注 : 被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
910614 | 体罰事件 | 2004.4.18新規 |
1991/6/14 | 大阪府八尾市の市立中学校で、担任のO教師が、不登校気味だったKくん(中2)の自宅を突然に家庭訪問し、暴力をふるった。 | |
経 緯 | Kくんは3日連続して学校を休んでいた。 1991/6/14 午後7時過ぎ、O教師が連絡もなく突然、Kくん宅を家庭訪問。 父親が2階の自室にいたKくんを玄関に呼びだした。(母親は外出中だった) O教師がKくんに、「何で学校にけぇへんのや。お前が来なんだら皆が迷惑するやろ」などと言ったところ、Kくんは「そんなこと知らんわ」と言って、また2階に上がって行った。O教師はKくんを追って2階に上がった。 O教師はKくんを捕まえ、「今、何と言ったんや。もう一度言ってみろ。こら」と言いながら、暴行を加えた。「謝れ、謝れ」と言われたKくんは、首を絞められながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝ったが、O教師は「心からちゃんと謝れ」などと言いながら、暴行を続けた。 1階でその様子を聞いていたKくんの妹に「2階に早く行って。行かなあかん。お兄ちゃんが殺されていまう」と言われた父親が、2階に上がった。 Kくんに「早く謝れ」と言ったところ、Kくんは「先生に首をつかまれているから謝れへん」と答えた。O教師がKくんの首から手を離すと、Kくんが「ごめんなさい」と言い、暴行が止んだ。 父親はO教師に「息子がえらいこというてすみませんでした」と謝った。 6/15 O教師と、校長、生徒指導主任、学年主任が、Kくん宅に来訪。 1週間後にも、校長、生徒指導主事らと4人で来訪した。その際、Kくんの父親がO教師に「うちの子どもに謝ってくれませんか」と言ったが無視。 同行した生徒指導主事に促されてようやく、座敷に座ったまま、「すまんなあ。また一緒にやろう」と言って、Kくんの肩をたたいた。O教師が心から謝罪しているような態度には見えなかった。 |
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暴行態様 | O教師は、両手でKくんの顔や頭を殴ったり、手でKくんの体や頭をトイレのドアにぶつけたり、後ろから首を押さえて廊下の床に頭をたたきつけたりした。また、両手で首を締め上げて、そのままKくんの頭を階段の手すりにぶつけたりした。 結果、Kくんは頭部捻挫で全治1週間と診断された。 7/19まで、12回ほど通院。 |
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その後 | Kくんは、登校するとO教師からまた暴力を受けたり、いじめられるのではないかという恐怖感のため、ほとんど登校できなくなった。学年担任が迎えに行っても登校を拒否し、一緒に学校に向かっても、校門前で「こわい」と逃げたしたりした。 1992/4/ 3年生になってから担任が代わり、当初は登校していた。 しかし、O教師が3年生のクラス担任をし、理科の授業をしていることを知ると、再び登校できなくなった。 Kくんは成績が著しく低下。当初希望していた府立高校の受験をあきらめ、高等専修学校に進路変更せざるを得なかった。 |
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被害者と家族 | Kくんは不登校気味で、中学1年生の欠席が12日、遅刻4回、早退10回。 中学2年時は4月から当日まで、欠席12日、遅刻3回があった。 1991/4/ O教師が同校に赴任し、クラスを担任。理科を担当。KくんはO教師の口調や生徒に対する態度に反感を持ち、登校意欲を失い始めていた。他の生徒に比べて不当に差別扱いを受けていると感じていた。(民事裁判におけるKくんの言い分) Kくんが不登校状態になってから、両親が登校するように説得すると、Kくんは「2階の窓から飛び降りて死んでやる」と泣き叫んだり、両親や妹に暴力をふるうようになった。 母親は「Kを殺して私も死ぬ」と言うこともあった。 父親は昼間はメッキ加工の仕事をし、夜は料理店を営んでいたが、Kくんの家庭内暴力の問題もあり、料理店を休業。 |
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裁 判 | Kくんと両親が、O教師の不法行為に対して、八尾市に損害賠償を求めて提訴。 |
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判 決 | 1997/3/28 大阪地裁で一部認容。 Kくんの被った精神的苦痛に対して20万円の慰謝料と弁護士費用2万円の支払いを八尾市に命じた。 裁判所は、O教師の暴力を「教育上必要とされる限界を逸脱した懲戒は違法なもの」「当該有形力の行使が、生徒等の身体に障害を生じさせるようなものである場合には、それ自体、同条(学校教育法第1条)但書が禁止する違法な体罰であり、民法上の不法行為として評価されるものと解するのが相当である」とした。 ただし、Kくんがその後、不登校になり、府立高校に進学できず高等専修学校に進学しなければならなかったことに対する損害賠償請求は、O教師の暴行行為との相当因果関係が認められないとして、却下された。また、Kくんの不登校による両親の精神的苦痛に対しても認められなかった。 |
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参考資料 | 「学校事件−そのアカウンタビリティ」/下村哲夫/2001.5.10ぎょうせい | |
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