子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
S740205 学校災害 2004.5.新規
1974/2/5 神奈川県横須賀市立常葉台中学校で昼休み、仲間と校庭でサッカーをしていてゴールキーパーをつとめていた谷正志くん(中2)が、ボールをとろうとしてゴールポストに激突。気を失った。一時は回復して授業を受けたが様態が急変して救急車で運ばれたが、意識が回復しないまま4/24死亡。
経 緯 昼休み、小雨が降るなか、志くんは十数人の仲間とサッカーをしていてゴールキーパーをつとめてた。
正志くんは、相手の蹴ったボールをとろうとして横に走った際、鋼鉄製のゴールポストに側頭部を激突。転倒し、一時気を失った。
まもなく意識が回復して、がまんしながら午後の授業を2時間ほど受けたが、意識不明となり、救急車で病院に運ばれた。
手術を受けたが、意識が回復しないまま、4/24死亡。
ゴールポスト ゴールポストは鋼鉄製で四角いものだった。

日本蹴球連盟の競技規則では、ゴールポストは鋼鉄製だけでなく、木製が認められていた。
四角形だけでなく、丸柱も認めていた。

ゴールポストの危険性を自覚している学校では、ポストに毛布や布をまくなど安全措置をとっていた。
同校でも、かつて古いマットがまかれたこともあった。
裁 判 1975/5/31
両親は、正志くんが頭を打ち付けたゴールポストが鋼鉄製で、しかも四角というきわめて危険度の高い整備であったにもかかわらず、衝突に対する安全措置が高じられなかったことに対して、横須賀市を相手どり損害賠償請求の訴訟を起こす。
判 決
(一審)
1977/9/5 横浜地裁横須賀支部で、請求を棄却判決。
事故になったゴールポストは競技規則に合致していること、校庭はスポーツの危険と安全を体得させる場であることなどを理由とした。
その後 1977/10/17 両親が東京高裁に控訴。 和解成立。

両親が「安全教育への提言−失われた子の願いを込めて」という30頁あまりの小冊子を横須賀市に提出。

冊子には、
(1)安全教育観の確立
(2)教育の萎縮の回避
(3)人的、物的教育環境の整備
(4)事故の迅速・的確な救護と充分な補償
を盛り込んだ「安全教育憲章」が宣言されており、具現化のために「安全憲章規則および施行準則」の制定がうたわれていた。

市教委が、この冊子の趣旨を生かした手引き書をつくり、配布することを約束することで、和解成立。

参考資料 「学校災害ハンドブック」/喜多明人/1993.9.12草土文化、「教育データブック」1998−1999/時事通信社、「教育判例ガイド」/船木正文/有斐閣



ページの先頭にもどる | 子どもに関する事件 1 にもどる | 子どもに関する事件 2 にもどる

Copyright (C) 2000 S.TAKEDA All rights reserved.