注 : 加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
860128 | 体罰事件 | 2001.10.10 2005.1.15 更新 | ||||||||||||
1986/1/28 | 神奈川県横浜市の市立下瀬谷中学校で、1983年4月に入学してから1985年12月までの約3年間に、教師らから殴る蹴るの激しい体罰を受け続けたとして、同校3年生の生徒と保護者が人権侵害救済を求めて、横浜弁護士会人権擁護委員会に訴え出た。 | |||||||||||||
経 緯 | 1983/4/1 開校の新設校。入学以来、生徒たちは体罰を受け続けた。 3年生のクラスは8クラスあり、担任(男性3人、女性5人)と副担任(女性2人、男性2人)で構成。計12人の教師(男性5人、女性7人)で、知らせる役と、体罰を振るう役(X・Y)など、役割分担ができあがっていた。特に生活指導担当のX(38)を中心に「体罰組織」ができあがっていた。 3年生になってからはZ教師からも体罰を受けるようになった。 1クラスで、男子生徒19人中18人、女子生徒21人中10人が体罰を受けていた。 |
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調 査 | 1983/6/ 1年4組 【席替わり事件】 朝の学級活動の時、BとHがふざけて席を替わった。これを知った担任の女性教師Qは怒り、事情を聞かれてBはふざけて席を替わったと答え、元に戻した。 教師Qから席替えのことを聞いた教師Xが、数学の時間にBとHは教室の前に呼びだし、クラス全員の前で、平手でBの頬を4〜5回殴った。 さらに教師Xは、Hに対しBを殴れと言い、Hが軽く殴ったところ、「そうじゃない、こういうふうに殴るんだ」と言って手本を示すように殴った。 教師Xは、泣き出したBをクラス全員に、「こいつ泣いている、こいつのことを笑ってやれ」と言って笑いものにさせた。また、Bに対しては、「お前くやしいだろう。1年だからまだ体が小さいが3年になって体が大きくなったら、ドスでもヤッパでも持ってかかって来い。相手をしてやろう」と言った。 ※生徒Bは「教師Xから10回、Hから10回の計20回くらい殴られた」と証言。 対して、教師Xは、「殴る前になぜ席を替わったかと聞いたと思う。Hに殴らせたことは記憶にない。泣いたのを笑わせたことも思い出せない。殴ったのは4〜5回である。ドスとかヤッパのことを言ったことは間違いない。Bは上目づかいをしたことはあったが、反省をしていないとか反抗的であったということはない」と証言。 |
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調 査 | 1985/4/16 【スポーツテスト事件】 4/15 各クラスでスポーツテストの係を生徒たちが自主的に決めていた。8組でも生徒たちで係の割り振りをしていたが、副担任である教師Xが教室に入ってきて、「Cはこれをやれ」と係を一方的に押しつけた。Cは「嫌です。係はやりたくない」と言ったが、教師Xは「いいからお前やれ」と言って教室を出て行った。 この日の帰り、CはM・O・Sに事情を話し、「明日、行きたくないな」と言ったところ、3人は「じゃあ、おれたちも一緒につき合ってやろう」と、4人でスポーツテストをさぼることにした。 (4人は授業をさぼったことは一度もなかった) 4/16 午前中、担任から4人にそれぞれ電話があり、学校に来るように言われた。 C・M・Oが一足早く職員室に入ったところ、約10人の教師がいた。学年主任のP教師が「ここじゃまずいですね」と言って、3人を下の指導室か小会議室に連れていった。 ※生徒の証言 教師Xは指導室で、「お前ら今日、何で来なかった。てめえら、学校をなめんじゃねえ」と怒鳴り、Mの顔面を10〜20回平手で殴った。胸ぐらを掴んで膝でみぞおちをけり上げ、Mを仰向けに倒した。倒れたところをサンダル履きの足で腹などを踏みつけた。Mは鼻血を出し、床や壁に飛び散り、着ていたワイシャツも血で汚れた。教師Yもこれに加わって暴行を加えた。最後に教師XがMの顔をサンダル履きの足で踏みつけた。 次に教師Xは、Cの顔面を平手で10回くらい殴った。膝でみぞおちを蹴り上げ、胸ぐらを掴んで足払いをかけて転倒させた。Cが立ち上がると同じように倒し、2〜3回繰り返した。 そのあと、教師Xは、Oの顔面を5〜6回殴った。 教師Xは、「てめえらの顔を見ているとヘドが出る」「おれも今までいろんな悪(ワル)を見てきたが、てめえみたいな腐ったやつは初めてだ」などと言った。 教師Yは、Cの顔面を平手で1回、腹を拳で1回殴った。Oの顔面を平手で数回殴った。少し遅れて入室したSの顔面を何回か殴打した。 体罰が行われていた間、学年主任のP教師ほか、5〜6名の教師がこれを見ていた。 殴った後、4人の親を呼ぶことになった。P教師が「じゃあ掃除しましょう」と言って、壁や床の血を拭き取った。Mのワイシャツが鼻血で汚れていたのでジャージに着替えさせ、4人に顔を洗わせた。 ※教師の証言 殴った場所は小会議室。教師Xが殴ったのはMに4〜5回、Oに5〜6回で、CとSは殴っていない。 教師Yは、Cを4回くらい、Sを2回くらい殴ったが、MとOは殴っていない。 サンダルでMの顔を踏みつけた記憶はない。大腿部をけったことはある。Mが倒れたこと、鼻血を出したことは間違いないが、Cを転倒させたこと、膝げりにしたことは記憶にない。 暴言を吐いた記憶はない。親たちが来る前に壁や床についた鼻血を拭いた記憶はある。 4人の生徒は今までさぼったことはない。殴る前に個別指導はしていない。殴った後で反省のために説諭した。 |
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調 査 | その他の事件
体罰の種類としては、あごゴリゴリ、梅干し、鼻つぶし、富士山、ゲンコツ、正座、箒(ほうき)、1メートル物差し、竹の棒でぶつ、ビンタなどがあった。 正座は、1番重いと机の上に座らせる、2番目が椅子の上、3番目が床の上。最高で3〜4時間続けさせられた。 「親に話したら内申書がどうなるか考えろ」と口止めされる例もしばしばあった。 |
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教育委員会の対応 | 1985/12/16 生徒らが横浜市教育委員会に訴え、体罰の禁止と体罰教師の処分を求めたが、何の処分もせず放置された。 教育委員会と学校長が、教師側の言い分にのみ基づいた記者会見を実施。 |
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報 道 | 体罰を加えられた生徒は多数にのぼったが、教師側の言い分に基づいてのみ報道された。生徒側に問題があるかのような書き方がなされた。 | |||||||||||||
調 停 | 1986/1/28 同校3年生の生徒と保護者が人権侵害救済を求めて、横浜弁護士会人権擁護委員会に訴え出た。 委員会が調査の結果、「教育あるいは生徒指導とは全く無縁の暴力行為以外の何ものでもない」と断定。XYZ教師と校長に「警告」。横浜市教育委員会に「要望」。 |
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参考資料 | 「子どもの犯罪と死」/山崎哲・芹沢俊介/1987.12.25春秋社、「体罰と子どもの人権」村上義雄・中川明・保坂展人編/1986.11.30有斐閣人権ライブラリイ、「子どもの権利マニュアル」改訂版子ども人権救済の手引き/日本弁護士連合会/1995.9.3こうち書房、1986/10/10東京新聞(月刊「子ども」1986年12月号) | |||||||||||||
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