今、この国の民主主義は、重大な危機に直面しています。
<自自公>によってハイジャックされた国会で、まともな審議もされず次々と通過していく悪法の数々−−「地方分権推進一括法案」(基地に反対する地主の土地の収用をきわめて容易にする「米軍用地特措法改定」を含む)、「日の丸・君が代法制化案」、「盗聴法・組対法案」、「国民総背番号制」、「国会憲法調査会設置」−−こうしたすべてが、民主主義の根幹であるべき、国民の言論と思想信条の自由を葬ろうとしています。この事態を反民主主義的クーデターと呼ばずして、何と名付ければいいのでしょうか。
どの支配政党も、先の衆議院選挙、参議院選挙において、こうした法案を公約として示すどころか、選挙の争点にさえしてきませんでした。自由党、公明党の国会議員にいたっては、選挙時は「野党」として「反自民」の旗印を掲げて当選したのではないか?それがいまや数の論理によって、何でも通す政権の一翼を担うとは、いったいこんな国がほかにあるでしょうか?
私たちはこれまでそれぞれの立場で、「日の丸・君が代法制化」と「盗聴法」に反対してきました。8月5日は、これらの法案が参議院でまさに可決成立した直後か、直前ということになるでしょう。なぜこのようなことになってしまったのか、日本で民主主義を扼殺しようとしているのは誰なのか?それにどのような抵抗が可能なのか?私たち皆が、自分たちの運動の反省を踏まえ、今後の展望を開いていかなくてはなりません。
「日の丸・君が代法制化」問題は、世紀の変わり目に新たな国家像を造型しようとする、象徴の政治学の問題です。私たちは、20世紀の日本における、植民地支配、戦争責任、脱植民地化過程や戦後補償、戦後民主主義といった社会形成の重要な契機を問い直したうえで、21世紀の日本を構想するのか、それともそのような契機を抑圧し、「記憶の暗殺」によって、アメリカ合州国主導の<新世界秩序>の一翼を担おうとするのか?その意味で、これは「日本」独自の問題でありながら、「アジア」、「世界」というトランスナショナル、トランスローカルな視点を抜きにして語り得ない問題でしょう。
「盗聴法」「国民総背番号制」は、現代に生きる私たち自身の「個」のありよう、「プライベート」をいかに再定義するかの問題です。個を国家の「公」のなかに封印してしまうのか、それとも「私」と「私」が連携する「公共」の場を開くのか?こうした法案に反対することは、この国に生きる私たちが、いかに自分の内側と外側とをつなげて、他者との豊かな対話の通路を開いていくのかという「エゴイズムではないリベラリズム」の可能性を問う契機なのです。
私たちは、これまでとは異なる運動の形態をこれから模索していくためにも、多くの方々にこの集会に参加していただくことを呼びかけます。やがて近い将来かならず訪れる「憲法改正」にたいする取り組みへの貴重な教訓と土台とするためにも。危機の中での抵抗は、私たちそれぞれの課題だからです。
tedm tedmoto@bcomp.metro-u.ac.jp