注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
950219 | いじめ 父親報復事件 |
2003.3.9 2003.3.30 2003.6.29 2005.5.15更新 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995/2/19 | 福岡県宗像市の城山中学校に通う男子生徒Aくん(中2・14)の会社員の父親(49)が、息子が一年間にわたっていじめられていたとして、同じ学年の男子生徒Bくん、Cくんの2人(中2)を監禁し、頭を包丁の峰で殴るなどして5日間のけがを負わせた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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いじめ態様 | Aくんは、同じ野球部のBくん、Cくんから1年間にわたって、殴られたりけられたりの暴行を受けていた。同級生のDくん、Eくんが加わることもあった。また、金を脅し取られたり、万引きを強要されていた。 野球部でバッティングピッチャーをさせられている時、あちこちからボールをぶつけられる。 部室で暴力を振るわれる。ヘルメット数個でたたかれ、「どれが一番痛かったか」と聞かれる。 自転車を壊される。菓子や飲み物の使い走り。 Aくんは登校時、いじめていた同級生を迎えに行くことを強要されていたため、遅刻がちだった(1学期に45回)。 Aくんは夜も週2回、塾から帰宅する同級生を迎えに行かされていた。 宿題をやらされて、できが悪いと「お前のせいだ」と言われて殴られていた。 Aくんは、かけトランプを強要され、負けがかさんで現金1万5千円を小遣いで支払っていたほか、万引きを強要された。 Aくんの父親に言われて提出したいじめの内容には、 いじめ自殺した「大河内清輝くん」のあだなをAくんにつけていた。 「自殺するなら遺書は書くな、と言った」「ほとぼりが冷めたら、またいじめていやる」などの内容が書かれていた。 |
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父親の認知と対応 | Aくんが足を引きずっていたり、自室で湿布薬を貼ったりしているのを目撃したことがあったが、野球部の練習で足を痛めたのだろうと思っていた。 Aくんは2学期に45回も遅刻していたが、そのことを父親は通知票ではじめて知った。学校から直接の連絡はなかった。 いじめていた同級生を迎えに行くためにAくんは夜9時頃家を出て11時から11時半頃に帰宅していたが、両親には「ジョギングのため」と説明していた。汗もかいていないことから、父親は駅前のゲームセンターで夜遊びをしているのだろうと思い込んでいた。 2学期に45回も遅刻して「もうしない」と約束したのに、今度は夜遊びか、と拳固とゴルフのグリップでAくんを殴った。 大河内清輝くんの自殺報道をみて、「大河内くんと同じように暗くなって、やせてきたな」と感じた父親は、「いじめられていないか」と何回かAくんに聞いたが、Aくんは「そんなことないよ」と答えていた。 学校から事情を聴き、子どもたちを問いつめた。また、いじめにかかわる対策本も読んでいた。 |
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父親の言い分 | 学校に相談せず独自で動いたことについては、「学校に話しても、いじめがあったか、なかったか、水かけ論になっては、解決に時間がかかるだけだと思った」と話した。 また、学校の謝罪や対応策を受け入れなかった理由については、「部活動中のいじめなど、学校が当然知っているはずの部分についても、『知らない』と言われたことなどで、学校への信頼感を持つことができなかった」などと話した。 監禁事件については警察で、「息子が一年間にわたっていじめられていたことを知って腹がたち、それ以上いじめられてはたまらないので警告の意味でやった」「大河内清輝くんのあだなをつけられ、自殺されてはたまらないと思った」「監禁しようとしたわけではない。ただ、恐い父親がついていると思わせて、いじめをやめさせなければ、と思った」「暴力はよくないが、いじめの場合、親が体を張ってでも子どもの命を守るという姿勢を示すことも必要だ」などと話した。 当初は「結果的にいじめはなくなり、無駄ではなかった」と語っていたが、約3週間後には「大人げなかったと反省している」と振り返るようになった。 |
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警察の対応 | 父親を傷害と監禁の疑いで逮捕。 1995/4/3 書類送検。 |
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被害生徒 | 2人のうち1人は、事件後、おびえて布団にくるまり、ふさぎ込む日々が続いた。自分の母親に「もう、いじめない」と誓った。 新学期には2人とも登校するようになった。 警察は、1人を恐喝、暴行容疑で、県中央児童相談所に書類通告。もう1人を福岡家裁に書類送致。 |
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学校の対応 | いじめ事件を知った学校は、Aくん、Bくん、Cくん、3人の家庭訪問をするなど、話し合いを開始。 放課後、教職員が校内を巡回するなど、監視体制を強化。 新学期の始業式に、新しく女性の校長が転任。「あの人が好きだから学校に行きたい、という信頼できる友達関係をみんなでつくろうよ」「いじめられるつらさを分かって」「いじめることは卑怯なことよ」と生徒たちに話した。 |
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担任、その他の教師の対応 | Aくんは2年生の1学期中に計45回遅刻していたが、通知表の遅刻欄の数字の一部を消して、4回に改ざんして父母に渡していたことを知りながら、担任はAくんへの指導や両親への連絡をしていなかった。 父親の「電話を受けていればもっと早くいじめを発見できた」の言葉に、教師は「遅刻があれば、お宅に毎日毎日電話してもいいのですか。遅刻は通知票で報告しています」と反論。 別の教師がAくんが1年生の時(1994/5)に、Aくんといじめの加害生徒らが部室でかけトランプをしているのを見つけて指導していた。(その後もかけトランプは続いていた) (1995/12/8 上記の内容が福岡法務局の調査で判明) |
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その他のいじめ | 市教委が大河内清輝くんいじめ自殺後に、市内の小中学校にいじめの調査をさせていた。 この調査に同中は、4件を報告。「いずれも今は解消している」としていた。4件のなかには今回のケースは含まれていない。 今回のいじめとは別件で、同中では賭けトランプゲームで、強い生徒が弱い生徒ほカモにして1万円単位の金を取ることも教師の目を隠れて行われていたという。 |
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法務局の対応 | いじめ報復事件発覚後、人権侵害事案として、関係者から事情聴取。 調査結果に基づいて、「いじめの兆候がありながら学校は適切な対応をしないなど指導に問題があった」として、校長に文書説示。 |
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裁 判 | 傷害罪で罰金50万円の略式命令。 1995/10/27 Aくんの父親は、「いじめの実態を法廷で明らかにしたい」と正式裁判を請求していたが、福岡地裁に請求取り下げ。略式命令が確定。 |
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参考資料 | 「子どもと教育 事件のなかの子どもたち 「いじめ」を中心に」/浜田寿美男・野田正人著/1995年12月20日岩波書店、1995/4/7西日本新聞(月刊「子ども論」1995年6月号/クレヨンハウス)、1995/3/16、3/17、3/19、3/20朝日新聞(「いじめ問題ハンドブック/高徳忍著/つげ書房新社)、1995/12/9西日本新聞(月刊「子ども論」1996年2月号/クレヨンハウス)、1995/10/27西日本新聞・夕刊(月刊「子ども論」1995年12月号/クレヨンハウス)、1995/3/15中日新聞・夕刊、1995/3/16中日新聞、1995/3/20讀賣新聞、1995/3/22中日新聞(月刊「子ども論」1995年5月号/クレヨンハウス) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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