リクルート過労死裁判を考える会ホームページ


リクルート過労死裁判を考える会(仮称)
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1996年8月29日、故石井偉(いさむ)さんは29歳の若さでくも膜下出血で亡くなりました。
(株)リクルートの、インターネット・ホームページ媒体を利用した求人情報「デジタルB-ing」をその年の4月に事実上ひとりで立ちあげ、試行錯誤しながら週1回の画面更新のために深夜、時には明け方までの長時間不規則勤務を強いられていた中のことでした。
御両親は、偉さんの死は過労死であると確信し、「なぜ死ななくてはならなかったのか」を解明し、リクルートの責任追及と二度と同じようなことが起こらないようにという願いを込めて、1999年7月29日、損害賠償請求裁判を起こしました。
このウエブサイトは、この裁判を支援し、また、裁判を通じて企業社会、私たち自身の働き方を考えていくためにつくられました。

第2ラウンド  2009年4月 瀬戸まどか(石井偉の妹)
今回の行政訴訟の間に私が上京できたのは、先日の判決の日だけでした。毎回、母から聞く報告だけではわからない法廷独特の雰囲気をこの身に感じながら、私は傍聴席に腰をおろしました。膝にのせていた鞄の中には、額に入った兄の写真が入っていました。裁判長の声が兄にもよく聞こえる様に、鞄のファスナーを開け、手で少しそこを広げたまま、判決を読み上げる声をききました。兄も、昨年暮れに他界した私達の父親も、一緒にそこに居る様な気がしました。裁判用語の聞き慣れない反語的な言い回しに一瞬戸惑いましたが、勝利とわかったその時、涙がこぼれてきました。

ずっと信じていた事を認めてもらえた嬉しさ、母の苦労が報われた喜びが溢れてきたのだと思います。

私は自分の生活にかかりきりで、母の手助けは何もできずにきたので、この勝訴は母と母を支えて下さった皆さんのおかげとつくづく感謝しております。本当にありがとうございました。
残念乍ら、国側が控訴した為、この争いは第2ラウンドへとうつります。母の精神的、体力的な疲れが心配です。孫の世話と土いじりにかかりきりになるのはもう少し先になりました。リクルート社が言う様に、兄の死が勝手に仕事に熱中し続けた事による自己責任の結果ではなく、会社側の社員の生命を軽視する姿勢や、1人1人の生活を尊重せずに与えた過重な業務に責任が有る事が、もう一度きちんと証明される日が来る様に心から祈っています。

兄の名誉が回復しますように。

"過労死"として認められた一審判決   2009年4月 石井淳子
3月25日、東京地裁526号法廷。1時10分過ぎ、法廷へのドアの鍵がはずされた。原告の席に座って、1時15分を待つ。今迄でこんなに長い、なが〜い5分間を感じた事はなかった。心がガチガチに固まって緊張していたらしい。裁判長が、まず「お待たせしました」と言ったと後で聞かされたが、私には一切の音が聞こえていなかった。
「主文!」と言う言葉に反応して、やっと耳の機能が回復したようだ。
「中央労働基準監督署長が原告らに対して平成12年3月31日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。」きちんと全部聞こえたのだが、聞き終わってもまだ私は胸の中で言葉をくり返し噛みしめて、確認していた。
"否定の否定だから、こちらの申し立てを認めてくれたという事よね"と。
こちらの言い分が認められた!
息子が突然逝ってしまってからずーっと、息子の死は過労死だと考え続けて来た私達の想いが司法の立場から認定されたのだ。
私達にすると、ごく当り前の「働かされ過ぎ」がやっと公やけにはっきりしたのだ。あの日、あの法廷で一番最後迄ピンと来ずに一種空白に近い状態に佇んでいたのは私だったろう。

息子が逝ってこの夏で丸13年になる。この長い時間の中で想い続け、言い続けて来た事が今、現実に認められたのに緊張感が脱けきらずに、心がどこか、こわばったままでいたのだろうか。傍聴席に降りると、友人、知人、過労死家族の会の人達、そして娘も含めて皆が喜こんでくれているのを見て、じわじわと現実感が広がり始めた。他人の事なのに涙を流して喜んでくれる人々がいる。そんな多くの人達に囲まれて"あ々、この人達を初めとして、この長い年月を有形、無形に支えてくれた沢山の人々の応援が有ったから、今日ここ迄来れたのだ"と深く心がゆさぶられた。本当に、私1人ならきっと途中で挫折していただろう。最初の数年間は、ほとんど何も見えなかった。どこから手をつけて良いのか、それすらも手さぐり状態。しかし、少しづつ少しづつ人の輪が広がり、思いがけない所からも貴重な資料やアドバイスが提供されて、全てが完全に見えた訳ではないけれども、息子の労働実態がはっきりするにつれて更に「過労死」という考え方が強まっていった。その集大成の結果が、今日こういう形で認定されたのだった。

何人の人が支えてくれただろう。何回の協力の上にこの結果が出来上がったのだろう。皆ボランティアで、一銭にもならないどころか時間を潰して交通費をかけて何年も私を支えて下さった。これらの人達に私はどのように応えたら良いのだろう。報いる事が出来るのだろうかと思い始めたのは、それから少し後になってからだった。

主 文
中央労働基準監督署長が原告らに対して平成12年3月31日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

尚、この時点では控訴期限の2週間が経っていませんでしたので、国側の対応は判明していません。(通信文「北の風」より抜粋)

東京地裁が勝訴判決!
リクルート社員だった石井偉さんの死を過労死と認定

リクルートの社員だった石井偉(いさむ)(当時29)さんが96年8月に突然のくも膜下出血で亡くなってから13年目の今年3月25日、東京地裁は偉さんの死を「過労死」と認める判決を示しましたのでご報告します。

偉さんのご両親は「息子の死は過重な業務による労災」であると訴え続けてきましたが、労働基準監督署は「労災ではない」の判断。さらに労働保険審査官も労働保険審査会もご両親の訴えを認めませんでした。

これに対して東京地裁の白石哲裁判長は、「リクルート社がタイムカード上の労働時間を過少申告させる実態があった」と認定した上で、「タイムカードの記載以外にも、休日出勤や平日の持ち帰り仕事を自宅でこなしていたと推認でき、業務は過重だった」と述べ、労働基準監督署の下した不認定処分を取り消し、偉さんの死を労災と認めました。

脳・心臓疾患が「労災」と認められるためには、ひと月の残業が45時間を超えていることが目安とされています。判決では、石井さんが亡くなる直前1ケ月の労働時間を39時間と認定しており、厚生労働省による認定基準を大きく下回っています。一般的な目安に満たない残業時間でも、労災と認めた裁判所の判断は画期的といえます。
とりわけ、タイムカードで記録されていない労働時間についても、リクルートが過少申告させていたことを認め、さらに偉さんがこなしていた仕事の成果を分析した上での判断は、労働行政に一石を投じました。

また、くも膜下出血の発症直前には夏休みをとっていることから、被告である国は「十分な休養ができたはず。業務との因果関係はない」と主張してきましたが、これを否定した点も注目されます。
判決では、偉さんは亡くなる4週間ほど前から頭痛などを友人に訴えていたことを上げ「(頭痛などは)くも膜下出血の前駆症状というのが自然である。過重労働によって前駆症状を発症するに至っていた偉が、10日にわたる夏期休暇等によっても回復することがなかったとしても不自然とはいえない」との判断を示しました。

さらに、偉さんは腎機能に軽い持病があり、被告は「亡くなったのは持病が原因」と主張してきました。
しかし、これについても「血圧も脂質も治療を要する程度には至っていない。脳・心臓疾患により(病院を)受診したり、受診の指示を受けた形跡はなく、日常業務を支障なくこなしていた」と認定した上で、「リクルート社における特に過重な業務の遂行により、(偉さんの持病が)自然の経過を超えて急激に悪化した。(ゆえに)偉の死亡は、業務上の疾病によって生じた」と判断しました。

なお、国は控訴期限ぎりぎりである4月7日、判決を不服として控訴しました。

和解成立の御報告
その提訴から4年半が経過した2004年1月22日、東京地裁において和解が成立しました。
この間原告らに対してお寄せいただいた激励とご支援に心から感謝いたしますとともに、裁判の経過を十分にお伝えしてこれなかったことをお詫びいたします。
和解内容をご報告させていただきます。裁判の経過についても、以下に整理しておきました。
しかし、労災保険遺族補償給付の申請に関しては、行政による業務上認定をめざして、引き続き労働保険審査会に再審査請求中であり、今後ともご支援をたまわりますようお願いする次第です。
NEWSLETTER No.10 (2004.2) (PDF, 1.7MB)
和解条項
本件は,被告株式会社リクルートに従業員として在職していた原告らの子である石井偉が,平成8年8月29日,くも膜下出血の発症を原因として死亡したことについて,原告らが被告に対して,石井偉が死亡したのは被告における過重労働によって疲労が蓄積し,脳動脈瘤が自然的経過を超えて増悪し破裂したためであり,被告には安全配慮義務違反があるとして債務不履行等に基づき損害賠償を請求し,これに対して被告が,被告における過重労働は存在せず,石井偉の死亡の原因であるくも膜下出血の発症は,常染色体優性多発性嚢胞腎に合併した脳動脈瘤が自然的経過により破裂したことによるもので,業務と死亡との間に因果関係はなく,かつ何らの安全配慮義務違反も存在しないと主張してこれを争った事案である。

裁判所は,原告らと被告に対し,被告の法的責任の存在を前提とすることなく,本和解を勧告し,原告らと被告は,この和解勧告を受け,次の内容の裁判上の和解を行う。

1 被告は,石井偉が死亡したことに対し,衷心より哀悼の意を表する。

2 被告は,前項の趣旨にかんがみ,原告らに対し,本件和解金として,1200万円を支払うものとし,本日,本和解の席上において,この支払のために,UFJ銀行新橋支店振出に係る額面1200万円の自己宛小切手1通を交付し,原告らはこれを受領した。

3 被告は,今後も従業員の健康状態の把握に努め,労務内容等に応じ,従業員の安全管理・健康管理に十分配慮して,安全配慮義務を尽くすよう努力する。

4 原告ら,原告ら訴訟代理人,被告及び被告訴訟代理人は,本和解の内容及び本件訴訟の結果について当事者以外の第三者に知らせる際には,それぞれ以下の点を厳守する。

(1) 本和解条項の全文を知らせなければならない。

(2) 本和解の成立を理由として,相手方当事者が次の点について認めた又は認めなかった旨の主張ないし告知を行ってはならない。

ア 石井偉の被告における過重労働の存在又は不存在

イ 石井偉が被告在職中に死亡したことについての被告の法的責任の有無

(3) 本和解の成立を理由として,本件訴訟の結果が実質的勝訴である又は実質的敗訴である旨の主張ないし告知を行ってはならない。

5 将来,石井偉の死亡につき,労働者災害補償保険法に基づく支給決定がなされた場合,その給付金とは別に,被告が第2項の金員を支払ったものとする。

6 原告らは,被告に対するその余の請求を放棄する。

7 原告らと被告は,本件に関し,本和解条項に定めるほか,何らの債権債務のないことを相互に確認する。

8 訴訟費用及び和解費用は,各自の負担とする。

リクルート過労死裁判(石井労災損害賠償事件)の経過
1996年
8月25日―石井偉殿がくも膜下出血を自宅にて発症
8月29日―石井偉殿が死亡

損害賠償請求訴訟の経過
1999年
6月9日―東京地方裁判所に、株式会社リクルートを被告とする損害賠償請求訴訟を提訴
7月29日―第1回口頭弁論期日: 争点整理等のため弁論準備手続に付す
9月28日―第1回弁論準備手続
11月4日―第2回弁論準備手続
12月20日―第3回弁論準備手続
2000年
2月9日―第4回弁論準備手続
4月13日―第5回弁論準備手続
6月12日―第6回弁論準備手続
8月22日―第7回弁論準備手続
10月19日―第8回弁論準備手続
12月20日―第9回弁論準備手続
2001年
2月16日―第10回弁論準備手続
5月10日―第2回口頭弁論期日: 被告側証人三牧義明(デジタルビーイング上司)
6月14日―第3回口頭弁論期日: 被告側証人田中和彦(ビーイング編集長)
7月4日―第11回弁論準備手続(進行協議期日)
7月31日―第12回弁論準備手続(同前)
9月20日―第4回口頭弁論期日: 原告側証人渥美京子(フリーライター)
11月29日―第5回口頭弁論期日: 原告側証人増田結香(ビーイングにおける同僚)
2002年
2月21日―第6回口頭弁論期日: 原告石井淳子本人尋問
4月25日―第7回口頭弁論期日: 新宮正医師意見書、証人申請
6月28日―第8回口頭弁論期日: 原告側証人新宮正医師
9月20日―第9回口頭弁論期日
10月25日―第10回口頭弁論期日
12月5日―第11回口頭弁論期日
2003年
3月31日―裁判所から和解勧告
その後、裁判所を介して和解協議
2004年
1月22日―和解成立

労災保険遺族補償給付申請の経過
1998年8月25日―中央労働基準監督署長に労災申請
2000年3月31日―不支給処分決定
5月29日―東京労災保険審査官に審査請求
2002年2月4日―審査請求に対し、棄却決定
4月1日―労働保険審査会に再審査請求

NEWSLETTER
No.10 (2004.2) NEW! 和解報告 (PDF, 1.7MB)

No.3 (2000.9)〜No.9 (2003.1)

No.2 (1999.9)
第1回公判と次回の予定等―事務局
第1回公判を傍聴して―関口達也
原告意見陳述要旨―石井淳子(1999年7月29日)
原告ら代理人意見陳述要旨―弁護団(1999年7月29日)
資料/夕刊フジ記事(1999年8月3-6日

No.1 (1999.7)
発刊に当たって―渥美京子
提訴に当たって―石井淳子
弁護団からひと言@―小池純一
提訴記者会見資料(1999年6月9日)
資料/週刊ポスト記事

裁判関係文書
訴状
原告意見陳述要旨―石井淳子(1999年7月29日)
原告ら代理人意見陳述要旨―弁護団(1999年7月29日)