注 : 加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
820323 | 校内暴力 校長自殺 |
2001.10.10新規 |
1982/3/23 | 千葉県の県立流山中央高校の福原憲司校長(57)が、校内暴力を苦に自宅でねこいらずを飲んで服毒自殺。在校生による学校放火や暴力事件が続いていた。 | |
経 緯 | 1980/12 体育の授業で体育教師A(25)が体育館に行ったとき、生徒が準備体操をして待っていなかった。そのためA教師は、罰として生徒全員に1時間、雨の校庭で前転をやらせた。 1981/ またA教師は体育の時間、生徒に1時間、うさぎ飛びをやらせた。校門の前の上り坂を4列縦隊でやらせた。 そこで、男子生徒Mくんが「こんな授業を受ける必要ねうよ、やめよう」と言い、みんながやめて教室に引き揚げようとした。A教師は、2〜3人の生徒を捕まえて、玄関のコンクリート地面に正座させた。対して生徒たちは、なんで正座させるんだと言って、全員が正座した。 A教師は、全員を立たせて、「歯を食いしばれ」と言って、生徒を片っ端から殴り始めた。 Mくんは、3番目の生徒に来たとき、A教師に向かって、「なんでこいつを殴るんだ。こいつは自閉症なんだぞ、おまえは人間じゃない」と言って食ってかかった。 柔道部の合宿中に、顧問のB教師(26)が泥酔して、体育館の床にタバコの火を落とした。それをNくんが「先生、危ないからやめてください」と止めたところ、B教師は「てめえ、生徒のくせにオレに指図すんのか」と言って、背負い投げを連続して8回かけ、殴りつけた。 2/ Mくんは、トイレの前の廊下に「B教師がNくんを殴ったのは不当だ。みんな先生の立場で考えて下さい」という内容のビラを貼った。そのビラはすぐ、教師に破り捨てられた。 翌日、Mくんは、「Aは童貞」「Bは死ね」と廊下の床に黒いマジックで落書き。 その後、 授業中に突然、火災報知器の非常ベルが鳴り、廊下に消化剤がまかれ、トイレの便器が片っ端から壊された。また、教師用トイレに500個の爆竹が仕掛けられ、授業中に爆発。街にまで鳴り響いた。 直後、生徒指導教師が校内放送で、「先生方は教室で今どの生徒がいないか、生徒の所在を確認して下さい」と呼びかけた。しかし、蚊取り線香を使っていたため、生徒は教室にいた。 3/ 生徒指導部長が体育館に全校生徒を集め、緊急集会を開き、わかっていない犯人の生徒に対して、「全校生徒は君を許さないぞ」と演説。その後、教室で、学校に対する不満や、犯人を知っているものは、匿名でよいから書くようにと言って、用紙を配る。 校内放送で、横浜銀蠅の「ツッパリ・ハイスクール・ロックンロール」が流れる。 C教師(47)が、「ロック事件の犯人を処分する」と発言。 対して、生徒たちは、C教師に用があると言って、職員室に押し掛けた。 やむをえず、C教師を含んだ3人の教師が図書室で、生徒たちとの団体交渉に応じた。 生徒たちの不満を聞いた指導教師が、土下座をして生徒たちに謝った。 緊急職員会議が9時間に渡って開かれた。その中で、生徒指導部長が、教師から体罰を受けた生徒が14人いることを報告。それをきっかけに、教師の体罰が続々と出る。 (掃除をさぼったから殴った、部活動中に数回殴った、服装の乱れや遅刻を理由に殴った、3べん回ってワンと言わなければレポートを受け取らなかった、平均点以下の答案を床にばらまいて生徒に拾わせたなど) この日を境に、教師と生徒の力関係が逆転。学校はますます荒れた。 校長自慢の植木鉢の木を折ってばらまく、窓ガラスを割る、壁にスプレーで落書きをする、注文しない大量の寿司やそばが職員室に運ばれる、学校に爆弾を仕掛けたと脅迫電話がかかる、市内のあちこちに「流山中央参上」と落書きされる、など。 9/ 駅前で生徒の一人がタバコを吸っていたのを市の補導係が注意。そこにMくんもおり、補導員を取り囲み、7人がバトカーに連行される。その場に居合わせた生徒Sくんが、学校に救いを求めるが、教師は「パトカーで連れて行かれたとすると学校には関係ない」と突き放す。 その場を解散させようとして駆けつけた教師2人をSくんは殴った。 10/ 1ヶ月後にSくんを退学処分。Sくんはすでに就職も決まっていた。 このことを知ったMくんがリーダーとなって、ますます学校が荒れた。 11/15 未明に3年生男子生徒ら10数人が乗用車数台で学校に乗り付け、投石して校舎や体育館の窓ガラスを割ったり、校舎の壁にスプレーで落書き、備え付けの消化器を噴出させた。 12/1 3年生男子生徒が、ゴミ入れ用の段ボール4個に灯油をまいて火をつける。 12/12 トイレの床などが燃える放火事件が発生。 3年生の男子生徒8人が逮捕され、9人が取り調べを受けた。 1982/2/22 県教育委員会が調査団を派遣。学校側を非難する発表を行った。 大多数の教職員は生徒たちを見せしめのために退学にするべきと主張。校長はなんとか卒業させてやりたいと温情を示した。(「あなたも息子に殺される」/小室直樹著) (※校長は最後まで体罰主義でのぞむと、「子どもの犯罪と死」/山崎哲・芹沢俊介にはある) 職員会議で、Mくんを含む6人を退学にすると結論。 放火の犯人が逮捕される。しかし、放火犯人は別にいるという事実を弁護士が握ったことで、教育委員会が、真相究明のため6人の調査団を派遣。 7人の生徒が退学にされる。 校長は進退伺いや辞職願いを出すが、教育委員会は慰留。(「あなたも息子に殺される」/小室直樹著) (校長が責任をとらされる。 「子どもの犯罪と死」/山崎哲・芹沢俊介) 1982/3/23 福原憲司校長(57)が自宅でねこいらずを飲んで自殺。 |
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背 景 | 流山市はベットタウンで人口が急増。そのため、中学で生徒を成績順に進学先を振り分けていた。 | |
教 師 | A教師は25歳と若く、生徒から同年輩に見られがちなため、なめられてたまるかという気持ちだったと話した。 B教師は柔道4段だった。 体育主任は、中学時代自分自身、もっと激しい体罰を受けた。説教されるよりビンタ一発くらったほうがいいという生徒も多いと弁明。 |
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福原憲司校長 | 1954/9 千葉青年師範学校を卒業後、小学校、中学校などの教師を経歴。 1960/4 立正大学文学部地理学科3年に編入、1962/3卒業。 その後、1969/4 N高校教諭、1972/ C高校教頭、1975/ A高校教頭、1979/4 流山中央高校校長となった。 |
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誹謗・中傷 | 生徒のなかには、校長は責任のがれのために雲隠れしたのではないかと疑う声もあった。 | |
関連裁判 | 1981/ 11月と12月に暴力行為事件発生。8人の生徒が逮捕される。内1人がアリバイを主張し犯行を否認して争った。 1983/10/26 最高裁棄却決定。 |
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参考資料 | 「子どもの犯罪と死」/山崎哲・芹沢俊介/1987.12.25春秋社、「あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明」/小室直樹著/1982.太陽企画出版、ほか | |
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