シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その8 |
新たな局面に入る「キャンプ・ケーシー」の闘い |
−−全米バスツアーから、9月24日ワシントン反戦大行動へ−− |
(1) シーハンさんは、8月24日にブッシュの地元の保養地クロフォードに戻り、再び、ブッシュ大統領と面会を求めて座り込みを始めた。母親の病気を見舞うために現地を離れて約一週間、闘いの火は下火になるどころかその間に大きく燃え広がり、さらに先鋭化し始めた。クロフォード現地ではブッシュの支持者たちがデモを行い、シーハンさんらとその支持者たちは、厳しい緊張の中で闘いを継続している。現地ではシーハンさんの闘いを伝えるラジオ局が開設され、支援者たちが続々と訪れている。
*Cindy Sheehan returns to Texas war
protest
after weeklong absence
http://www.abcactionnews.com/stories/2005/08/050825sheehan.shtml
*Bush Supporters, Activists Clash
in Calif.
http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20050824/ap_on_re_us/peace_mom_33
*Bush supporters in California start
caravan
to counter Sheehan war protest
http://www.signonsandiego.com/news/state/20050822-1811-peacemom.html
(2) シーハンさんは、クロフォードでの座り込みを8月31日に終了し、平和のためのバスツアーを開始するという新しい闘いの計画を発表した。全米を回り、各地でキャンペーンを行う。そして9月24日ワシントンに到着し、24時間の反戦行動を敢行する。9月24日は言うまでもなく、米の平和団体であるUFPJとANSWERによって大規模な反戦行動が準備されている日であり、ワシントンはその最大の結集点である。クロフォードで始まったシーハンさんら行動は、直接アメリカの反戦行動の最大の集中点と結びつくことになった。
*Cindy Sheehan Planning Anti-War Bus
Tour
http://www.usatoday.com/news/nation/2005-08-25-peace-mom-tour_x.htm
*Bush ranch protesters plan road trip
to
Washington
http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/nm/20050825/ts_nm/iraq_usa_protest_dc_1
(3) シーハンさんが座り込みをし、面会を求めているブッシュはすでにクロフォードにはいない。ブッシュは休暇を返上して全国行脚をはじめた。保養地の平穏を乱され、追及に耐えきれなくなって、逃げ出したのだ。そして全米で、自己弁護の演説をする羽目になったのである。ブッシュは、そこでシーハンさんを批判している、「彼女の言葉は遺族を代表していない」と。そして演説会に、派兵された米兵の母親を参加させ、“支持された戦争”を演出している。しかし、ブッシュが訪れる各地で抗議デモが起こっている。この各地での運動は、まさに、シーハンさんが「キャンプ・ケーシーの支流(branch)」と名付けたものである。シーハンさんがテキサス州で座り込みをしたことが全米に反戦、イラク撤退の声に火をつけると同時に、逃亡したブッシュ自身が怒りの火をつけて回っているのである。
*Bush says Cindy Sheehan's views don't
represent
most military families
http://www.kcchronicle.com/MainSection/317510684715224.php
(4) 以下ではシーハンさんの肉声を伝える二つの記事を紹介したい。8月13日のインタビュー記事と8月20日のシーハンさん自身が投稿した記事である。いずれもシーハンさんがこの闘いで、右翼やメディアから、あるいは親族による反対表明などすさまじい攻撃にさらされている実状を伝えるとともに、シーハンさんがそれらに力強く反論しながら、このような闘いを組織するに至った経緯や、巨大な広がりをみせている運動に関するシーハンさん自身の考えを表明したものである。
特に8月20日の記事は、シーハンさんが母親の急病のためクロフォードの現場を離れざるを得無くなった後に書かれているが、それが逆にシーハンさんに、自分の運動全体を冷静に見る機会を与え、その意義を彼女自身再確認することになった事情を明らかにしている。
(5) シーハンさんの闘いの根底には、ブッシュに対する徹底した不信がある。そしてイラク戦争の犠牲者やその遺族を愚弄した態度が、シーハンさんを行動に駆り立てたことがわかる。ブッシュはウソと知りながらウソをつき戦争を開始した。しかし、それはダウニング・ストリート・メモなどによって暴露された。サダム・フセインの大量破壊兵器の保有も、アルカイダとのつながりも真っ赤なウソだった。今やブッシュは「愛国的なレトリック」で戦争支持をあおっているのである。
ブッシュ政権による、とんでもない死者の冒涜がまた一つ明らかにされた。アーリントン墓地の、イラク戦争とアフガニスタン戦争で犠牲になった米軍兵士の墓に、ペンタゴンのスローガンが書かれているというのである。これまでの墓石には、氏名や階級、死亡年月日、死亡した地名などだけが書かれていた。しかし、イラク・アフガニスタン戦争では、遺族に無断で「イラクの自由作戦」など軍事作戦名が付け加えられ、イラクを解放するために死んだかのように、墓石を戦争正当化のための手段として利用し始めたのである。
*Troops' Gravestones Have Pentagon
Slogans
http://www.commondreams.org/headlines05/0824-07.htm
(6) シーハンさんはこの闘いの爆発的広がりを「キャンプ・ケーシーの奇跡」と呼んでいる。
「戦争を支持する者は前線に行って、不本意にイラクに派兵されている若者と交代せよ、戦争に反対する者は、立ち上がって声を挙げよ」−−この二つに一つの選択を米国民一人一人に迫ること、これこそが自分の闘いの核心であると述べている。最愛の息子をイラク戦争で失った一人の勇気ある母親が、米国民の中にまだ残っている漠然としたブッシュ支持、イラク戦争支持の保守的な風潮、メディアを含めた翼賛体制と無責任に対して、その全体としての曖昧な態度に、鬼気迫る姿勢でもって二者択一の選択を迫っているのである。
戦死者家族たちが、戦争支持、不支持を問わず自らの意見を自由に言う雰囲気が作り出されている。そしてそれは現時点では、シーハンの側にいるかどうかという問いかけとなって、突きつけられている。かつて無かったことである。そして「キャンプ・ケーシー」の闘いが始まり反戦運動が活性化するとともに、帰還兵らの戦争支持の活動やブッシュ支持の活動も対抗している。27日には、クロフォード現地で、シーハンを支持し戦争に反対する支援者たちと戦争を支持するグループが双方数百人規模で集会を行い対峙した。
*In War Debate, Parents of Fallen
Are United
Only in Grief
http://www.nytimes.com/2005/08/28/national/28parents.html
シーハンさんが火をつけたアメリカの反戦闘争は、ますます、米国内の緊張を高めながら、前進していくだろう。
2005年8月28日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
偽善者とウソつき
シンディ・シーハン
2005年8月20日 |
Hypocrites and Liars by Cindy Sheehan
http://www.commondreams.org/views05/0820-30.htm
メディアは間違っています。報道陣やイベントと私との関係を調整するのを支援するためにキャンプ・ケーシーに来てくれた人々は、私の口に勝手な言葉を置く(私が言いもしないことを私の言ったことにする)ようなことはしていません。彼らは私の口からうまく言葉を取り出してくれています。私は、真実を語る者として、しかもそれを強く語る者として、いつしか知られてきました。私は、常にウソつきをウソつきと呼び、偽善者を偽善者と呼んできました。今、私は、より広い聴衆に訴えるために、もっとソフトな言葉を使うように促されています。キャンプ・ケーシーの私の友人たちは、自分たちがそこにいるのはなぜだと考えているのでしょうか。なぜこのような大きな運動が、2005年8月6日のこのような小さな行動から生じたのでしょうか。
私には、キャンプ・ケーシー現象を分析する時間があまり多くありませんでした。私は、1週間にも満たない間に250ものインタビューに応じたという記事をちょうど読んだところです。たぶんその通りだと思います。私は毎晩、のどを痛めてベッドにはいったものでした。私は、次のような質問に答えることにかなり飽き飽きしてきました。「あなたは大統領に何を言いたいですか」そして「あなたは本当に彼があなたに会ってくれると思っているのですか」というような。しかしながら、私の母親が病気になったことから、私は、いったん一歩後に引いて、テキサス州のクロフォードで私が開けた洪水の門を熟考する機会を得たのです。
私は、私の肖像を描いた芸術家ロバート・シェッタリーによって「リューロック・コム」に今日投稿された記事をちょうど読みました。その記事は、平和を求める退役軍人会の大会で私が語ったことを思い出させてくれました。それは、真実を探求したいという、おそらくかなえられないかもしれないことを求めて私がブッシュの保養地の牧場へ出発する前の夜のことです。私が言ったのは次のことです。
「私は先日一通の電子メールを受け取りました。それはこう言っていました、『シンディ、あなたがあんな罰当たりな言葉を使わなかったらよかったのに。様子見をしている人々で腹立たしい気分になっている人がいるから。』と。
さて、皆さんは私が何と言ったと思われますか。こうです。『あなたに何がわかるっていうの? そんなことクソくらえだわ。一体全体どうしてまだ様子見をして日和見を決め込んでいることができる人がいるの?』
「もしあなたがジョージ・ブッシュ支持で戦争支持の側に立っているのであれば、あなたの重いケツをあげてイラクへ行きなさい。そして帰宅したい人と替わってやりなさい。もし、この戦争とジョージ・ブッシュに反対する側に立っているのであれば、立ち上がって声をあげなさい。」
これがキャンプ・ケーシーの奇跡の核心です。戦争には反対するが、嫌悪感や失望・落胆の気持ちを表現する通路を持っていなかったアメリカ市民が、あらゆることを放り出して、私たちに連帯しようとクロフォードにやってきているのです。私たちは、みじめなテキサス人の8月が続く間ジョージ・ブッシュの牧場の外で座り込むという挙に出たのですが。人々は、テキサスへ来ることができない場合には、抗議のヴィジルに参加し、議員や地方新聞に手紙を書き、自分の町でキャンプ・ケーシーの支部を立ち上げ、キャンプ・ケーシーの私たちのもとへ花、カード、手紙、贈り物および寄付金を送ってくれています。私たちは、支援のすべてに非常に感謝しています。でも私は、平和を支持するアメリカ人は結局、何かができるということを非常にうれしく感じていると思うのです。
私が気づいていなかった、あるいは知るようになった一つのことは、フェンスの向こう側では戦争を支持しジョージ・ブッシュを支持する人々が増加し、帝国主義と飽くなき貪欲のためにジョージ・ブッシュが行なっている戦争を遂行するために入隊しているということです。平和を支持する側では、人々は冷淡な態度をやめ、平和と正義のための戦士であろうとしています。では戦争を支持する人々はどこにいるのでしょうか。キャンプ・ケーシーでは、道路の反対側に、平和に反対して私に「自由はただではない」ということを思い出させてくれる標識を掲げる人々を毎日数人見かけます。しかし、私は、彼らがその自由な口に料金を払っているのを見たことがありません。私は、彼らが自分の血や彼らの子どもたちの肉を犠牲にすることによって、自由に対して自ら進んで小さな頭金を支払うことさえしていないと思います。私は、彼らこそがイラクへ行き、そのことで別の一人の兵士が帰宅できるようにすべきだと、彼らに迫りたいと思います。その兵士というのは恐らく、3度目の任務に就いている兵士、あるいは祖国に立派に献身的に役立った後に重傷を負った兵士で、権力をもった狂った偽善者によって、イラクで人質にとられているのです。この偽善的権力者は、自分自身が直接のリスクを負うことは避けるという歴史的伝統をもっているのです。
主流メディアが考えていることに反して、私は、2週間前のあの焼けつくように暑い日に、テキサスのクロフォードでシンデレラよろしくカボチャトラックからころがり落ちたわけではありません。私は今で一年以上の間、ものを書いており、話をしており、議会の委員会で証言しており、議会でロビー活動をしており、インタビューを行なっています。私は、進歩的な平和コミュニティーにおいてかなりよく知られていましたし、私にはカリフォルニアを去る前でさえとても多くの支持者がいました。私を支援した人々は、私がこの戦争に関する真実を非妥協的に述べることを知っているから支援してくれたのです。私は立ちあがって、言いました:「私の息子は無駄死にしました(My son died for NOTHING.)。ジョージ・ブッシュと彼の邪悪な陰謀団、そして彼らの無謀な政策が、息子を殺したのです。私の息子は、実際には何の根拠も持たない戦争で戦うために派遣されました。そしてそのために殺されました。」私は、「すみません。」とか「ありがとう。」となどと言ったことはありません。私は、ジョージ・ブッシュが使用するような薄っぺらなもの、「愛国的なレトリック」は何も言ったことがありません。私は、私の息子がウソのために死んだと言っています。ジョージ・ブッシュは私たちにウソをつきました。そして、彼はウソをついていることを知っていました。2002年7月23日付けの「ダウニング・ストリート・メモ」は、サダムは大量破壊兵器を持っていないし、アルカイダとのどんなつながりも持っていないということをジョージ・ブッシュが知っていたことを証明しました。私は、彼がウソをついたと確信しています。また、彼は、自分がウソをついていることを知っていたと確信しています。愛国的なレトリックを使ったのでもありませんでした。彼はウソをつき、私たちに、存在しないゴーストを恐れさせたのです。今、彼は、イラクでの米軍の駐留を維持するために愛国的なレトリックを使用しています。貪欲にもとづいた愛国的なレトリック、それ以外の何ものでもない。
今、私は、右翼の連中やいわゆる「公平でバランスのとれた」主流メディアによって中傷され、泥の中を引きずり回されています。彼らは、真実を恐れており、自分たち自身の語るべき真実をもたず、真実を語る誰とも面と向かうことができません。今、彼らはねじ曲げ、こじつけ、うそをつかねばならず、そして私がこれまで言ったことのどんなことでも詳しく調べあげているのです。そのくせ彼らは、ジョージ・ブッシュがこれまで言ったことや現に言っていることを決して詳しく調べようとはしないのです。彼が私に会うつもりがあるかどうかをジョージ・ブッシュやスコッティー・マクレランに尋ねる代わりに、なぜ彼らは、彼らがずっと問い続けるべきであった問いを発しないのでしょう。「なぜ私たちの若い人々は、イラクで戦っており、死に、殺すのか。イラクのもとへ私たちの若い人々を送り出しているこの高尚な理由は何なのか。そこで何を成し遂げることを望んでいるのか。なぜあなたが存在しないことを知っていたのに、大量破壊兵器やアルカイダとの結びつきがあると私たちに語ったのか。なぜ私たちにウソをついたのか。なぜアメリカのひとびとにウソをついたのか。なぜ世界にウソをついたのか。あなたがウソをついたことを私たちがみな知っているというのに、なぜ私たちの国の子どもたちは、いまだに危険な所にいて、毎日死んでいるのか。なぜ、あなたは言い続けているのか、我々は「使命を果たさなければならない」と。あなたは、あの使命が何であるのかについてどんな考えも持っておらず、カウボーイシャツを着替えるのと同じくらい気ままにそれを替えることができることがわかっているのに。
キャンプ・ケーシーは成長し、成功し、あらゆる攻撃や挑戦を切り抜け生き残ってきました。その理由は、アメリカが病んでいるからであり、ウソつきと偽善者に飽き飽きしているからであり、私が最初にあえて問うた厳しい疑問に対する答えを私たちが望んでいるからです。これは、ジョージ・ブッシュの説明責任という重大問題です。そして、彼は、惨めにもそれをできないでいます。ジョージ・ブッシュと彼のアドバイザーたちはマジで私を「過小評価」しました。私を脅迫すれば、私が答えを得る前に、あるいは8月の末を待たずに私を去らせることができるかもしれないと彼らは思ったのです。私は、彼らが私にあるいはキャンプケーシーに投げつけるいっさいのものを受けとめることができます。仮にそのことが1分でも戦争を短くするか、1つでも命を救うとすれば、それはその価値があります。私は、彼らがすべての母親をひどく「過小評価」したと思います。私は、彼らの中に本物の母と子の関係を持っている人がいるのかしらと思います。また、いったん真実を明らかにしたいと思いつめれば熊のようになる母親、自分の子供の不必要で見たところ無意味な死の意味を明らかにしたいと望む母親が、この国にこれほど多いということに彼らは驚いているのかしらと思います。
「キャンプ・ケーシー運動」は死なない。私たちが真実に関する本物の説明を勝ち取るまで。私たちの軍隊が帰ってくるまで。それをジョージ・ブッシュにわからせよう。私たちは立ち去りはしない。
中傷されるシンディー・シーハン
ファーハッド・マンジョー
2005年8月13日 |
Smearing Cindy Sheehan by Farhad Manjoo
http://www.afterdowningstreet.org/?q=node/1600
保守主義者らは、彼女の死んだ息子を利用する左派のカモになっていると彼女を攻撃している。何人かの親類も加わった。しかし、深く悲しみに沈んでいる母親は、自身の時宣にかなったクロフォード訪問が「私のアイデアであり、私の使命であり、私のビジョン」であると語っている。
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8月は、ジョージ.W.ブッシュにとって平穏な月になるはずであった。昨年、大統領は再選キャンペーンのために、彼のいつもの数週間にわたるバケーションを短く切り上げた。そして今年は、何にもわずらわされることなく、うだるような暑さの中を1ヶ月以上、彼のテキサス州クロフォードにある牧場で過ごす予定であった。そこへ、先週、シンディー・シーハンが、すなわち2004年4月にイラクのバグダッドで息子を殺されて悲しんでいる北カリフォルニアの女性が、ブッシュの休暇先の玄関口に姿を見せた。彼女は、ブッシュが自分に会うまでは、立ち去ることを拒否している。それ以来、クロフォードは全く静かではなくなった。
シーハンの抵抗が戦争の裏面を国民意識の真正面に一気に持ち出した、というのは正しい表現ではないだろう。イラクで毎日起こっている新たな惨事だけで、十分その役割を果たしているからだ。しかしシーハンは明確に、ブッシュに一個の人間として、また公人として、彼が行った選択の結果に向きあうよう強いている。また彼女は、レポーターらに注意を払うことも強いている。木曜日、ブッシュはシーハンの抗議に応えるよう求められた。「私はシーハン夫人に同情する」とブッシュが言った。「彼女は、自分の立場を強く感じている。彼女はそもそも、自分が信じることについて話すあらゆる権利を持っている。これがアメリカだ。」しかしブッシュはまた、シーハンのような、米軍がイラクから撤退するよう要求するアメリカ人には同意しない、とも語った。そして彼は、いずれそのうちにシーハンと面会することについて示唆することもなかった。
シーハンは、ブッシュが考えを変えるまで待つ覚悟であると強調している。シーハンは「平和のための戦死者家族の会(Gold
Star Families for Peace)」の設立者である。これはイラクで殺された兵士らの家族による反戦団体である。彼女は、戦争に反対していることについて常に遠慮なく意見を述べてきた。彼女は昨年の選挙中に開かれた多数の集会に参加し、またMoveOn.orgの反ブッシュ広告の中で主役を務めさえしている。彼女の亡くなった息子ケーシーは、24歳の軍専門技術者で、戦場へ到着したちょうど2週間後にロケット弾攻撃で死んだ。彼女はケーシーも自分と同じように感じていたと言う。そしてちょうどケーシーが彼の任務を果たしにイラクへ行ったように、シンディー・シーハンは自分の任務を果たすために、クロフォードで彼女の抗議の態度を示さなければならないと話している。
政治の問題として、シーハンの抗議は飛びぬけて輝いている。ブッシュの主な政治的な強みは、兵士らとその家族を彼が抱擁することである。従って、シーハンに会うことを拒絶すればするほど、無関心であると――そして無情であるとさえ――公衆に受け取られる危険をブッシュは冒している。また、クロフォードの暑くて退屈な場所から本物のニュースの出来事を提供することで、彼女はMoveOnの広告の主役として獲得したよりはるかに多くのメディアの注目を集めている。彼女は多数の紙面で紹介され、ニューヨークタイムズの社説の中に迎え入れられた。それゆえ、彼女は右派から誹謗・中傷も受けている。識者らはシーハンが明らかに矛盾していると指摘した。過去に彼女は、死んだ兵士らに対してブッシュが関心を払っていると信じていると言っており、ケーシーが死んだ後の短い大統領の訪問について温かく語っていたのが、今では彼女は、不誠実で人間的温かみがないと語っていると。今週ずっと、マット・ドラッジは、シーハンの家族のうちのブッシュと戦争を支持している人々による批判を公表して、彼女を激しく攻撃した。彼の番組の火曜日の分においては、フォックステレビの司会者であるビル・オライリーがシーハンの行動を「国家反逆ぎりぎりだ」と言った。
保守主義者らは、シーハンのマイケル・ムーアとの関係(彼女はムーアのウェブサイト上でブログを開いてきた)や、反戦運動グループの「コードピンク」との関係を攻撃した。彼女を左翼に利用されている間抜けとして描写している者もいる。しかし、シーハンは、彼女がクロフォードを訪問するというアイデアは自分で思いついたものであると主張している。金曜午後のサロンとの電話会談では、シーハンは彼女の矛盾について明らかにし、ムーアや他の左派との関係について正当性を主張して論陣を張った。電話の直前、ブッシュらの自動車列が「キャンプ・ケーシー」――シーハンが彼女の息子の思い出をこめて自分が立ち上げた抗議地をそう呼んでいる――を通り過ぎ去った。自動車は速度を落としさえしなかった。
大統領は数分前にあなたのそばを通っていったのですか?
ええ、私は彼が行ったと思います。でも私は彼には会いませんでした。トラックの一団は実際に高速で走り去りました。そのなかに誰かが乗っていました。私には、そのうちの誰かが大統領であったかどうか、確かめられませんでした。あり得るのは、彼が車列のなかにいたということです。
しかし、言うまでもないことですが、彼はあなたと会おうという合図やそれに近いような何かを示さなかったのでしょうか?
ありませんでした。彼らは実際に、私のそばでスピードを上げていきました。それに私は、彼が出てきて私と握手して、ただ、わかったわかったと言うだけなんてことは望んでいません。そうでしょう。それは私が望んでいる面会ではありません。
どういった面会を望んでいるのですか?
私は、彼が実際に言った言葉に責任を持つような面会を望んでいます。
では、あなたは彼と議論したいのですか? それはどういうものでしょうか?
私が聞きたい事は「私の息子はどういった高貴な理由のために死んだのか?」ということです。そこで彼がもし、サダムを追い払うためだったとか、イラクの人々を解放することだったと言うのなら、私はそれを信じません。私は彼に、6200万人のアメリカ人がイラクでの戦争に反対していることを知ってほしい。[インタビュー中に、シーハンは、戦争反対の勢力として、62パーセントという数字と同じ意味で6200万人という数字も使用した。最近の世論調査は、アメリカ人の多数−−複数の調査で60パーセントを越える−−が大統領がイラクでとっている手法について反対していることを示している。]。
昨日の記者会見で、大統領は多くの人々がイラクからの兵員引き揚げを求めていることを認め、また、特にあなたに言及しました。彼が言ったことに対して、あなたの反応はどうですか?
なぜ彼は、ケーシーが何のために死んだかについて言わなかったのでしょう?そして私は彼らに、私の息子の名前を軽々しく使うことについて問い詰めたい。命を落としたヒーローの犠牲に敬意を払うためにイラクでの作戦を続けなければならない、などということを止めさせるために。
ということは、あなたについていえば、あなたが関心を持つ点について昨日彼は演説をしなかったということですね。それでは、あなたは彼と会う事をまだ望んでいますか?彼があなたに会うまで、そこを去るつもりはありませんか?
はい。彼が私に会うことなしに私がここを出て行くことは、8月一杯ないでしょう。私は、10億回くらいはそう言ったと思います。
しかし、現実的に、彼はあなたに会おうとすると思いますか?
ええ、私は何も無理な事は言ってないと思います。でも、お分かりの通り、そうではないのでしょう。
そこの状況を教えてください。
本当に、本当に暑いですが、沢山の人がここにいて、私たちの意気はとても高いです。私たちは正しいことをしていると信じています。私たちの中には4人のメソジスト教徒の牧師と、ボブ・エドガー[キリスト教会全国協議会の書記長]がいます。彼らはやってきて、大統領がそばを運転していった後、祈祷会を行いました。それから明るい黄色の髪の人たちがいます。あらゆる階層の人たちがいます。大変すばらしいことです。
あなたの批判者たちの一人−−右派の批判者−−は、あなたがこれをメディアの見世物にしていると言っています。また私は、人々が、あなたがそこにいることで、息子や他の戦争で死んだ人々の思い出を侮辱しているというのを聞いています。それらにはどのように答えられますか?
はい、私は息子をはじめとして、戦争や憎悪のためではなく、平和と愛のために自らを犠牲として戦争で死んだ人々を尊敬していると自らを信じています。子どもを亡くしたほかの人々について語ることはできませんが、自分の家族と平和のための戦死者家族の会の会員達については語ることができます。私達は、平和のために働くことで、私達の子どもたちを尊敬することになると信じています。そしてこの働きはメディアでの大騒ぎとなりました。でもこれは、私のせいではありません。周知のとおり、私はただ、大統領に会って戦争を止めるためにここに来ただけです。
メディアの注目は−−しかしながら、明らかに、このことはあなたの目的に役立っています。
私はこれがとても目的に役立つと思っています。戦争が新聞の一面から消え去ったのはご存知でしょう。それは主流メディアではとりあげられなくなっていましたが、今回のことはそれをあるべき場所に取り戻させました。嘆き悲しむ母親がクロフォードの外で座らなくてもそうなっていたと思われますか?私はメディアのために、実際のところ彼らの仕事をしているだけです。
あなたの努力が反戦運動をより大きくする一助となると思われますか?
私は、それが平和運動に刺激を与えているものと信じています−−私はこれを「平和運動」と言う方が好きです。そのほうが「反戦」というよりもより前向きな意味を持つからです。私は、アメリカ国民の62パーセントが戦争は誤りで、私達の兵士らを帰還させるべきだと考えていることを知っています。私は、これは人々に発言の機会をあたえているのだと思います。ここテキサスのクロフォードに人々はいろんなものを送ってきて、また国中至るところから訪問しにきています。今回のことは彼らに何かをするための垣根を取り除いているのです。善いことの反対は、悪ではなく無関心である、と評した人がいます。今回のことは、人々になにかする機会を実際に与えたのです。
あなたはずっとイラクでの戦争に反対しています、そうですね?
はい。
あなたの息子さんのことについてもお聞きしたいのですが。彼が戦争をどう思っていたかについて。
ケーシーは戦争に反対していました。彼は、ジョージ・ブッシュが役に立つやり方で兵士らを活用しているとは思っていませんでした。正しいやり方であるとも思っていませんでした。彼がそれは誤りであると知っていましたから、私は彼に行かないよう頼みました。でも彼は言いました。「分かっているだろう、ママ、行かなくちゃならないんだ。僕の義務だから。僕の仲間たちは行くんだから。」
昨年、あなたは大統領に会われました。そのきっかけと、面会での出来事について教えてください。
私達はワシントンのルイス基地の典礼事務所に招待されました。彼らは、大統領は私達とゆっくり話をすることを望んでいる、といいました。それで私達は、その時間を大統領と戦争についての議論には費やさない事にしようと決めたのです。私達は大統領にケーシーを見てほしかったし、ケーシーのことを知ってほしかったし、人間性の不可欠の部分について自覚してほしかったからです。
その会合で、大統領はどのような態度であったか教えてください。
はい。彼は歩いてきて言いました。「それで、われわれがここで敬意を表しなければならないのはだれだい?」彼は私達の名前を知りませんでした。彼は全く無礼でした。彼はその間中ずっと、私のことを「お母さん」と呼んでいました。また彼は、私達に無礼なことをいくつか言いました。
その会合の間、彼は礼儀正しかったと思うとあなたが言ったという報道がありますが。[2004年6月、シーハンは、彼女の故郷のカリフォルニア州ヴァカヴィルの新聞の記者に、彼女はブッシュが「気の毒に思って」おり「私達の喪失に痛みを感じている」ように感じた、と語っている]
会合の終わりになったので、私は言いました。「私たちはここで何をしているのですか、大統領。私たちは2000年、あなたに投票しませんでした。私たちは今回もあなたへ投票するつもりはありません。私たちはずっと、民主党の支持者です。」
すると、彼は「この会合は政治とは関係なしだよ」と言いました。それで、私たちは言いました。わかりました、私たちはこの会合を政治的に利用しないでおきましょう、これを前向きなものであると受け取れるように努力してみましょう、と。しかし、記事全体を読んでもらえば、何にこれが利用されるのかについて私たちが既に心配を抱いていたことをわかっていただけるでしょう。多くのことが全体の脈絡から切り離されているのです。
では、あなたは「私は今、彼がイラク人のための自由を望むことに関して誠実なことを知っている...私は、彼が私たちの喪失を気の毒に思い、痛みを感じていると思っています。」と言いました。あなたは彼が、あなた達の喪失のために痛みを感じているとまだ思われていますか?
いいえ、とんでもありません。私は、彼は全く感じていないと思います。それはすべて政治の問題だったからです。彼が、家族と会った経緯について、そして家族が「大統領、私たちはあなたのために祈ります」と話した、と語るとき−−お分かりのように、それは真実ではないのです。彼はそれを政治に使用したのです。彼は葬式やそれに類する事柄には行こうとはしないのですから。それがおこったことのすべてです
しかしながら、はっきりさせたいのですが、彼はあなたの喪失に痛みを感じている、とあなたが言われた時、−−実際にそのときそういう意味で言ったのではなかったのか、あるいは、少なくとも今はそうは思っていない、ということなのですか?
私は、2004年6月の自分の気持ちに戻ってどういう意味でその発言をしたのか、実際のところを知ることはできません。私はショック状態にありました。私は悲嘆にくれていました。私はまだ深く悲嘆に沈んではいますが、もうショック状態にはありません。その会合が政治には関係ないと彼が言った時、私は彼を信じました。しかし、彼はそれをすべて政治に利用しました。そのとき、私は彼を信じなくなったのです。
昨日ある報道が---それがどれくらい正確かは分かりませんが---がありましたが、それは実際にあなたの家族のメンバーによる声明で、彼らはあなたが行っていることに同意しない、というものでした。
私は、それは正確であると思います。私は、私の夫の家族がそれを書いたのだと思います。しかし、私は彼らが何を書いたのかリアルに言うことはできないし、注意も払っていません。なぜなら、まず第一に、それは彼らの見解であって、彼らはそうする権利をもっています。しかし第二に、彼らは彼を「私たちのいとしいケーシー」というように呼んでいます。明らかに、彼らは偽善者なのです。かれらはケーシーを知りさえしませんでした。彼らは、彼と共に過ごしたことなど一切なく、今になって政治的な理由で彼の死を利用しているのだと私は思います。ケーシーが私のヒーローであるのは、彼の生きてきたあり方のためであって、彼の死に方のためではないのです。一度もケーシーと一緒に過ごすことのなかったこのような人々が、恥知らずにも彼のことを弁護しようとするのだから、私はそれを偽善だと思うのです。ケーシーは偉大な人生を送りました。また、彼は尊敬すべき人でした。そして彼は不名誉な戦争で死にました。
あなたの他の家族はどうですか――あなたの家族にあなたと意見が一致する人々がいますか。
私の肉親、すなわちケーシーの父親および私の3人の子ども、そして私の姉妹−−私たちはすべて、同じ一コマにいます。また、私は、私の夫の兄弟のうちの何人かも私たちと同じであると実際に思っています。
また、私はほかに言いたいことがあります。彼らは、兵士らを支援すると言っています。何のことかわかりますか?
私は兵士らを支援しています。私がしていることが一体どうして、私が兵士らを支援しないことを示すことになるのでしょうか?
死んだ他の兵士らの親はどうですか。
私は、大多数が、私が行っていることに賛成するだろうと言うことができます。なぜなら、大多数のアメリカ人がこの戦争が嘘と欺騙に基づいており、誤りであると考え、兵士らが帰還することを望んでいるのですから。
他の多くの人々からの意見は聞いていますか?
私は、かれらから終始確かに聞いています。私たちは多くの軍人の家族をここで自由に発言させました。ここには、子どもたちがまだ危険な所にいたり、子どもたちが死んでしまった多くの人々がいます。
あなたに尋ねたい一つのことは、あなたを支援している他のグループについてです。右派の何人かの人々は、あなたが「利用されている」と言っています−−それは私が聞いた言葉の引用です。あなたは極左のグループによって利用されている。これにどのようにこたえますか。
私は、これは私のアイデアだったと答えます。これは私の使命でした。これは私のビジョンでした。また、私たちがすべて行っていることは、私たちが平和のために働いているということです。そして、これらのグループはすべて、ともに平和のために働いています。そして、かれらは私のビジョンに手を貸してくれているのです。かれらが私を利用しているのではないことを分かっていただけるでしょう。むしろ、私のほうが彼らを利用しているということになるでしょう。かれらはこの行動で、私に途方もない支援をしてくれているのですから。
しかしその実利主義的な方法はどうでしょうか――もしあなたがマイケル・ムーアのような人と提携したら、世論の主流を失う危険を冒すのではないですか?
私は、マイケル・ムーアは驚くべき人、驚くべき、勇敢な人であると思います。そしておそらく、人々はシンディー・シーハンと提携してはいけないと言い始めるだろうと思います。この国では、とにかく力強く真実を話す人々は社会から疎外されます。
私は、あなたが8月いっぱいそこで抵抗しつづけるということを知っています。どれくらいの間、メディアはあなたに注意を払い続けると思いますか。あなたはそれについて心配していませんか?
私はぜんぜん気にしていません。私はメディアのためにここにやって来てこんなことをしているのではありません。戦争を終結させるために、これをやろうと、ここに来たのです。もし大手メディアがここにいなくても、私たちはブログを持っていますし、インターネットを持っています。それはずっと進み続けるでしょう。賢明なアメリカは、何が起こっているか知るでしょう。彼らは、あらゆる政策変更を達成するために、議会に圧力をかけてくれるであろう人々なのです。
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