シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その12
キャンプケーシーからワシントン反戦行動へ
−−「カトリーナ」被災者救援活動と反戦運動を結合しながら−−


 キャンプ・ケーシーからワシントン反戦行動へ合流する「米軍の即時帰還を求めるツアー」は9月14日の時点で、北部ツアーはニューヨーク州のアルバニー、中央ツアーはペンシルバニア州のピッツバーグとハリスバーグ、そして南部ツアーはサウスカロライナ州のコロンビアに到着している。
それぞれのバスには、イラクに派兵された米兵の家族や戦死者家族、イラクからの帰還兵や、ベトナム戦争の退役軍人などが乗り込み、各地で米兵家族や戦死者家族と連絡をとり、平和のラリーなどを開催する活動を続けながら、ハリケーン「カトリーナ」の被災者への救援を呼びかける活動を行っている。
 ツアーは、米国人の肉声を拾い集めている。戦争を支持をしているが戦場にいる息子の安否を気遣う母親、30年以上にわたって沈黙していたがバスツアーをきっかけに発言する勇気を得たベトナム戦争で息子を亡くした老人、9.11以降毎土曜日平和の監視活動を続けている町の人々等々−−バスツアーが通過することによって人々の関心はイラク戦争の犠牲者とカトリーナの被災者に向かい、そしてツアーの最終地である9月24日の国際反戦行動に集中しようとしている。
※「Bring Them Home Now Tour 」http://bringthemhomenowtour.org/

バス・ツアーのレポートは以下の「Voices from the Road」
http://bringthemhomenowtour.org/img/original/homevoicesbutton.jpg


北部ツアー、白鳥の歌
シェリー・グローバー 発言する兵士家族の会

http://bringthemhomenowtour.org/article.php?id=168
「北部ツアー、白鳥の歌」と名付けられたレポートは、「発言する兵士家族の会」のメンバー、シェリー・グローバーの報告で、彼女のかわいい孫娘の写真が添えられている。シェリー・グローバーの義理の息子は先週、シリア、イラク国境に配置されたと言い、今度彼が家に電話をかけるまで数週間かかると伝えたという。米軍はシリア国境で大規模な掃討作戦を展開している。義理の息子はその作戦に送り込まれた。兵士が戦死した場合、軍が公式に公表するまで、情報は完全にシャットアウトされる。彼女は、孫娘がまだ父親の顔を知らないと訴える。
 シェリーは、集会で32年前に息子をベトナム戦争で亡くした72歳になるアンナと出会い、抱き合った。アンナはバスツアーの活動に共感し、今日「平和のための戦死者家族の会」に入った。アンナは言った。「こんなに長い間沈黙していたなんて、本当に悔しい。」シェリーは答えた。「後悔することなんか無いわ。私達がここに到着したときに、始まったのよ。」
 そしてシェリーは皆に呼びかける、「私やアンナに続いてくれませんか。」

ロードからのレポート
2005.9.11.アトランタ 南部ツアー
ダンテ・ザパラ 平和のための戦死者家族の会

http://bringthemhomenowtour.org/article.php?id=151
 南部ツアーのアトランタでは、9月11日精力的な活動をした。教会や礼拝堂、全米自動車労働組合ユニオンなどを訪れ、彼らの経験を話した。ニューオリンズからの避難者に援助を提供している教会では、牧師は、アメリカの戦争政策が誤っていると暗示しながらも、帰還兵たちの家族らが公然とパレードに参加できるような寛大な条件はないと語っていた。しかし、「平和のための戦死者家族の会」のダンテ・ザパラは、発言のための十分な時間を許された。「私達の心の中で戦争を止めることが出来なければ、どうして戦争を止めることが出来るでしょう。もし私達の心の中で戦争を止めるつもりであれば、私達はすべて、イラク戦争の浪費と失敗と裏切りを私達自身のこととして受け止めなければなりません。私達は私達自身を癒すために、真実に面と向かわなければなりません。」同時に最愛の家族がイラクで任務を遂行しているという家族の前では、自身の苦しい胸の内を明かしている、戦争を止めても私たちの愛する者は戻ってこないのだと。

ロードからのレポート
2005.9.11.中央ツアー クレープランドとピッツバーグ
ビル・ミッチェル 平和のための戦死者家族の会

http://bringthemhomenowtour.org/article.php?id=158
中央ツアーのグループの一つは、クレーブランドの近くの進歩的な町オバーリンに行った。そこでは9.11以降毎土曜日にビジルを行ってきた。9月10日の土曜日は普段の3倍もの人々が参加した。
 9月11日には、ピッツバーグで1000人以上が参加した集会があった。そこでビル・ミッチェルは、婚約していた彼女の息子が、昨年4月にイラクに送られ殺された経験を語った。
 皆は、ダイアン・サントリエロのイラクで死んだ息子の名をとった「キャンプ・ニール」にいた。そしてキャンドル行進をしながら、道を横切り、兵士・水兵公園に行った。それは非常に美しかった。そしてクロフォードで行ったように「戦争に反対するイラク帰還兵の会」のジェフ・キーがラップダンスを続けるのだった。


2005年9月15日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局