子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
990427 いじめ自殺 2001.1.8 2001.1.30 2001.4.27 2002.9.22更新
1999/4/27 東京日野市内の市立中学校を卒業したばかりの少年(15)が、朝早く家を出て行方不明になる。同日夕方、八王子市の■■山で首を吊って自殺(検死結果から日時推定)。
5/9 山菜を採りに来たひとに遺体が発見される。
遺書・ほか 自宅に「高校もバイトもできない僕が住み込みなんて信じられないかもしれないけれど、ちょくちょく電話します。怪我や病気をしたらお世話になります」(そのため、家族は単なる家出だと思っていた)「最後までお父さん、お母さんの言うことを聞けなくてごめんなさい。さようなら」「ありがとうお父さんお母さん」などと書かれたノートが残されていた。

Kくんが亡くなった山は、小学校の頃、よく父親が連れてきた場所だった。
経 緯 以前から学校は荒れており、不良グループが横行していた。

Kくんは茶髪でロングヘア、姉の香水をつたけり、服装もおしゃれだった。少年は早生まれで、体格もひ弱だったため、ターゲットにされやすかった。(そのために目をつけられたのではないかと遺族は思っている)


1997/7 Kくんが中学2年生だった頃から、1年上の上級生数人に、「丸刈りにしてこい」など言われていたほか、お金を脅し取られていたこともあった。

1日数10回〜30回もの無言電話が、
(Kくんは電話に一切出ない。家族が出ると切れてしまう)1年くらい断続的に続いた。夜中に窓に向かって小石を投げられることもあった。

次第に登校せず家に閉じこもるようになった。
1997/11/1 中学2年生から不登校になる。「学校がくさっている」などと言っていた。同じく不登校の友人など4〜5人がよく遊びに来ていた。外に出るのも恐がり、引きこもるようになった。フリースクールは1日行ったが、「先生に歓迎されていない」と言ってその後行かなかった。

1998/11 「お父さん、もう限界だよ」と言って、ベランダから飛び降りようとした。

1998/12/19 家族は環境を変えるために一軒家を購入して、日野市から八王子市に引っ越した。また、Kくんの希望で柴犬を飼った。

死ぬ前に、「頭からきのこが生えてきた」などと言ったりして、言動がおかしいことがあった。

1999/3 Kくんは、両親に「中学時代、自殺すると思ったでしょ?そんなバカなことはしないから安心して」と言っていた。

Kくんは、中学校卒業後は、家を出て住み込みで働くと言っていた。

大切にしていたエアシューズを父親に「はくことないからあげるよ」と言ったり、修学旅行用に購入した上着を父親の肩に着せ掛けたりして「似合うよ」などと言っていた。

死ぬ1カ月前に少年は、自宅玄関のアプローチを手作りできれいに作っていた。
死ぬ1カ月くらい前から無気力になり、何もしなくなった。

ずっと自分の食事は「つくらなくていい」と言って自分で作って食べていたが、死ぬ前日、食堂で家族と一緒に食事をした。2階の自室で、バラエティ番組を見て笑っていた。

1999/4/27 早朝家出。

4/28 家出人捜索願いを提出。

5/6 登山口で自転車が発見される。周辺を捜査するが発見されない。

5/9 山菜採りに来たひとが遺体発見。
警察の対応 2000/4 父親が日野署に被害を申し出る。

2000/8 事件が新聞報道された(8/17)後、日野署は、担任教師や同級生数10人のほか、校長、教頭ら関係者から事情聴取をする。

2000/10 捜査終了。
警察は、加害少年たちの「(お金は)取ったんじゃなくて、千円借りただけ。後に返した」「丸坊主も相手のことを思って言った」「服装等に関しても文句を言ったが、下級生がかわいいので忠告しただけ」など、一方的な言い分のみを鵜呑みにして、「いじめに関する事実はなかった」と回答。

遺族は警察に、「息子はいじめが原因でなくなった」と訴えたが、警察はいじめでは関われないと回答。さらに「本人の性格、家族の問題だ」と遺族を責める発言をする。
学校・ほかの対応 最初に校長や教頭、2・3年時の担任教師が焼香に訪れたときには、いじめがあったとして、土下座して謝った。遺族が弁護士を入れた途端、いじめはなかったと言い始め、現在もいじめを否定。

警察の調べに対して、担任教師らは、Kくんが家族に「暴行を受けた」などと話していた上級生グループが、下級生から現金を脅し取っていたことなどを知っていた。しかし、被害者の中に自殺した少年が含まれていたかどうかは、「分からない」と答えている。

日野市教育委員会は、遺族の問いに、「いじめは確認できていない」と回答。
担任の対応 Kくんのクラスでは、Kくんを含めて3人の不登校の生徒がいた。(1学年5クラス、1クラスは約35人だった)

Kくんは、いじめへの恐怖心からオドオドしていたため、「態度がおかしい」と言われ、担任から殴られた。(親からも1度も殴られたことがなかったKくんにはショックだった)

いじめが原因で、中学2年から不登校になったが、自宅は学校のすぐ横にあるにもかかわらず、担任は1回も家庭訪問に来なかった。電話だけは毎日、「学校に来るように」とあった。

Kくんは学校には行っていなかったが、3年生の修学旅行は楽しみにしていた。しかし、担任から、「何か問題を起こされたら困る」と言われ、行くのをやめた。
加害者 グループは恐喝もやっていた。警察に3回事情聴取される。(ただし、被害届けが出ないので送検できず)他にも1年上の先輩が4〜5人いた。主犯格の少年の親は教師。
調 査 2000/3−6月、父親は弁護士を通じて、少年の当時の同級生から事情を聞いた結果、「上級生から呼びだされているのを見た」などの証言を得た。

2000/8/17 父親が東京法務局に人権救済を申し立てる。

2001/10 遺族と支援者らが、Kくんと同学年だった生徒ら複数の家を訪れて事情を聴く。
結果、上級生の不良グループが下級生全体で数千万円にものぼる金を恐喝していたと何人もが証言。また、Kくんは小学校時代から、いじめを受けていたことが判明。

2002/ 遺族は弁護士会の人権擁護委員会に人権救済の申し立てをする。

2002/5 自宅近所の主婦が、引っ越した4カ月の間に、複数の少年たちがバイクで乗り付け、Kくんを連れ出していくのを2回ほど目撃したことを証言。
参考資料 2000/8/17読売新聞夕刊、2000/8/17佐賀新聞、遺族の話



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