注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
970803 | いじめ自殺 | 2003.6.22新規 |
1997/8/3 | 北海道旭川市の市立中学校の男子生徒Aくん(中3・14)が、自宅近くの山林で首を吊って自殺。 | |
遺書ほか | B5版のリポート用紙に友人らと写したプリクラ4枚を貼り、友人宅に郵送していた(8/5午後配達)。 「殺すとか言ってもホントは殺さないとは思うけど殺されるくらいなら 自分で死のうと思って自殺した。この手紙は○○(友人の名前)達にも見せていいから1番つきあいの長い おまえに一応だしてみた。これからつらいことも 悲しいこともあると思うけどオレみたいにならないで頑張って行き続けてね。8/2に会った時 全然平気な顔をしてたのはもう死のうと思ったからフッ切れてたんだよ。みんな今まで仲良くしてくれてありがとう!バイバイ!もしかしたら、○○(友人の名前)に何か聞かれるかもしれないのでオレの言ったこと 教えてあげてね。 1997.8.3. ○○(自分の名前)」 などと書いた手紙を。 また、現場に残されたリュックサックの中には、同級生の名前をあげ、「金を出せと脅された」などと書かれたメモが入っていた。 |
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経 緯 | 1997/7/29 Aくんと同級生のBくんは、Xから殴られ金を要求されたため、旭川中央署に駆け込んでいた。 その後、BくんはXから、「チクリやがったな。ぶっ殺してやる」と脅されていた。Bくんは執拗になる電話を恐れて、線をぬき、自宅にこもったままだった。 8/2 夜、生徒の大半が参加した学校の吹奏楽部ミニコンサートに行った際、Aくんは、同級生のXに「Bを呼びだしてこい」と言われ、さらに「1万円を持ってこい」と言われて、顔を殴られた。 命じられた呼び出しのため、Aくんは、Bくん宅にXと一緒に行った。しかし、Bくんは玄関を固く閉ざしたままだった。この時、Aくんはこの場でもXから殴られたらしい(Aくんの「助けてくれ」という悲鳴をBくんはドア越しに聞いた)。 8/3 数人の友人に借りたものを返したり、「今までありがとう」などと電話していた。 |
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親の認知 | 8/2 帰宅後、Aくんは唇から血を流していたが、心配する母親には「自転車で転んだ」と説明していた。 | |
被害者 | 1、2年生時にバスケットボール部に所属。2年生の時には学級委員長を務めるなど、友人の信頼も厚かった。 | |
加害者 | 8/4 旭川署は、男子生徒(中3・14)を別の生徒への傷害容疑でも逮捕。 8/21 暴行と恐喝容疑で追送検。 Aくんとは、1年生のとき、バスケットボール部で一緒だったぐらいで、つきあった形跡はなかった。 1996/11 2年の時、けんか騒ぎを起こしてから、学校を休みがちになっていた。 3年生になってからは、たまに終業時間頃、学校に現れて、「金を貸せよ」と迫ることがたびたびあった。 |
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学校の対応 | 中学校長(59)は、「送致容疑事実が自殺の一つの動機かもしれない。しかし、2人の接点は少なく、以前から何度もいじめられていたという事実は出ていない。率直なところ、よく分からないのです」と話した。 事件後、教師たちは全校生徒の家庭を訪問。 8/11,12 全校集会、保護者会を開き、事件について説明した。 学校は、「改善策」として、生徒を対象に「緊急教育相談」を行う。 また、地域毎の問題点を汲み上げるために、「地域別懇談会」を新たにスタート。 |
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学校の調査 | 1997/5/下旬 学校は、校内のいじめ調査を行ったが、同生徒がいじめられているなどという情報はなかった。 Aくんの死後、学校は、いじめの有無などを聞き取り調査したが、仕返しを恐れて、生徒たちの口は固かった。Xが逮捕されてから初めて、数件の恐喝が報告された。 |
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参考資料 | 1997/8/7、8/23毎日新聞(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社) | |
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