子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
941214 いじめ自殺 2003.6.22新規
1994/12/14 福島県石川郡石川町の町立石川中学校の須藤宏隆くん(中3・15)が、雑木林のなかで麻のロープで首吊り自殺。
遺書ほか 自室に、B5版用紙2枚にクラスと家族にあてた遺書を残していた。

クラスの仲間に宛てた遺書には、「三年一組のみなさんにご迷惑をかけました。××先生おせわになりました。X君、Y君、Z君にいじめられていました。三人をうらんでいます。」と書いてあった。

家族に宛てた遺書には、「お父さん、お母さん、ありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。おにちゃん、早く良い人を見つけて、結婚して下さい。十四歳7カ月まで育ててくれてありがとうございました。」などと書いてあった。
経 緯 12/14 朝、登校するバスのなかで、同級生にふだんと変わらない様子で「冬休み、一緒に勉強するっぺ」と話しかけ、「おれ、やり残したことないから、自殺でもすっかな」と言って、声をあげて笑った。

午前11時半頃、「風邪をひいて腹の調子が悪いので」と言って早退。家で祖母のつくったおかゆを食べてから「運動していないので、体を鍛えてくる」とTシャツ姿で出ていき、自宅納屋から麻のロープを持ち出して、裏山の松の枝にかけて、首吊り自殺。
経緯といじめの態様 10/ 下旬の学校祭で、宏隆くんが率先して歌の練習をしていたが、周囲からは「いばっている」と反発を受けていた。
11/ 宏隆くんは、仲のよかった友だち7人前後に口をきいてもらえなくなった。
弁当を食べるのも一人で、休み時間も一人で教室のいすに座ったり、ベランダにいたりした。
ほかの同級生らとは普段通り、話をしていた。
(生徒たちの証言より)
親の認知 11/2 母親は学校に「子どもが学校に行きたくないと言っている。いじめと関係あるのではないか」と電話で相談していた。

12/ 初め、宏隆くんは母親に、3人のうち1人と久しぶりに話したことをうれしそうに報告していた。
被害者 部活でハンドボールをやっていた。体格も大きかった。クラスの何人もの生徒をふざけ半分に蹴ったり、つねったりしていたこともあった。

宏隆くんは「どちらかというと人の上に立ちたがるタイプ」で「少し恐いと思っている子もいた」と、同級生が証言。
加害者 3人はクラスでも目立つ存在だった。

学校側が、X、Y、Zに「なぜ仲が悪くなったのか」と尋ねたところ、3人は「須藤くんが殴ったり、蹴ったりしたので仲が悪くなった」と答えたという。

内1人は「僕たちはいじめていない。ボールをぶつけられたり、ほうきでぶたれたりしたのは、僕たちのほう」と反論。
学校の対応 校長は「これまで、いじめはなかった」と話した。
担任の認知と対応 当時、入院中だった担任に、宏隆くんは手紙で「友人関係で困っている」と訴えた。担任が心配して病院から電話をすると「大丈夫、やっていける」と答えていた。
学校の調査 12/ 初め、学校が行った全校生徒対象のアンケートに宏隆くんがいじめを受けているという指摘が1件だけあったが、深刻な状況とは捉えていなかった。
参考資料 1994/12/15朝日新聞(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社)、1995/12/10毎日新聞(月刊「子ども論」1996年2号/クレヨンハウス



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