韓国における
死刑廃止法案のゆくえと動き
朴 秉植(ぱく びゅんしゅく 韓国・竜仁大学教授)
死刑廃止特別法案が国会に上程された。過去2回の法案はいずれも一回の論議もされず自動廃案となったが、今回の法案は法制司法委員会で提案説明や質疑・応答も行われた。死刑廃止法案はどう転ぶだろうか。そのゆくえが注目されるところである。
常連の質問項目になった死刑
この頃韓国では、大法官(日本の最高裁裁判官)候補者や検察総長候補者に対する国会の人事聴聞会で、死刑制度に対する意見を必ず聞くようになっている(筆者注:韓国では国会の同意を得て任命する大法院長、憲法裁判所長、国務総理、監査院長、大法官や検察総長と警察総長など、候補者の適格を審査するため、国会で人事聴聞会を開く)。去年と今年に行われた大法官候補者に対する人事聴聞会では、二人とも死刑に反対する意見を披瀝した。女性の金英蘭大法官はある月刊雑誌のインタビューにはっきりとこう答えている(『新東亜』2004年10月号参照)。
── 死刑制度は廃止すべきと考えますか。
「死刑は社会を防衛するための制度であります。わが刑事法は応報刑主義ではありません。たとえば死刑の代わりに減刑のない終身刑制度を導入することもできるでしょう。完全に隔離して社会防衛を達成できればいいのではないでしょうか。なぜ、銃殺するときに、誰の銃に撃たれたかわからないように複数の狙撃手で撃つでしょうか。裁判官も死刑宣告を避けたいです。」
──20人の連続殺人犯人に死刑できなければ、彼をどのように処罰すべきでしょうか。
「徹底的に隔離するのです。彼が生まれてからそうなのか、後天的にそうなのかわかりませんが、100パーセント彼の責任にのみ負わせないでしょう。社会構造的な問題もありますし。彼に100パーセント責任を負わせて処刑したとしても、問題が解決されるわけではありません。死刑の目的を見つめなければなりません。 裁判で、ある裁判部は死刑を容認するのだが、私は自分の信念にしたがって死刑判決を下さないとしたら、公平性の問題もうまれます。」
──検事試補の時代に死刑執行は参観しませんでしたか。
「試補時代に参観できる機会がありましたが、私は行きませんでした。命を奪うところですので、わざわざ参観したくありませんでした。検屍は見守ったことはありましたが、その時からいままで心の中で、果たして死刑執行は正しいだろうか疑問をもって来ました。」
また、今年の二月に行われた聴聞会でも、一人の大法官候補者は「死刑判決を下したい者は一人もいないでしょう。ただ、国民の世論が死刑廃止にコンセンサスを得ていないのが問題である」と答えている。
大法官候補者が死刑廃止の意見を表明するのに対し、検察総長候補者は先月の人事聴聞会で「全てを総合判断して立法者が決定すること」だとし、「最近強力犯罪が頻発する現実と国民世論が死刑制度の存置を望んでいるのに照らし、死刑制度は維持されるべきである」と主張した。職業病というのは恐ろしい。
最近の世論
事実、死刑廃止に関するこの頃の国民世論はたいへん厳しく、ここ10年間の流れを逆行している。
1994年の韓国ギャラップ調査では、死刑存置(70%)が廃止(20%)より圧倒的に多かったけれども、2001年の韓国ギャラップ調査では存置が54.6%と大きく下がった反面、廃止は31.3%へと上昇した。また、2003年の韓国ギャラップ調査でも、存置52.3%、廃止40.1%という結果がでた。
ところが、去年20人の犠牲者を出した連続殺人事件のあと、韓国社会与論研究所が昨年7月に700人を対象に実施した結果によれば、「死刑は必要である」66.3%、「終身刑に代替すべきである」30.9%という結果がでた。さがる傾向を示していた死刑存置の世論が再び上昇しつつあるのである。しかも、この調査は、死刑の存廃を単純に聞くのではなく、死刑と代替刑としての終身刑を対比した結果である。これまで終身刑を導入すれば死刑は廃止してもよいのが世論であると信じられていた我々にとってはとても痛い結果である。
柳寅泰議員の涙
このような世論の状況で、柳寅泰(ユ・インテ)議員の死刑廃止法案は果たして通過するだろうか。柳議員は2月18日の法制司法委員会で、涙をぐみながら死刑廃止を訴えた。
「人革党・民青学連事件と関連して、私と一緒に死刑を宣告された8人が、大法院(日本の最高裁)判決のあと一日も経たないうちに処刑されました。存置論者は誤判の確率は低いし、社会秩序を保つためにはそれぐらいは受け入れるべきだと主張する。第三者には微々たる確率かも知れませんが、死刑の当事者には100%の誤判確率であります。……議員のみなさんに最後に申し上げたい。犯罪被害者の感じる憎しみがいかに大きくても、誤判によって処刑された人々の惨さにはとうてい比べられないでしょう。」
人革党事件・民青学連事件
人革党事件とは北朝鮮の指令をうけて人民革命党再建委員会を組織し、学生たちを操り国家の転覆を企てたとでっち上げ、関連者を裁判にかけた事件である。そして、民青学連事件とは1974年、朴正熙・元大統領に対する反対デモが全国に広がるのに対し、一部の左翼学生らが「全国民主青年学生連盟」を結成し政府を暴力で転覆しようと企てたと捏造した事件で、一千人以上が連行され調べられた。人革党事件で8人が死刑を宣告され、20時間後という超スピードで処刑されてしまった。柳議員もともに死刑を宣告されたが、無期懲役に減刑され命拾いをしたわけである。
当時の裁判を皮肉って「定額制死刑判決」と呼ぶ。審理らしき審理も行われず、すべて死刑判決を下したからである。韓国における代表的な「司法殺人」事件として取り上げられている。
死刑廃止法案に対する国会での論戦
柳議員法案の内容は、死刑を廃止し、その代わり減刑・仮釈放のない終身刑を導入するものである。そして法制司法委員会での審議は、法務部長官を相手に死刑廃止に関する意見と終身刑導入に関する意見を問う形で進められた。
まず、死刑廃止に関して、法務部長官は存置論者の議員の質問に対し、法務部長官は84に及ぶ死刑相当犯罪の数を減らすこと、政治犯・良心犯への死刑を廃止すること、死刑執行猶予制度を慎重に検討すると答えた。
死刑囚の立場から判断すべき
次に、終身刑導入に関しては、終身刑が死刑よりより反人権的で残酷ではないかとの質問ががでた。法務部長官も「絶対的終身刑というものが必ずしも人間的であるか、人道的であるか、人間の尊厳と価値を尊重した死刑の代替案でありうるかは疑問である」と同調した。あたかも残酷たる終身刑を避けて、人道的・人権擁護的な死刑を選んだように。「人の命は全地球より重い」と名セリフを吐きながら、他方で命を奪ってしまう存置論者の不思議な(?)論理はいつまで続くだろうか。これに対し、柳議員は的確にも「死刑囚の立場からは、命を維持し終身刑にしてくれれば皆おそらく万歳するでしょう。終身刑が死刑より残酷か否かは死刑囚の立場から判断すべきである」と反論した。
柳議員の法案に対しては、立法技術・原則から問題点を指摘する一幕もあった。つまり、柳議員の法案は「あらゆる法律で規定されている死刑を一括して廃止する」との形をとっているが、はたして個別法に規定されている法定刑を特別法で改正できるか疑問だというのである。
最後に、死刑廃止法案は「より深い審査のために法案審査第一小委員会に回付する」ことを決議し、法制司法委員会の審議は終わった。死刑廃止法案の国会上程と審議は、多くのマスコミが取り上げた。確かに連続殺人事件のこともあって風向きは死刑存置の方に傾いているけれども、予想したほどの逆風ではないような気がする。市民の間では、連続殺人事件は既に忘れかけているのである。心配すべきは、国会での論議など、様々な場面で連続殺人事件や犯人のことが引用され、またそれを柳議員が重く受け止めている現実にある。
国家人権委員会による「死刑廃止」の意見表明
さて、この原稿を書く途中、朗報が届いた。国家人権委員会が全員委員会を開き、死刑制度の廃止を公式的に「意見表明」したのである。「意見表明」は政府機関に対する「勧告」とは違って、決定内容を強制できない。しかし、国会の死刑廃止法案には大きな力になるのは確かである。
国家人権委員会はすでに2003年、「人権懸案の10大課題」に死刑制度の改善を掲げた。そして、死刑制度について昨年11月と12月の小委員会と全員委員会でそれぞれ論議を続けてきた。また、2005年3月から4月まで、三回にわたる全員委員会では@条件なしの死刑廃止案、A死刑を廃止する代わり減刑・仮釈放のない終身刑を導入する案、B死刑を廃止する代わりに一定期間減刑・仮釈放のない無期刑を導入する案、C戦時中のみ死刑を存置する案、D現行の死刑相当犯罪の範囲を縮小する案、E現行制度を維持する案などについて論議を続けてきた。
国家委員会は委員長と常任委員3人を含む11人の委員で組織される。委員は、人権問題に専門知識と経験をもち、人権の保障と向上のための業務を公正・独立的に遂行できると認められた人で、国会の選出する4人、大統領の指名する4人、大法院長の指名する3人である。死刑廃止の「意見表明」を決定した会議には、海外出張の二人を除く9人が出席したが、その中の8人が死刑廃止に賛成し、反対はもっぱら一人であった。
国家人権委員会は、死刑制度の廃止決定について、韓国憲法第10条(人間の尊厳と価値および幸福追求権)と第37条2項(過剰禁止の原則)、そして死刑廃止のための市民的及び政治的権利に関する国際規約第二選択議定書(死刑廃止条約)の趣旨にしたがった結論であると発表した。
まず、死刑廃止の理由について、「生命権は憲法第10条に基づいており、それによって国家は生命権を保障する義務があるが、死刑は生命を保障する制度とは見做せない。死刑はその性質上生命の剥奪を意味し、生命権の本質的な内容を侵害するので違憲である。」と強調した。憲法第110条4項の但し書に現れる「死刑」という用語は、それ自体憲法が死刑制度を認める根拠にはなりえず、もっぱら非常戒厳のもとで軍事裁判を通じて死刑を宣告された時には一審で終わってはならないという、本文に対する例外規定または注意規定にすぎない」と説明した。また、「死刑制度は死刑を宣告する裁判官と職業上死刑執行命令書に署名せざるをえない法務部長官をはじめ、死刑に直接参加する関わらざるをえない検事、刑務官の良心の自由はもちろん、人間の尊厳性、幸福追求権を侵害する」。そして、「死刑執行の方法を絞首刑にしている韓国刑法第66条は、現在地球上に残っている執行方法で最も残酷なもので」あり、「死刑を刑罰として規定している犯罪がなんと98に及ぶというのも比例の原則に反する過剰なものであり、違憲を免れ得ない」として、違憲性を明確に述べた。
国家人権委員会が死刑廃止の意見を表明したけれども、後続措置については委員間に意見がわかれ結論を得られなかった。結局、@減刑・仮釈放のない終身刑、A一定期間減刑・仮釈放のない終身刑、そしてB戦争中に死刑を認めるという三つの案を考慮し、国会の立法過程で決めるべきであるとした。国家人権委員会は今回の意見表明に基づいて、最終意見書を作成するという。
激動の韓国だから法案が成立する可能性も
はたして死刑廃止法案は通過されるだろうか。まったく予測できない状況である。柳寅泰議員は4月6日から始まる臨時国会で今一度試みると述べているが、今回の臨時国会では与野党が激しくもめている法案がそうとう多く、死刑廃止法案は比較的に関心外である。
現在の状況をみる限り、死刑廃止法案の通過は大変厳しいとおもわれる。ただ、激動の韓国では、いつどんなことが起るかわからない。法案が通るのも不思議ではない。
第一、今の国会は与野党が激しくぶつかる形をとっているが、幸い死刑廃止法案は意見の対立する対象ではないこと。第二、初当選した議員が多く、その分考え方が自由で進歩的であること。第三、もと死刑囚である柳寅泰議員に面と向かって死刑存置を展開し難い状況と彼のすばらしい人格。そして、国家人権委員会による死刑廃止の意見表明。このような要素がプラスに働けば、あるいは廃止法案が通ることも夢ではない。
今回の死刑廃止法案は三回目である。「三度目の正直」というが、そのとおり実現されることを祈る。
(ソウルにて・4月6日記)
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