アメリカの5つの戦争犯罪
アメリカの対アフガニスタン戦争の被害について




 タリバンのカンダハル撤退によって、10/7から始まった「報復戦争」は大きな節目を迎えている。
 アメリカはこの戦争で、破壊と殺戮の限りを尽くし、ありとあらゆる残虐行為と戦争犯罪を行った。米の戦争犯罪を暴露し責任を追及する活動を、むしろこれから本格的に始めなければならない。我々は、ここで米の戦争犯罪を5つに分けて問題にしていきたい。
@「マザリシャリフの虐殺」は、明白なジュネーブ協定違反の戦争犯罪であった。この前代未聞の捕虜虐殺事件には、米軍とブッシュ政権が明らかに関与していた。この事件は、今回の戦争の野蛮な本質を如実に示している。事件の真相を徹底的に明らかにし、米軍とブッシュの責任を追及していかなくてはならない。
A飢餓の国に対して行った戦争の犯罪性である。この戦争は、乳児死亡率が25%を越える国、飢餓に陥っている人々が人口の1/3〜半分にものぼる国、昨年だけでも150人が凍死、餓死したという最貧の国、飢餓の国に対する経済軍事超大国による戦争である。この事実が、この戦争の経過や、それがもたらした被害の大きさに決定的な影響を与えている。 
 イラク、ユーゴスラビアなど90年代に入っての米の戦争と比較しても、比べることすらできない、悲惨でむごたらしい結果をもたらしている。
 ビンラディン捕捉を名目としたジャララバードやトラボラに対する空爆はまだ続いている。しかし、仮に空爆が終わったとしても戦争は終わらない。むしろ悲劇はこれから始まる。空爆による直接の被害だけでなく、飢餓、寒さ、凍えによる死者の増大、多数の負傷者、手足をなくし働けなくなった者、親を亡くした子供、医療機関爆撃による医療、衛生状態の悪化、農耕や牧畜の時期の喪失、農地の破壊等々。また被害という意味だけでなく、内戦の危機という意味でもそうである。すでに北部同盟内部、反タリバン勢力内部で抗争が起こっている。
 アフガンに治安をもたらし生産を回復させたタリバン政権を、米の気に入らないという理由だけで崩壊させたことの意味、そして群雄割拠と無政府状態を作り出した意味は今後日を追って明らかになるだろう。
Bこのアフガニスタンの飢餓そのものが、米とそれに主導された「国連制裁」によって作り出されたものであることを問題にしなければならない。これは、同時テロ事件と米の「報復戦争」開始以前からの、一貫した米政策であった。
C我々は、空爆が開始されて以降、アメリカの被害をできる限り日々フォローしてきた。我々がHPに掲載している「被害報道日誌」やさまざまな被害に関する記事について、多数の人から問い合わせが寄せられていることは、これらの被害がマスコミによってまともに取り上げられていないことを意味している。しかし残念ながらその全貌は全くと言っていいほど明らかになっていない。死者の数や破壊された正確な地域さえ定かではない。それは、飢餓戦略と結合されて行われてきた。空爆によるアフガンの土地と生産の破壊による被害については、なおさら今後明らかにしなければならない課題である。
Dクラスター爆弾や、燃料気化爆弾など非人道的・大量殺戮兵器を大量に使用し、アフガンを新型兵器の実験場にしてきた。
 我々は、これらの米の戦争犯罪の責任を世界の反戦、反グローバリズムの闘いとともに追及していきたい。アフガンの本当の惨状がこれから始まるように、われわれの活動もこれから始まる。ここで紹介する被害と戦争犯罪の報告は全体のごくごく一部にすぎない。これからもフォローを続けていくとともに、この事実を多くの人たちに暴露・宣伝していく活動を続けていきたい。 


[1]マザリシャリフの捕虜虐殺。史上例をみない残虐行為。米の責任を徹底的に追及する。

 捕虜収容所丸ごと爆撃、殲滅する残虐行為

 マザリシャリフ西方カラハンギ要塞にある収容所で、11/25から始まった捕虜の「暴動」に対する鎮圧は、収容された捕虜を丸ごと空爆によって爆撃し一人残らず虐殺し、殲滅するという例をみない残虐行為である。
 捕虜への虐待を禁じたジュネーブ協定に明白に違反した正真正銘の戦争犯罪である。捕虜のほぼ全員の400人あるいは800人の捕虜が死亡した。
 アムネスティ・インターナショナルも緊急調査を要求し、事態の経過と責任の所在を明らかにするとことを決定した。

 発端から、虐殺まで、すべてアメリカに責任がある

 この暴動の発端は、アメリカの責任であり、その虐殺もアメリカが遂行した、徹頭徹尾アメリカが行った暴挙である。ブッシュ政権が直接に責任を負わなければならない。
 北部同盟の捕虜収容所に、CIA工作員がおり、捕虜に尋問したことがきっかけだった。「何のためにきたんだ」との問いに「おまえを殺しにきたんだ」と答えた捕虜の一人をCIA工作員が射殺したことが、暴動の引き金となった。
 パキスタン、チェチェン人、アラブ人の外人部隊のタリバン兵の捕虜は、本国への強制送還をおそれたとも言われるが、また、11/13のカブール陥落時100人あるいは600人の少年兵が無条件に処刑されたことから、処刑をおそれ反乱をおこしたとも言われている。いずれにしても、首都制圧への米・CIA・特殊部隊の主導、タリバン兵・捕虜に対する残虐行為が引き金になった。
 この事件の直前にラムズフェルトは「捕虜をとるつもりはない」「外国兵は祖国に帰ることは望まない」と発言を繰り返し、捕虜の出国を拒否していた。母国への強制送還を主張する北部同盟とも対立する形で、事実上捕虜としての存在を否定し、捕虜殲滅を示唆していた。

 繰り返された捕虜虐殺 マザリシャリフは米の残虐行為の一端にすぎない 

 暴動と空爆ののち捕虜の逃げ込んだ地下室に水を流し込み、あるいは油を流して火をつけいぶりだし、死体の散乱する現場を戦車で踏みつぶして砲撃する等々最後の最後まで残忍な手口で虐殺した。
 マザリシャリフは、米マスコミでも「これまでのアフガニスタンの軍事作戦でもっとも血塗られた場面」というほど凄惨なものである。しかし、偶然起こったものではない。タリバン人捕虜、タリバン投降兵に対する残虐行為は、一貫して行われていた。先に指摘したとおり11/13のカブール陥落時には、戦闘意欲を喪失した17〜18歳のタリバンの少年兵を100人あるいは600人を処刑した。また、アムネスティがマザリシャリフ事件を調査するよう指示した11/28日にもカンダハルにおいて、160人のタリバン兵が処刑された。さらに11/30、マザリシャリフの学校収容の捕虜67人が殺害されている。
 タリバンやアフガン人民、アラブ人民を家畜のように扱う許し難い事件である。これらの虐殺の責任を徹底して暴露、追及しなければならない。


[2]飢餓の国に対する戦争。

 
 飢餓に瀕する国への戦争

 すでに戦争が始まる前に、600万人、700万人が飢餓線上にいた。そして、戦争準備と空爆によって多数の難民が生じると予想されていた。しかし、意外にも多くの人々の予想したようには「大規模難民」は生み出されず、身よりのない人、金のない人、体力のない人、要するにもっとも弱く生活力のない人々がカブールに取り残された。このような状況の下でアメリカは、食糧戦略=飢餓戦略ともいえる戦略を採った。兵糧責め=飢餓戦略は地域への水や食糧補給を絶ち、食糧供給施設を破壊し(井戸に毒を入れる、穀倉を焼き討ちにする、田畑を焼き払う等)、孤立化させ、戦士を飢えさせ、戦意を喪失させ降伏、投降に追いやる残忍な戦略である。

・アメリカは、空爆2日目の10/8に地雷撤去の国連系NGO事務所にミサイルを撃ち込み、国連の食料援助活動を震え上がらせ、爆撃の危険なしに食料援助をできないことを国連とNGOに知らしめた。11/20には国際赤十字の食糧倉庫が爆撃された等々。
・米の食糧投下作戦は、食糧供給=味方、爆弾投下=敵という構図を破壊し、現地の食糧供給活動に大混乱をもたらした。クラスター爆弾と食糧パッケージの色が黄色で同じであったというオチまでついた。また、地雷原にこの食糧は大量にばらまかれ、子供たちへの地雷被害を拡大した。地雷被害は、「報復戦争」開始前の4割も増加した。
・投下食糧が人々の頭を直撃し、死亡させた。
・タリバンがWFPの食糧倉庫を掌握した等と非難された。もちろん戦闘部隊が、食糧を優先的に配給、調達し戦争に動員するのは不可避である。

 総じてこれらは、タリバンを疲弊させ、破壊するために、一般市民を巻き込んで飢餓地獄へ陥れるという兵糧責めであった。タリバンがこもった洞窟には食べられた野ネズミの死骸があったとされている。圧倒的な物量によって行われた空爆による兵糧責めが、タリバンのカブール陥落を予想を超えた早さでもたらしたのは間違いない。
スターリングラードが、ヒトラードイツの900日の包囲を耐え抜いた話は有名である。しかし、もともと食糧や生活物資を「援助」に頼らざるを最貧国に、包囲に耐えうる蓄えなどなかったということである。
 カブール陥落によって飢餓と戦火からの脱出に一縷の望みを見いだし多くの市民がそれを歓迎したとしても不思議ではない。にもかかわらず、カブールでは北部同盟の略奪・暴行の復活を危惧する声が聞かれたのである。

 むき出しの飢餓戦略

 11/13カブール陥落後、米はオブラートで包んだ兵糧責めから、むき出しの兵糧責めへと転換した。カブール陥落後は、マザリシヤリフ虐殺も含め「報復戦争」の局面の中でももっとも残虐で残忍な戦争が繰り広げられた。
 米はタリバンの最後の砦カンダハルへ通じる幹線道路を封鎖し、軍用、民生を問わず、動いている車体は何でも空爆するという形で、トラック、トラクター、食糧輸送車、タンクローリー、ランドクルーザー等々を爆撃した。もはや狙い撃ちしたことを公言した。食糧、燃料、日常品、医薬品等一切の補給路を絶ち、タリバン干上がるのを待った。


 無政府状態、内戦の危機のもとで拡大する餓死、凍死の危機 

 現在、食料略奪がアフガン全土で起こり、飢餓は続いている。もっとも激しい戦闘が行われたカンダハルでは、食糧、燃料はじめ一切の補給が止まり、物価が高騰し、23万人の市民は餓死の危機に瀕している。一方、タリバン政権崩壊直後、飢餓の危機が去ったかに思われたカブールと北部地域においても、略奪、強奪、部分的内戦が勃発し、国連職員が引き上げ、食糧配給が滞り、大混乱が生じている。12/3には北部同盟内部の銃撃戦が始まり、国連職員の退去が命じられた。現在一時的な飢餓の危機が緩和されているとすれば、タリバン政権崩壊直後数日にカブールに運び込まれた備蓄があるからに他ならない。良心的なNGOやタリバンが協力することによってようやく維持されていた「食糧配給システム」が破壊され、一時的場当たり的な援助物資が各軍閥の思惑によってもてあそばれているのである。アメリカは「パンドラの箱をあけて」しまったのであり、アフガニスタンを20年以上にわたって荒廃させてきた内戦の再発の危機をもたらそうとしている。

 *ユニセフ(国連児童基金)は11月20日、冬を前に12万人のアフガン児童が飢えや病気、寒さに直面しており、援助をしなければ死亡すると語り、時間との戦いを強調した。
 *ペシャワール会は、「迫り来る飢餓と無政府状態」というレポートを、11月29日に発表した。それによれば、11月13日の北部同盟カブール進駐以来、カブールを除く全アフガニスタンで治安が急速に悪化し、各国の救援団体、WFP(世界食糧計画)、国連組織は、カブール市以外の地域で困難に直面している。厳冬を迎えてアフガニスタン全土が恐るべき状態に陥っている。東の最大の町ジャララバードでは、11月15日から「防衛隊長」ハザラット・アリの率いる北部同盟軍民が闊歩し、PMS(ペシャワール会医療サービス)とDACAAR(デンマーク救援会)以外の全ての外国団体、国連系の事務所が略奪された。11/21にはペシャワール会の事務所が略奪されている。

 マラリア、ポリオの復活。空爆は医療機関、設備、医薬品供給を破壊してしまった

 アフガニスタンでは、ポリオワクチン接種のための3日間の空爆停止キャンペーンが進められてきたが、世界の他の地域ではほとんど見られなくなった致死率が高いポリオがアフガニスタンで再発している。WHO(世界保健機関)はラグマン州でポリオによる子供2人の死亡を確認した。今年に入って同国南部でポリオ患者9人が発見されたが、これが他の地域へと広がっている。
 また、熱帯(脳性)マラリアによりラグマン州で子供20人を含む計24人が死亡した。病院への搬送が遅れたために治療できなかったと言われている。もちろん、空爆と医療施設の破壊、医療器具、医薬品の不足が状況を悪化させている。
 避難民キャンプでは、急性呼吸器疾患、下痢、結核、栄養失調が拡大しているといわれている。特に下痢は子供の場合危険である。埃、風、寒さも避難民の健康に大きな影響を与える。


[3]アフガニスタンの飢餓は、未曾有の干ばつを利用してアメリカが作り出したと言っても過言ではない。

 一般市民もろとも、タリバンを飢餓地獄に陥れる−−一貫した米の政策

 ここで改めてアフガニスタンの飢餓を深刻化させた米の「国連制裁」の意味を問題にしなければならない。アフガニスタンの飢餓は、9.11テロ事件以前も以後もそして、タリバン政権後の現在も依然深刻なものとして存在している。しかし、その政治的意味は変化している。共通しているのは、アメリカ帝国主義が飢餓を生み出してきたという事実である。タリバン政権に対する兵糧責め、飢餓戦略、すなわち、タリバン政権を、一般市民もろとも飢餓地獄に陥れる追いつめるという戦略はアメリカの対タリバン政策として一貫していた。

 制裁がもたらした影響については、報復戦争当初では推測にすぎなかった事柄が、アフガニスタンに詳しい人たちのレポート、証言によって明らかにされている。

@ 1998年8月のトマホーク爆撃、あるいは1999年11月国連制裁発動から、2001年1月まで。米が国連に恫喝をかけて、未曾有の干ばつのもとでアフガニスタンへの「人道援助」を縮小、停止させ、タリバン政権を崩壊させるために、飢餓を作り出した。
"98年8月、アフガンへのトマホーク撃ち込み。その直前に、国連職員の退避勧告と8ヶ月間に及ぶ待避。「オサマビンラディンを引き渡すなら、人道援助する」との米によるアフガンへの恫喝。米の政治的「人道援助」に反発して多数の国連職員の辞職。
 さらに翌1999年3月、米は国連への「事前通告なしの軍事行動をとる可能性がある」と国連に警告。すなわち、アフガンに人道援助を続けているならば、突然米の爆撃に曝される危険性があると恫喝。さらに99年11月国連第一次制裁。米が執拗に国連の「人道援助」を妨害。国連職員さえ、米による「報復」の危険を犯すことなく人道援助を進めることは国難になった。"(『カブール・ノート 戦争しか知らない子供たち』山本芳幸 2001.11.)
A 2001年1月の国連追加制裁から、2001年9月11日まで。 @の継続、強化として、歴史的な干ばつの被害が飢餓、餓死、凍死の拡大として顕在化していた厳冬時期に国連制裁発動。
 "2001年1月国連制裁が発動されるやいなや、アフガン市民、アフガン避難民支援を進めていた国連や国連系NGOなどが一斉にアフガン国内を脱出し、国外難民支援に移った。アフガンに残る人々は放置され、国連は「さあ出てこい、さあ出てこい」と難民を待ち受ける側に変わった。その政治的意義は計り知れない。同時にマスメディアから、「タリバン圧制で難民流出」の記事がながれはじめた。"(『医者 井戸を掘る』 中村哲 2001.10)
B 9.11から10/7までの、米の報復戦争準備によるパニックの引き起こし、及び10/7以降11/14迄の徹底した空爆と破壊による一般市民を巻き込んだ、飢餓、兵糧責め。
C 撤退したタリバン支配地域への兵糧責めの拡大と、食料略奪、強奪。群雄割拠、無政府状態の出現による食糧供給の不能。
 
 もちろんわれわれは、国連援助が持っている限界や、政治的意義も確認しなければならない。また飢餓や難民を自己の組織の存続、メシの種にするという体質は、マフマルバフの映画『カンダハル』撮影をめぐるエピソードによく現れている。すなわち、彼が世界から見放されたアフガンの飢餓の危機を撮るために、「早ければ早いほどいい」と国連オフィスに相談したところ、「今はあまり餓死者はいませんから。来月、もっと寒くなればずっとたくさんの死者がでます。2月にいくことをお薦めしますよ。あなたの映画がもっと興味深くなるでしょう。」(『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』モフセン・マフマルバフ 現代企画室) 

 親米でない国の政府と国民は存在する権利がないのか

 アフガニスタンの干ばつが、先進工業諸国による産業活動に起因した地球温暖化がもたらしたものであるという点は置くとすれば、アフガニスタンの飢餓は、自然災害である。しかし、自然災害としての干ばつによっては、数十万、あるいは100万人もの人々が餓死し、また、数百万の人々が難民になるということはなかったであろう。中村哲氏とペシャワール会が繰り返した「一人も餓死者、凍死者をだすな」というよびかけは、単なる希望ではなく、援助によってそれが可能であるという確信に裏打ちされたものである。

 もちろん、タリバン政権でなければ、アメリカと「国際社会」の制裁はなかったとすれば飢餓はなかったし、タリバン政権によって死ぬはずのない大勢の人々が犠牲になったと言うことは可能である。しかしそのような形でタリバンを非難するのであれば、世界の国々の国家は、アメリカが許容する親米政権でなければ、国家としても、その国民も生きながらえる権利はないということになる。国と国民が餓死の危機に瀕しているとき、親米でないという理由だけで、援助の手をさしのべないどころか、逆に制裁を加えられ、爆撃が加えられるのだろうか。

*本人さえも半ばアフガニスタン人化していると認める中村哲氏のような人だけではなく、UNHCRのカブール事務所長の肩書きの人が、米の締め付けを批判し、飢餓回避のために「タリバンはよくやった」と賞賛するような、アフガニスタンで生じた事態をもっとリアルにとらえていきたい。彼はまた、ダボスの反グローバル運動への弾圧を「特権クラブが奴隷の反乱を鎮圧する」と比喩し、「テロに戦争が挑んでも勝ち目はない。なぜならテロにはルールがなく、戦争にはルールがあるからだ。戦争が勝つとしたら、それがテロに変質する時だ」と書いている。
 
コントロールの効かない飢餓状態を作り出したアメリカの責任

 以下で述べるように、冬を越すのに必要な、2億ドル、6億ドル、10億ドルとアメリカが爆撃のために使った20億ドルを考えるとき、アフガニスタンの飢餓は政治的につくられたものであり、タリバン政権の徹底した配給体制のもとであれば援助によって餓死者を一人も出さないことは可能であったと言わざるを得ない。
アメリカはおそらく、タリバンの崩壊と同時に食糧供給を加速し、米の人道援助と飢餓の緩和を宣伝しようと考えたに違いない。しかし、意に反して、内戦の危機が日程に上っている現在、本当のどうしようもない、コントロールのしようのない飢餓、餓死が迫っているのではないだろうか。そのような状態をアメリカの空爆は作り出してしまった。このアメリカの責任を徹底して追及しなければならない。

 
[4]空爆の被害の全貌はまだ明らかになっていない。

アメリカは空爆の形でできる残虐行為をすべて行った。
 
 飢餓戦略と空爆を結合させ、アメリカは空爆の形でできる残虐行為をすべて行った。

(1)破壊と殺戮
@10/7から爆撃による子どもの被害が報道され続けている。(被害写真参照)
A民生施設への爆撃。
・病院(たとえば10/17カンダハル近郊の診療所2つ、10/21ヘラート西部の病院または高齢者施設、100名死亡、10/31カンダハル近郊の診療所爆撃)、
・図書館、学校(11/19 2つカンダハル)
・モスク(ヘラート西部10/23 カンダハル11/16)、
・神学校(カンダハル11/16〜17)
B村、インフラの破壊。
・村そのものの壊滅(カラム村壊滅10/10、10/23ヘラート西部チャカカラ村で半数の家が破壊、12/1ジャララバード近郊の村壊滅等々)
・ダム(ヘルマンド州11/1決壊の危険)
・空港(11/4ヘラート)
C国連施設への爆撃。地雷除去NGO(10/8)。国際赤十字食糧倉庫(10/16、10月22日には2回爆撃で3棟が崩壊)。WFP食糧倉庫(11/19〜20倉庫)。
Dアルジャジーラのカブール支局爆撃・崩壊。(11/13)

(2)捕虜収容所への爆撃、虐殺、処刑。(11/25をはじめ、11/13、28、30)

(3)われわれがもっとも懸念する農地の破壊、畜産の破壊、放牧地の破壊はどうか、耕作や作付けは行われたのか等々−−今後明らかになってくるだろう。

 −−(1)10月7日以降、「誤爆」として報道されていた民生施設への破壊や人民の被害に関する報道が、10/31じゅうたん爆撃やBLU−82の使用など無差別殺戮が前に出るにつれて徐々に後景に退き、「アフガン復興」「タリバン後」が前に出始めた。これらの兵器の使用によってどのような被害が出たのかは報道されていない。一方、11月13日のカブール陥落後は、タリバン捕虜の虐殺や処刑などタリバンへの残忍な殺害が前に出始める。しかし、民間施設への破壊や民間人の殺戮も決して少なくなっていない。むしろ、「誤爆」ではなく公然とやられるようになったのである。被害の写真等が我々の目に触れにくくなったのは、マスコミ統制とその一環としてアルジャジーラのカブール支局爆撃・破壊が大きく影響している。この点からもわれわれはアメリカの情報操作とそれに迎合するマスコミを糾弾しなければならない。
 
少なく見積もっても、犠牲者の数は民間人2000人、タリバン兵3000人 
おそらく一万人に上るだろう

 われわれが作成した「被害報道日誌」の死者の数を単純に足しあわせただけでも、カブール崩壊後で民間人500人、タリバン兵3000人に上っている。10/31にタリバンが発表した、一般市民1500人を加えればこれだけでも5000人に達する。
 おそらく、われわれが把握した、500人というのは氷山の一角であり、おそらく実数はこの数倍にのぼるだろう。そして、タリバン兵の死者6000人という別の報道(パキスタン英字紙フロンティアポスト)は誇張ではないだろう。あわせて一万人を下回ることはないだろう。
 もちろんこの中に、病死者、餓死者、凍死者は含まれない。12/7国際移住機構(IOM)によればクンドゥズ近くの避難民キャンプで過去4週間で飢えと寒さのため、177人が死亡したと報告している。犠牲者の大多数は子供である。このような記事の背後にどれだけの報道されない悲劇があるのか、明らかにしなければならない。

アフガニスタンにどれだけの爆弾の雨が降り注いだのか。

 「アフガニスタンは、何年もの間、空からは人々の頭上に爆弾が降り注ぎ、地にあっては人々の足もとに地雷が埋められてきた国です。・・・権力が人々の頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人々の足下に埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道をたどらずにすんだでしょう」
(前掲書 マフマルバフ ユニセフ演説より)

 9.11まで、世界から見放されていた国アフガニスタンは、9.11以降テロリズムの撲滅の対象国として全世界から注目されることになったことを指摘した上で、マフマルバフは上のように語っている。
 本来、「人道援助」がもっともなされなければならない国に、「報復戦争」開始後どれだけの爆弾の雨が降り注いだのかをわれわれはまず確認したい。そして、その巨額の軍費が仮に食料援助に使われた場合、飢餓に陥った人々に食糧を供給できたであろうことを確認する。同時に、帝国主義のやり方の試算ではあるが、破壊に使われた費用に比べて、復興費用がその数倍から数十倍にも上るということに怒りを禁じ得ない。

(1)費やされた軍事費20億ドル、2460億円。
 投下された爆弾8000発、出撃された爆撃機2000機等の数字が10月の末時点であるが、全体像はベールに包まれている。

(2)これに対して、カブールのナン一枚0.086ドル(約10円)
          羊肉一頭分 29ドル
 ペシャワール会の試算で、1家族(10人)が一ヶ月暮らすことができる額2000円(約16ドル)

・つまり、費やされた軍費20億ドルによって、ナンは246億枚。一日5枚食べるとして49.2億人が一日生きられる数。すなわち2700万人が6ヶ月、つまり、10月から3月までを過ごすことができた量となる。
・ペシャワール会の試算によっても、100万人が一ヶ月暮らす額は2億円。6ヶ月で12億円。

(3)アフガン復興資金」は65億ドル、250億ドル、700億ドル、1000億ドル等様々な数字が出ている。日本円にして8000億円、2兆5000億円、8兆4000億円、12兆円という気の遠くなる額である。そのうち日本は2割を要求されるといわれている。

 アフガニスタンの飢餓を救うために必要な費用よりも、爆弾として消費された費用の方が大きく、さらにそれによって破壊された街を復興する費用の方が遙かに大きい。

[5]新兵器の使用、殺戮効果の実験場。

クラスター爆弾や、BLU82気化燃料爆弾などの非人道的・大量殺戮兵器を頻繁に使用した。クラスター爆弾の不発弾は、約5000発に上り、地雷化してばらまかれている。子どもがその不発弾にやられる事故が多発し、「効き目」を表している。このクラスター爆弾と、投下食料パッケージが同じ色で、同じ形であったことが被害を拡大した。地雷原への食糧投下も行った。10/29には、劣化ウランの使用の可能性が指摘された。大量に使った痕跡がないのは、劣化ウラン攻撃対象となる、重戦車、装甲車をタリバンが大量に保有していないだけであろう。さらに、イスラエルと共同開発した新型精密誘導ミサイルAGM−142を東部の洞窟攻撃に使用した。彼らは、アフガニスタンとタリバン兵を生きた新兵器実験場、軍事訓練場にしている。われわれは非人道的・大量殺戮兵器の使用を徹底糾弾する。



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