8/3中村哲さん(ペシャワール会)講演会に参加して
「平和の水源を求めて」〜アフガニスタンからの報告〜

マグサイサイ賞を受賞した中村哲さん

 8月3日、ペシャワール会会員の知人に誘われて、京都ノートルダム女子大学にて行われた、中村哲さんの講演会(主催 ピースウォーク京都)を聞きに行きました。
 京都での講演会は、これで3度目ということで、中村さんご自身は「金太郎飴」のようにいつも同じ話ばかりで・・・、と言っておられましたが、会場には、初めての人(私自身もそうですが)もかなり多く、1000人ほどの席がほぼ満席でした。
 司会は、中学生の少年少女。会場のあちこちに、スタッフとして、参加者として、若い人の姿が何人も見られました。こうした活動に新しい世代の人々が参加するのは、もう、珍しいことではないんだな、とあらためて思いました。

 講演の始めに、中村さんのマグサイサイ賞受賞を祝って、チマチョゴリ姿の女性より花束が贈られ、その時、司会の少年が、バックミュージック代わりに、無伴奏で上手に歌を歌っていました。「マグサイサイ賞表彰決定を受けて」が中村さんによって読み上げられました。(どうぞ、ペシャワール会HPに掲載されている文章をごらんになってください。)http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/magsaysay.html

 そして、アフガニスタンの現状と中村さんの活動を紹介するビデオが流されました。前半は、学校にも行けずに水売りをして働く少年を中心とした内容。路上での商売は禁じられており、警官に見つかっては殴られる者もいる中、懸命に、飢餓ぎりぎりの状態にある家族のために働き続けるというものでした。後半は、決してこちらの文化を押しつけはしないと、地方の長老を説得しながら、井戸掘りや水路建設の作業をする中村さんの姿でした。

 それから、スライドを交えながら、中村さんの話が始まりました。ペシャワール会の紹介、深刻な大干ばつの中で水路作りや井戸掘りの差し迫った必要性や、貧富の格差が激しいので日本の医療をそのまま持ち込んでも貧しい人がその医療の恩恵を受けられないことなど、20年に渡る現地での地道な活動の様子がありありと浮かび上がる話ばかりでした。

 国際社会は、アフガンの人々が大干ばつで飢餓に苦しんでいるときには、まったく目を向けませんでした。9.11の後には、何かに取り憑かれたかのように空爆が正当化され、そして、国際的な関心が高まっている時にやってきた外国からの支援団体、NGOは、人々の暮らしの問題は何も解決していないのに、どんどんアフガニスタンから去ってしまっているのです。

 ケシ畑のスライドがありました。タリバーン政権下では、ほぼ絶滅していたのに、現在大量に復活し、その根絶が大きな課題となっているということです。マスメディアなどの報道で、タリバーン政権が麻薬栽培をしているかのように聞いたことがありますが、事実はまったく正反対なのです。悪いことはなんでもタリバーン政権のせいにするやり方に、中村さんは異議を唱えていました。

 中村さんの話は、深刻なことを扱いながらも、とてもユーモラスです。例えば、現地スタッフのほとんどが元ゲリラ兵なので、爆破はお手の物で、それをヨーロッパの記者が美談に仕立て上げようと誘導尋問的なインタビューを行ったという話を紹介していました。
「以前は戦車を爆破してたんですよね。」「はい。」
「今は水路を作るために爆破しているんですよね。」「はい。」
「戦車を爆破している時には人が死にますよね。」「はい。」
「水路を作るとたくさんの人が生きられますよね。」「はい。」
「どちらが楽しいですか。」(ここで記者の予想に反して)「どっちも楽しい…。」
 会場は爆笑。この記者があらかじめ頭の中で作り上げたストーリーが見事に崩壊してしまったのが滑稽でならなかったのですが、これは、まさに、欧米のような「先進国」(日本も含めた)が、自分たちの文化を押しつけ、自分があらかじめ設定した枠内に現地の人を当てはめようとする傲慢さへの鋭い批判になっていることを感じました。

質疑応答−−対日感情の悪化、劣化ウラン弾など

 15分の休憩のあとは、質疑応答の時間です。会場で手を挙げてもいいいし、質問用紙に聞きたいことを書いてもいいというのでした。聞いてみたいことはあったのですが、当てられてうまくしゃべれなかったらどうしようと思って、質問用紙に書いて出しておきました。
 さて、質疑応答には、ずいぶんたくさんの人が手を挙げ、また、質問用紙もどっさり集まり、積極的な関心をもっている人が多いことが示されました。
 質問者の中には、自分の属している団体の宣伝みたいなことを長々と言う人がおり、司会者から何度も注意を受けていました。この人に、中村さんは開口一番、「質問は何でしたっけ」。会場は大爆笑でした。

 平和のためにどうすればいいか、という質問に対して、「どうすれば」というのはいろいろあるが、まずは、自分で、こうするというのを決めて、それを、どんと、まっすぐ、徹底してやってみるのがいいと強く訴えておられました。講演の最後でも、再度、特に、20代、30代の若い人が、大人の作った既成の常識にとらわれずに自分の思ったことをやってみるべきだと、新しい世代に向けてのメッセージを強調していたのが印象的でした。

 アフガニスタンの人々の対日感情は変化しましたか、という質問に対して、中村さんは、きっぱりと「変化しました」と答えていました。アフガニスタンは元々親日的な国でした。(誰もが、日本といえば、日露戦争、広島・長崎、平和憲法を思い起こすそうです。)それが、アフガンへの空爆を支持し、さらに今やイラクへの自衛隊派遣を国会で決めたことで、日本への不信感が広がっており、このままでは、日本の基地に自爆テロが起こってもなんら不思議ではないと指摘されていました。

 政府からの援助についての質問がありました。9.11以前に何度かODA関係の物資をもらったことがあるが、今はおそらくくれないし、こちらもややこしい援助はもらう気はない、政府から資金をもらってしまうと、どうしても政府の意見に引きずられてしまう、援助をする側が、「地方の治安が悪いので軍隊を送ってくれないと援助ができない」というのは、援助のあり方として、まったくおかしいといった指摘をされていました。
 ペシャワール会の基本姿勢として、寄付金のほとんどが現地で活用されているというのは、中村さんの誇りとするところです。当たり前のように見えることかもしれませんが、実際には、大きな組織では、寄付金や援助金のかなりの額が、団体内部の運営費に当てられてしまっているのです。
 「論座」9月号に掲載された中村さんの「アフガン復興 その伝わらざる『現実』」では、この点に関連して、次のような指摘がありました。「約束された援助の大半は国連やNGOを通じて行われたから、政府が実際に受け取った額は30パーセント前後にとどまり、月給数十ドルの役人の給与さえまともに支払われない。対照的に、国連や外国の支援団体はその数倍もの高給で人材を雇用し、しかも復興支援がしばしば実状とかけ離れた外国人のアイデアで行われ、彼らの存在が新政府にとって大きな壁となって立ちはだかっている。」
(この「論座」9月号掲載の中村さんの論説は、今回の講演内容とかなり重なっていますので、ぜひ参照してください。)
 
 質問用紙からの質問では、劣化ウラン弾と、米軍の活動のことが取り上げられました。これは、実は、私の質問したことで、(私以外にもそういう質問をした人があったのかもしれませんが)たくさんの中から選んでもらえて、とてもうれしく思いました。
 劣化ウラン弾については、使用されたに違いない、その被害については、国連人権調査委員会が調べているが、アメリカの圧力がかかっているせいなのか、それとも単に調査が遅れているだけなのかわからないが、その報告がなかなか表に出てこないということでした。
 米軍については、以前のような派手な空爆こそはないが、その活動地域は広がっている、そして、米軍自身は安全な空中に留まり、地上戦は地元の軍閥に任せている、だから、カルザイ政権は、米軍がいることでようやく保たれているが、その一方で、米軍が各地の軍閥を必要としているので、統一ができないというおかしなことになっている、アフガン社会は不文律として「復讐社会」であって、家族が殺された仇を必ず取るという気持ちを持ち続けており、米軍の弱体化を待っているのではないかということでした。
 
 以前から、中村さんの著作を読み、その業績と人柄に多くの感銘を受けてきたのですが、実際の中村さんに接することができて、さらにその感を強め、とても有意義な講演会でした。
 
中村哲さんの話とは全く逆の新聞報道−−アフガン介入の「泥沼化」

 その後、新聞に、「忘れられたアフガン治安」(朝日新聞8月5日)などのように、アフガニスタンを忘れるなというような記事が載ることが多くなりました。しかし、その内容は、中村さんが提起したこととは全く逆です。アフガニスタンの治安が乱れているので、もっと、軍隊を各地に派遣する必要があるという話ばかりです。「筋論で『丸腰』をと言っている場合ではない」(国連難民高等弁務官カブール事務所の藤原万希子報道官)といった「現実論が大勢を占め」ているというのです。

 中村さんの話を聞かずに、この新聞記事を読んだだけでは、その「治安の乱れ」が、なぜ起きているのか、その根本原因はまったく見えてきません。講演でも指摘されていたのですが、このことについては正確を期すため「論座」9月号の文章から引用します。
 「新政権は山のような難題を抱えて発足した。かろうじて首都カブールにだけはISAF(国際治安支援部隊)二千人が進駐したものの、軍閥が各地に割拠、アフガン政府の威光はカブールに限定されているのが実状である。米軍は終始安全な上空にとどまり、危険な地上戦を各地域の『反タリバーン軍閥』に請け負わせた。このため、大量の武器と資金が各軍閥に流され、大混乱を現出した。」
 「事実、カルザイ現大統領は米軍特殊部隊に守られ、〇二年秋から米軍が民政に関与、一般民衆はまともな『アフガン政権』が誕生したとは信じていない。全体の状況を眺めると、米軍はカルザイ政権を擁立しながら、他方で国家統一を阻む地方軍閥を支えるという奇怪な構図になっている。」
 米軍が「反テロ」と称して行ってきたアフガニスタンでの軍事活動こそが、「治安の乱れ」の根本原因なのです。アフガニスタンへの軍隊の増派は、治安の回復どころか、さらなる事態の悪化へと進むに違いありません。

 さらに、米軍などへの襲撃が起きる背景が、次のように述べられています。
 「一般の民衆は生きることに精いっぱいだが、少なくとも東部では、米軍の存在を快く思う者はほとんどいない。アフガニスタンでもパキスタンでも『圧倒的多数の反米的な民衆と、一握りの親米政権』という図式が定着した。襲撃は米軍や同盟軍だけでなく、外国のNGO、国際赤十字、国連組織にも向けられ始めている。」「だが、これを一部過激勢力の行為だと見ることはできない。その背景には、遅々として進まぬ復興、貧困層のいっそうの困窮で、「『支援』でアフガン人が食いものにされている」という認識が行き渡っているからである。多くの外国職員は米軍と同様、現場にあまり出ず、プロジェクトを地元の請負業者に任せることが多い。紙上の報告とは異なる粗雑な事業が行われていることを地元民は知っている。」
 「イラク開戦の後でさえ月間一億ドル以上の戦費を費やしているにもかかわらず、米軍の『タリバーン/アルカイダ掃討』は決して進んだとは言えない。東部・南部での米軍や外郭団体への襲撃は、今や日常化し、さらに激化の兆しを見せている。」
 今、イラクの「泥沼化」ということが言われはじめていますが、アフガニスタンも、すでに「泥沼化」していると感じないではいられません。

 同じようにアフガニスタンの現地で活動していても、「本当に彼らが欲するものを探り、人間としての一致点において、見返りを求めず、彼らが生きるための協力を惜しまぬ」姿勢を貫いてきた中村さんの観点と、そうでない人々との観点の根本的な違いをつくづく感じざるを得ませんでした。
(大阪N.Y)


(一参加者として、印象に残ったことについて感想を書きましたので、発言の再現について不正確な点もあると思いますが、ご容赦ください。講演の詳しい内容やペシャワール会の活動については、下記のHPをご覧下さい。)
ペシャワール会のHP   http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
ピースウォーク京都のHP http://www1.odn.ne.jp/~ceq25780/pw.htm