中村哲医師の講演メモより
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以下は、2001年12月8日に開かれた関西大学社会学部黒田ゼミの公開講座(毎日放送共催)で講演されたペシャワール会の中村哲医師の講演記録です。講演会参加者(署名運動呼びかけ人の一人黒田静代さん)からメモが寄せられました。筆記録なので洩れた部分も多々あるとのことでしたが、貴重な情報も多いので紹介することにします。上記の引用はこの講演会で中村医師が語られた言葉。至言だと思います。
なお、講演会のあった12月8日は、トラボラでの米軍による空爆が激しくなった時でしたが、カブールが陥落し、タリバンの崩壊は決定的になっていた時期です。
署名事務局
1.ペシャワール会とは
1984年 パキスタン北西部辺境州の州都ペシャワールにハンセン病治療のために赴任した中村医師らによる医療活動のための組織。現地スタッフ約200人、日本人ワーカー5人、年間診療数約19万人。
1998年基地病院PMSをペシャワールに建設。現在パキスタン北部に2カ所、アフガニスタンに8カ所の診療所を持つ。辺境山岳部にも定期移動診療を行う。全てボランティア運営。無料診療で、現地事業の大半は日本国内のペシャワール会員らの基金で支えられている。年間運営費は7000万円から1億円。薬品6割、輸送費・人件費3割5分。なるべく現地調達で安くあげるようにしている。資金関係は日本人スタッフが管理している。
ハンセン病の治療から始まったがニーズに合わせそれ以外の病気も診るようになっている。当時ハンセン病患者数は2400名、現在7000人を越える。
2.アフガニスタンとは
日本の1.6倍の面積を持ち95%が農業を営む。北部にシルクロードが通り、様々な民族の交差点である。中央アジアの砂漠気候の中にあり、降水量は日本の1/200と極端に少ない。ヒンズークシ山地の山間の谷やわずかな平地で、山に降る雪解け水を利用して農業を営む。温暖化の影響で、山の雪が減少し、かつて落ちれば浮いてくることがないほど豊かな水量だった川が今や歩いて渡れるほどになっている。
日本や欧米のような近代国家ではなく、明治維新前あるいは戦国時代を想定した方がいいかも知れない。日本で数日でできることが数ヶ月かかる。診療所の移動も歩いて1週間、すぐそこというのがまる1日歩いた所など時間の流れが全く違う。
国民という概念はなく、例えるならば、サンゴの虫1匹ずつが独立して生きているようなもの。モスクを中心にして、近代法ではなく慣習法で回っている。警察は交通整理のみ。全て住民自治による。99%以上がイスラム教徒の共同体。何百年も前のシルクロードの風景そのもの。
アフガニスタン人の悩みや喜びを理解することが必要だが、簡単にはできない。貧富の差が大きく、少しの豊かな人は、日本人の豊かな人以上で、病気になれば飛行機に乗って他の国で治療する。貧しい人は英語をしゃべることもできず、小銭も持たない。医療が進歩すればするほど、治療が高額になるため、取り残される。
飢饉によってこの冬600万人が餓死の予想。男性の皮膚病やハンセン病は早期発見ができるが、女性が外で肌をさらすことがないアフガニスタンでは女性の治療は難しい。性道徳は厳しい。婦女暴行は死罪になる(血縁者が相手を殺しても当然という感覚)。従ってエイズはない。
現地の文化や風習を優劣の物差しで測ろうとするのが欧米人である。
3.戦争の20年
○1979年10月−−
ソ連軍のアフガニスタン侵攻。70数万人が死亡。巻き添えの人も入れると200万人といわれる。難民は600万人。感染症の巣窟となった。当時は農村が戦場だった。中世以前の農民=兵士である。
アフガニスタンの人は日本人に対して友好的。なぜなら日露戦争に勝利し、広島長崎でアメリカの被曝を受けた国だから。この2つの事実はアフガニスタンの山奥に住む人でも知っている。
○1988〜1989年−−
ソ連軍撤退後、国連などから200億ドルの復興費用が投入されたが、難民は誰一人帰国していない。内戦がひどくなる一方だった。戦場は農村から都市に移り、タリバン支配まで続いた内戦で五万人の市民が命を落とした。
○1991年8月−−
湾岸戦争が始まり、ペシャワールから欧米人が逃げ出す。欧米人は、本能的にイスラム教に対し敵意を持っているように感じる。世界が引き上げたあと、300万人の難民のうち200万人が自発的に帰る。
ニーズがあるのに誰も行かないところへペシャワール会は行く。アメリカはアフガニスタンの建て直しのためにと国民の投票による選挙をするといっているが、選挙などアフガニスタン人には理解できないだろうし、押しつけでしかない。ペシャワール会が立てた方針ですらなかなかできないのに、ジュネーブや霞ヶ関で立てた方針が通るわけがない。アフガニスタンにとって何が良いのか分からないが、接触を密にして探っている。
○1998年−−
福祉法人として永住するためにペシャワールに基地病院PMSを7000万円で建設した。このころから干ばつがひどくなり、中央アジア全域から東は北朝鮮北部、西はイラン・イラクに至るまで6000万人が被害に遭っている。そのうち400万人が飢餓線上にいる。アフガニスタンの農業は壊滅的で、生産量は1割以下。飲料水すら足りなくなっている。年間100万人死亡。水がなければ、24時間で死亡する。診療所に歩いてくるまでに道ばたなどで死ぬ。井戸掘りスタッフ700人。地中に埋められている地雷は1000万〜600万個。この地雷を掘り起こしながら、井戸掘りに利用している。
この干ばつの厳しさは、世界に報道されて、待っていれば国際援助が届くと思っていた。ところが、来たのは援助ではなく国連の制裁だった。食料も入らない状況になった。バーミャンの石仏の破壊は雨乞いの儀式であったが、遺跡を破壊したことだけが伝えられ、干ばつの実態は何も知らされなかった。カブールから国連医療機関が撤退する中で、ペシャワール会は中に入っていった。国民の3〜4割が慢性の飢餓状態にいる。
世界で最も貧しい国に対し、アメリカ、日本、イギリス、フランス・・・はよってたかって暴力を加えた。誤爆の方が多く、ジャララバードでは、200人以上が誤爆によって死亡し、アフガニスタン全土では、数千人が亡くなった。空爆によって亡くなった人、これから亡くなる数百万人の飢餓者に、どれだけの日本人が哀悼の意を表するだろうか。(テロでなくなったアメリカ人にはほとんどの日本人が哀悼の意を表したが。)
4.質問に対する回答
Q、アメリカは勝利宣言をし、自らの絶対的正義と悪の根源タリバンという図式を書いているが、そこに人種差別を感じる。この考えについてどうか。
A、差別的なのは事実である。正義と悪という二流西部劇のような戦争だった。
援助といいながら、欧米人は、砂漠の暑さ、冷え込む夜、外へは絶対出ない。ペシャワール会は、どんなに危険な中でも逃げたことがない。爆撃下でも一緒にやってきた事で信頼を得てきた。
Q、カブールで北部同盟を歓迎するビデオがあった。タリバンと北部同盟どちらが良いと考えるか。
A、タリバンの方が良かったと考える。窮屈さはあったが政治はきれいだった。 (ヨーロッパで言えばピューリタン的)麻薬の取り締まりを始めたが徹底していた。タリバンによって殺されたジャーナリストや医療関係者はいない。 タリバン支配地区は世界で最も治安の良いところだった。短い時間であったが平和な生活を享受できた。各州の州都が北部同盟の手に落ちたが、新聞で支配地域が塗られているような支配関係はない。点と線で結ばれる世界である。食糧輸送ができない。タリバン以前の無政府状態になっている。北部同盟は山賊化している。略奪の横行。国連機関がタリバンを懐かしく思うのではないか。
Q、日本の援助をどう思うか。
A、政治の道具としての人道援助はあり得ない。見返りを期待するのは商売。
Q、アフガニスタン人は誇り高いと言うがどうか。
A、確かに独立心旺盛で、見苦しい死に方はしない。病人が命の限りを知ると、息子や孫に伝えたいことがあると家に帰る。沖縄のような婦女暴行があれば内戦になる。客人は絶対に敵に引き渡さない。ウサマビンラディンも友人と見なしたら命がけで守る。今回日本に帰ってきて、アメリカに追随する日本人の誇りのなさを改めて思い知らされる。この50年余り戦争をしてこなかった。これは誇りである。日本人は戦争をしないと誇りを持ってなぜ言えないのか。
Q、精神病院がないといっていたが、心に傷を受けた人はどうするのか。
A、物がないからといって精神的な問題に発展することはない。各部族がハンディを持つ人を受け入れる。農村社会のキャパシティーは広い。
Q、言葉はどうしましたか。
A、言葉は行ってから覚える。パシュトウール語、ペルシャ語、ペシャワール語ぐらい分かればよい。新しく来た人も1月あれば日常会話が可能。
Q、タリバン下で思想統制はされていたのか。
A、一番よく情勢を理解していたのは、アフガニスタンに住む人達ではないか。ラジオではBBC放送で西側の報道を知り、アフガニスタン内部のことは自分自身で分かっている。
Q、タリバンに迫害を受けた話をたくさん聞くがどうか。
A、カブールで北部同盟を歓迎するビデオで語っていたのはペルシャ語の人ばかりではないか。タリバンは表向きは厳しいが、裏は広かった。ブルカも若い女性はかぶるが年寄りはタリバンの時からかぶっていなかった。それが、タリバン後にブルカをはずしたように報道されている。
Q、ペシャワール会が診療に行くことはどのようにして伝えるのか。
A、ほとんど電化されておらず、テレビが見られるなど3〜4%。だが噂が伝わるのは速く、1週間かけて歩いていくうちに近隣の村には伝わっている。
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