二月一一〜一二日、高松・福善寺で行われた第一三回死刑廃止合宿には、東京・福岡・金沢・新潟・京都・大阪・島根・広島・姫路など全国から七〇名近くが集まり、にぎやかにおこなわれた。今回の合宿には、東京からも一五人近くが参加し、フォーラム東京で議論されている具体的な行動方針の提起や、イエズス会のメンバーの参加もあって、意義深い合宿となった。以下は、ごく簡略な報告。
まず開会宣言のあと、九三年の死刑執行再開以降に処刑された人たち全員の名前が読み上げられ、彼らを悼む黙祷ではじまった。
・・・免田さんの話・・・
続いて元死刑囚で雪冤を果たした免田栄さんの挨拶。免田さんは長い獄中体験の中で、無実を訴えつつ処刑されていった多くの死刑囚たちがいたこと、それは天皇に「拝命」された裁判官が多くの誤判をしたからであること、人が人を裁くことは難しい、公正な裁きができるような裁判制度をのぞむということを語った。
・・・ピオ・デミリアさんの話・・・
続いてイタリア人ジャーナリストで、「オリーブの木」メンバーのピオ・デミリアさんからの挨拶。ヨーロッパで死刑が廃止されたのは決して大昔のことではないことから語り初め、彼が一二歳のころ父に連れられて刑務所に行った時の体験を話した。彼が「死刑囚監房は、どこにあるの」と聞いたところ、父親は「イタリアには、死刑はないのだ」と答えた。そこで彼は「なぜ、イタリアには死刑はないのか」と聞いた。すると父は「私たちは他の人を殺すいかなる権利も持っていないのだ、そして死刑は犯罪を犯した人自らが贖罪するために生きることを奪うものなんだ」と説明した。彼の関わっているハンズ・オフ・カイン(カインに手を出すな)は昨年一一月に日本で死刑の執行があったとき、即日ローマの日本大使館に抗議行動を行ったが、この団体は一九九四年に設立された死刑廃止を願う個人や団体の連合体で、ベルギーのブリュッセルで創設された。正式名称は、世界中の死刑廃止に向けた市民と議員の連合といい、昨年、執行の停止なり減刑されたときにコロシアム(昔の死刑場のあった場所)をライトアップするというイベントを行なったという。これにはイタリアの大統領、首相、ローマ市長、電力会社の社長、ローマ法王の許可を得ないとできない大がかりなイベントで、昨年は四六回、ライトアップされたとのことだ。
・・・安田好弘弁護士の話・・・
フォーラム東京での議論を踏まえ、今年の行動提起に関わっているので、わりとていねいに紹介しておく。安田弁護士は、昨年の執行のとき、間髪を入れずなされたローマの日本大使館に対する抗議行動は、非暴力直接行動であったことと、日本への外圧という二点から、いろいろ考えさせられたそうだ。そして今後、日本の状況を正確に積極的に訴えていき、日本政府に内圧と外圧が効果的に加えられるよう、それに向けてどう動こうとするかについて、以下のように問題提起した。
欧州評議会に参加するためには死刑を廃止していなければならないし、欧州評議会に参加したあとは死刑を復活しないという条約に署名しなければいけない。欧州評議会は、一九九二年三月に「死刑が存置されているすべての国で完全に死刑が廃止されるまであらゆる分野ですべての可能な政治的・外交的圧力を行使する状態を委員会、評議会および加盟国に要請する」、つまり存置している国にあらゆる政治的経済的圧力を加えようという決議をしている。このような決議の下で、欧州評議会が二月末に日本に調査団を派遣する。欧州評議会のオブザーバー国には日本、アメリカ、メキシコ、カナダ、イスラエル、バチカンがあるが、そのなかで死刑を廃止していない国はアメリカと日本だけだ。だから、昨年は、アメリカに死刑を廃止するよう圧力をかけてきた。その結果もあって、アメリカでは近年になく死刑の存廃議論が沸騰しているという。そして今年六月二一日から二三日にかけて、フランスのストラスバーグでNGOや欧州評議会等が中心となって死刑廃止国際大会が開かれ、これに引き続いて六月二五日から二九日まで欧州評議会が開かれ、そこでアメリカや日本に対する調査報告書が議論され、それに基づいてアメリカと日本をターゲットとした政治的なアピールが予定されている。まず、調査団の調査を成功させること。そして六月には、欧州派遣団を送り出して、各国のNGO、市民、政治家、議会に日本の死刑の実情を訴え、日本政府の敵対行為を告発し、廃止へ向けて共同行動のネットワークを作ることを要請し、国際大会や欧州評議会で日本弾劾の決議を上げてもらうことを考えている。
先日、欧州評議会のジョンストン議長が来日したとき会うことができた。彼は国際大会の組織委員会のメンバーだった。派遣団の話をすると全面的に協力すると言ってくれた。彼に、是非、理解してもらいたいこととして二つのことを話した。その第一は、日本の死刑は、とても異常しかも徹底して残酷であるということ。密行主義、非人道的な処遇、しかも法的な権利が完全に剥奪されていて、当日まで執行は知らされない。弁護士の援助も受けることはできず家族以外との面会すらできない等々。もちろん、議会にあっても、政党にあっても、本格的な議論さえなく、法務省の専横が続いている。その第二は、日本がやっていることは人権と人道に対する国際的な敵対行為だということ。日本は国連で死刑存置派が多数となるよう、あるいは死刑廃止を求める決議が否決されるようにロビイング活動をやり、アジアの犯罪に関する国連の研究所でアジアの担当者を集めて死刑存置の学習をさせている。そしてアジアの存置国をリードして、存置か廃止かは国家主権の問題だというキャンペーンを張っている等々。この二点を報告書のキャッチフレーズとしてほしいし、この視点から日本を徹底的に弾劾してほしいと要請した。
さらにイタリアからはハンズ・オフ・カインのメンバーも来ると言っている。日本が死刑を執行したとき、在外の日本大使館がデモ隊で取り囲まれる。そういう、ヨーロッパと日本、アジア極東との連携が進むかもしれない。私たちは、死刑執行をやめさせるために再審請求、あるいは恩赦の出願をやってきた。これに加えて、昨年からは死刑が執行されそうな日に拘置所の前に出かけて監視活動をやってきた。これらをさらに強めていく必要がある。でも毎日出かけていって、監視活動をするにはどうしても私たちの力は足りない。それに代わる何かをやっていかなければならない。与党三党の終身刑導入プロジェクトが現在進行している。それから死刑情報センターも作りたい。今年で死刑廃止条約が発効してちょうど十年、それを記念した大きなキャンペーンができないか。種を撒き、花を咲かせることができる非暴力民衆的直接行動をやりたいし、どこかでできないか、ということを考えている。またシスター・プレジャンが、来年四月にもういちど日本に来る。その時に各地を回って講演をしたり話し合いなりを持ちたいという話がある。名古屋の日方さんの提案だが、ジャーニー・オブ・ホープの日本版が展開できないだろうか。日本国内の市、町を回って死刑廃止を訴えて廻る行進ができないだろうか。いろんな宗教団体から少しずつ動きが出てきていて、宗教団体共催の死刑廃止の会議が開けないだろうか。とりわけカトリック教会の動きが活発になっている。そういうところとの連携を深めていきたい。
いま、東京で議論になっていることは以上のようなことだ。
・・・生田暉雄弁護士の話・・・
生田弁護士は、一九六九年から一九九二年まで裁判官で、退職後弁護士をしておられる方である。四国フォーラムの後藤田裁判に深く関わり、この地の死刑廃止運動を一市民として担ってこられた。裁判官という経験を踏まえた話は、裁判官の生態というか職業に規定されたその存在自体が、具体的に語られ、非常に興味深いものだった。
生田弁護士は、まず自分は誤判に関心があるということから話し始めた。いま裁判は、構造的に誤判が生じるようになっている。だから死刑制度はあってはいけない。狭山事件などは典型的な誤判である。なぜ誤判に目覚めたかというと、一九七六年に徳島に転勤になり、徳島ラジオ商事件を担当した。判決を見ただけで、これが判決かと言わざるを得ないようなとんでもないものである。例えばナイフが壁に逆さになっておかれているのだが、証拠で解明するのではなく、これは迷信だろうとか、いいわけだとか、証拠にもとづかずに認定している。そういう判決で人を二十年もの懲役にするのが許されるのだろうか。誤判の例を見ていくとすべての判決について相当おかしいし、日本の警察捜査も自白をとるだけの捜査であり、自白を中心にした裁判だ。一旦誤った自白がされると始めから終わりまで全部間違ってしまう。
自分は二件死刑事件に遭っている。徳島地裁で死刑求刑された被告Mさんは、私は無期を主張して無期になったが控訴されて高裁で死刑になった。重大な事件では裁判官が三人いる。少年の時の事件記録を取り寄せたり、癲癇だったことから癲癇の権威から事情を聞き無期にしたが、マスコミからは死刑廃止論だと非常にたたかれた。もう一件は高裁での、強盗強姦殺人だが、計画性に問題がある、凶器は初めから持ってなかったということから一審死刑を無期懲役にし、これが確定した。これも私が主任の事件だった。裁判官三人の合議では主任からまず意見を言っていく。明確な意見を言う人は合議不適格ということで合議体に入れてもらえない。自分は合議不適格で高裁から家裁に回された。裁判官は政治的なことには一切何も言わない。三人で同じ部屋にいても話すことがなく、裁判長の独り言みたいなのを聞いている。夕べは腹が痛くて眠れなかったとかいうような話か、彼は出世していったねくらいで、死刑についての話なんて出ない。
たまたま死刑を積極的にやろうとは思わない裁判官もいる。そういう人を別にして、裁判官には自分が治安維持をしているという意識が強い。世間から見れば変わり者である。また弁護士は日頃から新しい論文などを目を通しているが、裁判官は限定された、事件がらみのものしか読まない。社会の実情も知らない。ある裁判でのことだが、いったん自白してしまうと、被告の自白に任意性がないとは弁護士はなかなか言えない。弁護士も諦めているのである。私は、この自白はおかしいと思って法廷で一時間くらい質問をしたことがあるが、法廷を出るなり、裁判長から「生田君、なんだ。弁護士が何も言わないのに君がやることはないだろう」と怒鳴られたことがあった。
裁判官には人間が人間を裁いているという意識がない。これだけ悪いことをしたから法律に照らせば当然死刑にするという意識であって、裁判官は自分が死刑にしている、人の命を奪うという意識はないのである。
死刑廃止と死刑存置の人の意識の差はどこにあるのか。死刑廃止論者は多くの人の場合は自分は加害者になって死刑判決を受ける可能性があると思っておられるんではないか。死刑存置論者は自分のかわいい子どもや女房が殺された場合どうかという被害者の例しかあげない。自分が加害者になってなお、お前死ねと言われた場合どういうことになるか、対置していこうとしない。だからせいぜいヒューマニズムで国が人を殺すのはどういうことかまでは考えるが、心底人が人を殺すのはどういうことかまでつきつめて考えて死刑に対峙する人はいない。
戦後の司法制度というのはかなり曖昧な制度で運用に委ねられているのが実情である。戦後からはじめの二〇年は情熱で、次の二〇年は惰性で、そして最後の二〇年は治安維持という意識できている。だから司法に死刑廃止を期待するのは無理であり、市民のレベルで運動を起こしていかないといけない。
・・・具体的に何をやっていけるか・・・
非暴力民衆的直接行動とはどういうことをやるのかとの質問に、安田さんは以下のように答えた。これまで名古屋拘置所の前で直接的な行動をやったこともある。でもこれはごく少数であって、普段は、抗議声明であり、要請の葉書である。それは確かに必要なことだ。しかしもっとはっきり言うべきことは言った方がいいのではないか。拘置所の職員は死刑執行は苦悩かもしれない。しかしそれは間違いなく人殺しだから、拘置所の職員に死刑執行をサボタージュすることを呼びかける。やはりあなた方がやっているのは人殺しだと言うべきだ。これまで裁判官を目の前にして、お前は人殺しだとは言わなかった。これからは思っていることは率直にそして的確に表現する。今後、いざというときにはピケットでも張らざるを得ないだろう。今回のように午前八時半の段階で死刑執行の情報を聞いたときにどうするか。拘置所の前に行って座り込みをやらざるを得ないだろう。反戦運動や徴兵拒否の運動と同様、いのちを奪うことを拒否する運動だから、やはりそういったことも射程距離におかなければならないのではないか。それによって私たちがやろうとしていることの目的や価値観が表に出るだろうと思う。欧州へ派遣団が出かけて行き、死刑廃止世界大会や欧州評議会で日本弾劾が行われたとき、私たちは国内でなにができるのか。実現できるかどうかは別にして、私がやりたいなあと思うのは法務省の前を円形劇場のような舞台にして、そこにテーブルを出して、国会議員と法務大臣が徹底した公開討論をやる。もし法務大臣が出てこないなら、出てくるまで動かない。それを、みんなが陪審員として幾重にも取り囲む。あるいは、各地をずっとめぐり回り、ワシントン大行進のように東京を二十万人くらいが埋めることができれば、と思っている。
このあと、非暴力直接行動でこちらがダメージを受けないようにしようという話や、被害者との接点を見つけていく方法、高松の成人式でのマスコミ報道がそれを事件化へ向けて扇動したことの報告など、興味深い話がいろいろ出た。
夜は遅くまで交流会。翌日は朝早くから個人救援会からの報告や、前日の安田さんの行動提起をめぐっての議論が行われ、次回、東京で行うことを確認した上、一一時四五分に散会した。
なおこのあと、車六台に分乗しての讃岐うどんツァーを堪能したのであった。受け入れの四国フォーラムのみなさん、そして福善寺さん、ありがとうございました。
(文責・深田卓)
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