アフガンで戦争犯罪を犯した征服者たちを非難する記録
(Le Monde, 2002.6.14 より)

■この6月12日、映画監督ジャミ・ドラン氏が、米軍によるアフガニスタンでの戦争犯罪の証拠となるドキュメンタリー映画を公開しました。テーマは「マザリシャリフの虐殺」です。
 私たちは、本HP上で、昨年11月29日、アフガニスタンのマザリシャリフ西方にあるカラハンギ要塞にある収容所で、米英軍と北部同盟による、タリバン兵捕虜に対する大虐殺事件が起こったことを報道し、告発しました。今回のドラン氏の映画と証人集めは、この虐殺が真実であったことを改めて証明するものです。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Afghan/MazariSharif.htm
「マザリシャリフの虐殺 これは米英軍の戦争犯罪だ!アムネスティが調査を要求」

 虐殺事件が起こったのは昨年の11月25日頃です。それから7ヶ月も経過しました。ドラン氏は、闇に葬られてきたこのマザリの虐殺事件を執拗に追跡調査し、ようやくその証人を捜し当て、同時にそのドキュメンタリー映画を放映することにこぎ着けたのです。日本でも朝日新聞(6月15日)がこれを報道しました。以下は、フランスのル・モンド紙の翻訳紹介です。

■今日の新聞各紙に腹立たしく、また驚くべき虐殺事件が発生しました。例の「誤爆」です。アフガニスタン南部ウルズガン州で7月1日未明、結婚式が行われていた会場に米軍が爆撃し、少なくとも一般市民40人を死亡させ、60人以上を負傷させました。120人、あるいは300人が死傷したとの情報もあります。あつ報道では、米軍機が披露宴の祝砲を攻撃と勘違いし、応射した可能性を指摘しているといいます。米軍の殺し放題、やりたい放題の状況をどう阻止すればいいのか、歯がゆさと苛立ちで一杯です。
http://www.yomiuri.co.jp/05/20020701it15.htm
米軍誤爆か、アフガン南部で結婚式場の40人死亡

■まさに米軍と米政権の戦争犯罪が世界中で荒れ狂う中で、米国は、自己保身のために国際刑事裁判所設立に当たっても露骨に妨害しました。なぜなら、もし戦争犯罪が問題にされれば、その最大の被告は米軍兵士とその将校や最高司令官であるブッシュ大統領自身になることが必定だからです。マザリ然り。今回の結構式場の虐殺然り。
 それでも数々の紆余曲折の後7月1日に発効した国際刑事裁判所(ICC)設立条約。これはジェノサイドや戦争犯罪を犯した個人を裁くものですが、戦争犯罪を裁く常設の裁判所設置は史上初めてです。前クリントン政権は条約に署名しましたが、現ブッシュ政権になるやいなや署名を撤回してしまいました。同裁判所は、最大の被告を欠いたまま不完全な形でスタートします。しかし国際世論の力で、米軍の戦争犯罪を告発していく必要があります。戦争犯罪の追及自体が米の次なる侵略戦争を阻止する重要な要因になるのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020701-00003049-mai-int
<国際刑事裁判所>設立条約が発効 常設は史上初
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020701-00002027-mai-int
<国際刑事裁判所>設立条約が1日発効 現米政権は署名を撤回

2002年7月2日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




アフガンで戦争犯罪を犯した征服者たちを非難する記録

 ヨーロッパ統一左翼(GUE、共産党)の欧州議会議員は6月12日、ストラスブールである衝撃をもたらした。かれは、アフガニスタン北部、マザリシャフ地域で戦争犯罪を犯した北部同盟とアメリカの兵士を告発するフィルムを公開したのである。反対派の政治組織の議員を含む150人以上の人々が、元ジャーナリストで現在は独立の映画監督であるジャミ・ドランが製作した記録を見るためにグループの集会所にぎっしり入った。
 「報酬は払われていないし、法廷において自分たちの見解を堅持することを受諾する」という6人の証言者の誓いに基づいて、監督は2001年11月20日、クンドゥスの北部同盟の軍隊に引き渡された8千人のタリバン兵の運命について質問した。彼らのうちの少数(470人)は、カラエジャンギの要塞に連行され、そこで反乱を起こした。彼らの運命は、それ以後不明である。86名のみが反乱で生き残ったが、彼らは北部同盟のみならずアメリカやイギリスの軍隊によって圧殺された。
 しかし、タリバン兵のほとんど(7500人)は、カラエゼニのもうひとつの要塞に連行されたようで、それから25個のコンテナに詰め込まれて、2時間の行程にあるシェベルガンの監獄に移された。二人の兵士は、ひとつのコンテナーに300人ずつ詰め込まれたと証言した。「彼らがわめいたときには、コンテナを撃つ命令がくだされた」と彼らのうちの一人が述べた。シェベルガン監獄付近に仕事にきたタクシーの運転手は「なぜこんな嫌な匂いがするのだろうか」と疑い、「コンテナから流れる血を見た」と言った。
 4000人のタリバンが死体で、もしくはほとんど窒息の状態で監獄に着いた。アメリカの将校たちは運転手に、死体と瀕死の者を砂漠に運ぶように、それから人工衛星によって見つからないようにコンテナを片付けるようにと命じた。
 ジャミ・ドランによって見出され、別々に会見した二人の運転手は、同じところで仕事をしたのだが、その場所でジャーナリストは人骨と衣服の切れ端を撮影した。「私は掘ることが出来なかったが、しかし、一連の穴がここにあったと思われる」と彼は断言した。アフガンの兵士は、シェベルガン監獄でアメリカ人たちがタリバン兵に拷問を行なったにちがいないと断言した。「彼らはひげと舌と足を切り、頭に酸をかけた」と彼らのうちの一人が断言した。
 GUE委員長、フランシス・ビュルツは、この事件について調査することをヨーロッパ議会に提案する予定である。彼は、彼のグループが反米や何らかの親タリバンというようなことによって突き動かされているのではない、と断言した。