注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
950300 | いじめ事件 | 2002.12.23新規 |
1995/3/ | 大阪府大阪市の市立小学校で男児(小3)が、小学校入学直後から、学校内で同級生らからプロレスごっこなどでいじめられ、2年生になってからも同じクラスの6人の男児にいじめられた。また、内1人の男児に投げ飛ばされて、机の角で頭を打ち、5日間のけがをした。 | |
経 緯 | 1993/4 小学校入学直後から、同じクラスの男児6人に、学校内でプロレスごっこなどでいじめられていた。「デブ」などとからかわれ、金を脅しとられることもあった。 1994/ 2年生になってからも、同男児らから「プロレスごっこ」と称して首を締められるなどのいじめを受けていた。また、小銭を要求されることもあった。 1995/3 1人の男児に教室で体当たりされ、机の角(ロッカー?)で頭を打ち一時意識をなくす。5日間のけがをして通院。 学校に行くとまたいじめられると思い、登校拒否になった。 3/末 終業式も他の児童とは別に一人だけしてもらった。 4/ 神戸の学校に転校。 |
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担任の対応 | 担任教師は男児が特定の児童からいじられて何度も泣いているのを見て知っていた。 口頭で注意しただけで、いじめは続いた。 |
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学校の対応 | 3月の暴行後、学校側は調査を約束したが、具体的な指導や取り組みについては説明がなかった。 | |
裁 判 | 1995/6/ 大阪市と同級生だった男児6人の両親を相手どって、計約880万円の損害賠償請求。 | |
証人尋問 | 1996/8/28 大阪地裁で、原告の男児(小4・10)が「みんなの前で本当のことを話し、いじめをなくしたい」として法廷での尋問を裁判所に申請。約1時間半、殴る、蹴るの暴行を含む2年間に及んだいじめの実態を傍聴人の前で証言。「痛かったし、つらかったし、泣きたかった」と訴えた。 また、担任教師について問われると、「何も話を聞いてくれない先生だと思った」「教師失格だと思う」と話した。 訴えられた側の元同級生らの親も、いじめを否定して、それぞれの子どもを証人として申請。尋問が行われた。 8/28 同級生の一人(小4)は、「学校の帰りはほとんどいっしょで、お互いの自宅を行ったり来たりして遊んだ。いじめたことも、いじめられているのを見たこともない」と話し、いじめを否定した。 |
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一 審 | 1998/12/2 大阪地裁で、同級生1人に対していじめを認定、慰謝料など約27万円の支払いを命じた。市とほか5名への請求棄却。 不法行為となるいじめを「一方的に身体的、心理的な攻撃を集中、継続的に加え、相手に深刻な苦痛を与えた場合」と限定。賠償責任を負ういじめをしたのは1人だけと認定し、「ほかの児童との衝突は偶発的、散発的」とした。 学校側の責任については「一定の指導はあった」として、安全配慮義務違反はない」と判断。 |
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二 審 | 2000/11/30 大阪高裁で、一審判決を変更。見満正治裁判長は、大阪市の責任を認め、市も連帯して同額を賠償するように命じた。 「市はいじめから児童を守り、問題が起きたら原因を調査して適切な指導をする義務がある」「担任の教師は、原告の児童が特定の児童にいじめられて何度も泣いていたのを知りながら、いじめた児童の親と改善策を話し合い、校長らとともに解決にあたるべき義務を怠った」と判断。 一審と同じくひとりの子どものいじめは認めたが、ほかの5人の子どもの行為については、「違法性があったとしてもわずかなもので、不法行為責任があったとまではいえない」とした。 |
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参考資料 | 1998/12/3京都新聞(月刊「子ども論」1999年3月号/クレヨンハウス)、2000/12/1朝日新聞・大阪(月刊「子ども論」2001年3月号/クレヨンハウス)、1995/6/26讀賣新聞・大阪(月刊「子ども論」1995年8月号/クレヨンハウス)、1996/8/28朝日新聞・大阪(月刊「子ども論」1996年11月号/クレヨンハウス) | |
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