米国自由人権協会(ACLU)のアソシエート・ディレクター、バリー・スタインハードの論評


暗号によるセキュリティと自由(SAFE)フォーラム
      1996年7月1日、スタンフォード大学にて


最初に、私はこの重要なフォラムを組織したことに対して、CDTのJerry Bermanと彼のスタッフに感謝します。私はまた、このフォラムに参加し、暗号使用を通じて、私的で安全なコミュニケーションを保障するアメリカ人の権利を確立する立法行動を支持してきた議会と業界代表者のメンバーにもお礼を申し上げたい。

私は、本日最後のパネラーなわけですが、このことは私にとって不利なことでもあります。と言いますのも、実質的に、暗号化技術に対する政府規制に反対してなしうるあらゆる議論が論じ尽くされれてしまったからです。実は、私よりも Phil Zimmerman, Matt Blaze, Whitfield Diffieといった演説者---彼らが、暗号化技術の開発の中で開拓者であったわけですから---のほうが、輸出規制とクリッパーについてさまざま繰り返されてきた非常に実際的な問題を説明する資格があるといえるでしょう。

しかし、また、最後のパネラーだということの強みもあります。事実と公的政策についての議論のすべてがテーブルの上に出されているので、私はこの問題をより幅広い政治的歴史的見通しのなかで論じる贅沢を享受することができるからです。

暗号政策の論争は、デジタルの時代の政府の権力と権威に関するより大きな一連の問題の一部として理解する必要があります。

市民的自由の観点から、コンピュータによって媒介される通信はまさに両刃の剣です。一方で、世界中を流れる巨大で詳細な情報を簡単に蓄積でき、傍受が可能で、相互に相関できる形式[コンピュータマッチングのことか]で個々人のプライバシーと自立を脅威にさらします。他方で、暗号のように、技術それ自身は、わたしたちの通信や非常に親密な情報のプライバシーを保護する新しい機会を創造してその解決策を提示します。

この両刃の剣に法執行機関と情報機関は気がつきませんでした。 クリントン政権は、新しい技術を巧みに利用し、そして、新たな政府による監視にとって邪魔になるかもしれない技術に対する政府のコントロールを模索ことによって、特に民間の通信とデータを監視する連邦政府の権力の拡大努力に熱心でした

ホワイトハウスは、わたしたちにクリッパー・チップのバージョン1から3を提起しただけにとどまりません。政府は、最近可決された反テロリズム法を含む多数の法案の中で、FBIの盗聴権限をすさまじく拡張しました。

もっとも顕著だったのは、1995年に、司法省と諜報機関が、議会にデジタル・テレフォニー法を可決するよう説得したことです。この法案は、−史上例をみないことなのですが−政府が通信を嗅ぎ回り続けられるように、政府が、業界の技術の変更することを全産業に要求できるという過激な考え方を認するものです。デジタル・テレフォニー法は、喩えていえば、政府が室内の会話を聞きたければ、盗聴装置のスイッチを入れるだけでよいように、盗聴装置を彼らが建てる新しい家の壁に埋め込むことを建設業者に義務づけるのと同じことなのです。この法律にもとづいて、政府は、この国の電話会社に対して、FBIやその他の法執行機関が通信を盗聴できるのに十分なアクセスを提供する要求を出しています。この要求では、大都市や定義のあいまいな主な対象地域では電話100回線ごとに1回線を盗聴できるように求めています。

これは、KGBがソビエト連邦でかつて行使いていたとみられるのより大きな盗聴能力です。

現在まで、議会はこのプログラムに5億ドルの資金を供給するようにとの政府の要請に賢明にも抵抗してきました。

このCALEAの立法は、既存の監視権限がますます拡張されるという背景のなかで起きました。 クリントン政権は、犯罪関連盗聴と諜報目的--後者は、前者と同じような相当な根拠申立てを必要としないのですが--のための盗聴の年間新記録を樹立しました。

盗聴は、著しく個人のプライバシーを侵害します。盗聴は、より悪質な全般的な捜査であり、特定の目標の通信だけでなくたまたまその目標に接触したか、同じ回線を使用する無数の他人の通信も必然的に捕らえることになるのです。

盗聴件数が近年増加する一方で、その効率は、確かに大きく落ちています。政府自身の示している数字でも、1984年から1994年の10年間に盗聴で捕捉された犯罪関係会話の(いわゆる無実か無関係の会話に対する)割合は、25パーセントから17パーセントまで急落しました。1970年代初めでは、政府の言い分によれば、盗聴によって速やかに捕捉された犯罪関連会話の割合はおよそ50パーセントでした。これは、今日政府が得ている効果のほぼ三倍にあたります。

別の見方をすれば、これは、今日では、法執行機関による各盗聴においては、政府が盗み聞きする会話の平均で、83パーセントが、かれら自身の計算によっても、無罪か、無関係だということを示しているということです。

この17パーセントという効率は、プライバシーの観点からすればまさに容認できるものではありません。わたしたちは、物理的な捜査の場合にそのような低い効率を社会的に容認できるでしょうか?次のような類推を考えてみれば明らかです。あなたが6軒で一区画となっている建物で生活しており、麻薬が、この建物のなかの一つにあると警察が信じる相当な根拠持つとした場合、17パーセントという効率基準が家屋の捜索にあてはめられたとすれば、六番目の家ににあるかもしれない麻薬を見つけるために、4人の潔白な隣人とあなたの家を捜索することを完全に受け入れることになるのです。

この種の無差別な物理的な捜査はもちろん全く容認できませんし、裁判所もかつてこれを許したこともありません。しかし、FBIはわたしたちの会話を盗み聞きするとき、こうした効率基準がちょうどよいと思っているようなのです。

さらにFBIは、より多くの盗聴は、国をテロリストから救い、もう一つのオクラホマ市事件を予防するために必要であるとわたしたちが信じていると思っているが、こうした[低い効率の]数字は、捜査機関の主張を裏付けられるものではない。盗聴は、爆弾、放火あるいは銃に関する違法行為を捜査するためにはほとんど使われないのです。これらの犯罪の一つを調査するために盗聴が法執行機関によって請求された最後のものは、1988である。過去11年間で、すべての法執行機関の盗聴請求の0.2パーセントしか、そのような犯罪に関連してはなされませんでした。これに対して、電子的監視による傍受の83パーセントは、ギャンブルや麻薬違反を捜査するために使われてるのです。

WacoとRuby Ridge、そして現在のFilegateでの連邦政府の法執行の濫用にびくびくしているアメリカの一般市民の気持ちを和らげるため、FBIはわたしたちに、電子的監視に従事するためには前もって、法廷へ行き、裁判官に相当な根拠を示して許可を得なければならないと言います。しかし、ここで触れられていないことは、盗聴捜査の請求は、ほとんど裁判所によって却下されていないということなのです。n「Title III」による傍受の請求は1988以来棄却はゼロです。外国の諜報傍受のための請求は、1979以来退けられたことはなかった。

暗号問題は、政府が盗聴を続け、拡大したいというその欲望と直接関わることです。多くの点で、暗号の強度の規制と政府の利用できるキー・エスクロー・システムの導入による暗号技術の政府管理は、盗聴の新たな時代の急所となっています。

暗号をめぐる最近の論争の多くは、蓄積データに関する問題に焦点が絞られていました。政府の観点からすると、彼らは同様に--あるいは、あえていえば、それ以上に--リアルタイムの通信傍受、あるいは、より古めかしい用語でいえば、盗聴に余念がないということは、明白です。

盗聴への彼らの権限の拡張が強力な暗号使用の増加によって、容易に挫折させられることを司法長官、FBIとNSAはよく知っています。

この強調は、その盗聴能力を拡張して、デジタル・テレフォニー法を成立させたいという政府の欲望の中だけのことでなく、中心的な政府の人物のコメントからも明白でした。デジタル・テレフォニー法が通過した翌日、FBI の長官 Freehは、公然と、暗号を規制する追加の法案なしにはこの法律は役に立たないとの危惧の念を表しました。

ほんの10日ほど前、司法長官ジャネット・リーノーは、ここ北カリフォルニアのthe Commonwealth Club of Californiaで「サイバースペースにおける法執行機関」という話題で講演した。司法長官は、「暗号の広範囲にわたる使用」を情報化時代の中の法の執行への4つの重大な挑戦の中の第一番目に挙げました。

司法長官は、「暗号は、実際問題として、任務を遂行する法の執行の力を減退させる..わたしたちの盗聴能力の喪失の結果は、甚大である」と語ったのです。

連邦警察と諜報機関による盗聴に対するますます貪欲な食欲とやその他の形式の侵入的で全般的な監視は、断続的に抵抗を続けるインターネットを守る自由の友達をとりわけ格好の対象にしています。

わたしたちは今政治的に勢いを増しているようにみえますが、しかし、議会からほとんど何の意見も求めれれていないことに注意しなければなりません。

輸出規制が取り除かれることは、まぎれもなく重要です。しかし、また、わたしたちは、自発的な措置として始まり、必然的に復号鍵へのアクセス権限を政府に委譲するような圧力に帰結するキーエスクロー計画の必要性にも
抵抗しなければなりません。

「自発的な」キーエスクローはトロイの木馬です。そのような計画が有効に機能する唯一のチャンスはそれらが強制的であり、諜報機関がそれを知るかどうかにかかっています。先週の上院聴聞でElectronic Privacy InformationCenter(EPIC)は、この点を明らかにする情報公開法(FOIA)によって得られた数多くの書面を引用しています。

EPICが得た文書の中に、「暗号、その脅威と使用と可能な解決策」と名付けられ、国家安全保障会議に1993年2月に送付された一つの背景説明の文書があります。この文書でFBI、NSAと司法省は次のように結論づけています。

彼らが考えているようなテクニカルな解決案は、すべての暗号化製品に組み入れられれば有効に機能するでしょう。このことを保証するために、政府が許可した暗号製品の使用または政府の暗号基準の順守を命ずる立法が必要である、というわけです。

「テレコミュニケーション技術の法執行機関に与える影響」と呼ばれたもう一つの日付のはっきりしないFBIレポートでは、「アメリカ合衆国による暗号製品の輸出が規制され、国内の使用は規制されていない」と述べています。そして、「国家の方針が法律に具体化さる必要がある」とレポートは結論をくだしています。そのような政策は、FBIによれば、「法の執行によるリアルタイムの復号」を保証しなければならず、「政府の標準に合致しない暗号は禁止しなければならない。」ということになるのです。

わたしたちは、歴史的な岐路に立っています。わたしたちは出現している技術をわたしたちの個人のプライバシーを保護するために使うことができます。あるいは、法執行機関がわたしたちに対するテロリズムの恐怖をあおる戦術をとることを認めることもできます。この場合には、無令状の総花的な捜査とは対立し、法執行機関がほとんど無視しているわたしたちの憲法上の権利の更なる侵害を招くことになるでしょう。

著作権1996(米国自由人権協会)

原文

http://www.aclu.org/issues/cyber/priv/bsencryp.html


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