サマラで米軍が無防備の一般市民を無差別虐殺
○失態隠すため虐殺を「ゲリラ戦」とでっち上げる悪質さ
○自衛隊派兵は弾圧・虐殺への加担

(1)米軍によるイラク住民の無差別虐殺。

米兵は無差別に銃撃したと負傷した住民は言う。(aljazeera.net)
 11月30日、バグダッド西方120キロのサマラで行われた「大規模戦闘」は、実は米軍による無抵抗の一般民衆に対する無差別虐殺であったことが明らかになった。サマラ市街で反米武装勢力の攻撃を受けた第四歩兵師団は、120ミリ砲、自動小銃や小火器で、市民に向けて無差別に発射、発砲し無実の人々を殺害したのだ。米軍は武装勢力が撤退した後も、むやみやたらに住民への攻撃を続けたという。現在わかっているだけで少なくとも8人の民間人が犠牲になり、60人もの人々が負傷した。
 サマラの住民らは「米軍がヘリコプターなどから無差別に攻撃した」と口をそろえて語っている。イラン人巡礼者や通りがかった女性、子供たちなど、全く無防備な一般市民が襲われ、犠牲になっているのである。米軍はこの攻撃でモスクや病院、学校をも破壊している。負傷者を含めて犠牲者の数はこれだけでは済まないだろう。

 米軍は今年4月ファルージャで同じ様な無差別虐殺事件を起こした。今回の事件は“第2のファルージャ”である。続報を含め、可能な限り事実をフォローし、米軍の残虐さを告発していきたい。
※「ファルージャの無差別虐殺事件−−学校再開を求める一般市民にいきなり発砲−−」(署名事務局)
※Iraqis deny US accounts of fierce fight with 'guerrillas' By Phil Reeves in Samara(英インディペンデント)
 http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=469253
※アルジャジーラによれば、米軍の攻撃が本格的に始まったのは武装勢力が撤退した後で、アパッチ武装ヘリをはじめあらゆる兵器を動員して、学校やモスクを攻撃した。「交戦」とは真っ赤なウソで、そのほとんどの部分が、無防備な一般市民をターゲットに攻撃と殺戮の限りを尽くしたことになる。
 http://english.aljazeera.net/NR/exeres/0F5C52AC-D99F-4986-B0BD-83DA497F436E.htm
※米軍、無差別に攻撃か サマラの戦闘、市民犠牲に(共同通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031202-00000218-kyodo-int
※<イラク>サマラでの米軍武力衝突 民間人相当数死傷か(毎日新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031202-00001074-mai-int
※Staff sergeant: Samarra battle was 'extremely scary'(CNN)
 http://www.cnn.com/2003/WORLD/meast/12/01/cnna.jones/index.html
ここには、この戦闘に参加した3等軍曹ブルース・ジョーンズのインタヴューが掲載されている。彼は、民間人に対する攻撃について問われ、道を閉鎖したりバリケードを築いたりする者はすべてテロリストを援護する戦闘員と見なしたと語り、道行く人や物陰に隠れる市民たちを無差別に攻撃したことを認めている。

(2)パニックに陥り無差別発砲。大義なく士気低い米軍は凶器。
 11月30日のサマラにおける戦闘は、数々の報道によればおおむね次のような過程をたどった。−−午後1時過ぎに輸送部隊が銀行の手前にさしかかったときに、イラク新通貨の交換を行うはずであったラシッド銀行に向けて反米武装勢力の側から突然銃撃が開始され、さらに大がかりなロケット弾、迫撃砲弾も飛び始めた。数分後にはもう一つの銀行アルマイア銀行にも攻撃が始まった。数カ所からの一斉攻撃が始まった。
−−銀行及び輸送部隊を警護していた100名に登る米軍はパニックに陥った。建物や車の陰、壁の穴などあらゆる方向から攻撃を受けた米軍は、辺り構わず無差別に反撃・攻撃を開始し、無抵抗の市民を虐殺した。目撃者は、「米軍は四方八方に照準も合わせずに銃撃してきた」といい、地元警察幹部は「無差別に近い激しい攻撃で市民に犠牲を出した」と非難している。

 白昼の都市部で米軍に対する攻撃が公然とかつ極めて用意周到に組織され、パニックのまま武装勢力を取り逃がし、腹いせに民間人を多数殺戮した。これが事の真相ではないか。米軍当局は、最近の連続した米軍ヘリコプター撃墜に匹敵するこの大失態と民間人の大量殺戮を覆い隠すために、「ゲリラ」殺戮46名、54名の戦果を作り上げたのである。現地米軍当局のウソ・デタラメと米兵の士気の著しい低下、これだけを見ても米占領軍は末期症状である。
※「抵抗勢力射殺か民間人虐殺か」戦果疑われるサーマッラ戦闘(東亜日報)
 http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2003120349238

(3)無差別殺りくを「市街戦」「ゲリラ戦」とでっち上げる米軍当局。

大部分の犠牲者は一般市民だ。焼けた車の前で身振りで訴えるイラクの少年。REUTERS/Zohra Bensemra
 米占領軍は、マス・メディアを厳しく情報統制しており、反米情報への検閲・監視を強めているが、占領政策の破綻と米政府内部の亀裂のため、完全な報道統制は不可能になりつつある。翼賛色が濃い欧米メディアは、最初は当局情報を垂れ流したが、今回ばかりはすぐに軍当局と食い違う現地情報を世界中に流し始めた。米軍は、この戦闘を「市街戦」「ゲリラ戦」とし、多数のゲリラを殺戮し、また十数人を拘束したと“戦果”を報告したが、それがでっち上げであることが判明したのだ。

 すぐに死傷者の数の違いとその根拠が問題になり始めた。イラク駐留米軍は、ゲリラ側の死者数は54人と発表したが、サマラの戦闘現場で目撃した米軍情報当局筋は死者46人、負傷者18人で、11人を拘束したとしている。ところが、サマラのイラク警察は、確認できた死者数は8人で、負傷者は少なくとも50人に上ると話している。AFP通信も、病院関係者の話として、女性と子供を含む民間人8人が死亡、60人以上がけがをしたと報じた。病院の医師は「ここにいるのは全員が一般市民だ」語り、一般市民に対する米の残忍な行為を糾弾したのである。
※米軍「54人」 病院「8人」…サマッラ戦闘死者数(読売新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031202-00000105-yom-int
※U.S., Iraqi police dispute death toll in ambushes(CNN)
 http://www.cnn.com/2003/WORLD/meast/12/01/sprj.irq.main/index.html

(4)イラク民衆が米英占領支配にノーを意思表示。一刻も早く撤退すべき。
 今回の虐殺事件は氷山の一角である。米軍が現在遂行中の大規模掃討作戦の最中に同様のことが起こっている。イラク人の8割前後が米英などの占領軍を信頼していない、とする世論調査結果を英国の民間研究機関が発表した。それも当然のことだ。米英の占領軍は、すでにイラク民衆からノーを突き付けられたも同然なのである。これ以上米軍によるイラクの破壊、イラク民衆への殺戮・弾圧を許してはならない。治安回復への第一歩、イラク復興の第一歩は、米軍が即時無条件に撤退すること。今すぐ撤退すべきだ。
※イラク人の8割が米軍不信 英シンクタンク世論調査(共同通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031202-00000024-kyodo-int

(5)自衛隊派兵は虐殺への加担。絶対派兵させてはならない。
 日本国民の8割、9割が反対しているにも関わらず、また外交官2人の死をも全く省みず、小泉政権は自衛隊派兵をごり押ししようとしている。大虐殺事件があったサマラは、日本人外交官の死亡事件が起きたティクリートからわずか120キロのところにあるスンニ派トライアングルの一角である。ティクリートでの大規模掃討作戦"アイビー・サイクロンU"、バグダッドでの大規模な掃討作戦「アイアンハンマー」、そして旧フセイン政権要人への捜索活動などイラク住民を敵に回した残虐な軍事行動、大量殺戮は、ますます反米感情を高め、反米レジスタンス運動への支持を強め、米軍への攻撃および同盟軍・同盟国への攻撃を拡大している。

 こんな状況下で今自衛隊を派兵すれば、殺し殺されることは目に見えている。パニックを起こした米軍の姿は、パニックを起こすであろう明日の派兵自衛隊員の姿である。虐殺者への転落である。私たちは改めて要求する。今すぐイラク特措法を廃止し、自衛隊派兵を即刻中止せよ!

2003年12月3日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



[翻訳資料]
アメリカ人はスコアを知っているのか。
Do Americans Know the Score?
http://www.commondreams.org/views03/1203-03.htm

 この記事は、これまで民間人であろうと兵士であろうとイラク人の犠牲については一切関心を向けてこなかった米軍が突然、ゲリラ兵54名を殺害したという数字を発表したのはなぜかを問題にしている。米軍兵士の犠牲が連日報道され、11月の犠牲者が開戦以来最多に達したことで米軍の劣勢・敗北が印象づけられることを恐れ、戦果を発表したというのである。ところがその戦果がでっち上げで、全く事実無根であるだけでなく、一般民衆への無差別殺戮を隠蔽していたのだ。ここでは、幼稚園や巡礼者を乗せたバス、製薬工場、モスクなどが攻撃されたことが具体的に明らかにされている。
 スコアは、「得点」を意味するとともに、「真相」「真実」を意味する。「アメリカ人はスコアを知っているか」−−アメリカ人はイラクでおこっていることの真実を知っているのか!?現在のアメリカの追いつめられた状況を的確に表している。


アメリカ人はスコアを知っているのか。
デリックZ.ジャクソン
コモンドリーム 2003.12.3.

 アメリカのイラク侵攻の早い時期に、中央軍スポークスマン、フランク・トープは、「われわれは戦闘をスコアカードとして見ることは出来ない」と語った。
 これは、われわれがイラクの軍や民間人の死傷者を数えなかったからであった。今週までは。しかし突然軍は、54人のゲリラが死んだと言って、スコアカードをふれまわっている。
 軍は今、スコアカードを示すことが出来ない限り、誰が戦争に勝っているのかを語ることが出来ないと考えているのだ。
 ブッシュ「かかってこい」大統領の偉大な精神の中では、軍は、またもや、われわれが完全に勝っている事を敵にわからせることになったのだ。ピーター・ペース統合参謀本部副議長は語った、「彼らが攻撃した。だから、彼らは殺されたのだ。したがって、私は、それが彼らにとって有益になるだろうと思う。」マークキミット准将は語った:「8台の戦車、車両を攻撃する4台のブラッドリーおよび93人の連合軍兵士、そしてどこまでも闘う決意を見たならば、いかなる敵も、恐ろしい誤りを犯していることになる。」
 われわれアメリカ人はもちろん、いかなる誤りも犯していない。「われわれは、われわれに発砲する者どもに適切に狙いを定め攻撃する」とマイク・コンサルブ中佐が言った。「われわれは無差別に交戦することはしない。われわれは、われわれを銃撃し殺そうとしている連中と交戦するのだ」
 我が国の兵士は彼らの標的を非常に確信していた。彼らは、自信を持って流血について説明した。専門家セルジオ・シルバは、ゲリラがロケット推進式の榴弾を発射するまさに直前に、どのように彼がブラッドリーの大砲でゲリラを文字通りばらばらに吹き飛ばしたかをニューヨークタイムズに伝えた。「彼はわずかの差で爆発したのだ」とシルバは語った。
 この適切な標的についてはうんざりである。まずわれわれの侵略が、嘘に基づいた恐しい誤りだったのであるから、(最近何か大量破壊兵器が見つかったか?)、アメリカのスコアカードの信頼度はラスベガスでの勝ち目と同程度というところである。軍でさえ、イラクの兵士の犠牲者数を数える関心が突然でてきたことが政治的策略であることを認めている。それは、われわれがイラクに対する爆撃を始めて以来、米軍兵士にとって致命的な月の後におこった。81人の米軍兵士が死んだ。実際の侵攻の間の3月の65人あるいは4月の73人を上回っている。
 米軍は、敵に対する同情を呼び起こすことをおそれ、死んだイラクの兵士あるいは民間人を数えたくなかった。しかし米兵の犠牲者が増大するとともに、それは自分自身に返ってきた。ブッシュが大規模戦闘の集結を宣言した後に死んだ米国の兵士の数は、現在303人であり、侵攻時の138人の2倍以上に登っている。
 軍のある士官は、死傷者の新しい統計は「政策の意識的な変化」であるとロサンゼルスタイムズに伝えた。士官は語った、「われわれは多数の敵を殺し捕らえてきた。しかし、誰もそれについて話していなかった・・・そうしているうちに、そこで、米軍兵士だけが死んでいるように思われ始めた。」
 もちろんイラク人だけが死んでいるように見える時も、あきらかにひとつのスコアカードがあるだけだろう。米兵は一人も死んでいないと、まるで卑劣な待ち伏せ攻撃のように言われるだろう。
 同じ士官は言った:「われわれは型にはまったボックススコアを持ちたくない。あなたがボディカウント屋なってしまうと直ちに、それはスーパーボウルのように見えるようになる。それはわれわれが望むものではない。」
 政府がわれわれにスコアを知らせる前に、それが54対0でなければならないとすれば、この策略は、それを発表する国と同様ほとんど信用できないということを発見したとしても驚くことではない。
 イラクの医者や市民ら人はアメリカのリポーターたちに全くちがう話を伝えた。それは米軍兵士らが民間人の家やモスク、幼稚園、イランの巡礼者を運ぶ小型バスおよび製薬工場を砲撃し、破壊したというものである。人々は、米軍の戦車がイラク人の自動車を無差別に破壊したとリポーターに伝えた。
 サタル・ナシアフ−−米軍兵士によって2人の市民が殺されたのを見たと語った店主−−は言った:「もし銃を持っていたら、私は米兵を私自身で攻撃していただろう。米兵たちは四方八方に銃を放っていた。」
 サード・ファイサル−−精神障害のある彼の兄弟が負傷した−−は、「これはミスター・ブッシュの贈り物なのか」と尋ねた。
 アブデル-ラーマン・アブデル-カディル−−一人の男とその息子が殺されたとの証言があったモスクの職員−−は言った、「礼拝でさえ、われわれは米軍から安全ではない。」
 製薬工場で働いていた少なくとも1人の女性が激しい交戦で死んだ。救急車の運転手アドナン・シャヒブ・ダファルは怒りをぶちまけた:「この女性がロケット推進式の手投げ弾を放っているというのかい。彼女が闘っているというのかい。」
 ある初老のイランの巡礼者は頭と胸を打ち抜かれて死亡した。誰も、54人のゲリラの遺体がどこに行ったかを知らない。アメリカは片付けるためには止まっていなかった。また、ゲリラの一団は、地方の死体公示所にそれらを持っていくことをまさか切望しなかった。
 アメリカについての最も明確な証拠は、地元の医者によれば、地元の病院にある8体の遺体はすべての民間人であったということである。犠牲者のうちの2人は18歳未満であった。
 病院は「54」を記録した。それは、手当を受けるために運ばれた負傷者の数である。




※以下「停戦委員会」の「イラク攻撃反対のページ」より転載させて頂きます。
町全体を舐め尽くす銃撃戦
――戦闘指揮官が戦争終結以来最大の戦闘の内幕を語る――
A Combat Leader Gives The Inside Skinny Of The Biggest Battle Since The War Ended

原文はこちら:

サマラを通過中に攻撃を受けた輸送部隊は、報道されたような補給用車両部隊ではなく、イラクの地方銀行に置いておくための新イラク紙幣と、米軍のイラクでの作戦遂行に必要な物品・サービスに支払うための米ドル紙幣を大量に運んでいた。この輸送部隊はエイブラムズ戦車とブラッドリー戦闘車で厳重に警護されていた。それはどでかいブリンクス社(*1)のトラック輸送のようだった。
(*訳注1;警備輸送専門の会社)

54人の敵が死亡との報告はアメリカ国民にとっては朗報に聞こえるだろうが、もっと重要な話はむしろずっと憂慮すべき内容であり、アメリカ国民はそれを知るべきである。

最初に攻撃を受けた時私が思ったのは、このイラク人たち(大部分は犯罪者であり、反乱分子ではない)が、一体ぜんたいどうやってこの輸送のことを突き止めたのかということだけだった。このことは現地のマスコミも報道していなかった、しかしイラク警察は知っていた。ピンポーン、それで見当がつく。

更に重要なのは、あの攻撃の規模と、待ち伏せ作戦が2ヶ所で連携して行われたということである。イラク抵抗ゲリラ部隊の分子は、今月大規模で圧倒的な火力をもって行われた“アイアン・ハンマー作戦”にも関わらず、依然として同時作戦を指揮できるほどの能力を残しているのだ。

ハック(*2)、死傷者の大部分は市民だった。報道されているみたいに反乱分子でも犯罪者でもなかった。待ち伏せ攻撃の間、我々は襲撃者たちには反射的射撃(*3 )で対応しながら、戦車やブラッドリー戦闘車や武装搭載タイプのハンビー(*4)が、家々や建物、車を砲撃した。“アイアン・ハンマー作戦”の指針のひとつは、反乱分子に対処する時は“アイアン・フィスト(鉄拳)”を使えということだ。師団のスポークスマンが報道陣に話している通り、我々は圧倒的な火力で応じ、敵の挑戦を受けて立つ。あのよく連携された待ち伏せ攻撃へのこの対応は、予想された通りのことだった。輸送部隊は、脅威と見えるものには“ どんなものにでも”発砲しながら移動を続けた。ある家から対戦車ロケット砲で攻撃があれば、戦車は主砲でもってその家を破壊し、その辺一帯に7.62mm機関銃とキャリバー50重機関銃(*5)の銃火を浴びせる。ある路地から小銃が撃たれれば、ブラッドリー戦闘車はその路地に発砲し、周囲の建物を7.62mm及び25mm 榴弾の一斉射撃で撃ちまくる。これは実際、町全体を舐め尽くす銃撃戦だった。
(*訳注2;この文章が掲載されたサイト、Soldiers for The Truth(SFTT)のサイトには、米軍の現役・退役軍人から、サイトの代表でもあり軍人の先輩・同胞でもあるHack [retired Army Colonel David H.Hackworth] に宛てた投稿が多く掲載されている)
(*訳注3;reflexive fire、戦闘技術の一種。敵のほうを見ないで、50メートル離れたところからでも、3秒間に2回の射撃ができる、というもの)
(*訳注4;HUMVEES、正式にはHMMWV=high-mobility multi-purpose wheeled vehicle、高機動性多目的装輪車両)
(*訳注5;12.7mm重機関銃、M2重機関銃)

“アイアン・フィスト”のもとでの交戦規則は、米軍兵士は、建物や家や車から敵の砲撃がなされたら(中に誰か他の者がいるかどうかに関わらず)その建物や家や車を敵対するものとしてみなすべしというものだ(我々の多くは、これを、よく考え抜かれた戦法ではなくむしろ死に物狂いの行動のように思っている)。我々は本当は自分たちが誰かを殺してしまったのかどうか、わからないのだ。それを確認するためにそこにぐずぐずと居続けたりはしないからだ。我々は機甲部隊であり、対ゲリラ戦の訓練は受けていない。つまり攻撃に対しては、我々の優勢な火力で対応し、反乱分子を殺すというだけだ。多くの場合、それは、反乱分子と関係がないかもしれない人々がこれらの建物や車の中にいるとわかっていて行われるのだ。

火力で優位に立つことに対する信仰は、反乱勢力から普通のイラク人たちへと対象が拡大される。ゲリラを多国籍軍に引き渡さなければ我々に家や町を吹っ飛ばされるとイラク人たちが知れば、ゲリラを支持せず引き渡すだろうとの期待からだ。もちろん、あまりにも多くのケースで起こるように、もし反乱分子が我々をおびき寄せ、建物や家々を破壊するように仕向ければ、中にいる人々は(以前はそうでなかったとしても)我々を憎むだろう。そのようにして我々はいっそう多くのゲリラ志願者を作り出してきたのだ。

第3旅団戦闘チームの司令官、フレデリック・ルーデスハイム大佐は、あの戦闘のあと次のように言った、「我々はこの敵の挑戦をこれからも受けて立つ。これはわれわれが今までサマラで経験した中で、もっとも重大な意味を持つ遭遇戦だった。我々はしかるべく対応していかなければならないだろう。」と言った。

これは、装甲部隊同士で戦う場合なら、戦闘指揮官がとるべき素晴らしい態度だ。しかしルーデスハイム大佐は対ゲリラ戦の訓練を受けていないし、私の部下たちが泥をかぶっているのだ。我々は輸送部隊を組んで走り回り、その地域一帯を爆破し、ドアを叩き壊し、建物を捜索する。しかしゲリラからの攻撃は続く。我々が彼らに対して間違った戦法を使っているということは、ジョージ・パットン(*6)でなくたってわかるだろう。治安維持・民生支援計画(*7)でこの反乱に勝てると期待するのは現実性がない。
(*訳注6;1885-1945、第二次世界大戦でドイツ軍と戦い、ノルマンディ上陸作戦で戦功のあった米国の将軍)
(*訳注7;SASO=Stability and Support Operations 現地民の生活支援と治安を目的とする非軍事的な平和維持活動)

我々が圧倒的な火力を使用したことから予想される通り、サマラの大部分は相当に破壊された。戦車やブラッドリー戦闘車は、敵がいると思えば駐車してある車をひっくり返し、建物に発砲しまくった。装甲車では視界が限られていること、また乗員は装甲で守られているとはいえ敵を制圧するために砲撃するかたわら偵察もおこなうことを考慮するなら、こういったことは予期されるべきだ。この町のすべての人たちが敵だったわけではないが、マスコミで報道されたサダム挺身隊(サダム・フェダイ−ン)ではなく普通の市民に見えるたくさんの人々が、屋根の上や路地から発砲してきたのは事実だ。私は、イラク人たちが我々に石を投げつけてくるのさえ見た。私は部下たちに、武器と呼べるものが確認できない限りは撃つなと命令した、しかし私はなぜ銃撃戦の最中なんかに戦車に石を投げつけてくるやつがいるのか、いまだに理解できないでいる。

我々は事実確認のためにぐずぐずとはしなかったので、イラクの不正規兵たちだけでなくたくさんの市民を殺してしまったことが、これから数日中に判明するだろうと私は非常に気がかりだ。我々が殺したのがすべて敵のゲリラなら、私はとてもいい気分だろうが、そうは言えない。多分、たくさんのイラクの人たちを敵に回してしまっているだろうし、我々のやっていることは穴の外へ這い上がることではなく、穴をもっと深く掘っているのではないかと私は恐れている。

ある戦闘指揮官

翻訳: hana
※ 軍事用語などについて次の方のご協力を頂きました;
あおきゆういち、hagitani ryo、Chie、二十日☆鼠 他
(順不同、敬称略)

−−以上、「停戦委員会」の「イラク攻撃反対のページ」より転載。−−