<シリーズ憲法改悪と教育基本法改悪 その3>
戦争ができる国造り、グローバル企業のための国造りに反対しよう!
憲法改悪と教育基本法改悪に反対する5・1討論集会[基調報告]
第V部
|
政府自民党・右翼・財界による教育政策の玩弄と教育基本法の改悪
−−子どもたちを自民党・右翼とグローバル企業の思いのままの鋳型にはめ込む−− |
【1】政府・支配層・財界が目指す教育基本法改悪。その3つの特徴。
|
(1)教育基本法を国家権力を制限する規範から、国民を縛り拘束する規範に180度転換。
教育基本法は教育の「憲法」である。憲法と同様「近代立憲主義」に基づいて、教育における国家権力の濫用を阻止し、権力の恣意を許さないものとして制定されている。ところが、政府・支配層・財界は、同法の全条文にわたって、権力が押し付ける教育、国民を縛る教育に180度転換しようと目論んでいる。
以下に整理するように、一方で、制度面・内容面で教育への国家権力の介入を規定した条項、公教育の平等な保証を国家に義務化した条項を全面的に削除し、他方で、自民党や財界に都合の良い、従順で奴隷のような子どもや国民を造り上げる事細かな規定を定め、自民党・財界の求める「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人」像(中教審答申2003年3月)の鋳型にはまるよう義務を課している。
@ 教育の目的は、軍事的国家の形成者、偽りと不正義を愛し、個人の価値をけなし、怠惰と無責任を重んじ、自主的精神を持たない、国家に従順な「国民の育成」。(第1条関連)
現行法の基本理念「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」を削除。したがって来るべき教育はこれらの否定が目的。
A 内心・思想や日常生活に介入する教育の押し付け。愛国心の強制・押し付け。
「学問の自由」「自発的精神」「自他の敬愛と協力」といった、内心と日常生活に踏み込まない規定に代わり、「道徳心の涵養」「公共の精神」「良き習慣」等といった特定の思想・道徳の押し付け。また、「能力の伸長」「創造性」「自律」といった新自由主義、能力主義的差別選別教育からの要請の新規定。「伝統文化を尊重」「郷土と国を愛す」といった愛国心の強制・押し付け。(第2条関連)
B 国家に課された機会均等義務を全面否定。
現行第3条「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を与えられなければならない」の「すべて」「等しく」「なければならない」を削除。「社会的身分、経済的地位又は門地」による差別禁止も削除。「経済的理由による修学困難への奨学」義務も削除。(第3条関連)
C 「国民としての素養」という規定を付加。国家の定める国民像を作るということ。
D 国家の義務教育の義務を曖昧化、削除。
「九年の義務教育」という国の責務を「別に法律に定める期間」として弾力化。「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育」との規定を「国・地方公共団体は、義務教育の実施に共同して責任」との教育の権限問題にすりかえ。(第4条関連)
E 現行第5条、男女共学の規定は全面削除。男女平等と男女平等教育を全否定。
F 教育の公共性を否定。
現行6条「法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて」の、「公の性質をもつもの」を削除。「株式会社立学校」等、新自由主義的市場原理を前提としている。
「規律を守り、真摯に学習する態度」を新たに規定。学習者の責務を規定。態度を強制。これは「切捨て」を前提としたもの。
教員が「全体の奉仕者」との規定を削除。「全体の奉仕者」として、教員個々が職責の自覚に基づいて行動するための「身分保証」や「待遇の適正」ではなく、国家が定める「自己の崇高な使命」のために働け。その限りにおいて「身分保証」や「待遇の適正」という新たな規定。(第6条関連)
G 予算措置義務の削除。
「図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用」等予算措置の必要な具体的な項目を削除。(第7条関連)
H 「家庭教育」の項を新設。
「家庭は、子育てに第一義的な責任を有する」と、家庭への責任転嫁。しかも一方で「国・地方公共団体は家庭教育の支援に努める」とし、国家・行政による家庭教育への介入を規定。
I 主権者としての「公民」の、被統治者としての「公民」への転換。
「良識ある公民たるに必要な政治的教養」が「政治に関する知識など良識ある公民としての教養」と変化。「学校は、党派的政治教育その他の政治的活動をしてはならない」との新規定。「党派的政治教育その他政治活動」とは、政府やその政策を批判する可能性のある教育は、「法の名において」断罪する、という制裁につながる。(第8条関連)
J 「一般的な教養」を口実に、靖国神社をはじめとする国家神道の学校教育への導入の可能性。
宗教に関する「一般的な教養」を教育上尊重するとの規定の挿入。中教審答申等に見られた「宗教的情操の涵養」と「道徳教育」を結びつけた「修身」教育導入の可能性。(第9条関連)
K 教育への国家・行政権力の介入を禁じた現行基本法第10条1項の全面的な否定。
現行第10条「教育は、不当な支配に服することなく」を「教育行政は不当な支配に服することなく」に変更。教育への国家の介入を肯定する最も典型的な条文。結局、国家・行政による教育介入をフリーハンドにする一方で、「不当支配」を教職員組合や市民運動等教育行政を批判するものに向ける。教育行政を批判することが「違法」行為に。
さらに現行の教育が「国民全体に対し直接に責任を負つて」を削除し、「国・地方公共団体の相互の役割分担と連携協力の下に」に変更。「内容」を含めて国家が教育を行う一方的主体者。
地方公共団体は「適当な機関を組織して」教育の施策策定と実施、との新規定。現行の教育委員会制度も変更し、行政が直接権限を行使できる組織を新設するということ。
(2)「愛国心」のグロテスクな二重構造。新自由主義的なグローバル企業の帝国主義的民族主義と伝統的復古主義的民族主義。
「平和的な国家および社会の形成」(第1条)の削除と「伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養」「公共の精神を重視」(教育の目標)の導入に、すでに「愛国心」の二重構造が表れている。「公共の精神」にも2つあるのだ。第一に「伝統文化を尊重し、郷土と国を愛する」もの、第二に「国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養」。
ここには、復古主義的民族主義的な「愛国心」と帝国主義的大国主義的で傲慢な「愛国心」が結び付いている。これら「二重の愛国心」は相まって、以下のような国家権力にとって都合の良い機能を果たす。
@ 個人の内心に国家が介入し、国への奉仕、「滅私奉公」を注入する。
A 平和主義から軍事力による「国際貢献」への転換をはかる。戦争のできる国家作り。「国益」のために死ねる子ども作り、国民作り。
B 「愛国心」教育により、「日本」に対する帰属意識を高め、新自由主義的改革、グローバル企業のための国作りという国家目標へ国民を動員する。
C 社会の格差拡大、階層化とそれに伴う諸矛盾を隠蔽し、国民のイデオロギー統合を図る。
(3)教育の機会均等の破壊と「教育振興基本計画」による新自由主義的教育改革の推進――差別・選別教育の一層の徹底
現行第3条「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」から「すべて」「ひとしく」「なければならない」を削除。「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない」から「社会的身分、経済的地位または門地」を削除することによって、教育の機会均等を破壊。差別・選別教育を徹底する新自由主義的改革に道を開く。
「教育振興基本計画」は教育機会の不平等化を推し進める物的な手段である。「教育振興基本計画」策定を教基法に盛り込むことにより、教基法は理念法から行政法施策法に変わる。文科省は教育の新自由主義的改革を進めるために自由に基本計画を策定し、予算を獲得する巨大な権限を得る。改革に積極的なところに重点的な予算配分が行われ、予算による差別化が徹底される。学校選択、複線化など市場競争による学校の序列化、選別・淘汰が進み、義務教育の国庫負担制度の見直しも相まって、教育機会の不平等化、学力の格差と社会の階層化、社会的格差の拡大が一段と進む。
【2】「ゆとり教育」批判=「学力低下論争」を利用し、なし崩し的の「学力向上」教育。更なる差別選別教育の徹底につながる教育基本法の改悪。 |
(1)政府支配層・自民党文教族が仕掛ける「ゆとり教育」批判=「学力低下論争」。なし崩し的の「学力向上」教育と更なる差別選別教育の徹底につながる教育基本法の改悪。
@「学力低下」の実態は、成績下位層の一層の悪化と学力格差の拡大。
−−確かに学力は低下している。しかし学力低下はもっと社会的、全般的な背景がある。単純化できない。学力低下は学力格差。その最大の原因としての階級階層格差拡大、低所得層における家庭教育の危機。
・このように、「学力低下」の事実関係、「ゆとり教育」との因果関係がはっきりしないにもかかわらず、右翼勢力・財界・メディアが一体となって「ゆとり教育」と「学力低下」を直結させて「ゆとり教育」の方針転換を画策。この場合の「学力」=「国力」(国際競争力)、あるいは「国益」とされ、過去の詰め込み教育、受験戦争の弊害も無視された。
・政府支配層の政策転換を推進した部分が許せなかったのは、一部特権的エリート層を「ゆとり教育」「学力低下」に巻き込むことだった。
−−しかし低所得者層にも「ゆとり教育」批判と「学力低下論争」は広く染み渡った。なぜか。これらの層は、教育費を捻出することが出来ず、「ゆとり教育」によって生じる公教育の放棄の穴を埋める塾や受験産業に頼ることが出来ないからである。
確かに、「ゆとり教育」とは、教育内容の大幅な削減と「総合的教育」からなり、公立小中学校の学習の共通基準を大幅に引き下げることを意味する。そのことは、低所得層と高所得層との学力格差を不可避的に拡大する。塾や受験産業などの学校外教育機関を利用できるかどうかが決定的になるからである。
−−結局は、ごく一握りのエリート層に有利になる改革を、低所得層の人々の不安を煽ることで実施することとなった。小泉の新自由主義的構造改革政策の常套手段。
A今や本質が明らかになった新自由主義「教育改革」としての「ゆとり教育」。そもそも差別選別教育、学力低下を意図していた「ゆとり教育」政策推進派
−−そもそも今回の「学力低下論争」を主導しているのも、かつて「ゆとり教育」を推進したのも、政府文部省・支配層の一派。
・かつて政府文部省、支配層、メディアから嵐のような「教職員バッシング」=公立学校攻撃が巻き起こった。「学級崩壊」「いじめ」「不祥事」が毎日のように煽り立てられた。「公立学校にも競争が必要」「学校選択の自由」「学区の自由化」等々、公立学校・公教育そのものが腐敗・堕落しているとの宣伝が浸透した。「個性化」「自由化」などと称して、公教育そのものの否定につながっていった。それが「ゆとり教育」を生み出す原動力となった。
−−その意味で、「ゆとり教育」は、公教育解体論の一変種であり、公教育の国家責任を放棄するものであった。だから「ゆとり教育」も「学力低下論争」も、両方とも、新自由主義的教育政策、公教育解体論のそれぞれの変種であり形態である。
B現場では場当たり的とも映る文科省の対応。義務制への2学期制導入も含め、授業数を増やせ攻撃がある。
(2)経済的危機、社会的危機を逆手に取った“反動的社会的統合”のテコとしての新たな管理統制強化と教育基本法の改悪。
@教育基本法の改悪は、反動的社会統合のテコの一つ。
−−学力低下はもっと社会的、全般的な背景がある。1990年代に入ってからのバブル崩壊、長期不況、新自由主義的構造改革の実施による社会全体の解体状況、倒産と雇用・失業問題の悪化、非正規雇用の増大、自営業の倒産・廃業と小所有の分解・零落、総じて労働者・勤労者の状態の悪化。
・社会が壊れ、家族が壊れ、生活が壊れた。こうした社会状況の悪化を背景に、児童・生徒も荒れ、教育荒廃が著しく進んだ。
・今度はこれを逆手にとって、政府支配層、文部省・自民党文教族は、教職員と子どもの締め付け、愛国心教育、しつけ、奉仕の義務化など管理統制強化を打ち出している。
A「ゆとり教育」をそのままにして「学力向上」対策を、各都道府県・各地域・各学校で無政府的に始めている。新たな差別選別教育の徹底。学校内・学校間格差の拡大、小中学校教育の複線化・差別化。
−−全体とすれば、「ゆとり教育」をそのままにした「学力向上」対策は、結局は、「できる子」対策となり、「できない子」はますます出来なくなる。こうして現場教員の労働強化と学力格差を通じた子ども達の学力の全般的低下につながる。
−−「ゆとり教育」をそのままにした「学力向上」対策が、どこまで差別選別教育につながっているかは、全国の都道府県によって異なる。東京など公教育がかなり解体しつつある地域では相当程度進んでいる可能性が高い。逆に大阪などかつて部落解放教育の歴史がある地域では、現場教員の努力でこの過程が進まなかったり、「できない子」に手厚い教育をやっている場合がある。
B最近の学校における治安強化論
・新自由主義教育論・新自由主義的イデオロギーの「自己責任論」が蔓延
−凶悪な少年犯罪も、学校外からの侵入者による児童殺傷事件などの多発をきっかけに、それらが学校、教職員、児童・生徒の「自己責任」に矮小化されている。結局は、教職員の安全・管理マニュアルのマスター、児童・生徒の防犯ベル携行、警察官の学校への介入体制の確立、安全のためには人権・プライバシーを犠牲にして監視カメラをつける等々、ますます学校の管理強化と教職員・児童生徒の自由剥奪につながっていく。
(3)「三位一体」改革と義務教育費の削減策動。その矛盾。
・小泉「構造改革」の中での教育費負担の削減攻撃。しかし小泉の基盤、森派は義務教育費国庫負担をテコに教育の中央統制をはかってきた文教族そのもの。同派内、自民党内でのせめぎ合いと矛盾。着地点は見えない。
(4)地方財政の破綻と地方教育財政の切り捨て(加配削減)
・大阪市では予算案が否決され、35人学級実現せず。
【3】グローバル企業の国際競争力強化戦略、その労働力政策の一環としての教育政策、教育基本法の改悪。 |
(1)1990年代の長期不況、集中豪雨型輸出産業構造、「フルセット型産業構造」から「グローバルトップ企業創出型産業構造」への転換。
(2)小泉の新自由主義的「構造改革」とグローバル企業の国際競争力強化戦略、その労働力政策の一環としての教育政策、教育基本法の改悪。
・日本経団連を初め財界が一致して教育を日本経済再生戦略の中心課題に据える。財界のこの教育政策が政府自民党の教育政策とメディアの対応を左右するようになった。
・財界は、日本経済の高度成長の終焉、集中豪雨的輸出産業主導型の産業構造、「フルセット型産業構造」の行き詰まりを前にして、グローバルトップ企業創出型・世界市場制覇型産業構造の構築を目指すために、労働力政策の転換を政府自民党に迫った。戦後長期に渡って続いてきた画一的・均質的な、大量の新卒労働力の教育・排出を必要としなくなった。
・政府支配層が今後必要とする労働力政策は2重であり、2つの階層に分かれている。
−−21世紀の日本経済を支えるグローバルトップ企業を担う一握りの超高賃金の幹部社員・専門家と政府官僚など特権的エリート
−−グローバルトップ企業の製造現場で働く途上国並みの低コスト人材。圧倒的大多数の中小零細企業の労働者、サービス部門を含む全産業・全業種に及ぶ非正規雇用の低賃金労働者。これら多層構造の最底辺の労働力を提供すればいい。
・その意味で、財界にとって、もはや画一的・均質的に全体の学力を向上させる必要はないのである。国家財政の無駄であり、切り捨ての対象なのである。財界と政府支配層によるグローバル企業最優先の経済再生戦略、その労働力政策の一環として、現在の支配層の教育政策を把握しなければならない。
【4】子どもたちの生活・教育条件の急速な悪化、その保護者である日本の労働者・勤労者の状態、賃金・雇用・労働条件の劇的な悪化。
|
(1)「階級・階層格差社会」への劇的で急速な変化と、「ゆとり教育」=「学力低下批判」という名の「新たな階級教育」。
・バブル崩壊から15年、日本経済の循環と構造は劇的に変化している。それに伴い「総中流意識」を持つと言われてきた日本の国民の間に「格差社会」が到来しているという状況がもはや否定し得なくなっている。
・そして「ゆとり教育」も、それを批判する「学力低下論」も、差別選別教育を徹底すること、学力の格差を大幅に拡大することによって、共にこの階級・階層格差社会を更にエスカレートさせるものとなっている。
・「低所得者層」「社会的弱者」「貧しい人々」等々のための教育を提起すべき。最も劣悪な虐げられた部分のための教育、公的な教育手段によって教育を受ける以外よるべき部分を持たない部分のための教育、「労働者・勤労者の子どもたちのための教育」というスローガンを提起すべき。
・その意味で、戦後民主主義教育は、平和・人権教育は目的意識的に、また現に実績としても成果を上げてきたが、しかし、民主主義教育そのものに攻撃がかけられている今、もう一度その制度と内容の両側面において検討が加えられるべきである。
戦後の「単線教育」、男女共学等は「多様化」「複線化」「学区の緩和」攻撃の中で大きな枠組みは破壊されてはいないとはいえ、かなりの程度変容させられた。中高一貫、小中一貫等露骨なエリート教育を担う学校も登場している。
平和・人権教育は東京、広島を先頭に露骨な破壊攻撃にさらされている。差別選別教育反対という側面では、これまで踏みとどまらせていた獲得物も食い荒らされている。
まさに今、戦後民主主義教育の獲得物を擁護し、民主主義教育そのものを再構築する必要に迫られている。
(2)深刻極まりない保護者の生活と労働の実態、家庭崩壊。
・これは私たちが最も注意を払うべき重要な問題である。現状を知る現場の教員の直感をも含むしっかりとした現実の把握と、様々な統計や実態調査に見られる日本の労働者・勤労者の状態に起こっている歴史的な地殻変動、「階級・階層格差社会」のトータルな分析を結合して、教職員自らが集中的に取り組むべき課題の一つである。
・大阪市内では、その子どもたちが就学困難な保護者に援助を取らせよう、つけさせようという運動とあいまって、就学援助を受ける人が増えている(就学援助費)。これは一方では保護者の生活と労働の実態が深刻極まりないことを反映するものである。
・各種報告、統計等によれば被差別部落の家庭、在日韓国・朝鮮人家庭の生活実態が急速に悪化している様子が見て取れる。被差別部落出身家庭では最終学歴、中卒者が大阪府平均の2倍以上になっている。
(3)現在と将来に展望が見いだせない子どもたちの実態。
【5】1990年代以降の軍国主義化・反動化、日教組運動の著しい後退の中での教員に対する人格破壊的な国家統制の強化。集大成としての教育基本法改悪攻撃と抵抗。 |
(1)労働組合運動、公共部門労働組合運動の後退、とりわけ日教組運動の後退と対文部省協調路線への転換による教育政策批判勢力の孤立化。
(2)日本軍国主義の復活、政治反動化と並行して進んだ急激な教育反動化。改悪された教育基本法の先取りともいうべき攻撃。
@広島、東京に集中的に見られる教育と教育内容全般にわたる反動攻撃。平和教育と戦争責任問題の教育からの一掃。教員による平和教育「自粛」ムード。
A「つくる会」教科書の採択。今年度中学教科書に見られる「近隣条項」の実質的な廃棄と「対米配慮条項」が加わったというべき深刻な事態。
B日の丸・君が代攻撃の更なる強化。
C子どもの内面と心理の支配へ(「心のノート」)
・反抗する子ども達をどう抑えるかではなく、反抗しない子どもをどうやって作っていくか、へ焦点が移行。
D性教育に対する攻撃(東京でも大阪でも)
E「評価・育成システム」等を利用した教職員への管理統制攻撃
(3)改憲に先行して出てきた教育基本法改悪。「個人」「人格」中心の教育原理から「国家」「国益」中心の教育原理への反動的転換。
・現在の教育問題の本質−−「いじめ」「校内暴力」「少年犯罪」「学力低下」「体罰」等々、ありとあらゆるものが、子どもたち、教職員の「自己責任」にすり替えられ歪曲化され、それを「改善する」「改革する」と称して、一方では新自由主義的競争・差別選別・序列化が進められ、他方では国家主義的反動的で陰湿な管理強化が進められる。
・「子どもバッシング」「教職員バッシング」が行われ、新自由主義的教育改革なるものが進められる。子どもも教職員も集団として抵抗する手段・権利を剥奪されている。その結果更に子どもも教職員も締め付けられていく。
・組合が率先して当局の方針を受け入れる事態。組合に団結もできず、教職員一人一人がつぶされていっている時代。子どもたち、教職員が、集団として抵抗し連帯するために何が必要か、どうすれば良いかが真剣に問われている。
(4)教職員の労働と労働条件の劣悪化と教職員組合運動の課題。
・学校5日制の時代は教職員の平日の労働量を着実に増やしている。土曜、祝日等クラブ指導に出ている教員の繁忙はなおさら。
・教職員の年齢構成のいびつさ。義務制では団塊世代の退職の後、若い教職員が増えている。教職員が中年世代と若年世代に分裂。従順な若い世代は管理職に直接把握され、指示命令され言われるがままとなっている。
・そして何よりも反動的な教育政策に現場が右往左往させられている間に、教員志望者が激減し、また現場では年配教員から若い教員に教育内容・教育方法等が継承されないという深刻な事態。
2005年5月1日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
戦争ができる国造り、グローバル企業のための国造りに反対しよう!
憲法改悪と教育基本法改悪に反対する5・1討論集会[基調報告] 第V部
|