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「報復戦争」下の沖縄

『最後の選択』の時
 
2001年10月9日   高江洲あやの



 「ワッ!何これ?すごーい!!」理解不能な予期しない映像が目に飛び込んだ瞬間は、映画でも見ているかのような錯覚に陥りました。しかし、二つ目のビルに同じように飛行機が突っ込んだ時、やっと大変な事が起こっている事に気がつき震撼しました。現実以上にリアルな表現を可能にしたコンピューターグラフィクの進歩により、日常的に虚構の世界に慣らされてしまっている私の感覚では、それが確かな現実であり、間違いのない事実であると理解できるようになるまでには、しばし時間を要しました。それから、脳裏をよぎる思考。「とうとう人類最後の戦争が起こってしまった。」「この島もやられるかもしれない。」
 2001年9月11日。ニューヨークの巨大ビルが瞬く間に崩壊していくシーンが繰り返し映し出され、世界中の人々の記憶に焼きつけられました。イスラム社会を差別し、抑圧と収奪をし続けてきた歴史のツケが、怨念の炎となったかのようでした。
 50年以上もの長きに渡り米軍基地と共に危険を押し付けられ、差別され、米軍の卑劣なやり方に歯軋りしながら耐えてきたウチナーンチュたちは、複雑な面持ちで刻々と伝えられる情報に向き合っていました。
 貧富の差は激しく、家族や同胞が殺されていく悲惨な状況、子供を含む多くの人々が餓死していくと言う苦しみ。そのパレスチナの苦しみを理解できないわけじゃない。それでも、苦しい体験の中からウチナーの祖先は、私たちに最も大切な言葉として『命どぅ宝』を語り伝えてくれました。どのような事があっても人の命を奪うなどあってはならない事です。いかなる理由があろうとも、組織テロや報復の国家テロは許されるものではありません。いまこそ世界中の人々が、その事に目覚めるべき時ではないでしょうか。
 6月29日に北谷町で発生した米兵による暴行事件の後、"心に届け女たちの声ネットワーク"の女性が中心になって呼びかけ、8月10日からスタートした「沖縄金曜集会」。韓国ソウル市にある竜山(ヨンサン)基地司令部前はで、米軍への抗議行動として毎週金曜日12時から1時までの1時間、約8年わたり「金曜集会」が続けられています。
 私たちも同時刻に、事件が起こった時にだけ抗議集会を持つのではなく、日常的に抗議の意思を示し、基地撤去を訴えることが大切という思いで、アメリカ領事館前に毎週集まっています。そして、5回目の9月7日(金)に、在沖縄米国総領事館の副領事から、話を聞きたいとの申し入れがあり、9月11日(火)に非公式対談の運びとなりました。
 内容は、女性グループの組織された背景と目的は?グループの数やメンバーの数は?「金曜集会」など、どんな形で呼びかけ集団行動をするのか?活動に対する財政的支援はあるのか?などの質問がほとんどでした。日ごろから正々堂々とオープンにやっていこうと話し合っていたので、正直に『95年の少女暴行事件後立ち上がった様々な女性たちのグループが、名護市への新たな米軍基地建設を許さない、平和で静かな普通の暮らしを取り戻したいと、97年の名護市民投票を契機に合流。自然発生的に生まれたもので、組織されているわけではないので、人数などは定かではない。自主的参加で特別のリーダーはいない。』というようなことを伝えました。通訳を介しての対談は、答えるだけで予定の1時間が過ぎてしまい物足りなさは残りましたが、次回は私たちのブッシュ大統領にあてた要請文に対する回答をして欲しい旨を伝え引き上げました。
 その夜、世紀末を思わせるようなニュース。あまりの出来すぎたタイミングに驚きながらも、14日の「金曜集会」前日には、「領事館前は危なくない?」心配そうな問い合わせの電話に下見に行くなどしながら、喪服での参加を申し合わせ、かなり緊張した面持ちで出かけました。それでもいつものように30人前後集まり、哀悼の意を表して1分間の黙祷を捧げスタートしました。毎回、警察官や私服に監視されながらの集会でしたが、逆に権力の監視のない穏やかな集会となりました。友人に話すと笑いながら「あんたたちにかまっているヒマがなかったわけさ」と言いつつ、「これからどうなるかねー。ようじんしなさいよー。」の声。
 新聞報道などによると、テロ発生の6日も前に、アメリカ政府は「沖縄など、在日米軍基地にテロの危機が迫っている」との情報を日本政府に知らせたが、沖縄県には知らされなかったようです。日本政府の卑劣な仕打ちに憤りを感じました。また、アメリカの報復攻撃準備が着々と進み、司令官発言によると沖縄の基地は「いつでも戦争できる」臨戦態勢に入っているとの事です。基地周辺の物々しい警戒態勢に恐怖が募ります。
 10月8日。とうとう始まってしまった。アメリカ大統領は、まるで映画の俳優よろしくTVで得意げに、アフガニスタンへの攻撃開始を発表。覚悟はしていたものの、ニュースの映像に発射された爆弾が映し出されると、呆然と画面を眺めながら「沖縄からも飛び立ったのだろうか」という苦い思いがよぎる。この50年間アメリカの狂気は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争を仕掛け、今度は「善と悪の戦い」「新しい戦争」だと暴言しアフガン戦争を始めた。そのたびに沖縄の基地からの出撃があり、押し付けられた基地がテロの標的になる可能性は大きい。しかし、恐怖以上に多くの命を奪い、さらなる悲惨を繰り返す戦争への加担を、否応なく強いられることの辛さ。やめさせる事のできない悔しさ。これがこの沖縄の現実。爆弾が投下される国の向こうに、この島の影が重なる。
 表面的には何事もなかったかのように、今までと同じような暮らしを続けながら、飲み込まされた得体の知れない何かが胸の底にたまっているようで、重く鈍い痛みのような感覚が消えません。今、私の上空を轟く様なうねりを上げて戦闘機が飛んでいきます。人類は、何千年にもわたり戦争、殺戮、破壊を繰り返し、いったい何時になったら「もう、うんざりだ」と言って武器を捨てるのでしょうか。
 それでも地球はまわり、私たちは生かされている。正に今が、人類にとって正しい方向に進路を変え、平和と調和の中に生き始める、『最後の選択』の時かもしれない。



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