子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950710 いじめ自殺 2000.9.10. 2001.1.8 2003.3.30更新
1995/7/10 東京都北区の私立駿台学園高校の秋葉祐一くん(高1・15)が、自室でカッターナイフを使って手首を切った。ペットボトルに3分の2ほど溜めたが死にきれず、自宅近くのマンションの屋上から投身自殺。
遺書・他 英語のノートの隅に「おれは根性なしです。弱すぎる人間です。今までのこと、本当にごめんなさい。輪廻転生を信じます。十五年間おせわになりました」と書いていた。
親の認知と対応 軟式野球部で上級生が下級生を正座させ、蹴りを入れたり、バットで尻をたたいたり、水たまりにスライディングさせたり、喫煙を強要したりしていた。

祐一くんが父親に土下座して、「お父さん助けてくれ」と野球部をやめることを相談。父親が退部届けを書いてやるが、部活で3年生が2年生を殴るという暴力事件があり、仕返しが怖くて出せないでいた。

死ぬ前の日の夜、期末試験の準備が手につかず、「死んじゃうよ」と訴えた祐一くんに、父親は「不安があったら一つずつ片付けてごらん」と答えた。それまでも、祐一くんは何度か「死んじゃう」と言ったことがあった。また弱音かと思っていた。

区役所に勤める父親は土地境界線をめぐるトラブルで刺されたことがあったが、その時、祐一くんに「理不尽なことには体を張っているんだ」と話した。祐一くんは「お父さん、強いよな」と話していた。
学校・ほかの対応 遺族から「いじめがあった」との訴えにも、「本人と家族に問題があり成績の悩みが原因」と断定。校長は海外出張へ出かけた。学校側は反省もなく、改善策も出さない。所属していた軟式野球部も学校側も、いじめと認めず。

PTA総会開催を要望するが断られる。

新聞に載ってから東京都の学事部が動いて初めて学校側は、いじめを認める。ただし校長は、「いじめは自殺のいろいろな原因のうちの一つ」とした。
警察の動き 新聞に載ってからようやく警察が動く。実際に殴られた子どもに聞き取りをするが、被害届けを出さず終わる。
調 査 学校で、生徒指導部の教師が軟式野球部の実態を調べた。

祐一くんは針金のハンガーで尻を叩く「シリピン」やバットの柄を使った「ケツバット」をされていた。
上級生に部室に呼び出され、「声が小さい」「見るとムカつく」と言われていた。

祐一くんは吃音があったが、講堂の舞台で声出しをさせられ、3回やり直しをさせられ、笑われたことがあった。

教師らは(祐一くんの自殺の原因として)「部活に大きな要因があったことは否定できない」と結論づけ、報告書にまとめた。
加害者 加害者2名を1ヶ月半の停学。
親たちが遺族宅に来るが、結局、「自分の子どものせいじゃない」「関係ない」「それは0.0何パーセントかは関係あるかもしれないけど、そんなのいじめと思っていない」などと言う。

暴力を振るっていた先輩も、下級生の時、暴力を振るわれていた。
関 連 その後、1996年5月に、高校内で架空のパーティ券が大量に売りさばかれる事件が発覚。(半年の売り上げ金約100万円)。この事件の「元締めの元生徒」が軟式野球部の部員であり、恐喝ルートに多くの同部員が関わっていたことが判明。軟式野球部を廃部。
その後 学園改革の署名運動やビラまきをした結果、いろいろ反応があった。

祐一くんの自殺から2年後、親の有志から「祐一くんの追悼集会をやりたい」という声があがり、集会が開かれる。それをきっかけに「部活動でいじめられた我が子の死の意味を形にしてほしい」という父・治男さんの願いを学校側が受け止め、生徒・保護者・教職員・卒業生とその親なら誰でもメンバーになれる「いじめと人権」協議会発足。

1999/7/18 私立駿河台学園高校で、生徒と教師、保護者ら約200人が参加して「いじめと人権協議会」開催。同協議会に際して、これまでいじめと自殺との因果関係をあいまいにしてきた校長が、「祐一君の自殺の原因にいじめがあったと判断した。二度と同じことが起きぬよう、協議会を明るい学校づくりに取り組む場にしたい」とあいさつし、初めていじめとの関連を認めた

1999/5 同校で教師が取った全校アンケートで、「今でもいじめがある」との回答が1割近くあったことを報告。生徒らは2時間近くにわたり「いじめられる側にも問題がある」「それはいじめを正当化する論理だ」などと激論を展開した。
参考資料 『せめてあのとき一言でも』/鎌田慧/1996年10月草思社、朝日新聞、1999/7/17毎日新聞1999/10/10朝日新聞



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