3700人を越える市民が犠牲になったと報告
米研究者




 12月10日 ニューハンプシャー大学の経済、国際関係、女性学専攻のマーク・ヘロルド教授は10月7日の空爆以降、通信社、主要新聞、現地報告等をもとに死傷者のデータを収集、分析し、12月はじめまでで、3767人を越える民間人が犠牲になったという報告書を発表した。アメリカの報復戦争のために流された血は、アメリカやイギリスでも、タリバンやアルカイダの指導者でもなく、アフガニスタンの罪のない多数の一般市民のものであることを厳しく糾弾している。一日に平均62人もの無実の死者が生み出され、それは、当時3234人とされていた米のテロ犠牲者の数を大幅に上回っていることを指摘している。しかし、この3767人は控えめな数字である。それは、空爆で負傷した後に亡くなった人や空爆によって援助が途絶え、飢えや凍えで死んだ人、戦闘行為で死んだ兵士、また捕虜などは含まれていない。おそらく膨大な数になるだろう。そして犠牲者は今も拡大し続けている。
 教授はタリバン発表10月21日時点で1000人、11月12日時点で2000人という報告と比較しながら、「政治的アナウンス」とされていたタリバン報告でさえ過小評価気味であることを明らかにしている(グラフ参照)。そして彼が特に主張していることは、これは誤爆ではなく、意図的な殺戮であり、民間人の犠牲の黙殺、アフガン人の命の軽視・無視であるということである。例えば、10月31日国際赤十字病院の被害について「カンダハルの国際赤十字病院が攻撃に遭い、11人が死亡」(タリバン発表)「軍事目標が攻撃され国際赤十字病院が近くにあった−−100メートル離れており、被害は受けなかった」(ペンタゴンの発表)「未明の空爆で、F−18が2000ポンドのJDAM爆弾を病院に投下、15−25人を殺戮した。病院は鉄とコンクリートにメチャメチャに壊れた。」(教授の調査結果)等々。
 ニュースメディアだけでなく目撃者や遺族の証言のレポートをもとに犠牲者を算出していくという辛気くさく骨の折れる仕事をしつこくやり続けている人がいるということは、日々の被害を丹念にフォローしようとしてきたわれわれをもまた勇気づけるとともに、アメリカの戦争犯罪をリアルに暴くためにはそれが不可欠であることを改めて確信させるものである。この新たな報告書を大いに参考にし、その評価を検証していきたい。

【関連サイト】 米国で報道されないアフガニスタン民間人犠牲者
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20020107203.html
http://www.cursor.org/stories/civilian_deaths.htm

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[翻訳] 

ごろつきどもの戦争で、罪なき人々が殺されている
 −−米の爆弾は少なくとも3767人の市民を殺戮した−−

      シューマス・ミルネ 2001.12.20.(木) ガーディアン(英)

 米の戦争の犠牲者は無実のアフガニスタン民衆だ

 アメリカの対テロ戦争のためにすでに支払われた血の対価が、まさに今明るみに出ようとしている。イギリスやアメリカによっても、ましてやアルカイダやタリバンのリーダー達によっても、ニューヨークとワシントンへの9.11の攻撃への責任はとられていない。その代わりに、ごく普通のアフガニスタン民衆によって支払われているのだ。彼らは、(テロの)残虐な行為に何の関係もなく、彼らを支配していたタリバン政権を選出したわけでもなく、ビンラディンとその友人を客人としてもてなす決定に口を挟むこともできなかった人々である。
 ペンタゴンは、アフガニスタンにシャワーのように浴びせられたミサイルのもとでどれだけ多くの人々が死んだのかということについて、わかっていながら独特のやり方で口をつぐんでいる。戦争への国際的な支持に対する影響を非常に気にしながら、スポークスマンはたいてい「これらは中立的に証明され得ない」という軽い言葉で市民の犠牲者のレポートを一蹴したり、あるいは、時には死者が出たことを全く単純に否定した。アメリカのメディアは特に有能であった。軍事行動に入った7週間で、ロサンゼルスタイムスだけが「少なくとも数ダースの市民が殺された」との推測を思い切って言うことができただけである。

 市民の犠牲者は3767人 しかし、この数字は控えめである

 今初めて、アフガニスタンにおける市民の犠牲者について系統的で中立的な研究がマーク・ヘロルド−−アメリカのニューハンプシャー大学の経済学教授−−によって伝えられた。援助団体、国連、目撃者、テレビ、新聞、世界中のニュース配信社からの証拠となるレポートに基づいて、ヘラルドは少なくとも3767人の市民が10月7日から12月10日の間に殺されたと評価している。それは一日平均62人の無実の人々の死であり、9.11にニューヨークとワシントンで殺されたと現在考えられている3234人を大きく上回っている。
 もちろん、ヘロルドの合計は単なる一つの概算にすぎない。しかし、彼の仕事が強い印象を与えるのは、入念な照合が行われているだけでなく、それぞれ報告された事件には推測をできる限り少なくしているということである。数値は、爆撃で負傷した後に亡くなった人や、10日後以降に亡くなった人、援助供給の中断や爆撃によって難民になることを余儀なくされた結果、寒さや飢えで亡くなった人を含んでいない。それは戦闘行為による死亡(いくつかの研究者によって一万人を越えると−−一部はじゅうたん爆撃の影響についての以前の経験に基づき−−見積もられている。)や、マザリシャリフ、カライジャンギ、カンダハル空港その他で捕らえられた捕虜達の死者も含んでいない。

 一般市民の犠牲は誤爆ではない 殺すために殺したのだ 

 戦争の勝者はこのような犠牲は不運であるが必要であり、国際テロネットワークを根絶する軍事行動の副産物であると主張している。そして、アフガン市民の場合には米は意図的に殺そうとしたわけではないのだから世界貿易センタービルへの攻撃での市民の犠牲者とは別の問題だと主張している。
 実際には、最も寛大に見たとしても、道徳的な相違点ははっきりしない。ヘロルドが主張するように、アフガニスタンの市民の高い死亡率は、アメリカ(とイギリス)の作戦と攻撃目標設定から直接に生み出されたものである。高高度からの空爆に重点を置き、都市のインフラを目標と設定し、人口集中都市や村へ繰り返し激しい空爆を加えるという作戦はアメリカのパイロットや兵士達の生命を配慮したものであって、彼らが敵と宣言しているタリバンの命を配慮したものでも、アフガニスタンの市民を配慮したものでもない。数千の無実の人々が、この2ヶ月で亡くなった。それは、主としてタリバン体制を崩壊させるための作戦の偶然的な副産物としてではなく、アメリカ軍の計画立案者達のアフガン人の生命軽視の結果である。
 カジャカイダム・発電所、カブールの通信所、アルジャジーラのテレビ局、難民達で満杯になった大型トラックバス、市民がいっぱい乗ったトラックのような目標への爆撃は、誤爆ではない。そしてそれによって引き起こされた市民の犠牲も誤爆ではない。それは市街地での対人クラスター爆弾の使用についても同じことがいえる。しかし、西側の世論は、その大義のもとで何がなされているのかということについて、ますます鈍感になってきている。米のAC−130特殊攻撃機が10月にチュウカーカレズの農村を襲い少なくとも93人の村民を殺戮した後に、米国防総省当局者は「われわれが彼らの死を望んだが故にそこの人々は死んでいるのだ」と感想を述べることが可能だと感じていた。米国防長官ラムズフェルトは「その村を特別扱いすることはできない」とコメントした。

 大義なき、ごろつきどもの戦争

 昨日、ラムズフェルトは、ロンドンを含め、さらなるテロ攻撃を予想することによって、アフガニスタンへの軍事行動(ビンラディンとアルカイダの指導部を裁判にかけるという原則的な目標にまだ達していない)はテロリストの脅威に対してほとんど影響を与えていないことを不注意にも渋々認めざるを得なかった。ツインタワービルの犠牲者に行われたように、アフガンの死者に対しては、公的な二分間の黙祷も、新聞の死亡記事や追悼式への首相の出席も一切ないだろう。それどころか、残酷にも宣伝されてきていることは、アメリカとその同盟軍が、ごろつきどもの戦争において、無実の数千もの人々を犠牲に供する準備があるということである。



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