子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950427 いじめ自殺 2002.12.16 2002.12.23 2003.7.1更新
1995/4/27 奈良県橿原市の市立橿原(かしはら)中学校の坂田健作くん(中2・13)が、自室の天井にかけたロープで首を吊って自殺。
当日の経緯 1995/4/27 健作くんはこの日、学校を休んでいた。
母親が外出先から帰宅したところ、自室の天井にかけたロープで首を吊って自殺している健作くんを見つけた。死亡時刻は午前11時頃。
遺書・ほか 遺書はなかったが、健作くんの死後、警察が部屋から日記を発見。数日後に母親に返却。
日記はA5サイズの黒いカバー付きのノート。4/19から3日間つけただけで、4/22からは空白になっていた。

「ただいま1995年4月19日(水) 少し頭痛が残っている。それにしても明日学校にいけるだろうか。行きたいなあ。明日のお楽しみに。グッバーイ。」

「日記名 ぼくの今日
4月19日からスタート 夕食はうどん」

「4・20・木 きょうははっきりいって気元(ママ)がいい。今日は気分をらくにして明日から学校にいこう。」

「4・21・金 お母さんは、ぼくのたちばやしんどさをしらない。らくになるならぜんぶ話そうと思う。けど、言ったところでどうにもならない。こんなはなしをしてお母さんが悩んでばけたらいやだ。ここで自さつをしたら楽になれるだろうけど、いましんだら、今まで苦ろうしてきたことが水のあわになる。自さつする人の気持ちもわかるが、もしもっと弱い人間だったらもうとっくに死んでいただろう。もうそろそろガンバレそうだしバンカイできそうな気がする。よし、『やってやる』。」

などと書かれていた(一部略)。
経 緯
(後に判明を含む)
1994/4/ 中学に入学した時に、副室長になった。担任に「室長を助けてね」と言われてはりきっていた。

1994/11/ 健作くんがクラスの副室長をした際、一部の生徒から「しきり」「ええかっこしている」と言われ、同級生に殴られるなどした。

12/ 母親が数回にわたって学校と市教委に「同級生にいじめられている」と相談していた。

担任は12月末の三者面談で相手に注意。反省文を書かせて、健作くんの自宅に持って行かせた。保護者と本人が健作くんに謝った。
健作くんは同級生に「これからは、おれはおまえを殴りも蹴りもしない。だけど、一言もしゃべらない。お前もおれにしゃべりかけるな。かまうな。そしたらなにもしない」と言われた。

1995/2/末 クラスはいやがる健作くんを合唱祭の指揮者に選んだ。翌日から3月末まで、健作くんは冬休みまで学校を休んだ。

4/10、4/11 新学期になって、クラスと担任が替わった。新しい担任は一言も健作くんに言葉をかけなかった。2日登校しただけで学校を休んだ。

4/26 自殺の前日、家庭訪問した担任に、健作くんは「今は柔道部だけど、新しくできた陸上部に入りたい」と話していた。
担任は帰り際、「君は英語係になったよ」と伝えた。(英語係は生徒たちにもっとも嫌われている役割だった)健作くんは、その夜、吐き気を訴えた。

4/27 午前11時頃、自室で命を絶った。
親の認知と対応 1994/12/ 母親は数回にわたって、学校と市教委にいじめの相談をしていた。
1995/4/ 自殺の3日前、健作くんは母親に「お母さんが悲しむことは、死んでも言えない」と言っていた。
担任の対応 担任は、加害生徒に謝らせたことで、「解決した」と学校に報告。
いじめが続き、親子で学校に相談したが、担任は「そんな事実はありません」「考えすぎです」と答えていた。
嫌がる健作くんが合唱祭の指揮者に選ばれたとき、担任も教室にいた。
学校の対応 教頭は「同じ小学校出身で、もっといじめられやすい生徒を健作くんがかばったのが発端と聞いているが、3学期以降、具体的ないじめはなかったと思う。前日の家庭訪問では元気だったので驚いている。お母さんからの相談を受けて対応していたつもりだが。こんな結果になって申し訳ない」と話した。

学校側は「生徒やPTAから懸命に情報収集しているが、現状ではいじめの有無は確認できない」とし、同級生間のトラブルと自殺との直接の関係を否定。
市教委の対応 市教育委員会は、いじめの内容について「けんかみたいなこと」と聞いていると話した。
調 査 同級生らはいじめを知っていた。
「ライターの火を制服に押し付けられたり、ひどいいじめを受けていた」「健作くんが休み時間などに、いじめを受けているのを目撃した」と同じ学年の生徒から証言があった。
その他の生徒へのいじめ 「同じ子に僕もいじめを受けた。」と証言した同級生(中2・13)は、「学校が改善されるまで登校しない」として5/18から自主休校。
参考資料 1995/4/28読売新聞(大阪)(「月刊「こども論」1995年6月号/クレヨンハウス)、「いじめなんかはねかえせ!ルネスいじめかけこみ館からの報告」/谷澤忠彦著/1996.8.1ティーツー出版、1995/5/21毎日新聞(月刊「子ども論」1995年7月号/クレヨンハウス)、1995/11/24朝日新聞・夕刊(月刊「子ども論」1996年1月号/クレヨンハウス)



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