子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
900127 体罰事件 2001.10.28.新規
1990/1/27 東京都文京区の区立第二中学校で、和田亮くん(事件当時中1)が学級活動の時間、無断で小説を読んでいて、担任教師から殴るなどの体罰を受けた。
経 緯 1990/1/27 12時45分頃、学級活動の時間に、和田亮くんが、ファンタジー小説「指輪物語」を学級活動ノートの上に出して読んでいたのに、担任のE教師が気付いて、体罰を振るった。

その後、鼻血まみれの亮くんを職員室に連れていき、説教をした。

亮くんの帰宅が遅いのを心配した母親が、学校に連絡。亮くんは自宅に戻ったが、顔がはれて病院で手当を受けた。
担任の対応 母親は学校と話し合いを行い、今後一切の体罰をしないよう求めたが、E教師は「絶対とは言えない」と返答。
原告から見た担任 生徒がミスをするとただではすまない。たとえば僕らが何かの時間におくれると、めちゃめちゃ怒りまくって、いつまでもねちねちとイヤミを言われたり、反省文を書かされるが、担任の方が時間におくれてもなにくわぬ顔して、「さあ、始めよう」と言って勝手に始める。
ある時、担任のミスで朝会があるのにないということになって、僕らのクラスだけ遅れて朝会にでることになった時も「ゴメン、ゴメン、まちがえちゃったよ」と一言ですませてしまった。

またある時、ちょっとした事で担任は授業をボイコットした。(中略)そして、あやまりにいっても許してもらえずこまっていたところ、数日たったあと、さすがにだれかに何か言われたらしく、学活にでてきた。なんで何日も出てこなかったと言うと、「一度だけではなく、何度でも許してもらえるまで、あやまりに来い」と言うことだった。

僕のクラスでひそかに好きな先生のアンケートをとったらワーストNo.1だった。そして僕は大きな疑問をもちはじめた。“先生だったら何してもよいのか?”と、担任の場合はまさしく、教師という立場を利用して、お山の大将になっている。僕はだんだん不満と同時に反感をももちはじめていた。

(「中学生が使った情報公開制度1 先生は何をやってもいいの?」/和田亮/月刊「子ども論」1990年8月号/クレヨンハウス より、抜粋)
学校・教育委員会の対応 母親が、学校と区教育委員会に、体罰禁止や指導、監督を求める「申立書」を提出。

1990/3 学校と区教育委員会がそれぞれ回答書を出した。
区教育委員会の回答書に、校長が区教委に提出した体罰事件の事故報告書も含まれていたが、事実関係にかなりの食い違いがあった。親と学校との話し合いの内容も正確に書かれていなかった。

1990/4/ 都教育委員会が担任教師を戒告処分
情報公開制度の利用 文京区の情報公開制度・自己情報開示請求権により、亮くんらは体罰報告書の全文の開示を受けた。

1990/5/28 文京区教育委員会に、「自己情報の訂正手続き」により、学校側が区教委に提出した「事故報告書」の事実関係に誤りがあるとして、「自己情報の訂正申出書」を提出。
(文京区では、情報公開制度の自己情報開示請求の項目の中に、「誤りが指摘された場合は訂正する」とある。ただし、訂正「申出」という行政側の努力義務規程のみで、申出者側に法的な救済措置を保障しない)

教育委員会は。第二中学校長に対して、和田亮くんから事情聴取を行うよう指示した。
1990/6/16 校長は約1時間にわたり、亮くんから事情聴取。
体罰の報告書と訂正申し立て
担任教師による体罰報告書 和田亮くん自身による訂正申立
12時45分頃、学級活動の時間に、和田亮は、ファンタジー小説「指輪物語」を学級活動ノートの上に出して読んでいたのに気づき、「なんだ、それ!」といったところ和田亮は本を閉じ、机の上に本を放った。
担任は和田亮の席に行きながら、「なんで本なんか読んでいるのか」と注意し、その本を取り上げ、和田亮の頭と頬を1回ずつ本でたたいた。 担任は和田亮の席へいきながら、「なんで本なんかよんでんだよー」と言いながらその本をとり上げ、それで前頭部をなぐり、続いて頬を2回づつなぐった。
メガネがはずれそうになっていたのをはずさせて、なおも5〜6回こぶしで殴り続けた。
すると、和田亮は立ち上がりざま「学校教育法第11条・・・体罰言々」と叫びながら、かなり興奮して、担任に右手でにぎりこぶしをつくり、なぐりかかってきた。 亮はたまりかねて右手で拳をつくり防御のあと反撃しようと左手を1回振り上げるが、まともに当たらない。
担任は体をかわしたあと、「このやろう。」と言いながら2〜3回拳骨で顔をなぐった。
担任はこのままにしておくと、まだ興奮状態がつづくと判断し、胸をつかんで教室の背面黒板の方へおしやって床へたおした。
E教諭は「このやろう」といいながら亮の胸ぐらをつかみ、前二番目の席からから後部の黒板近くまでそのままひきつれていく。
この時亮は「教育法第11条をいえ!」と叫ぶ。
後、馬のりになって、拳骨で2〜3回位顔をなぐって制裁を加えた。
和田亮の落ち着きをとりもどすために、両腕を押さえながら、馬のりをとき、呼吸の静まるのを待った。1〜2分位で呼吸がおさまったので、席にもどるよう指示した。
和田亮は席にもどり、担任も教卓へもどった。
興奮した担任は黒板に亮を投げつけ、倒れたその上に馬乗りになって、10回以上も殴り続ける。
担任は、清掃に対する注意をうながし、担任として、「悪いことは悪いよ。注意するよ。黙って見逃すことはできないから。自分の信念はまげない。」と生徒達に伝えた。 担任は、「自分の信念はまげないし、あいてになってやるからいつでもかかってこいよ。」と言った。
区教委の対応 1990/8 区教育委員会は、訂正せず、亮くんの主張を併記することを決定。
裁 判 1991/6/11 入手した報告書を元に、教師を傷害で告訴。
母子は、「事実関係をはっきりと認めたうえで謝罪して欲しかったが、誠意ある回答がないので告訴に踏み切った」とした。
参考資料 1990/5/29朝日新聞、1990/6/12讀賣新聞 (月刊「子ども論」1990年8月号/クレヨンハウス)、「中学生が使った情報公開制度1 先生は何をやってもいいの?」/和田亮/月刊「子ども論」1990年8月号/クレヨンハウス 



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