アメリカ軍事介入の1世紀 以下は、1890年から1999年までの 130のアメリカの軍事介入の部分的なリストである |
小泉政権は米軍が行う戦争に自衛隊を参加させ米軍と直接一緒になって軍事行動をするための法整備と既成事実作り体制作りを強引に押し進めようとしています。しかしアメリカという国は、文字通り「世界の憲兵」として常に世界のどこかの国・地域に対して、軍隊を派遣し、戦争をしかけている国です。以下のリストは、米国内でアフガニスタンへの「報復戦争」にいち早く反対して立ち上がった反戦運動団体“International ANSWER ”のHP に掲載されたものを、署名事務局で翻訳したものです。自衛隊がこんな国と一緒になって戦地で行動することに私たちは断固として反対します。
1890(-?)年:サウスダコタ
軍隊:300人のラコタ族インディアンがウンデッド・ニーで虐殺された。
1890年:アルゼンチン
軍隊:ブエノスアイレスの権益が保護された。
1891年:チリ
軍隊:海兵隊が民族独立の抵抗と衝突。
1891年:ハイチ
軍隊:米領ナバッサ島で黒人労働者が反乱を起こし破れた。
1892年:アイダホ
軍隊:陸軍が銀鉱山労働者のストライキを鎮圧。
1893(-?)年:ハワイ
海軍、軍隊:独立した王国が倒され、併合された。
1894年:シカゴ
軍隊:鉄道のストライキを破り、34人を殺害。
1894年:ニカラグア
軍隊:ブルーフィールズを1か月にわたり占領。
1894-95年:中国
海軍、軍隊:海兵隊が日清戦争に介入。
1894-96年:朝鮮
軍隊:海兵隊が戦争の間ソウルに滞在。
1895年:パナマ
軍隊、海軍:海兵隊がコロンビア州に上陸。
1896年:ニカラグア
軍隊:海兵隊がコリント港に上陸。
1898-1900年:中国
軍隊:義和団の乱は外国の軍と戦った。
1898-1910(-?)年:フィリピン
海軍、軍隊:スペインから奪い、600,000人のフィリピン人を殺した。
1898-1902(-?)年:キューバ
海軍、軍隊:スペインから奪い、いまだ海軍基地を維持している。
1898(-?)年:プエルトリコ
海軍、軍隊:スペインから奪い、占領は継続している。
1898(-?)年:グアム
海軍、軍隊:スペインから奪い、いまだ基地として使用している。
1898(-?)年:ミネソタ
軍隊:陸軍がリーチ湖でチペワ族と戦う。
1898年:ニカラグア
軍隊:海兵隊がサンファンデルスルの港に上陸。
1899(-?)年:サモア
軍隊:王座の相続を巡る戦い。
1899年:ニカラグア
海兵隊がブルーフィールズ港に上陸。
1899-1901年:アイダホ
軍隊:陸軍がコアダレン採鉱地域を占領。
1901年:オクラホマ
軍隊:陸軍がクリーク・インディアンの反乱と戦う。
1901-14年:パナマ
海軍、軍隊:1903年にコロンビアから分裂させ、1914-99年にパナマ運河地帯を併合。
1903年:ホンジュラス
軍隊:海兵隊が革命に干渉。
1903-04年:ドミニカ共和国
軍隊:米国の権益が革命の中で保護された。
1904-05年:朝鮮
軍隊:海兵隊が日露戦争に介入。
1906-09年:キューバ
軍隊:海兵隊が民主的な選挙に介入。
1907年:ニカラグア
軍隊: 「ドル外交」保護領が作られた。
1907年:ホンジュラス
軍隊:海兵隊がニカラグアとの戦争の間に介入。
1908年:パナマ
軍隊:海兵隊が選挙戦に干渉。
1910年:ニカラグア
軍隊:海兵隊がブルーフィールズとコリントに上陸。
1911年:ホンジュラス
軍隊:米国の権益が内戦の中で保護された。
1911-41年:中国
海軍、軍隊:戦闘の勃発を伴う連続的な占領。
1912年:キューバ
軍隊:米国の権益がハバナで保護された。
1912年:パナマ
軍隊:海兵隊が過熱した選挙に介入。
1912年:ホンジュラス
軍隊:海兵隊が米国の経済的利益を保護。
1912-33年:ニカラグア
軍隊、爆撃:20年にわたる占領、ゲリラとの戦闘。
1913年:メキシコ
海軍:アメリカ人は革命の間退避させられた
1914年:ドミニカ共和国
海軍:サントドミンゴの反乱との戦闘。
1914年:コロラド
軍隊:陸軍で鉱山労働者のストライキを破る。
1914-18年:メキシコ
海軍、軍隊:民族主義者に対する一連の干渉。
1914-34年:ハイチ
軍隊、爆撃:反乱後19年にわたる占領。
1916-24年:ドミニカ共和国
軍隊:8年にわたる海兵隊による占領。
1917-33年:キューバ
軍隊:軍事的占領、経済保護領。
19l7-18年:第一次世界大戦
海軍、軍隊:船を沈められ、ドイツと戦闘
1918-22年:ロシア
海軍、軍隊:ボルシェビキと戦うため5回の介入
1918-20年:パナマ
軍隊:選挙後の政情不安の中で「警察業務。」
1919年:ユーゴスラビア
軍隊:海兵隊が、ダルマーチアのセルビア人に対立するイタリアのために干渉。
1919年:ホンジュラス
軍隊:海兵隊が選挙運動中に介入。
1920年:グアテマラ
軍隊:労働組合員に対する2週間にわたる干渉。
1920-21年:ウェストバージニア
軍隊、爆撃:陸軍が鉱山労働者に対して干渉。
1922年:トルコ
軍隊:スマーナ(イズミル)で民族主義者と戦闘。
1922-27年:中国
海軍、軍隊:民族主義者の反乱の間配備。
1924-25年:ホンジュラス
軍隊:選挙紛争の間に2度上陸。
1925年:パナマ
軍隊:海兵隊がゼネストを鎮圧。
1927-34年:中国
軍隊:海兵隊が国のいたるる所に駐留。
1932年:エルサルバドル
海軍:ファラブンド・マルティの反乱の間軍艦を派遣。
1932年:ワシントンDC
軍隊:陸軍が第一次世界大戦の退役軍人のボーナス抗議を阻止。
1941-45年:第二次世界大戦
海軍、軍隊、爆撃、核兵器:枢軸国と3年間戦争。最初の核戦争。
1943年:デトロイト
軍隊:陸軍が黒人の反乱を鎮圧。
1946年:イラン
核による脅し:ソ連軍が北(イラニアン・アゼルバイジャン)を去るよう要求。
1946年:ユーゴスラビア
海軍:米国機撃墜への対応。
1947年:ウルグアイ
核による脅し:力の誇示のため爆撃機を配備。
1947-49年:ギリシャ
コマンドオペレーション:内戦時に米国が極右を指揮。
1948-49年:中国
軍隊:海兵隊が、共産主義の勝利の前に米国人を撤退させる。
1948年:ドイツ
核による脅し:核兵器搭載可能爆撃機による、ベルリン空輸の護衛。
1948-54年:フィリピン
コマンドオペレーション:CIAがフク団(Huk)の反乱との戦闘を指揮。
1950年:プエルトリコ
コマンドオペレーション:独立暴動をポンセで鎮圧。
1950-53年:朝鮮
軍隊、海軍、爆撃、核による脅し:米国、韓国の中国、北朝鮮との戦争が行き詰まり。1950年に投下の脅し、1953年には中国への投下の脅しいまだに基地を所有
1953年:イラン
コマンドオペレーション:CIAが民主主義を転覆し、シャーを擁立。
1954年:ベトナム
核による脅し:仏に対し、包囲を破るため核の使用を提案。
1954年:グアテマラ
コマンドオペレーション、爆撃、核による脅し:新政府が米国企業を国有化した後CIAが亡命者の侵入を指揮
爆撃機をニカラグアに配備。
1956年:エジプト
核による脅し、軍隊:スエズ危機に関与しないようソ連に要求。海兵隊は外国人を退避させる。
1958年:レバノン
軍隊、海軍:反乱に対し海兵隊が占領。
1958年:イラク
核による脅し:クウェートへの侵入に対しイラクに警告
1958年:中国
核による脅し:台湾島で活動しないよう中国に要求。
1958年:パナマ
軍隊:旗による抗議が対立に発展。
1960-75年:ベトナム
軍隊、海軍、爆撃、核による脅し:南ベトナムの反乱および北ベトナムと戦争。米国最長の戦争で100〜200万人が死亡。1968年と1969年には原爆使用の脅し。
1961年:キューバ
コマンドオペレーション:CIAが指揮した亡命者の侵入が失敗。
1961年:ドイツ
核による脅し:ベルリンの壁の危機に際し核で警告。
1962年:キューバ
海軍:ミサイル危機の間海上封鎖。ソ連との戦争の一歩手前。
1962年:ラオス
コマンドオペレーション:ゲリラ戦の間軍備増強。
1964年:パナマ
軍隊:運河返還を主張したためにパナマ人を射殺。
1965年:インドネシア
コマンドオペレーション:CIAに支援された軍事クーデターで100万人殺害。
1965-66年:ドミニカ共和国
軍隊、爆撃:海兵隊が選挙運動中に上陸。
1966-67年:グアテマラ
コマンドオペレーション:グリーンベレーが反乱に対して干渉。
1967年:デトロイト
軍隊:陸軍が黒人と戦闘、43人殺害。
1968年:アメリカ
軍隊:キング暗殺後都市に21,000人以上の兵士投入
1969-75年:カンボジア
爆撃、軍隊、海軍:爆撃、飢餓および政治的混乱の十年間で、最高200万人殺害。
1970年:オマーン
コマンドオペレーション:米国はイラン海への侵入を指揮。
1971-73年:ラオス
コマンドオペレーション、爆撃:米国が南ベトナムの侵入を指揮。農村に「絨毯爆撃。」
1973年:サウスダコタ
コマンドオペレーション:陸軍がラコタ族のウンデッド・ニー包囲を指揮。
1973年:中東
核による脅し:中東戦争の間世界的に警戒。
1973年:チリ
コマンドオペレーション:CIAが支持したクーデターが選挙で選ばれたマルクス主義者の大統領を排除。
1975年:カンボジア
軍隊、爆撃:ガスが船を捕らえ、28人がヘリコプターの衝突で死亡。
1976-92年:アンゴラ
コマンドオペレーション:CIAが南アフリカの支持する反乱軍を支援。
1980年:イラン
軍隊、核による脅し、中止された爆撃:大使館の人質を救出するための襲撃。8つの部隊がヘリコプターの墜落で死亡。ソ連は革命に関与しないよう警告された。
1981年:リビア
海軍のジェット機:リビアの2機のジェット機が演習中に撃墜された。
1981-92年:エルサルバドル
コマンドオペレーション、軍隊:軍事顧問、領空侵犯は反乱に対する戦争を支援、人質の衝突に兵士が短時間巻き込まれた。
1981-90年:ニカラグア
コマンドオペレーション海軍:CIAは革命に対抗し亡命者(コントラ)の侵入を支援、港に機雷を敷設。
1982-84年:レバノン
海軍、爆撃、軍隊:海兵隊がPLOを追放し、ファランジストを支援海軍がイスラム教徒とシリアの位置を爆撃砲撃。
1983-89年:ホンジュラス
軍隊:演習で国境近くの基地建設を支援。
1983-84年:グレナダ
軍隊、爆撃:革命4年後に侵略。
1984年:イラン
ジェット機:イランの2機のジェット機がペルシャ湾上で撃墜された。
1986年:リビア
爆撃、海軍:民族主義者の政府を倒すため空爆。
1986年:ボリビア
軍隊:陸軍がコカイン栽培地域への襲撃を支援。
1987-88年:イラン
海軍、爆撃:米国が戦争中のイラク付近で干渉。
1989年:リビア
海軍のジェット機:リビアのジェット機2機を撃墜。
1989年:バージン諸島
軍隊:急襲後の聖Croix Black動乱。
1989年:フィリピン
ジェット機:クーデターに対し、空中から政府を援護。
1989-90年:パナマ
軍隊、爆撃:民族主義政府が27,000人の兵士によって排除され、指導者は逮捕、2000人以上が殺された。
1990年:リベリア
軍隊:外国人は内戦の間に退避させられた。
1990-91年:サウジアラビア
軍隊、ジェット機:イラクはクウェートに侵入後反撃された。また、540,000の部隊がオマーン、カタール、バーレーン、イスラエル、UAEに配備された。
1990-?年:イラク
爆撃軍隊海軍:イラクとヨルダンの港を封鎖空爆侵入の中で200,000人以上がイラクとクウェートで殺害された。北のクルド人地域、南のシーア派地域を飛行禁止区域に、イラク軍を大規模破壊。
1991年:クウェート
海軍爆撃軍隊:クウェートの王室が王座に戻された1992年:ロサンゼルス軍隊:陸軍と海兵隊が反警察暴動に対して展開。
1992-94年:ソマリア
軍隊、爆撃、海軍:内戦の間、米国に主導された国連が占領。モガディシオ派に対する急襲。
1992-94年:ユーゴスラビア
海軍:NATOがセルビアとモンテネグロを封鎖。
1993-95年:ボスニア
ジェット機、爆撃:内戦の間、飛行禁止区域をパトロール。ジェット機を撃墜、セルビア人を爆撃。
1994-96年:ハイチ
軍隊、海軍:軍政に対する封鎖。軍隊はクーデター3年後にアリスティド大統領を官邸に戻す。
1995年:クロアチア
爆撃:セルビアのクラジナ飛行場は、クロアチアの攻撃前に攻撃された。
1996-97年:ザイール(コンゴ)
軍隊:海兵隊が、コンゴの革命が始まった地域にあるルワンダのフツ族難民キャンプに駐留。
1997年:リベリア
軍隊:外国人の避難中、兵士を砲火にさらす。
1997年:アルバニア
軍隊:外国人の避難中、兵士を砲火にさらす。
1998年:スーダン
ミサイル:製薬工場を「テロリスト」の神経ガス工場だとして攻撃。
1998年:アフガニスタン
ミサイル:大使館を攻撃したとして、イスラム原理主義者グループが使用する、かつてCIAが訓練していたキャンプを攻撃。
1998-?年:イラク
爆撃、ミサイル:武器査察官がイラクの妨害を主張した後、4日間の集中的な空爆。
1999-?年:ユーゴスラビア
爆撃、ミサイル:セルビアがコソボからの撤退を拒否した後、NATOの激しい空爆。
2000年:イエメン
海軍:米艦コールに対する自爆攻撃。
2001年:マケドニア
軍隊:NATO軍は交替し、部分的にアルバニアの反乱軍を武装解除する。
2001年:アメリカ
ジェット機、海軍:ハイジャック攻撃への対応。
2001年:アフガニスタン
米国はタリバン、ビンラディンを攻撃するため大量の動員。戦争はイラク、スーダン、その先へと拡大するかもしれない。
これは、1890年から1999年の米軍の干渉の部分的なリストである。このガイドには、軍事警察による示威業務、州兵の出動、海軍力の対外的な誇示、大使館職員の増強、非国防省部局(麻薬取締局のような)の使用、軍事訓練、非戦闘出動(郵便スト時の要員補充のような、軍隊の常駐、米国が指揮や支配的な役割を果たさないコンバート・アクション、小規)模な人質救出部隊、大部分の委任軍隊、外国戦闘機の米パイロット、海外災害救助、直接戦闘を含まない軍事演習と顧問プログラム、市民行動プログラム、その他の多くの軍の行動を含んでいない。
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