[投稿]「竹島(独島)領有権」の学習指導要領解説書での明記に寄せて 領土問題で対立を煽るのは、民衆の不満を外に向けるためだ!
国境を越えた民衆連帯の力で、支配層の意図を挫折させよう!
さる7月14日、文部科学省(以下「文科省」)は、中学校社会科の新学習指導要領解説書に、「竹島についての領有権」を初めて明記したと発表した。当然のことながら、大韓民国(以下「韓国」)と朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)の政府はもちろん、両国国民が一斉に激しく抗議・反発している。こうなることを十二分に知りながら――李明博大統領は、洞爺湖サミットの場で福田総理を捉まえて、「明記」を差し控えるように強く要請していた――、なぜこの時期に文科省は明記に踏み切ったのか。
右派勢力の揺さぶりと福田首相の日和見主義
竹島問題はとりわけ小泉政権下の2005年、島根県が「竹島の日」なるものを作り、つくる会教科書が「北方領土」や尖閣諸島とともに日本の領土と明記して以来、右翼勢力の根強い要求としてありつづけてきた。
昨年の9月、復古主義的極反動派の安倍が突然内閣投げ出してしまった。安倍内閣は、「憲法改正内閣」を自負し、わずか1年の短命ではあったが、教育基本法全面改悪、国民投票法採択、防衛庁の省昇格など、戦後民主主義体制を大きく揺るがす一連の反動立法を成立させた。さらには「拉致問題」を政治的に悪用して度外れた反北朝鮮キャンペーンを主導し、一連の対北朝鮮制裁措置を実施した。しかし、世界の情勢は、安倍内閣の時代錯誤的で排外主義的な対外政策の継続を困難なものにした。何よりも、北朝鮮を「悪の枢軸」として武力先制攻撃も辞さずとしてきたアメリカが、米朝直接対話を通じて問題解決を図る方向へと、対北朝鮮政策を大きく変更したためであった。他方、国内問題でも、イデオロギー過多の安倍内閣は、小泉の新自由主義構造改革によって生じている様々な領域における「二極化」を放置した。首都圏の繁栄と大多数の地方の疲弊、一部新興セレブ族の誕生と大量のワーキングプアの発生、グローバル独占資本の空前の利益と農林水産業と中小企業の衰退等々を政策課題にすらせず、「美しい日本」なる空疎な標語に自己陶酔する極右御坊ちゃま内閣であった。この内閣に対する国民の審判が、昨年7月末の参議院選挙であった。安倍内閣は、対外問題・国内問題の双方で完全に行き詰まり、憲政史上初の所信表明演説直後の政権投げだしという醜態を演じる結果となった。
安倍の首相の椅子投げだしによって政権中枢から転げ落ちた右翼反動勢力は、今一度の復権を夢見て執拗に策動を続けてきた。省庁の中でも復古思想的反動イデオロギーの持ち主が多い文科省が、彼らの足場の一つである。歴史教科書歪曲問題では、政界の右翼反動派と文部官僚は、長期に渡って二人三脚でやってきた。北方領土問題と竹島(独島)問題も彼らの最大関心事の一つとなってきた。特に竹島(独島)問題は、それの領有権を教科書に明記し、子どもたちに排外主義的民族意識を養成することを重要課題としてきた。福田首相は、概してこの問題に消極的であり、今年2月の小中学校学習指導要領への盛り込みは見送られた。しかし右翼反動政治家と文科省は、人気低落が著しい福田政権に揺さぶりを掛け、今回の事態に至ったのである。民族排外主義を煽りたてることが、彼ら極反動派が復権する最も有効な手段であると彼らは信じているのだ。確かに、「竹島(独島)問題」を争点として持ち出したことは、福田の足を引っ張る効果は十分にあった。
しかし福田首相自身も、足を引っ張られることになるのが分かっていながら、「明記しない」という決断ができなかったのであり、今回の事態を招いた最終責任は福田首相にある。彼は、党内各派の消極的打算の結果として総理の椅子に座ることになっただけの人で、彼には政局でリーダシップを発揮する能力も決断力もない。右派から「竹島は固有の領土であり、それを子どもに教えるのは当然」と迫られれば「そうねぇ」と言い、「そんなことをすれば福田アジア外交は頓挫する」と言われれば「そうねぇ」とゆれ戻す。結局、「指導要領」ではなく「解説書」、「固有の領土」という語句は使わないが「北方領土と同様に」と記述する。それが福田内閣なのである。
まともに批判しない野党各党
今回の文科省の措置に対して、国会に議席を持つ政党で、明確に反対した政党は存在しない。共産党も、7月15日付「赤旗」で論評抜きの「事実」報道をしただけであった。そもそも竹島(独島)の帰属問題では、国会に議席を持つ政党はすべて日本の領有権を主張している。
日本共産党の志位和夫委員長は、「竹島の領有権については、『日本政府の主張に根拠がある』とのべるとともに、『韓国の主張にも検討すべき問題がある』」という基本的態度を表明しつつ、「それだけに、一方的な措置をとらず、話し合いで解決をはかることが大切だ。そうした姿勢をつらぬくことこそ日本の国益にもかなう」「竹島問題の正しい解決のためには、双方とも一方的な措置をとるべきではない。日韓の善隣友好の関係の上に、共同の作業で解決する姿勢が求められる」(2005年3月17日付「しんぶん赤旗」)との見解を表明している。つまり竹島(独島)領有権については、日本に領有権があるとする立場である。
社民党の又市征治前幹事長も、「歴史的にみれば、竹島は日本固有の領土であり、17世紀のころから、日本が実効支配してきており、正式には1905年に日本の領土であることを明確にした。1905年は第2次日韓協約の年でもあり、韓国人にしてみれば、『亡国のあらわれ』とみえるのであろう。 しかし、これまで知恵をしぼってやっていこうという努力をしてきたのだから、冷静な対応をして、話し合いで解決をすべきである。冷却期間をおくことも必要であろう」(2006年4月21日記者会見)との基本見解を表明している。ここでも、竹島(独島)は日本の固有の領土であるとし、1905年の日本への編入は、「韓国人からみれば『亡国のあらわれ』とみえるだろう」と言う。では1905年の日本への編入は、日本人である社民党の又市氏から見れば「正統な行為」であったと言うのだろうか。
竹島(独島)の帰属問題
日清戦争、日露戦争、15年戦争、太平洋戦争――すべての戦争が、「国のため、日本民族のため」というありもしない「共通の利益」のために、実際は、支配階級であった「天皇制封建地主と資本家の利益」のために遂行されたのである。何百万もの民衆が兵隊として戦場で、市民として空襲の町で死んでいった。そして皇軍は、数千万人のアジア人、欧米人を殺戮した。すべてが、「国のため、日本民族のため」に。
領土問題と民族問題は、支配者たちが危機に陥ったとき、民衆の不満が支配者たちに向かうのを防ぐための最良の手段として常に利用されてきた。「民衆が貧困や抑圧に苦しむのは、他民族のせいである。他民族に対抗し、他民族に打ち勝つために、国内は一致団結しなければならない」と、彼らは民衆をたぶらかしてきた。
領土問題で対立を煽ってはならない。またその煽りにのせられてはならない。そもそも固有の領土などという考えは一つの幻想である。竹島(独島)の領有権が日本に移ったと仮定しても、それが日本の勤労人民に何の利益をもたらすというのか。領土が拡大したら、一般庶民もまた何がしか豊かになると考えるのは完全な幻想でしかない。竹島(独島)の面積は、大小37の岩礁を併せて500メートル四方に満たない(0.23km2)。しかも断崖絶壁の不毛の島嶼である。そのような領土が増えて何の利益があるというのか。わが国内には、近くて農業や林業や漁業に適した土地でありながら、廃村に追い込まれていく土地が続出している。竹島(独島)の何万倍もの広さで。「竹島(独島)近海で、将来有望な海底地下資源が発見されるかもしれない」と言う人もいる。その程度の資源なら、争いのない他の海域で探せば良いのである。竹島(独島)問題を争点化しようとしている人々の狙いは、それによって人々の不満が韓国や北朝鮮に向き、国民の意識統合ができて「二極化」の現実が忘れ去られることなのである。
それでも、「竹島(独島)は日本固有の領土であり、領有権を回復することは正義の問題である」という人がいる。本当に、「竹島(独島)は日本固有の領土」なのか。日本政府の主張の根幹はこうである。「竹島は1905年に日本が島根県に編入するまで他国に実効支配されたことはなく、竹島の編入手続きは、国際法に照らしても全く合法的である。また、竹島を編入した際に、日本は抗議を受けていない。」。このようなことが平気で言えるのは、日本の勤労人民が、日本の近代史をあまり知らないこと(政府が義務教育や高校教育で、日本の近代史を正しく教えて来なかった結果であるのだが)をあてにしているとしか思えない。
日本帝国主義による朝鮮の植民地支配
日本は、アメリカが日本にやったやり方をそっくりまねて、朝鮮に開国を迫った。1875(明8)年9月20日、日本海軍は突如として朝鮮の首都ソウルの防衛要塞である漢江[Hangang]河口にある江華島[Kanghuado]要塞に砲撃を加えてこれを占領し、この武力威嚇を背景に、不平等条約である「日朝修好条規」(江華条約)を翌1876 (明9)年2月27日に結ばしめたのである。
1894 (明27)年に起こった東学党の乱(甲午農民戦争)を鎮圧するため、朝鮮王朝は清に出兵を請う。そのどさくさに日本も邦人保護を名目にして仁川[Inchon]に海軍陸戦隊を上陸させ、以後、朝鮮王朝の退去要請を無視して居座り続けることになる。朝鮮王朝がなおも撤兵を要求するや、日本軍は王宮になだれ込んで国王高宗[Kojong]を幽閉し、蟄居中の国王の父である大院君[Tewongun]担ぎ出しを策するが失敗。失敗の背景に清の影が見え隠れしたことから、日清の緊張は一気に高まった。
同年8月1日、日本は清に対して宣戦布告し、朝鮮を舞台として日清戦争が始まった。もっとも日本は、宣戦布告に先立つ7月、牙山[Asan]で戦闘を開始しており、10月には国境の鴨緑江[Amnokkang]を越えて遼東半島になだれ込み、翌1895(明28)年4月17日、日清講和条約によって日本の勝利が確定し、朝鮮から清の影響力を追放した。
朝鮮王朝は、今度はロシアに頼って日本の侵略に対抗しようとした。これには皇后とその一族である閔[Min]氏が介在しており、これに激怒した日本は、皇后と閔氏一族の排除にのりだす。公使三浦梧郎が右翼ゴロツキを雇って王宮に乱入し、明成[Myongsong]皇后を虐殺。遺体を焼却遺棄してしまった。この蛮行に対して国際非難が高まったため、日本政府は三浦ら53人を取り調べざるをえなくなったが、全員無罪か免訴となった。
朝鮮と中国東北部(満州)の覇権をめぐる日露の対立は、激化の一途をたどり、ついに日露戦争(1904.02.08−1905.09.05)が勃発した。この戦争に勝利するためにも、朝鮮の植民地化が急がれた。
1904 (明37)年8月22日、日本は大韓帝国(1899-1910)に第一次日韓協約を押しつけた。この協約により、韓国政府は、日本政府が推薦する者を韓国政府の財政・外交の顧問に任命しなければならなくなった。
翌1905 (明38)年11月17日、日本は大韓帝国に第二次日韓協約を押しつけた。この協約により、韓国政府は、外交権を日本政府に委ねることになり、事実上の保護国になった。
さらにその2年後の1907 (明40)年7月24日、日本は大韓帝国に第三次日韓協約を押しつけた。この協約により、韓国の高級官吏の任免権を日本の韓国統監が掌握することになり、韓国政府の官吏に日本人を登用することができるようになった。韓国の内政は、完全に日本の管轄下に入った。さらに秘密協定により、韓国軍の解散・司法権と警察権の委任が定められた。このような一連の動きに抵抗を試みた高宗は退位させられ、その子純宗[Sunjong]が朝鮮王朝最後の王(27代)に即位した。
そして1910(明43)年8月22日、日韓併合条約が締結され、朝鮮は完全に日本の植民地となった。純宗は退位させられ、改めて日本の天皇から李王の称号をもらい1926(大15)年に死ぬまでソウル昌徳宮[Changdokkun]で暮らした。
竹島の領有権を主張することは、韓国併合と植民地支配を正当化すること
このような歴史の枠組みの中で、先の日本政府の「竹島の編入手続きは、国際法に照らしても全く合法的である。また、竹島を編入した際に、日本は抗議を受けていない」との見解は説得力を持ちえるだろうか。断じて否である。編入前年の8月に、第一次日韓協約が締結されており、大韓帝国政府は、日本政府の推薦者を韓国政府の財政・外交の顧問に任命しなければならなくなった。そのような条件下で、竹島(独島)の帰属について大韓帝国が異議申し立てをすることができるはずがなかった。またよしんば抗議したとするなら、その事実を伏せたまま、抗議した韓国政府高官を直ちに罷免または抹殺してしまったに違いない。またそもそも韓国政府は、編入の事実すら知らされなかったといわれている。日本政府は、この点について、「日本の新聞に編入の事実が掲載されていたのだから、秘密裏に事を進めたのではない」とうそぶいている。しかし、「編入の事実を大韓帝国に通知した」とは述べていない。これでいて、「日本は抗議を受けていない」とよくも言えたものである。
また日本政府は、「国際法に照らしても全く合法である」と主張している。彼らは、日韓併合条約すら「国際法に照らしても全く合法である」としてきた。それが正しいとするなら、当時の国際法が帝国主義諸国の領土併合を合法とする帝国主義的国際法であったことを意味しているだけであって、その行為が歴史的に正統であったことをいささかも意味しない。強盗には強盗のルールがある。そのルールに則った強盗行為は、強盗にルールによれば「全く合法的」ではあるが、強盗行為をいささかも正当化できるものではない。日本政府の言う「国際法に照らして」とは、「帝国主義の強盗どものルールに照らして」ということなのである。
戦後実効支配と日本政府の態度変更
日本政府は、「竹島は、1905年に日本が島根県に編入するまで、他国に実効支配されたことはない」と主張している(韓国側の見解は異なるが)。だとすれば、少なくとも1905年以前、日本は竹島(独島)を実効支配していなかったことだけは認めなければならないだろう。そして1905年の編入が実質的領土併合であったのだから、竹島(独島)の領有権を日本が主張することはまったくできないわけである。
現在という歴史の枠の中に竹島(独島)問題を置いてみよう。第二次大戦における日本帝国主義の敗北と韓国・朝鮮の独立直後から、竹島(独島)に対する日本の実効支配は失われており、1952年以降、この島嶼は韓国が実行支配してきた。日本政府も、その事実を認め、領有権の主張を取り下げはしないが、事を荒立てることは避けてきたのである。しかし日本政府は、竹島(独島)に対する態度を徐々に変え、領有権の主張をエスカーレートさせてきた。特に2005年の島根県議会が「竹島の日」を制定して以降、政府は、よりはっきりと領有権を争点化する方向にハンドルを切った。翌2006年には、高校教材出版社に「竹島(独島)は日本の土地である」ことを反映するようにという指針を降ろし、そして今回の新学習指導要領解説書での明記に至った。
竹島(独島)の最初の発見者が誰であるのか、古地図ではどうであるのか、そのようなことは主要なことではない。またそのようなことから領有権が確保されるとも思わない。竹島(独島)は、19世紀末までどこの国にも属さない絶海の孤島であり、日韓双方の漁師が、ときどきその周辺で漁をしたり立ち寄ったりしていただけの島嶼であった。しかし20世紀に入り、日本は明治維新を通して国民国家を形成し、帝国主義的発展の道に入った。そして対ロシア戦における日本海における監視地点として、竹島(独島)はにわかに注目をあび始めた。島根県への編入は、漁獲権を主張する漁師やアシカ商人たちの誓願によって行われた形をとっているが、実は海軍省の肝いりで編入されたと考えて間違いない。それが証拠に、編入が行われた年の7月には、海軍が島に仮設望楼を建設している。
先に、日本の勤労人民が竹島(独島)の領有権を主張することに何の利益もないことを見た。いや何の利益もないどころか、大きな害を受け取るであろう。韓国・北朝鮮の勤労大衆が、われわれ日本の勤労大衆に対する不信と怒りを募らせるだろうからである。そのことが、われわれにとって最も大きな損失である。韓国・北朝鮮の人々にとっての独島は、日本人にとっての竹島とは異なる意味を持っている。独島が島根県に編入されたことと、日韓併合は切り離しがたく結び付いているからだ。しかも日本政府は、「日韓併合条約は合法であった」とか、「日本軍『慰安婦』など民間業者のやったことで政府には責任がない」とか、今もって過去を反省し、その清算を行っていないのである。
われわれは、「固有の領土」など存在しないと考えているし、国境というのも歴史的に決められた暫定的なものでしかないと考えている。もし日本でも韓国でも勤労大衆が主人公である真に民主的な政府ができたときは、国境は徐々に意味をなさなくなり、自由な往来ができる関係が築かれるであろうと信じる。そのときは、両国民が竹島(独島)でダンス大会でもやり、竹島(独島)は、両国民の友好の証となるであろう。そのような日がくるまで、日本の勤労大衆は、竹島(独島)の領有権を絶対主張してはいけないし、逆にそのような日がくれば、領有権など議論にもならないだろう。
支配層全体の意図
最初にふれたように、「竹島(独島)の争点化」をめぐっては、支配層及び自民党の内部に対立がある。しかし結果として「争点化」が進行している事実は、日本の支配層が全体として、その方向に向いていることを示している。その理由は何か。日本帝国主義の相対的地位の著しい低下と、社会二極化による不満の不気味な鳴動であろう。支配層は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というプライドと自信を喪失し、他方で、かつてのように「終身雇用」「所得倍増」「大衆消費社会」といった幻想すら人民に与えることができなくなった。そして韓国はかつての植民地ではない。今や、電気・電子部門の世界市場では、サムソン[Samsong]が日本メーカーの最大のライバルとなり、自動車市場では、現代[Hyonde]がトヨタやホンダと熾烈な闘いを行っている。労働者・人民の不満が自分たちに向かってこないようにするには、怒りを国外に向けるのが一番だ。これが、「竹島(独島)争点化」をリードしている極右勢力の基本目的であり、それは同時に、わが国の独占資本が抱いている韓国のグローバル資本に対する敵対意識をも映し出している。
「小帝国主義国家」に成長した韓国
韓国でも似た事情がある。韓国は、今やもちろん植民地ではない。それどころか、サムソン、現代、LGをはじめ、世界展開するグローバル独占資本が国の権力を握っている小帝国主義国家である。しかも誕生したばかりの李明博政権は、米国産牛肉の全面解禁をめぐって、空前の国民的反発を買い、就任わずか半年で支持率が当選当時の3分の1以下(20%割れ)にまで落ち込んだ。ところが、文科省が竹島(独島)領有権を新学習指導要領解説書に盛り込んだというニュースが伝わるや否や、世論は一変した。国会に議席を持つ5つの政党が、一斉に日本政府批判の党声明を発表した。つい先頃まで、民主党・自由先進党、民主労働党の3党は、米国産牛肉の輸入問題でハンナラ党と激しく対決してきたのが嘘のようだ。
マスコミも同様である。右派三紙(朝鮮[Choson]日報、東亜[Donga]日報、中央[Chungan]日報)とリベラル派二紙(ハンギョレ[Hangyore]新聞、京郷[Kyonghyang]新聞)は、米国産牛肉輸入問題で激しく対立して非難合戦を展開してきたが、今や、「日本政府が過去の侵略戦争の反省もなく再び領土略奪計画を進めようとしている」と口調を揃えた。
世論から日本に対する「弱腰」を批判されている李大統領ではあるが、内心、日本政府の今回の措置に大いに感謝しているに違いない。反米感情から反日感情に世論が急展開し、「国論の分裂」が「挙国一致」に変わったからだ。今回の日本政府の措置は、韓国・朝鮮民衆の民族感情を著しく傷つけたが、その民族感情を政権安定化に利用しつつあるのが李明博政権である。今や小帝国主義国家に成長した韓国において、民族主義が国内矛盾の隠蔽手段に利用されてはならないだろう。
国境を越えた人民の連帯こそ
左派の民主労働党までが、「日本政府が、独島に対して自国領土明記方針を撤回しないなら、民族的対決に一気に進まなければならない」(注1)と述べており、支配層の民族主義と区別がつかない。今まで知りえた限りでは、進歩新党だけが、異なるトーンの声明を発している。「独島紛争時に参戦する」と述べた極右李會昌(自由先進党)を批判する中で、「韓国と日本の良識ある国民と東アジアの平和を願うアジアの人々が、国境を越える平和連帯を通して日本の軍事大国化を阻止し、東北アジアの軍事的緊張解消のために努力しなければならない。進歩新党は、難しくてのろいが、こういう道を行くだろう。」(注2)と述べ、平和的解決と国際連帯の重要性を訴えている。
われわれは、社会の「二極化」を押し隠す民族排外主義と断固として闘わなければならない。竹島(独島)を争点化させようとするイデオロギー攻勢に対抗して、過去の竹島(独島)の日本領有が、武力による帝国主義的併合以外の何物でもないことを粘り強く訴えていかなければならない。子どもたちにもそのことを教えていかなければならない。国境を越えた民衆の連帯によって、領土問題で対立を煽ることによって支配層と民衆の間の矛盾を隠蔽しようとしている支配層の意図を挫折させなければならない。
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(注1) http://news.kdlp.org/?main_act=board&board_no=2374&art_no=613930&jact=art_read
(注2) http://www.newjinbo.org/board/view.php?id=comment&no=902
2008年7月26日 H