子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950717 体罰死 2000.9.10. 2001.5.30 2001.9.20 2002.5.5更新
1995/7/17 福岡県飯塚市の近畿大学付属女子高等学校で、陣内知美(じんのうち・ともみ)さん(高2・16)が、男性教師(50)に殴られ、コンクリート壁に頭を打ち付け、急性脳腫脹(しゅちょう)のため、翌18日未明死亡。
経 緯 午後3時半過ぎ、簿記の追試試験の時に、すでに合格していて関係がなかった女子生徒5人が教室に残っていた。M教師は「試験に関係ない者は出れ」と注意した。

5人のうちの1人、知美さんは教室後方の鏡の前へ行き髪を整える仕草をした。
M教師が腹を立てている、知美さんがスカートを2回ほど折って短くしているのが目に入った。
「スカート丈が短すぎる。下ろさんか」と詰めより注意。背後から羽交い締めにした。
知美さんは「わかった。わかった。でも、先生が持っとるけん、下ろせん」と言った。


M教師は、「なんか、その言い方は」と言って、知美さんを自分のほうに向かせ、いきなり数発殴った。その後も廊下でビンタをし、突き飛ばした結果、コンクリート壁に頭を強打、意識不明に。(生徒らは法廷で、「制服の襟を掴んでコンクリートの壁に押しつけた」と証言。M教師は否定

知美さんが口から泡を吹いて倒れた。
M教師が「大丈夫か。担架持ってこい」と叫んだので、生徒たちが知美さんに近づくと、M教師は「大丈夫や、席に戻れ」と押し戻した。


知美さんは保健室に運ばれたあと、病院に移されるが、意識が戻らないまま翌18日未明に死亡。
加害者 進路指導部長として非常に熱心だった。知美さんは生前、M教師のことを「よくたたく」と言っていた。生徒によっては、平手で殴る、げんこつで殴る、本で殴る等で、1学期間に7〜8回殴られている。

6/下旬 生徒の所持品検査をした際、逃げ出した生徒を4階の階段から3階まで引きずりおろし怪我をさせ、保護者に謝罪。

7/19 傷害致死容疑で送検。
学校の体質 校長は報道に対して「体罰は知らなかった」と発言。
しかし、7/20職員会議で、過去5年間に体罰を加えたことがあるか否かを調査した結果、全専任教諭54人中22人(内女性教諭が3人)が「体罰の経験がある」と回答。遅刻、化粧、スカート丈など規則を数回注意しても守らない場合、教育指導目的で叩くなどの体罰を行っていた。
また、同校では、2年前にも生徒が別の男性教師に平手で顔を殴られ、ムチ打ち症になっていた。部活中も含め、体罰がまかり通っていた。

同校には、約180項目の校則があり、下着の色まで決められ、わざわざ検査もしていた。
誹謗・中傷 知美さんが亡くなった日に「先生だけが悪いんじゃない」という電話が入る。以来、口汚く罵る電話や無言電話が相次ぐ。2度電話番号を変えても続き、多い日には10分おきにかかる。注文していないものが着払いで送られてくる。「死んでよかった。生きていれば害になる」「親のしつけが悪い」「娘のためだ。夫婦で死ね」など、知美さんや遺族を罵る手紙が来る。

加害教師に対する「嘆願署名用紙」が、「被害者は不良だった」「茶髪にピアスをしていた」「シンナーを吸っていた」「入れ墨をしていた」等(すべて事実なし)等の悪質なデマとともに回り、約150名が動いて、3カ月ほどで7万5千人を超える署名を集めた(飯塚市の人口は約8万3千人)。
その後 同校では事件を受けて、体罰防止委員会を結成。しかし、「体罰完全防止」を掲げた2学期以降も、10月に運動部顧問を務める2人の男性教師が平手打ちや足蹴りなど、3件の体罰があった。しかも、同教師(32)は、「気合いを入れるためで体罰とは思っていなかった」と弁明。また、授業中の私語に「ぶったたくぞ、お前らと怒鳴られた」などの生徒の証言もある。

「細かすぎたのが事件の一因」とも指摘された校則について、改正案が出された。「スカートはひざ下」との規定を「ひざの皿の上からひざ下まで」と緩やかにする動きが強まった。
裁 判 1995/12/25 男性教師に懲役2年の実刑判決(求刑3年)。
1996/6/25 被告は控訴するが、福岡高等裁判所は、「教育の名に値しない感情に走った私的な暴行」として、一審判決を支持。
判決骨子 ・法はもとより当時の校長も体罰を禁止していたが、被告は「建前にすぎない」と考えて安易に力に頼る指導をしていた
動機は、被害者の態度に誘発された私的で短絡的な怒りの感情。われを忘れ、手加減を加えなかった。
・被告は、被害者の死という事態を招くとは思っていなかった。熱心な教師として被告を慕う卒業生も多数おり、酌むべき事情もある。

また、犯行様態については、「言葉で言い聞かせるなどの指導をせず、怒りにわれを忘れて手加減を加えずにいきなり突くなどした。不意をつかれた被害者は身構える暇もなく、コンクリート柱に頭部を激突させており、その行為の危険性は大きい」と認定。

事件の社会的影響についても、「教師と生徒の信頼関係の上に成り立つ学校教育の場で、生徒を保護すべき立場の教師が憤激のあまりに生徒に暴行して命を奪った点で、事件は教育界だけでなく社会全体に衝撃を与えた」と述べた。
その後 体罰の根絶を求めて「陣内知美さんの死を忘れない集会実行委員会」が結成される。
参考資料 月刊「子ども論」1996年2号 12月1日−12月31日/クレヨンハウス、『暴力の学校 倒錯の街 −福岡・近畿大付属女子高校殺人事件』/藤井誠二/1998.11.15雲母書房、『先生! 涙ありますか 全国の中・高生のキミへ』/はやし たけし/1996.11駒草出版「少年」事件ブック 居場所のない子どもたち/山崎哲著/1998.8.30春秋社、



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