子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
941113 抗議自殺 2005.1.15. 2005.5.15更新
1994/11/13 大阪府羽曳野市の市立河原城中学校で、ソフトボール部に所属していた青木亜也子さん(中2・13)が、顧問の男性教師(35)らから叱責された翌朝、自室でユニホーム姿で自殺。
遺 書 「お母さん、ごめんな クラブもうつづけられへんねん あんなこもんと一緒やったら好きなソフトボールもきらいになるから。あんなクラブ入らんかったらよかった」と遺書を残していた。
経 緯 1994/11/12 亜也子さんは、市外の中学校との練習試合で送球ミスなどが重なり、「同じミスばかりするな」と怒られ、途中で交替されられた。
試合後、顧問の男性教師と他の2年生たちとともに、「明日の公式試合に来なくてええ。背番号も返せ。(試合に)出せへんからな」と言われた。

11/13 公式試合の当日の朝、自室でユニホーム姿で自殺。
被害者 亜也子さんはキャッチャーで、今秋から副キャプテンを務めていた。チームの中心選手だった。
背 景 同部は西日本大会優勝の実績のある強豪チームだった。
学校の対応 1994/11/15 学校が遺族に他の部員の親や顧問2人から事情を聞いて作成した見解書(B5判で7枚分)を渡す。
指導の「過熱」が亜也子さんを死に追いやったと認め、「顧問への信頼感が全くなくなっていたと判断される。心身とも疲れさせ、自ら命を断たせるに至った原因は明らかに学校にあると判断される」と書いていた。
顧問の対応 顧問の教師(35)は、「きつい言葉でプレッシャーをかけたりしたのは、成長してもらおうと思ったから。気持ちはわかってもらえると信じていたが・・・」と涙ながらに話した。
参考資料 1994/11/16日経新聞(月刊「子ども論」1995年1月号/クレヨンハウス)、1995/1/13朝日新聞(月刊「子ども論」1995年3月号/クレヨンハウス)



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