「押し付けられた「危険な沖縄」でも 新基地は自分の問題としておしかえそう!」 心に届け!女たちの声ネットワーク共同代表 国政美恵さん |
9月11日以降の沖縄
9月11日、テレビで10時半ごろニュースを観て、最初は事故かと思いました。2機目が突入した時、これは計画的なことだと思いました。沖縄の基地を抱えている私たちにとってはとても怖いことだったので、一人でテレビを観て震えていました。その時に友達から電話がかかってきて、「嘉手納基地を見に行こう。ゲートまで行こう」と言うのです。私はそれを断ったのですが、翌日新聞をみたら、あちこちの新聞社が行ったようです。カメラを取り上げられたり、車を止めたとたんに「ここから出ていきなさい、立ち去りなさい」と言われたようです。今まで米軍は「良き隣人」ということを声高に言っていたので、すごく親しげに一応は仲良くやりましょうという態度をとっていたのですが、9月11日の事件以来、明らかに兵隊たちの目つきが変わりました。私は普天間の第二ゲートの近くに住んでいるのですが、これまでフェンスを見回るのをみたことがありませんでした。あの事件以来、フェンスと目隠しのためのキョウチクトウの間を米兵がライフル銃を持って巡回しています。ゲートでも大きなバリケードを置いて米兵が警戒にあたっています。九州からは400人の機動隊がやってきて沖縄の基地を「守っている」そうです。
そういうこともあって、文部科学大臣が、修学旅行などで飛行機には乗らないようにという通達を出して、修学旅行のキャンセルが相次いでいます。未だにキャンセルは止まらないし、ひどい状況です。観光客が来てくれないというのは本当にすごいことですね。私の友人たちもおみやげやさんとかホテルとかに勤めている人もいるのですが、今までは週休1日だったのが週休3日制になったそうです。10月の後半ぐらいになってからです。賃金も3分の1カットですし、それでやっていけないのならいつでも辞めてくれという状態なのです。でも辞めても沖縄は9.4%の失業率ですから、仕事はすぐには見つかりません。まだ週休3日で止まればいいのだけれども、パートの方たちは期限なしの自宅待機に入っているそうです。時々大きな予約が入った時に「明日来るように」という連絡が入るそうです。
去年サミットがありました。サミットの時にもとてもひどい状況でした。私は造園業をしていたのですが、実は9月いっぱいで仕事をやめて、今失業保険をもらっています。サミットの時、造園業もたくさん仕事がありました。公共事業で私は高速道路を担当したのですが、東京の大きな会社の元で仕事をしました。サミットの1,2ヶ月前は、除草管理としていつもきれいでした。ちょっと伸びてもすぐに除草の仕事がはいります。サミットが終わるまではいつもきれいでした。今は1mぐらいまで雑草が伸びきっています。予算がつかないので草ぼうぼうです。予算がないので私たちにも仕事が回ってきません。それで会社がやっていけなくなってリストラです。こういう状態というのはサミットが来る前からわかっていました。わかっていたけれど、とりあえずの仕事をするためにやったのかなあ、情けないのですがそういう状況です。
予算がないから仕事が回ってこないということで、失業者も増えてきました。去年、サミット1ヶ月前から警備のためとホテルは観光客を受け入れなかったのでその損失も大息ものがあります。またサミットの宿泊施設にするためには、設備もある程度の基準に達しないと指定ホテルならないということで、設備投資をかなりしています。その巻き返しも今年していかなければならないという時に9月11日の事件が起こりました。今は巻き返しどころではありません。
修学旅行の高校生たちがたくさんキャンセルしてきました。沖縄は危ないから我が子を行かせたくない、基地をたくさん抱えて危ない沖縄には行かせたくないという気持ちになって直前になってキャンセルしてきます。でもその沖縄で、私たちの宝物たちは育つのです。県外に住む人が4日間、5日間ぐらいの修学旅行でも行かせたくないような沖縄で、私たちは子育てをしなければなりません。私はもちろん沖縄が大好きですから、沖縄でずっと暮らしていきたいと思っていますが、でも基地はずっと嫌でした。嫌だと言うことをずっと言っているのに、県外の人たちは普段はしらんふりをしていて、こういうときにだけ反応するというのはどうなのでしょう。考えていただきたいと思っています。
ブッシュ宛の署名を米総領事館に提出
署名の報告をします。総領事館に提出したときの様子をお話するとアメリカがどのようなことを考えているかが少しわかると思います。
6527名の署名を11月30日に持っていきました。対応したのが、在沖米軍総領事館政治経済軍事担当次席総領事マイヤーさんでした。彼はイスラエルの専門家だそうです。コロンビア大学で教えているとも聞きました。「今日はアメリカに報復戦争を少しでも早くやめるように要請に来ました」と言ったら、「え、なぜですか」と言われて私はすごくびっくりしました。「報復戦争」ではないと彼は言います。「報復戦争」というのは日本のマスコミがつくった言葉で、ブッシュ大統領は一言も言っていない。これはアルカイダを撲滅するための、二度とテロが起こらないためにやっている行動で、報復とかリベンジではないのですということを最初に言いました。その後私たちは要請書を読み上げました。これを読み上げて、どうしてテロが起こったのか、原因を考えたことがありますかと尋ねると、アメリカは過去8年間テロが起こらないように努力してきたのです。でもそれにもかかわらずアルカイダは2つのテロで攻撃してきて、正式な外交ではこれをやめさせることは不可能だと判断した。それで国連で保障されている自衛権に基づいて行動しているので、テロの発生とアフガニスタンの貧困とは関係がない。アフガンの人とテロを結びつけてはいけないと言っていました。彼は日本語がすごく上手で、質問や要請書を読み上げている時は理解している様子でした。でもこちらが「どうしてアメリカが攻撃されているかと思いますか」という簡単な質問でも、通訳を通すのです。答えたくないような時は通訳の方に「ふん?」と言って聞くのです。通訳の人も本当にきちんと言っているのかなあと思うような対応でした。「どうしてアメリカが攻撃されたのだと思いますか」と尋ねるとアメリカだけが攻撃されているのではないのだと言っていました。世界中でテロによって攻撃されている、だから世界平和のためにも今抑えなければならないと言っていました。「世界と言ってもアメリカに関連する施設ばかりですよね。アメリカに反発する人々がいるということについてどう思いますか」と尋ねるとそれには答えてはくれませんでした。領事官同士の話をしているだけで、時間を気にして早く終わらせようとしていました。1時間の約束だったのが30分ぐらいからそわそわしていました。「攻撃に苦しんでいる民衆の事をどう考えますか」ときくと「タリバン政権に対する軍事行動なのだから、タリバンの元で苦しい生活を強いられている人々のためにもタリバンを早くなくして、そうすれば女性たちも学校にいけるようになったり、子どもたちをサッカーしたり、音楽を聴けるようになるでしょ」と私たちを言いくるめようとしていました。「石油資源の利権が根本にあると自分たちは思うのだがどうですか」ときくと「それはあなた方の考えですね。みなさんの考えを私に押しつけることもできないし、私たちの考えをあなた方に押しつけることはできない」と彼は言って席を立ってしまった。「私たちはまた来ます。早く聞き入れてほしい」と言うと、「同じ団体の同じ抗議内容は2度受け付けられない」と言われました。私たちもすごく嫌な建物なので来たくはないのだけれど何回もいかざるをえないのは嫌ですというと笑っていました。マイヤーさんはアラブ系の人たちなのですが、ずうっと下をむいて話を聞いていました。どうして下をむいているのだろうと、私はずうっと顔を見ていました。アフガニスタンの子どもたちと、沖縄戦での子どもたちとの姿が重なると言うと、それは今の行動とは違う、私たちも早く終わらせて早く平和にしたいと、「本当にそう思っていますか、個人としてそう思っているのですか」と尋ねるとそのときだけ一瞬だけ顔をあげて、でもすぐ下を向いて「そう思っていますよ」と言っていました。組織として言わされている、そうしないと出世できないのでしょうか、腹が立つというより、とてもかわいそうな思いがしました。とても後味の悪い交渉でした。
沖縄で署名をしたのはとても期間が短かったのです。東京やアメリカ、韓国に行って普天間の様子を話すのですが、知らないたくさんの方の前でお話をするのはとても緊張しますが、ある意味こうやってお話をするのは楽。でも宜野湾で、地元で署名運動するというのは、私の中でまだまだちゃんとできていないというようなこともあって、自分のためにも宜野湾でもきちんと声をだしていかなければならないという思いもあって、今回この署名でがんばってみようと思いました。宜野湾の市民図書館の前で一人で署名を集めました。子どもたちはとっても素直に、沖縄戦についておじいちゃん、おばあちゃんから話を聞いている、テレビでも戦争をみていと言ってだから戦争はやめた方がいいといって、すぐに署名してくれました。でも大人たちは「難しいからね、いろいろあるからね、これは徹底的にやってもらわないと困る、あなたたちもこういう署名をすぐにやめた方がいい」とまで言われました。沖縄の人たちはすぐわかるのではないかな、毎日ヘリが飛んでいますから、基地を抱えているということがどういうことなのかわかるだろうと思って署名に望んだのですが意外に抵抗がありました。男性にも女性にも「徹底的にやってもらわないと困るんだ」という声があることに愕然としました。
「危険な沖縄」−−米軍基地があるために
沖縄が安全だということを、国も県も、本当に意味のない安全宣言を何度も何度もしています。沖縄は安全なわけではありません。とても危険な状態です。56年間危険な沖縄にずうっと住んでいるということを今回再確認されました。観光業界が大変な思いをしているということで、ある意味では今回のテロ事件というのは沖縄にとっては大きなチャンスになると思っていました。観光でやっていくからだから基地はいらないんだという方に結びついていくと思っていました。情けないことですが、観光業界の方たちも、基地があるから観光がこのような状況になっている、だから補償をしろという。お金ではなんの解決もできない。お金があっても平和でなければ家族がばらばらになりますし、明日生きていけるかどうかもわからない状態です。平和でなければ安心して子どもたちをしっかり育てることもできない。長い事基地を抱えているということで、意味もない迷惑料みたいなお金がたくさん降りてくることで、足腰が立たなくなって、自分たちで生きていくことができなくなってきたのかなあと思います。それでも95年以来たくさんの人たちが気づき始めています。だから大阪にいると沖縄の状況がわからなくて運動が下火になってきているのかなあと思うかもしれませんが、私たちはとても元気です。沖縄の中にいながらとてもひどい状況ではありますが、いろんなことで元気をだしてやっていかなければならないと思い、少しずつ休みながらですが元気にやっています。
今だったら本当に基地がどういうものかよくわかると思います。安全だから来てくださいではなくて、とてもよくない状態をみにきて欲しいと思います。
沖縄に佐喜眞美術館があります。普天間飛行場の一部を返還させて美術館にしたところです。そこはこれまで多くの修学旅行生を受け入れてきていました。佐喜眞さんが「ひどいのよ」と話をしていたのですが、空港からある高校が電話をしてきて、「沖縄には着いたのですが、そちらには行けません」というのだそうです。「えっ、何でですか」とたずねると、沖縄行きはすでに決まっていたのだけれど、保護者の大半は反対していたのだけれど、「じゃあ基地には近づかないから」ということで納得してもらったそうです。だから基地にすれすれに建っている佐喜眞美術館にはいけないという説明だったそうです。なんか言葉になりませんね。その高校は北谷のホテルに泊まったそうですが、あのレイプ事件があった所ですが、そこは危なくないのかと思いますね。沖縄に来て、どこを通ったら基地に近づかないで、どこに行けるのかと思うのですが、怒っても仕方がないですね。はあーとため息がでてしまうぐらい、ひどいものですね。
金曜集会−−常に声を出し続けよう
金曜集会というのを毎週毎週お昼の12時からしています。これをやるきっかけになったのが北谷でのレイプ事件でした。そういう事件があると、県も市町村も、反戦平和団体も、毎日毎日抗議にいくのですよね。これをみていてうんざりしてしまいました。何かが起こってから抗議にいっても被害者にとってはとりかえしがつかないのです。次の被害者を出さないためには、起こってから抗議にいくのではなくて、早く米軍基地をなくしてくれと言いたいと思うようになってきました。毎日毎日戦争のための訓練をして、人殺しの訓練をするような基地があることが問題なのです。5時になってシャワーをあびて、外に出て「良き隣人」にすぐに変わることはできないはずです。家族と離れ、上官から怒鳴られ、泥沼の中をはいずり回り、狭いところに閉じこめられていたら、フェンスの外で事件事故を起こさない方がおかしいかもしれません。95年の事件の時もそうですが「レンタカーを借りるぐらいのお金があるのなら女を買えばいい」と平気で言うような司令官たちがいます。それで言い逃れをするような米軍はもう許せません。もうこんな状況には我慢できない、私たちは許さないと思い、金曜集会の相談をし始めました。
でもなかなか踏ん切りがつきませんでした。始めたらやめるわけにはいきません。続けなければいけないし、やる自信がないし、せめて最初は月1回にしようよと言っていました。が、ネットワークの代表の真志喜トミさんが週1回、自分たちの気持ちをずうっとだしていかなければいけないのだから、2人が横幕を持って、1人がマイクをもって話をすればいいのだから3人いればやれると言い出しました。南部、宜野湾、与勝、やんばるで1週ずつ担当すればできる。自分たちのエネルギーを保つためにもやってみようという話になりました。最初はできないんじゃないかなあと思っていましたが、8月10日に1回目をしました。その時は50数人参加しました。それが2回、3回と続いても30数名が参加しています。「3人でやろう」という覚悟がずっと10倍の人が常に参加してくれています。リレートークをしたり、歌をうたったり楽しくしています。毎週していることで、周囲の人、車で通る人にも少しずつ浸透しているようです。道路に向かって訴えているので、クラクションを優しく鳴らしてくださる人、車の中から手を振ってくれる人もいます。8月から始めたので、ウンケーというお盆の日もありました。ウンケーでは女性たちは朝からごちそうをつくらなければいけないという忙しい日です。でもやんばるからも南部からもたくさん来ました。その時のみんなの気持ちは「今日は忙しい日だから参加者が減るかもしれないから、私がいかないと」と思っているので、いつもより多くなったりします。台風の日もしました。暴風雨警報も出ていて、バスもとまっていて、そのときも「私一人でもいかなくちゃ」「一週でもあけてはだめ」と思っていくとやはり20人以上が来ていました。毎週金曜日にやっているというのがだんだん男の人にもわかるようになってきて、情報交換の場としても使われています。私たちが始めたことがいい方向で声を出すことができるようになっているなあと思います。ぜひぜひ沖縄に来られる時は金曜日にスケジュールを合わせてください。
名護市長選−−自分の問題として周りからも応援しよう
名護市長選。名護の話をすると暗くなってしまいます。岸本市長が今出馬表明していますが、名護の中では反対派候補を誰も立てられない状況になってしまっています。金曜集会の後、木の下で10人ぐらいで話し合いました。4年前の市民投票の顔だった人を立てようと話をし、私の中ではもう決めています。名護の人たちがいろいろなしがらみで決めかねているので、これは名護の外から決めていかなければ間に合いません。名護が岸本続投になると、私たちにも影響があります。名護の人たちもずっと名護の基地の問題は名護の人たちだけの問題ではないと言ってきているので、だから宜野湾の問題でもあるということで、私たちの中から彼を押すことにしました。まだまだ2転3転するかもしれません。でもさせないように彼だけを押します。岸本市長と理論的にも渡り合える人なので彼を立てたいです。4年前はに彼を押せたらよかったのですが組織のしがらみに負けてしまって強く言えなかったのです。言えなかった分、4年間ひどい状況になってしまったので、もう黙っているわけにもいかないし、負けるわけにもいきません。年内にも彼を立てて、名護の人だけではなく全県的に、大阪からも来ると聞きましたので勝手連的に応援しようと思います。名護はもう疲れています。ビラを読むのも疲れるし、話を聞くのも疲れるし、自分が出かけるのも疲れるし、とても落ち込んでいる状況です。名護の市長選で負けて、知事選でも負けて、浦添で、那覇で負けて、どんどんどんどん負けて、元気になる材料がありません。でもそれにつき合っているわけにはいかないので、今少し元気のある私たちが、金曜集会の女性たちががんばろうと名護を応援したいと思っています。
カマドゥー小の集いや心に響け女たちの声ネットワークは、4年前の住民投票の1ヶ月前につくられたグループです。1ヶ月前に名護の人たちの問題ではないとつくりました。普天間基地というのはこういう基地なんだということを名護の人たちに訴えたくて、受け入れていいのですかと尋ねたくて、動き出しました。「声」というビラをつくって名護に行きました。これまで学校新聞ぐらいしかつくったことがない私たちだったのですが、基地のすぐそばに住むというのは子どもたちやお年寄りにどのような影響を及ぼすのかということをビラにしました。名護に友達もいなかったのですが、玄関をたたいて出てきた人たちに話しかけました。普天間基地はこんな基地ですよ、よく考えてくださいと訴えました。そうこうしているうちに名護の人ともお友達になりました。それが4年間続いています。4年間続いているということは逆に言えば状況がよくなっていないということなのです。誰も知っている人がいないのに、名護に出かけていったエネルギーを取り戻して、名護に再び行こうと思います。もう2ヶ月をきっていますが、でもきっといい結果を報告ができると思いますので楽しみにしていてください。
「沖縄問題」−−みなさんの問題です。
「沖縄問題」というのは、沖縄の問題ではないはずです。老人問題、女性問題、部落問題、というのはその人たちの問題ではなくて、周りの人たちの問題です。その人たちは被害者なのです。ですから沖縄問題という時も、沖縄だけの問題ではなくて、沖縄以外に住んでいる人たちの問題なのです。それをわかってほしいなあと思います。
県外に住む人たちに対して、沖縄は新しい基地を造る余裕はないのだといつも県外の人たちを責めるようなところが自分の中にありました。でも今回署名を国会に持っていった時に10月16日に議員面会所までデモをしたとき、デモの横を人々が横切っていきます。横切っていくときに「何をしているの」「なんでこんな事をするの、暇だね」というような顔をしています。東京で運動をしている人たちにとても申し訳ないなあと思いました。沖縄では基地の話をすると、根本的には基地はない方がいいという思いはいっしょなので、訴えると「そうだよね」「でもねそういうことをする時間がない」「あなたはがんばれよ」というように言ってくれます。でも東京などで運動をするのはものすごいエネルギーがいるのだなあと思いました。東京や大阪に住んで知らん顔ができるはずなのに、沖縄に思いを寄せてくれるということは、沖縄に住んでいる私たちは、ありがとうとは言いませんが、責めてはいけないのだなあと思いました。「ありがとう」と言わないというのはみんなの問題だから、私たちの事を考えるということは自分のことを考えるということだからです。
ただ安心して暮らしていきたいと思う気持ちだけでやっているのに、なんでこんなに難しいことなのか、なんで状況が変わらないのかと思います。平和な戦争のない生活を想像していけば楽しく取り組んでいけるかなあと思います。
copyright © 2001 アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名運動 事務局 |