子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
961104 体罰事件 2002.5.5.新規
1996/11/4 千葉県県立野田北高校の女子バレー部で、顧問のN教師が、Hさん(高1)の髪の毛を引っ張って引き倒し、馬乗りになって往復ビンタを加えた。同部では、日常的に体罰が行われていた。部員で補聴器をつけているXさん(高1)も「怠慢プレーだ」と言われて髪の毛を掴まれ、Hさんの頭と何度も鉢合わせさせられた結果、全く聴力のない状態が3カ月続いた。
バレー部関係者
N教師: バレー部監督。
Y教師: N教師の前任の監督。事件当時は顧問だった。N教師が解任された後、監督に復帰。
E  氏:  Y教師の知人で、後援会長で民間人でコーチも兼任(ただし、校長には報告されていない)。最も暴力をふるっていた。
経 緯 1996/ 入部早々、バレー部では、N教師とE氏は、「スポーツは身体で覚えるものだから、愛のムチと受け止めてほしい」「叩けば叩くほど強くなる。暴力ではなく愛のムチ」と「体罰」を公言。

ふだんから、髪の毛をひっぱる、殴る、下半身を蹴る、ボールを投げつけるなどは日常茶飯事だった。厳しい練習でけがをする部員が多かった。アキレス腱を切ったり、骨折するものが後を断たなかった。

5/ 入部したての頃、Y教師からの指示で、Xさんは8段の跳び箱から飛び降りる練習で骨折。Y教師からも校長からも見舞いや謝罪はなかった。

8/ Hさんも骨折。1カ月通院。この時、先輩から、「けがをしたからといって練習を休んでの通院は認めてもらえないから、通院はやめたほうがいい」と忠告される。

9/15-17 3日間の合同練習のとき、Y教師とN教師、部員、保護者の前で、E氏は、Xさんは耳が悪いので、首から上はたたかないことを約束した。

11/4 朝9時から他校へ行って練習試合などが続いていた。
午後3時頃、練習中にN教師は「怠慢プレーだ」と言って、Hさんにボールをぶつけ、髪の毛を掴んで振り回した。床に倒れたところ、更に顔面にボールをぶつけられた。それを手で防いでいると、今度はその上に馬乗りになって10回ほどビンタされた。

12/12 N教師は「怠慢プレーだ」と言って、XさんとHさんの髪の毛を掴んで、頭を何度も鉢合わせさせた。その後、頭がクラクラして吐き気がした。
Xさん(耳が悪く補聴器を付けていた)の補聴器が壊れて、帰り道、一人では歩けない状態で、同学年の人たちに助けられて駅まで帰った。その後も何とか一人で帰ったが、後ろからの車の音も何も聞こえなかった。帰宅後、「Nにやられた」とだけ言って、そのまま倒れ、親にベッドまで運んでもらった。

12/13 翌日、病院にいくと医師から「まるで車に衝突されたみたいにひどい」と言われ、全く聴力のない状態が3カ月続いた。医師から聴力が戻ったのは奇跡的だと言われたが、以前より悪くなる。2カ月以上、学校を休んだが、N教師からは何の謝罪もなかった。
その他の教師の対応 Xさんは、12/12の体罰で約3カ月聴力がなくなってしまったとき、自殺も考えたが、担任のM教師だけは励ましてくれて、自殺を思いとどまった。
学校の対応 T校長が赴任しての5年間に、当該事件を含めて、県から指導を受けた体罰事件が3件(バレー部、剣道部、陸上部)あった。

1996/12/12の事件後、通院中は学校から一度も謝罪がなかった。
体罰事件の前も後も、管理職は一度もバレー部の練習を見に来たことがなかった。

1997/2 県からの連絡でようやくT校長は、被害生徒、家族に対してお見舞いをし、事故報告書などの対応を始める。報告書にはN教師の言い分のみ書かれていた。

T校長は、事件当時、全校集会で事件を報告し謝罪したが、教師の名前は出さなかった。事件の詳しい情報を他の教師や生徒たちには伝えなかった。

T校長は、N教師に停職後、バレー部の顧問をやってくれるように依頼。

1997/ 事件を受けて、「体罰根絶委員会」を組織。(1998/解散)
加害教師の処分 N教師を1カ月の停職処分。
T校長は、N教師から体罰をしない確約を取り、子どもの権利に関する条約を2人で勉強。
Y教師、E氏に対する指導はない。

刑事告訴で暴行容疑で20万円の罰金刑(確定)。
その後 N教師が解任された後、前任の女子バレー部監督のY教師が復帰。
同校では、提訴後も体罰が発生。
裁 判 1997/ XさんとHさんが県とN教師を提訴。
加害者の言い分 1998/12/17 N教師は証言で、「怠慢プレーをしていたので1、2回たたいたが、それで生徒が倒れたかは記憶にない。倒れた生徒を起こそうとして生徒をまたいだか、またがなかったかは記憶にない」とし、倒れている時にボールをぶつけたことなども「覚えていない」とした。また、「本人が一生懸命やっているつもりでも、100%の力ではなく、120%の力を出すように厳しくしたのであって、あの体罰の後にはその通り、生徒が一生懸命動いてくれたので、嬉しい気持ちで試合が終わった。だからその後、学校内で生徒と廊下ですれ違った時に謝る気持ちは全くなかった」と証言。

1999/1/14 Y教師は証言で、「殴ったことなど一度もありません。そんなことは絶対にやっていません。殴るのを遠くから見ていただけなので、別に止めたりはしていません」と話した。(Y教師は訴外ではあるが、少なくとも1994/4 Xさんの頭をY教師とE氏が1回殴っているとXさんは証言)
参考資料 KSKQ全聴連通信No.38/1999.1全国視聴覚障害者連絡会議発行、「スクラム」No.1325−1332/1998.12.21−1999.1.22千葉県高教祖小金高校分会発行、 



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