米国が主張するような意味での「テロリスト」に、戦争で報復することは、問 題の本質的な解決への道とはならず、単なる憎悪にかられた復讐の連鎖を生み 出すだけである。そして、歴史が教えているように、こうした憎悪の復讐によっ ていかに多くの無関係な人々が犠牲となってきたかを今はっきりと思い起こす べきだ。
20世紀の戦争は、常に正義の名の下に、まったく無関係な市民を無差別に巻き 込む戦争としてくりかえされてきた。日本がアジアに対して行った残虐な行為 を私達は知っている。そして米国による空襲、広島と長崎の原爆、ベトナム戦 争での北爆や枯葉剤散布、湾岸戦争、イラク空爆、NATOのユーゴ空爆、スーダ ン空爆、これらはいずれも今回の事件に匹敵するどころかそれ以上の惨劇とし て、まったく無関係の無数の人々を巻き込んだ攻撃であり、ブッシュの言う 「テロリズム」と何ら変りのない出来事であったことを忘れるべきではない。 これまで無差別の攻撃を繰り返してきた米国の戦争と今回の事件は決して無関 係ではないということを私達はきちんと踏まえておく必要がある。同時に、こ の半世紀の歴史が教えていることは、米国の報復戦争は必ずといっていいほど 未曾有の悲劇を引き起こしてきたということも忘れるべきではない。
ネットワーカーには国境はない。国家という枠組も絶対のものではない。私達 は国家の利害に左右されることを望まない。国境をこえ、文化や宗教、民族の 違いを越えたコミュニケーションとコミュニティのなかで相互の理解をはぐく むことが私達ネットワーカーにとってなによりも大切なことだ。国民国家の枠 組には収まりきらない人々の新しいコミュニケーションのつながりは、民族、 宗教、文化などの違いを越えた相互理解と協調を強め、よそ者扱いや差別を排 して、国家による大量殺戮の連鎖を断ち切る重要な手がかりとなる可能性をは らんでいるし、私達はそのような方向を望んで努力を重ねている。
しかし、今回の事件をきっかけに、国家の利害はこうしたネットワーカーや人々 のグローバルな連帯のためのコミュニケーションを破壊し、虚構の愛国心を鼓 舞し、戦争へと駆り立てようとしている。そして、アラブ系の人々やイスラム 教徒へのいわれのない迫害が各地で見られるようになっている。
国境をこえた人々のコミュニケーションは、自由な言論とプライバシーの保護 なしには成り立たない。しかし、報道によれば、米政府は、米政府がテロリス トと目すグループを対象として以前より盗聴を行い、事件を示唆する内容の通 信を捕捉していたといわれているが、結局、あのような惨事を防ぐことができ ず、国際的なテロリズムを押さえ込むという建前は、見事に崩れ去ったといわ ざるを得ない。テロ事件の予防に盗聴や監視は役立たず、ただ市民の自由なコ ミュニケーションを阻害するだけである。にもかかわらず、この事件を契機に、 FBIは、カーニボーと呼ばれる電子メール盗聴装置などを用いてインターネッ トのコミュニケーション監視を強化すると報じている。
私達は、国際的な「テロリズム」を押さえ込むという口実を用いてインターネッ トの自由なコミュニケーションをさらに監視、統制しようとするさまざまな方 策が導入される現実的な危惧に直面している。たとえば、欧州評議会のサイバー 犯罪条約、国連の国際組織犯罪条約などから、エシュロンのような軍事諜報ネッ トワークの強化まで、私達のコミュニケーションを監視し、市民的な自由すら 奪いかねない深刻な事態がすぐそこまで来ている。
諜報活動やコミュニケーションの監視は治安弾圧や軍事的な攻撃を導き寄せる。 軍や警察の監視、諜報活動は、それ自体としては一滴の血も流さないとしても、 将来における大きな犠牲にかならず結びつく。そして、歴史が証明しているよ うに、こうした活動が、戦争を抑止したり「テロリズム」を未然に防止したこ とはなく、むしろそれらを巧妙に放置し、軍事的な行動のために利用されてき たといったほうがいい。
私達は、米国政府、日本政府そして各国政府がいかなる理由であれ、報復の戦 争を開始することに断固として反対する。私達ネットワーカーは、国境を越え、 民族、宗教の違いを越えて互いに培ってきた友情を大切にしたい。私達はこう した友情を断ち切ろうとする報復戦争や憎悪を扇動するいかなる企てにも断固 として反対する。
ネットワーク反監視プロジェクト(NaST)
文責 小倉利丸
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2001年9月15日