聞、雑誌、放送事業者(NHKと民間放送局)は、「国民投票に関する報道および評論において、虚偽の事項」を記載(放送)したり、「事実をゆがめて」記載(放送)する等「表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。」(01議連案69条・71条、04骨子案
第八-六)とあります。そしてこれに違反した編集担当者や経営者は2年以下の禁錮または30万円以下の罰金(01議連案85条・86条)に処せられるというのです。
しかしながら、何が「虚偽」なのか、何をもって「表現の自由の濫用」というのでしょうか。国会が発議した憲法案を批判することのすべてが「虚偽」であり、「表現の自由の濫用」と見なしたって一向にかまいません。
さらに、「何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊な地位を利用して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない」(01議連案70条3、04骨子案
第八-七-3)という規定があります。違反者はやはり2年以下の禁錮または30万円以下の罰金(01議連案85条)に処せられます。
しかし、編集者や経営者が自社の記事に責任を持つ“特殊な地位”にあるのは当然のことではありませんか。これが規制されるというのでは、マスコミに何も報道するなと言っているのと同じことになります。報道の自由を完全に否定するこのような法案は決して許されるものではありません。
このようなメディア規制に関しては、あまりにも危険性が明白なので、今年1月14日付の読売新聞の記事によれば、原則撤廃する可能性も示唆されています。マスコミの論調はこの間常にそうなのですが、この記事においても、国民投票法案について問題になっているのは、こうしたメディア規制の問題と投票権を持つ年齢(与党が20歳以上、民主党が18歳以上を主張)の問題だけであるかのような書き方がなされています。
しかしながら、それは、この法案の本質を全くごまかすものでしかありません。マスメディアは自分たちへの規制さえ免れればそれでいいとでもいうように、他の危険性を暴露するようなことはしないのです。
(2)公務員は改憲に関する意見を公然と表明できない!
この法案では、公務員は、「その地位を利用して国民投票運動を行うことができない」(01議連案64条、04骨子案 第八-二)ということになっています。違反者は2年以下の禁錮または30万円以下の罰金(01議連案76条2)です。
ここで言われている「その地位を利用して」とはどういうことなのでしょうか。これだけであれば、職権を利用しさえしなければ、プライベートな時間に意見表明のための活動をすることは自由なようにも見えます。
しかしながら、かつて、公務員(管理職ではない郵便局員)が勤務時間外に選挙ポスターの掲示や配布を行った行為が国家公務員法に違反するとされた事件(猿払事件)がありました。職権を利用したわけでもなければ、勤務時間内にこうした活動を行なったわけでもありませんでした。一審と二審では、公務員には中立性が要求されるとはいえ、この事件のような場合にはそれが侵害されたとは言えず、むしろ、公務員にも政治活動の権利はあり、それは尊重されなければならないという理由で、無罪となりました。しかし、最高裁では逆転有罪判決がでる結果となり、公務員の政治活動にに対するたいへんな萎縮効果を生み出しました。
この「国民投票法」の規定も、このような運用をされるおそれがあります。
さらに、特に公正さを必要とするとされる特定公務員は、在職中、国民投票運動がまったくできないとされています(01議連案63条、04骨子案
第八-一)。違反者は6ヶ月以下の禁錮または30万円以下の罰金です(01議連案76条2)。
この特定公務員の中には、裁判官、検事のような法律の専門家や、警察官、なぜか会計検査官、税務所の職員までも含まれています(01議連案63条)。
本来、公務員は、憲法を尊重し、擁護する義務を持っています。(憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)それが、改憲にあたって、意見の表明をここまで規制されるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
(3)教員は子どもたちの前で憲法改悪に反対することができない!
中学や高校の教員が公民や政経の授業で憲法の大切さを教えたり、大学教授が憲法の意義を説く講義を行ったりすることが、この法案では、1年以下の禁錮または30万円以下の罰金を課せられる犯罪行為となってしまいます(01議連案91条3)。「教育者は、学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して国民投票運動を行うことができない」(01議連案65条、04骨子案 第八-二)とあるからです。
さらに、その教員が公立学校に勤務する公務員であるなら、先に述べた公務員としての規制にも抵触してしまいます。
日頃の活動では、憲法の大切さを説きながら、いざ、その憲法が危機に瀕した時には、その発言が封じ込められるというのは、まったくゆゆしき事態です。これは学問の自由、大学の自治、そして子どもたちの教育を受ける権利に対する重大な侵害です。
1999年に国旗国家法が成立した時、その法律では何ら罰則を設けていないし、日の丸・君が代に対する思想信条の自由は保障されるということになっていました。しかしながら、現状はどうでしょう。卒・入学式の日の丸と君が代に対する態度を巡って、教職員の間に、毎年大量の処分者が出ています。いくつもの裁判が提起されていますが、どの判決も、思想信条の自由よりも、職務命令の方を優先させています。
このような状況の下で提起されている「国民投票法」は、これまで以上に教師に沈黙を強いる状況を作り出すことでしょう。
(4)外国人は国民投票運動が禁じられている!
この法律では、「外国人は、国民投票運動をすることができない」(01議連案66条、04骨子案
第八-三-1)とあります。違反者は1年以下の禁錮または30万円以下の罰金となります(01議連案91条3)。
日本の憲法は、日本国民だけに関わりのある問題ではありません。特に、憲法9条の改悪には、かつて日本の侵略の被害にあった国々をはじめ、世界中の人々が危機感を抱くことでしょう。現に「3・1独立運動」の記念式典で演説したノ・ムヒョン韓国大統領は、この間の日本の改憲策動・軍国主義化に警鐘を鳴らしています。そうした人々が憲法9条を擁護する発言をすれば、国民投票運動の違反者として、来日すれば逮捕されるのでしょうか?大統領演説にかみついた政府・与党の要人発言からすれば、韓国大統領だって逮捕されかねません。一方米国政府の方からは、自衛隊を軍隊とすることを歓迎する発言が登場するでしょう。彼らが問題視されることは考えられません。想像しただけでも不可解極まりない法律だと言わざるを得ません。
この規定の実質的な狙いは、日本に住む外国人、とりわけかつての朝鮮・台湾に対する植民地支配の下で、強制的に「日本国民」とされてきた人々とその子孫に対する政治活動を規制することにあると考えられます。彼らは日本の敗戦によって、再び一方的に「日本国民」ではないとされ、多くの権利が侵害されてきました。外国人登録法において指紋押捺制度が設けられたのは、明らかに彼らを潜在的な犯罪者とみなす見地からです。この制度そのものは撤廃されましたが、その中にあった見地が日本社会から一掃されたとは到底言えません。外国人に対する排斥感情は、近年ますます煽られています。
彼らには選挙権もなく、この国民投票の権利もありません。しかし、日本の法の下で生活している彼らにとって、日本国憲法がどのようなものになるかということは、重大な関係があります。日本国憲法の人権規定は外国人にも対しても適用されるものとして存在しています。(現実にはその原則をゆがめる様々な法律や制度がありますが。)その規定が根本的に変わるとすれば、それに対して彼らが発言することすら禁止されるというのはあまりにも理不尽なことです。
自分自身が運動ができないからといって、憲法改悪反対キャンペーンを行なっている団体に、在日の人々がカンパをしたとします。すると、それもまた、この法律が規定する犯罪行為となるのです。カンパをした側ももらった側も、3年以下の禁錮または50万円以下の罰金刑に処せられる可能性があるのです(01議連案66条2・3・4、91条4、04骨子案
第八-三-2,3)。
平和運動・市民運動の中では国籍、民族を越えた活動が広がっています。しかしながら、この「国民投票法」は、その中に分断を持ち込むものです。これまで忌憚なく意見を交換し合っていた人々、署名運動や集会や法廷闘争や街頭行動に共に参加してきた人々、そんな人々が、国籍の違いを理由にして自由な活動を手控えることになれば、それは、なんと悲しく、おぞましい事態でしょう。
(5)意見広告はOK――資金力の差が宣伝の差に直結
このように、人々の意見表明をがんじがらめに規制している法案でも、規制をかけないと明確にうたっている活動があります。それは意見広告です。
法案には「マスコミに憲法改正に関する広告を記載させるような行為は規制の対象とはならない」(01議連案要綱 第11-七-3)とされています。
これは、喜ばしいことでしょうか? そうではありません。資金力のない市民団体が寄付金を募っても、紙面の4分の1ぐらいの「憲法改悪反対」の意見広告を1、2回出すぐらいが関の山かも知れません。その一方で、与党や財界関係の著名な民間人や企業が「我々は改憲に賛成する」というような全面広告を何度も出せば、その影響力は計り知れないものとなるでしょう。明らかに改憲派、すなわち資金が豊富な者が物を言う、そういう法案なのです。
この法案は報道の買収を厳しく禁じています。
「何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって、新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者に対し、財産上の利益を供与、供応接待等を行なって、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道および評論を掲載させることができない」(01議連案70条、04骨子案
第八-七)とあり、違反者は5年以下の懲役又は禁錮という最も重い刑罰が科せられることになっています(01議連案73条)。
しかしながら、上で述べたように、マスコミの論説や公務員・教員の発言が規制されている中で、資金力の差がもろに広告宣伝量の差に現れる意見広告だけが規制されないということは、事実上、報道が金で左右されるという結果をもたらすことでしょう。
さらに、この法案では予想の公表が禁じられています。「何人も国民投票に関し、その結果を予想する投票の経過又は結果を公表してはならない」(01議連案68条、04骨子案
第八-五)とあり、違反者は2年以下の禁錮または30万円以下の罰金です(01議連案92条)。
もしも、意見広告の中にこのような内容が含まれているとすれば、法令違反を理由に掲載を断られるかもしれません。また、「虚偽の事項」や「表現の自由の濫用」という理由を新聞社自身が持ち出して掲載を断る可能性もあります。
さらに言うならば、「予想の公表」を禁じるというのは、国民の意識(「世論」)の実状や、その変化を、一般の人々には知らせるな、ということです。一方、権力者たち、政府と与党、官僚と財界等は、もちろんその力を用いて、実際の形勢を調べ詳しく知った上で対策を打つことができます。したがって、この法案は、情報の不公平をおしつけ固定化して、一方的な情報操作を加えるものに他なりません。
[4]「国民投票法」=“言論弾圧法”から生み出される憲法は、基本的人権否定の言論弾圧憲法に他ならない。 |
(1) 詳しく読めば読むほど、空恐ろしくなる法案です。こんな法案がもしも国会に上程されてしまえばたいへんです。その本質を一言で言えば“言論弾圧法”ともいうべきものなのです。
私たちは、2004年春、相次いで起こった反戦平和運動や護憲運動に対する不当逮捕、不当弾圧事件、言論弾圧事件を想起します。一連の言論弾圧の流れの中で、今回の「国民投票法案」を考える必要があります。
※「市民がビラを配っただけで逮捕される「事件」相次ぐ――イラク派兵と軌を一にした言論弾圧、反対運動への不当弾圧に抗議する−−思想・信条の自由、表現の自由、結社の自由への攻撃を許すな!」(署名事務局)
一つ目は、自衛隊のイラク派兵に反対するビラを配布するために自衛隊員の住む官舎に入ったとの容疑で市民3人が逮捕された「事件」。二つ目は、イラク派兵反対、共産党の機関紙『赤旗』の号外を配ったとして社会保険事務所の係長が逮捕された「事件」。この係長は公人として勤務中にビラを撒いたのではなく、休日に一私人として撒いたことが犯罪とされたのです。一方は一般市民、もう一方は国家公務員、一方は派兵反対のビラ、他方は護憲のビラ、一方は「住居侵入罪」、他方は「国家公務員の政治活動違反」−−それぞれ事実関係や状況が異なりますが、いずれもビラ配りをしただけであり全く合法的な行為です。明らかにイラクへの自衛隊派兵と軌を一にした不当逮捕、不当弾圧です。
(2) この言論弾圧によって国民が「賛成した」という形を作る手続きを通じて生まれる新たな憲法が、人々の権利を尊重するものになるはずはありません。この法律そのものが人権を抑圧する憲法違反の法律なのですから。言論弾圧によって生み出された憲法は、言うまでもなく基本的人権を欠いた言論弾圧憲法なのです。
2005年に出された自民党の改憲案では、日本の軍事化に歯止めをかけてきた憲法9条をはじめ、家族生活における両性の平等を定めた24条、政教分離を定めた20条3項などが槍玉に上げられています。これらはいずれも大日本帝国憲法と絶対主義天皇制の下で犯した過ち――侵略戦争と人権抑圧――を繰り返させないための規定です。
また、そこでは「公共の福祉」という言葉を「公益及び公の秩序」という言葉に変えようとしています。「公共の福祉」とは、けっして“お上の思惑”や“政府にとって都合のいいこと”という意味ではありません。国民の権利は公共の福祉に反しない限り最大限尊重されるという憲法13条の趣旨は、他人の人権と衝突しない限りにおいて個々人の人権が最大限尊重されるという意味なのです。しかしながら、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」という言葉に変えることで、まさに国家に国民が従うという構図を作り出そうとしています。それは、個人の尊重というこの憲法の基本理念に真っ向から反するものなのです。
※<シリーズ憲法改悪と教育基本法改悪 その1>“小泉改憲”の加速と諸矛盾。長期の構えで地道な反撃を組織しよう!−−自民党・改憲派による憲法観・国家観の転換。権力を縛る規範から人民を縛り支配する規範へ−− (署名事務局)
※<シリーズ憲法改悪と教育基本法改悪 その2>9条2項改憲の欺瞞と危険を批判する−−最大の狙いはイギリスに次ぐ「派兵国家=武力行使」国家造り−−(署名事務局)
2006年3月3日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
*訂正 2006年3月22日
[3]−(3) 「2年以下の禁錮」とあったのは「1年以下の禁錮」の誤りでした。
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