《翻訳資料》
陵辱の材料および手段としての
占領監獄におけるイラク人女性
イラク占領監視センター エマン・アーメド・ハーマス


■署名事務局コメント
(1) ここに翻訳したのは、イラクで米軍の戦争犯罪、数々の違法行為を調査し告発している「イラク占領監視センター」の元所長エマン・アーメド・ハーマスさんの調査報告です。報告はアムネスティ・インターナショナルの協力を得て、ルサファをはじめイラク各地にある米軍収容所で拷問・虐待された被害者に対する直接の取材に基づいたものです。ここには男女の拘留者、特に女性拘留者の実際の体験記録が証言として記録されています。

 報告にありますが、すぐに目が付くのは著しい取材の困難です。一般に日本や西側社会でもレイプなどの性犯罪は被害者側のあまりにもの屈辱と衝撃のために証言を得にくいのが普通です。ましてやイスラム教が支配的なイラク社会、イラク人女性が置かれている社会的、心理的、文化的に劣悪な地位が障害になって、更にはその下で性的拷問・虐待を被るということの深刻さは容易に想像が付きます。
 その意味でこの報告は、こうした凄まじい非難や不利益を覚悟して証言をした被害者の勇気と米の占領の不条理への怒りを身を持って示すものであるとともに、米軍の妨害や抑圧をはね除けて取材を行ったハーマスさんらの粘り強く真摯な姿勢によって、初めて結実した非常に貴重なものです。


(2) 私たちは米大統領選を目前に控えたこの10月、今年4月末に暴露され全世界を騒然とさせた米軍によるアブグレイブでの拷問・虐待・虐殺事件を告発する新刊『アブグレイブ:ブッシュ政権中枢の第一級の国家戦争犯罪』を緊急出版しました。
 その第T部「実態編」において、まさにこのエマンさんの当該報告を「イラク人女性に対する拷問・虐待」の典型的な実例を告発するものとして参考にしました。しかしそれ以外、このパンフレットで明らかにできたのはほとんど米欧のメディアからの、米軍筋、米CIA筋からリークされた映像や証言が中心でした。すなわち加害者側の証言でした。

 この翻訳資料、エマンさんの仕事が重要かつ貴重なのは、拷問・虐待されたイラク人の側、被害者の側からの証言だからです。私たちはここでエマンさんが強調する幾つかの特徴について触れておきたいと思います。
−−イラク人女性拘束者は“二重の拷問・虐待”を受けているということ。まず最初に監獄の中での実際の拷問・虐待であり、次に釈放されてからイラク社会の中での目に見えない拷問・虐待です。彼女らは2度と元通りに復帰できないのです。
−−イラク人女性への拷問・虐待は、夫や兄弟、その他男性拘束者一般への拷問・虐待の手段として使われているということです。女性とその人格の徹底的な陵辱と蹂躙は、イラクおよび中東、アラブ・イスラムの社会、文化、価値観そのものの破壊につながるものなのです。
−−また逮捕された13人の逮捕理由が、レジスタンスへの資金提供、レジスタンス、更には反占領集会への参加までに渡っていること、旧バース党員・その家族・知人にまで広がっていることです。明らかに集会・結社の自由、思想・信条の自由の否定であり蹂躙です。初歩的な民主主義もない「独裁国家」、これが現在のイラクなのです。米軍が吹聴する宣伝文句「イラク人の解放」「イラクの自由」などとんでもありません。(エマンさんの調査は米軍が直接支配する暫定占領当局・CPAの時期でしたが、基本的には米軍支配は今も変わりません。しかも今はCIAのエージェントであるアラウィが牛耳る「暫定政府」という傀儡政権が「非常事態宣言」を出す文字通りの「軍事独裁国家」なのです)
『アブグレイブ:ブッシュ政権中枢第一級の国家戦争犯罪――「対テロ戦争」=先制攻撃戦略に組み込まれた組織的虐待・拷問・虐殺システム――』


(3) 「アブグレイブ」は過去の問題ではない−−私たちは声を大にして強調したいと思います。報道されなくなっただけで、実際には全く逆です。来年1月の新たな傀儡政権づくりの似非選挙を強行するために反米・反占領レジスタンスの一網打尽を狙っているからです。米軍による拷問・虐待・虐殺は、間違いなくますますひどくなっているはずです。現に今回のファルージャ攻撃では、前代未聞の大量虐殺が行われ、廃墟となった市内では残忍な掃討作戦が繰り広げられています。更に大量の拘束者が出ており、彼ら拘束者はおそらく想像を絶する拷問と虐待、あるいは虐殺をされています。


(4) ブッシュ再選で、「アブグレイブ拷問」の継続とエスカレーションは現実のものになりました。私たちが上述した新刊パンフ『アブグレイブ:ブッシュ政権中枢の第一級の国家戦争犯罪』で明らかにしたのは、それがブッシュ政権の「対テロ戦争」に固有な軍事戦略の不可欠の一環になっているということです。一部の兵士が遊び半分に趣味でやったのではありません。末端兵士の個人の責任に転嫁するなど許せないことです。
 国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルも10月27日、「米国は2001年9月11日の対米同時テロ以後『対テロ戦争』に踏み切って以来、拷問や非人道行為を防止していない」と主張し、「対テロ戦争」と拷問・虐待の構造的・戦略的な結び付きを指摘した200ページに及ぶ詳細な報告を発表しました。
※アムネスティ、対テロ戦争で拷問など防止していないと米国非難(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041028-00000842-reu-int
※「Amnesty: No Change in US Torture Policy」by Jim Lobe October 28, 2004
http://www.antiwar.com/lobe/?articleid=3865
※報告書本文「UNITED STATES OF AMERICA Human dignity denied Torture and accountability in the ‘war on terror’」 http://web.amnesty.org/library/Index/ENGAMR511452004

 それだけではありません。つい最近ブッシュは、アシュクロフト司法長官が辞任した後任に、何と私たちが「アブグレイブ」と「グアンタナモ」の拷問政策について、ブッシュ大統領の法律顧問としてそれを正当化しゴーサインを出したゴンザレスという超右翼的な人物を指名したのです。彼が議会で承認されるとますます米軍の拷問・虐待・虐殺は歯止めが利かなくなるでしょう。現にブッシュは「ゴンザレス氏は対テロ政策を私と一緒につくり、米国民の権利と安全を守った」とそのタカ派的能力を高く評価したと言います。「アブグレイブ」「グアンタナモ」の“ご褒美”という訳です。
※ゴンザレスの犯罪的役割は新刊『アブグレイブ:ブッシュ政権中枢の第一級の国家戦争犯罪』の第U部「責任問題編」に詳しく論じた。
※「米司法長官 ゴンザレス氏を指名 大統領 ヒスパニック系から初」(西日本新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041111-00000070-nnp-kyu
 この記事でも「ゴンザレス氏は対テロ戦争で拘束した「敵性戦闘員」の待遇をめぐり、捕虜の保護を定めたジュネーブ条約を「時代遅れ」として適用しないよう助言したことが今夏、明るみに出た。これが刑務所での虐待事件につながったと指摘する批判もあり、承認手続きでは適格性が厳しく問われそうだ。」とある。

2004年11月20日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




==イラク占領監視センター========
陵辱の材料および手段としての
占領監獄におけるイラク人女性
エマン・アーメド・ハーマス
Iraqi Women in the Occupation Prisons As Material and Means of Violations
by Eman Ahmed Khammas, May 26th, 2004
Iraq Occupation Watch Center
http://www.occupationwatch.org/article.php?id=5057A
※翻訳:アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 http://www.jca.apc.org/stopUSwar/

 イラク人女性が占領軍の監獄内で実際に体験したことを自由に話すには多くの心理的、社会的、そして文化的な障害があることを初めに述べておく必要がある。イラクでは名誉の価値は最も神聖なものだ。それは命そのものの価値よりも重要なのだ。占領軍の監獄から釈放された後でさえイラクの女性が受けた様々な陵辱や虐待について証言したがらない理由がここにある。彼女らはどんなに秘密が守られるとしても、名前や写真や声を明らかにすることを拒否した。

1. 「もう監獄には戻りたくない」−この言葉は、我々が話をした4人の女性と若干の男性拘留者から聞かされた。ある場合には、ある女性拘留者は、我々が彼女の名前を明らかにしないことを約束した後初めて、自分が個人的に体験したことや他の女性拘留者から聞いたことを、何ページにもわたって詳細に証言した。彼女と彼女の兄は監獄で5ヶ月を過ごした。しかし彼女の兄は我々が記事を書くことを拒否した。彼は記事をひっつかみ、びりびりに引き裂いた。「私は彼女にあそこに戻って欲しくないし私も戻りたくない。家族で残った男は私だけだ。兄はイランとの戦争で殺された。母は体が麻痺している。私には未婚の妹が2人いる。養うべき妻と子供達もいる。」彼は激しく怒り狂った。それから彼は、釈放される前にサインしなければならなかった文書を見せてくれた。その文書には、彼がバース党員ならば党に戻ってはならないとし、バース党や似たような主義の政党で彼に接触してきた人物について全て知らせることと書いてあった。その文書は、レジスタンスで活動したり関係している人物について全て知らせ、家から10km以上遠くへ行ってはならないことも要求していた。さもなければ彼は釈放されなかった。彼はどんな移住も、イラク国外へ移動する場合も占領当局に知らせなければならない。もちろん、拘留者がこれらの点のどれかでも従わなければ、再び逮捕される。

2.イラク社会と家族の中では名誉の価値を重んじるため、女性も男性も拘留者はセクシャル・ハラスメントについて公然と話したがらない。女性だろうと男性だろうと、家族の名誉を傷つけるくらいなら死ぬほうを選ぶだろう。女性が性的虐待を受けることは家族にとって恥である。私がバグダッドにあるルサファ大規模監獄で会った女性は、私と話をするのを拒んだ。彼女は断食をし、コーランを読み、祈りを奉げて過ごしていた。彼女は泣き始めた。それから彼女は、「家族が私の身に起きたことを知ったら私は殺されるだろう。」と言った。我々は後になってたくさんのイラク軍兵士が彼女をレイプしたことを知った。彼女は我々に家族に宛てた手紙を託した。彼女は、「私は殺されてもかまわない。しかしその前に、侵略者と占領者が私に何をしたか全世界に知らせ、私のやり方で身の潔白を表明したい。」と言った。

3. 多くの拘留者がメディア、事実を掘り起こそうとする団体や人権組織を信頼しなくなった。拘留者はこれらの外来者は米情報機関のために活動しているのだと思っている。ある拘留者は、イラク国外に出なければ話をしない・・・、国外でなら全てを話すと言った。

4.証言を公表することに利益を見出さない拘留者もいる。彼らはそれを政治的あるいはメディアの取引行為と理解している。彼らは軍事占領による、あらゆる陵辱の後では、自らの尊厳を回復したり、イラクで再び物事を元通りにすることはできないと思っている。我々が会った人たちの中で、身内の女性がちょうど釈放されたばかりの一人は、「彼女は話したがらないし、私も彼女に話してほしくない。あなたがたはイラクをどうしようとしているのか、どうやって助けようとしているのか。イラクを失ってからは彼女など重要ではない。姿を消すなり死ぬなりさせなさい。」と言った。アムネスティ・インターナショナルの代表者がその話の間、我々と一緒にいた。彼女は我々が最近釈放された別の女性拘留者を探している間、我々に同行していた。我々は家々を訪ねまわった。彼女は身を隠していて、後に我々は、彼女が傷つけられるのを怖れて親戚の家に子供を隠していたことを知った。

証言

「国際占領監視センター(International Occupation Watch Center)」は2003年12月19日に既にルサファ監獄を訪れていた。米当局が予防収容者と呼ぶ13人の女性がいて、バース党員であるとか、レジスタンスと何らかの関係があるとか、家に武器を持っていたとかの情報により逮捕された政治囚と説明されている。多くの場合に、密告者の動機は個人的な恨みや、米当局から報奨金をもらうことでありうる。ある拘留者は、密告者の99%は嘘つきだと捜査官に話した。彼らは単なる報奨金目当てだと。捜査官は、お尋ね者が見つかるのは100件のうち1つだということを、我々は知っていると答えた。その拘留者が、しかし99人の無実の者はどうしたかと尋ねたとき、その捜査官は「これはゲームだ。」と答えた。
13人の女性の逮捕理由は次のとおりだった:

1.政治的または宗教的信条、主に、たとえばファルージャにいるようなバース党員やイスラム教徒。

2.混乱した告発
a.レジスタンスへの資金提供
b.レジスタンス
c.占領に反対する集会
d.過去の政権の高官につながる家族 ―― 母や娘、あるいは元バース党員や占領当局に指名手配されているレジスタンスと何らかの関係があるもの

 女性を人質として逮捕し、彼女らを使って男性に圧力を加えるのは、イラク社会で最高のものである名誉の価値に対する冒涜である。占領軍にとって女性と彼女らの知性は一つの手段、冒涜の手段となった。ブッシュが国際社会に対して、米国は、任務の一部としてイラク人女性を解放するためにイラクを占領したと演説していることとは相容れない。選挙キャンペーンの中でブッシュは、女性に対するどのような差別にも反対すると公約した。例えば、妊娠している女性を殴るのは、女性と胎児の権利の侵害だと考えられると。アブグレイブの目撃者によると、占領監獄の中で子供を産んだ女性たちがいた。彼女らは妊娠中に逮捕されたのだ。キルクーク郊外で逮捕されたある女性は、ちょうど18日前に出産したばかりの息子に乳をやっていたところだった。米兵は赤ん坊を祖母に投げつけ、乳が衣服を流れている状態で彼女を逮捕した。

3.悪意のある密告者。例えばある女性は、精神分裂病にかかった妹が、彼女と夫と息子を密告したため、拘束された。

占領下、1月にOWCが出版した月刊紙には、ルサファ監獄のこれら13人の女性のことが掲載された。OWCはその他のどの監獄にも入ることができなかった。特に、アブグレイブではそうだった。その理由は、占領当局が、OWCや人権組織、または法に関する組織に対して、弁護士に委任状を与える権利を持っていない男女の拘留者について質問することを許さなかったからである。国籍がどうであれ、誰もこれらの事例を法的に訴えることはできない。これは、イラクの米軍の監獄に責任を負うチャンク・ライアン大佐が、2003年の12月にOWCに対して語ったことである。

何人かの女性拘留者は釈放された。しかし占領当局は、女性たちを拘束し続けた。事実、アブグレイブでは(その数は)増大した。拘束は、ファルージャ近辺の村々で行われた。家屋への襲撃が続き、すべての年齢層の女性たちが拘束された。男性拘留者は我々に、80歳を越える老年の女性がアブグレイブで杖をついて歩いているのを、自分の目で目撃したと語った。OWCは12歳の少女と面会し、詳細に記録した。彼女は12月、空港の監獄に、2人の姉(19歳と21歳)、母親(50歳以上)とともに拘束された。

OWCは5人の女性と多くの男性拘留者に面会した。その多くが、公の場で語ることを拒否した。何人かは匿名を条件に語ってくれた。彼らは、占領当局によって察知される恐れから、拘束あるいは釈放された日時、場所の詳細には触れないよう要求した。

証人Aは、イラク国外でなら公然と進んで証言すると言った。彼女はまた、我々にも進んで話をした。Aは5ヶ月間拘束された。2003年9月のある日、米軍の装甲車、戦車、ハンマー(多目的軍事車両)が、彼女の住む地区を包囲した。道路は閉鎖され、彼女の家も襲撃された。重武装した数十人の兵士が、激しい戦闘中であるかのように家に侵入してきた。

何の用かと尋ねても、彼らは何も答えなかった。女性たちを一カ所に集め、男性たちを連れ去っていった。彼らは私の名を聞いた。私が答えると、通訳は私の腕を掴み、これが政治的標的だと叫んだ。その他の兵士たちが家を捜索した。彼らは私の本、私の博士論文、私のCD、私のコンピューターを取りあげた。彼らは、何点か質問するために2、3時間ほど私を連行すると告げた。すぐに終わる取り調べだと彼らは言った。彼らは親類の1人、外交官であった隣人の1人を拘束した。それは彼らが同じ地域出身だったというだけの理由からである。彼らが私を拘束したのは、私の部族が理由であることがわかった。その他のいかなる理由でもなかった。

急襲と拘束は、外国の新聞のインタビューを受けた後に起こった。その場で私は、サダム政権下においてさえ認められていたNGOへの参加など、イラク人の人権について語った。私は、自分の拘束がこのインタビューに関連したものだと考えている。彼らは私を、バグダット北部の(…)の、まだ工事中の場所に連れて行った。彼らはそれをオフィスにしていた。日は暮れかかっていた。私は目隠しされた。私は、後に未完成の家だと知った場所に入った。彼らは私を、「洞窟」と呼ぶ部屋に入れた。窓はレンガで、扉は金属製の板で閉じられていた。私は手で、その部屋の状況を探ろうとした。マットレスのない鉄製のベッドが3台あった。私はそのうちの1つに座った。部屋の中から何か物音が聞こえた。私はぞっとした。それが蛇だと思ったのだ。何かが私の脚に噛み付いた。痛かった。ネズミだとわかった。私は足を引き、ベットの上で脚を組んだ。それは、ばねが付いているにも関わらず心地の良いものではなかった。私はコーランの1文を唱え始めた。私は、体の悪い母親と姉妹たちのことを心配した。しかし一番心配なのは(拘束された)親類のことだった。

長時間が経過し、私は、取り調べをどこでするのか尋ねた。私は、彼らが1時間もかからないと言ったのを本当だと思っていた。私は、施設の職員のことを尋ねた。声が返ってきた。「黙れ」。私は再び試みた。今度はトイレに行きたいことを伝えた。兵士は、完成したトイレに私を連れていった。この家は骨組みだけだった。私は深いため息をついた。誰かが私を、暗い洞窟のような部屋に引き戻した。私は、ベッドの上に置くものを求めて、床を探した。鉄製のベッドは、座るにはあまりにも熱かった。私は厚い紙箱を1個見つけた。それを広げ、ベッドの上に敷いた。私は再び取り調べのことを尋ねた。閉じられた扉を通して、返答があった。(後で、後で)。私はベッドで祈りを捧げた。寝ようとした。壁の小さな穴から光がちらついているのが見えた。夜明けだった。物音に耳を傾けた。くずと食べ残しと空になったジュースの缶で一杯になった箱があることが分かった。ネズミがその中で(食べ物を)あさっていた。昨日その中の1匹が私に噛み付いたのだ。

彼らは私に、ビン1本の水と1枚のクッキーを渡した。それが、その日私が口にしたすべてであった。非常に暑くて、私は1日中汗をかき、もっと水が欲しかった。午後、強く扉が開けられた。1人の女性が連行されてきた。彼女は、恐怖と暗闇、そしてネズミにヒステリックに叫び声を上げていた。しかし、彼女にとって最も恐ろしいことは、監獄を出てから身にふりかかってきた。後に彼女が私に語ったところでは、精神分裂病の妹が、家に武器を隠していると、彼女と夫と息子に不利な虚偽の情報を提供したのだ。武器は発見されなかったが、全員が捕らえられた。その女性は数ヶ月間にわたって拘束された。現在も私は、彼女が釈放されたのか、それとも正気でない女性の誤った情報のためにいまだ監獄にいるのか、分からない。

空港の監獄では、彼らは私たちの衣服を取り去り別のものをよこした。彼らは私たちを検査し、持ち物すべてを取り上げた。彼らは私を取り調べに呼んだ。軍か情報局の職員が、私の名前、宗教、党派、仕事、関心事などを尋ねた。市民社会における女性の労働に関する私の考えについて議論することに、彼は興味があったようだ。彼は私の論理が気に入り、教養のある女性と話ができたと言った。私はうれしかった。私は自分が、すぐにでも釈放されるものと思った。しかし、そうではなかった。彼らは、私が拘束されている間にいた場所が、空港の監獄内にあることを明かした。

テントの中には、私たち20人の女性がいた。その中の10人が政治的な理由から拘束されていた。(彼女は名前を告げた。我々は、彼女たちの何人かについて、今どこにいるのかは分からない。)その他の人々は、異なる容疑だった。

女性のテントは男性のテントに面していた。我々はそれを見ることができた。木で作られたトイレがあった。それは地面まで届いていない。実際、地面とトイレの木製の壁との間が、少なくとも50センチ空いている。用を足しに行ったら、脚や足を見られるだろう。これは非常に厄介で、我々の宗教に反することだった。ある朝、年を取った非常に尊敬されている女性拘留者(S)が風呂に入っていた時、多くの男性兵士を伴った女性兵士が彼女を呼んだ。(S)は濡れた体に服を来て、髪を結び、呼ばれた庭へ走った。女性兵士は、あなたを調べたいと言った。彼女は拘留者服以外は何も身につけていなかったので、それは奇妙な命令だった。我々は、彼らが彼女を辱めようとしていることを悟った。彼女は2人の兵士の間に置かれ、腕は垂直に伸ばされ、脚は可能な限り広げられた。女性兵士は、彼女の(調査)を始めた。女性兵士は、彼女を締めつけ、体の一部を押し、髪をほどき、強く引っ張り、それをひどく調べた。それから、彼女の股間を殴った。女性兵士は、これを4回、毎回初めから繰り返した。我々はその時までに、女性兵士が男性拘留者の前で女性を辱めていると、確信した。メッセージは明らかだった。お前たちの女は我々の手の中にある、自白しろ、さもなくば‥‥。

Aは、別の拘留者、前大統領府職員の妻ウム・タイ(Um Tai)について語った。彼女は、夫に出頭を強いるための人質として逮捕された。彼女は60歳を越えており、肝臓と腎臓の病気で苦しんでいた。彼女の夫は、戦争の何年も前に退職していた。彼女は、独房に監禁された。彼女のテントは、マットレス1枚の大きさだった。彼女は、2日間トイレに行くことを許されなかった。彼女は2日間、水も食べ物もなしで放置された。彼女は、部屋のマットレスの隅をトイレとして使うしかなかった。

ウム・タイは、男性拘留者がアブグレイブで拷問される様子について話した。彼女は言った。彼らは裸の拘留者を連れて来る。目隠しされ、棒に縛られ、手脚は十字架に架けられたように延ばされている。彼らは、拘留者を拷問し始める。彼らは、拘留者の体の特に傷つきやすい部分を打つ。彼らは軍用犬で拘留者たちを脅す。ある時、犬が本当に拘留者のももに噛み付いた。その人は気絶した。別の時には、彼らは、裸の人に氷ブロックの上に横たわることを強い、何人かは心臓発作を起こした。

Aはまた、指導部の前メンバー、タハ・ヤシン・ラマダン(Taha Yassin Ramadan)の4人の姉妹について語った。彼女らは残酷に拷問された。Aと誰もが、彼女らの叫びがその場にあふれるのを聞いた。彼らは軍用犬に彼女らを襲わせる。一番下の妹はヒステリーになった。彼女は、タハがいそうな場所を、数多くほのめかした。彼女らは、兄弟がどこにいるか知らなかった。

Aとの会見は約4時間かかった。彼女は、自分の身元についてのいかなる情報も教えないと主張した。彼女は、自分が移送されたもう1つのバグダッドの刑務所について話した。

3つの異なる種類の女性拘留者のための、3つの部屋がある。56人の女性がいた。部屋は廊下に面していた。非常に寒かった。冷たいすきま風が、寒さを一層ひどくする。屋根の近くに窓があったが、ガラスはなかった。胃、結腸、下痢、呼吸器、風邪、耳の伝染病といった病気が我々を苦しめる。私たちは冷たい風呂に入らなければならず、湯はなかった。温水器は、修理されても、過負荷のためすぐにまた壊れた。湯があったとしても、拘留者全員が体と服を洗うには足りなかった。水はしばらくして止められた。私たちは、洗濯物を乾かすために、ベッドの上に置かなければならなかった。食事は悪く、1日2食だった。1食目は、正午に、一握りの米といくらかのスープ、豆、レンズマメかナスだった。それは非常に質が悪く、脂ぎっていたので、私たちは下痢になった。

部屋には他に誰もいなかったが、Aは私の耳に何かをささやいた。1人の拘留者は、イラク人の警官によって17回レイプされた。米軍はそれを承知していた。私たちは、彼女が誰なのか、なぜ拘束されたのか知らない。彼女は健康ではなく、押し黙っており、終始嘔吐していた。彼女は連れて行かれた。私たちは彼女について何も知らない。

Aは今、何もしないで家におり、全く外出しない。彼女は、自分の人生は終わった、何をしても無駄だ、と思っている。彼女は、これがグローバリゼーションだと言った。それは、私たちの頼りとするもの、土地、2つの川と一緒に、私たちの価値観、信仰をすべて取り上げる。(我々は、他の女性拘留者から、また男性からも、イラク人警官によるセクシュアル・ハラスメントの話を聞いた。男性の拘留者のうちの1人は、屈辱的なやり方で打たれたイラク人女性3人の名前を、我々に教えた。彼女らは、脚を上げて仰向けに横たわらされ、足を打たれた。)

頭の傷跡

Aは我々にBの住所を教えた。Bは拘留者仲間だった。彼女は、法学の学位を持っており、詩を書く。彼女は、世界中のすべての人々が自分の話を聞いてくれることを望むと言った。アムネスティ・インターナショナルの代表ジハン・アルアレイリ(Jihan Al'alaily)が、彼女を尋ねるために我々に同行した。彼女を見つけるのは非常に難しかった。教えられたすべての住所で、我々は憤りをもって対応され、助けてもらえなかった。我々がようやく彼女に会った時、彼女はAを知っており、彼女を愛しており、実際にAについての詩を書いた、と言った。彼女は、Aが尊敬すべき、忍耐強い女性だと言った。Bは、イラクの外でなら、喜んですべてを話すと言った。「ここでは、私は一言もしゃべらない。」それから、彼女は頭を下げ、髪を開いて(見て)と言った。まだ治っていない大きな傷があった。その場所に髪の毛はなかった。彼女は怒っていた。「金は盗まれた。今は家族もバラバラ。私は、子供たちと自分自身のことが心配だ。子供たちはそれぞれ別の場所に行かせた。」我々は、彼女の身元を明かすつもりはないと約束しなければならなかった。彼女は、翌日我々にすべてを話すと約束した。我々が去る前、彼女は言った。「彼らは私に、人間の排泄物とガソリンで満たされたつぼをかき回させた。乾くまで、興奮してかき回し続けなければならなかった。そのためアレルギーになった。長い間食べることができなかった。今でも思い出すといつも、気分が悪くなり、吐きたくなる。27日間手錠をかけられた。これ以上私に何を言ってほしいのか。」

翌日、彼女は我々との約束の場所に来なかった。彼女は我々から逃げ続けた。彼女を知っている人は「彼女を放っておいてくれ。彼女は恐れ、家族のことを心配している」と言った。

1人の友人が我々を親族の家に連れていった。彼は、ある女性(C)が釈放されたばかりであると語った。アムネスティ・インターナショナルの代表者は、我々と一緒だった。Cの身内の1人が、入り口で我々を出迎えた。彼は、彼女が我々と面会できないと詫びた。我々は、彼女の身元につながるいかなる情報も明らかにしないこと、そして彼女の証言が拘束されている他の女性たちを救うのに大変重要であることを彼に納得してもらおうと試みた。彼は協力を約束し中に入った。戻ってきた時、彼はさらに意固地になっていた。彼は、「イラクのすべてが消え失せたんだ。この女にどんなに重要性があるというのか。私たちを放っておいてくれ。」と言った。

イラク警察は、パレスチナ生まれのDを逮捕した。明白な理由がないにもかかわらず彼女は、殴られ、拷問され、折檻された。彼女は破れた衣服で家に戻ってきた、そして激しく拷問されるもう1人の女性の叫び声を聞いたと、彼女の兄は語った。彼女は、その女性が「イラク女性総連(General Federation of Iraqi women)」の秘書として働いていることを知っていた。我々は、総連の事務次長をつとめるイフティカル・アルサマライ(Iftikhar Alsamara'I)さんが逮捕されたことは既に知っていた(彼女は釈放された)。戦争後、イフティカルさん自身が直接米軍を訪れたのだから、これは非常に奇妙な事である。彼女は自己紹介し、彼女の身元に関しすべてを彼らに語った。彼らは彼女に言った。「NGOの女性に用はない。帰れ。」しかしそれでもやはり彼女は逮捕された。我々はDとの面会を求めたが、彼女の兄は拒絶した。イラク人警官が彼女を逮捕し、米軍が釈放した。彼女が1948年以来住んでいたイラクを離れたことを、後に聞いた。

拘留者Eの妹は、助けを求めて我々の所へ訪ねてきた。Eは自宅で、娘、娘婿、訪問客とともに拘束された。訪問客はその4日後に釈放された。娘も9日後に釈放された。しかしEと娘婿は、いまだに拘束されたままである。Eはバース党員であった。我々は元拘留者から、彼女が取り調べの間殴られ、レジスタンスを助けたと責められたとの情報を得た。Eの娘が我々に語ったところでは、彼女は取り調べを受け、無実であることが明らかになった後で、監獄の責任者から呼ばれた。彼女の監房から責任者の部屋に行く途中、通訳が彼女に言った。「この監獄の管理者に会いに行くんだ。彼は、監獄の中はどうだったか尋ねるだろう。拷問を受けたかどうかなどを。もしあなたの返事が否定的だったら監房に戻される。あなたは釈放されない。すべて適切だったと答えれば釈放されるだろう。」当然のこと、彼女は、監獄の中はすべて素晴らしいものだったと述べた。彼女はまた、占領当局に協力し、何かを聞いたり知ったりした時には彼らに通報するという書面に署名しなければならなかった。Eはいまだに拘留されている。

男性拘留者の証言

OWCのある支持者には1人の息子があり、その息子は米軍の通訳として働いていて拘束された。彼女は、拘留者の一団が釈放された時、アブグレイブの門で待っていた。拘留者の1人は、「申し訳ないが、彼のことは知らない」と言ったが、「監獄の中では、大変恐ろしいことが行われている」と告げて彼女を驚かせた。「数日前に」と彼は付け加えた。「米軍は男性たちのテントの前に裸の女性を連れてきた。それから米軍はテントの1つに彼女を放り込んだ。拘留者の1人が毛布を投げて彼女に掛けてやった。」

イラク人たちは、おそらくアブグレイブの女性拘留者によって書かれたと思われる手紙を読んだ。OWCは、米国の女性組織に対してこの手紙のコピーをEメールで送った。手紙は、勇敢で誠実なイラク人はアブグレイブ監獄を爆破することで、自らの名誉を清めるべきであると要求していた。なぜなら恥ずべき事態が内部で続いており、そこにいる女性拘留者は様々な方法で性的虐待を受け続けているからである、と。ノア(Noor)と呼ばれる女性が、手紙に署名していた。

この手紙は不審な反応を引き起こした。多くの者は、これは偽物だ、イラクの人々を焚き付けようとしていると述べた。しかし、女性拘留者への性的虐待について多くのことが語られていた。最近釈放された男性拘留者Fは、匿名を条件に女性拘留者に関する情報を話すことに同意した。女性の虐待についてFが我々に語った話は、二重の虐待の典型である。彼は次のように語った。「トラックが通り過ぎた時、私たちはテントの外に出て暖かい日の下で座っていた。トラックには3人の女性がいた。1人の仲間が、頭を垂れてテントに戻ってきた。私は彼に、女性拘留者を見るなんて、悲しいことだと話した。彼は、今見た女性たちが母親と妹であることを告げた。彼は、3人目を確認することはできなかった。」

Fは、破れた衣服で、ほとんど裸のような30歳代の女性を米軍兵士が連れて行くのを目撃したことを思い出す。彼女が体の見えている部分を隠そうとしていた手は縛られていた。1人の拘留者が彼の衣服を脱ぎ、女性に投げた。「私たちはひどく誇りを傷つけられた気持ちだった。あるいは彼女が受けた以上に。私たちには、頭を垂れることしかできないのだから。」

「私のテントの中には、35歳ぐらいの若者がいた」とFは語る。「彼は礼儀正しく、ハンサムで、宗教心も厚かった。ある日、奴らが彼を尋問のために呼び寄せた。彼は何日も現れなかった。戻ってきたときには、別人になっていた。彼が私たちに言うには、ある米軍の女性兵士が彼が彼女の曰くハンサムであることに気が付き、彼に男を求めた。彼女は自分の衣服を脱ぎ、彼と寝ようとした。彼は拒否した。彼女は彼を目隠しし、彼の敏感な部分から裸にし、どこかに連れて行った。彼女は彼をどこかに連れ回した。彼女は彼を50メートルほど引いて歩き、彼の目隠しを外した。彼は、多くの女性拘留者が同じように裸のままにされている女性用監獄の真ん中にいることに気づいた。彼は、うなだれている高齢の女性を見た。女性兵士は彼に、この場所にはカメラが設置されていることを告げた。彼はこの状況に、17日間も放置された。」

拘留者Fは、イラクを離れるすべての米兵たちが、私たちに屈辱をあたえにやってきた証拠であるビデオや写真を持っていないか検査されるべきだと要求した。

2004年の2月に釈放された別の拘留者は、彼の名前や彼の拘束についての一切の詳細を語ることを再び拒否した。彼がアブグレイブに到着するまで、いろいろな場所に連れ回された。「米軍兵士は、私を地面に押し倒し、首にブーツを押しつけ、頭を引っ張り上げた。彼は私の頭に被せられたフードを取り去り、よく見るように命令した。私はトラックの中の2人の女性に気づいた。彼女たちは、母と娘のようだった。ひどい雨だった。娘は裸足だった。その夜、私は泣いた。私は拘留者だった。私は縛られ、自分の国の女性を守ることもできなかったのだ」。

この男性は語った。「尋問の最中、米軍兵士は私に、私の幼年期のことを尋ね、性的な虐待を受けるか、動物とセックスするかと聞いてきた。それから彼は、彼についてどう思うかと質問し、そして目を見るように求めた。私はイスラム教徒であること、私は祈り断食すること、私は祖父であり、孫娘のこと以外には関心がないことを彼に話した。彼は私をからかった。そして私の妻が美しいかどうかを尋ねた。そして地面につばを吐き、部屋を出た。」

他の監獄では、髭をたくわえた65歳の男性は私に、同じような質問を受けたことことを語った。その時、担当者は彼の妻と娘をこの監獄に連れてくると言った。老人はこの担当者に唾を吐きかけた。その後、彼はずっと泣き続け、祈り続け、何も言わなかった。

ずっと南に離れたウムカスル拘留施設で67日間過ごしたある拘留者は、子供、青少年、女性用の3つのテントがあったことを語った。彼は、12歳の少女が尋問を受けているのを目撃したとき、ひどく殴られたことを語った。彼は怒り狂い、「これがアメリカが約束した自由なのか?」と叫んだ。米軍の人権担当者は、「自由はアメリカ人のためにあるのだ。イラク人のためではない。」と答えた。

これまでのすべての話、またその他の多くの話から、女性が陵辱の材料かつ手段として利用されてきたことは明らかである。彼女たちは、男性に対立させて利用されている。東洋的、アラブ的、あるいはイスラム的な意味での名誉の価値を利用することは、この種の虐待がイラク社会の心理的、文化的構造の上に築かれていることを意味している。彼らは、イラク人自身のイラク人観、社会における女性観、女性自身の女性観を破壊するつもりである。