子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
930618 いじめ自殺 2000.9.10. 2002.12.16 2003.7.21更新
1993/6/18 滋賀県伊香保郡高月町の町立高月中学校吉内庄司くん(中3・14)が自宅2階の物置で自殺。町教委は当初、「生徒間トラブルでいじめではなかった」と県教委に報告していたが、報道で事件が明らかになった結果、「いじめはあった」とする報告を提出。
遺 書 自室の机の上に、「○○にいじめられるのがいやになったので」「ありがとう」と書いた大学ノートの紙1枚を自室に残していた。
経 緯 4月頃から「なまいきだ」と目をつけられ、校内でたびたび殴られていた。
自殺の約1月前、教室でこの生徒に耳を殴られ通院した。両親や教師には、「ボールがあたった」と説明していた。
学校・ほかの対応 町教委と学校側は、庄司くんの自殺の2カ月前から学校内の自転車置き場などで、同級生が「なまいきだ」などと言って、庄司くんを殴っていたことを2回のみ認めた。
しかし、県教委には「数度のいざこざがあったが、いじめではなかった」と報告。

1984/12 毎日新聞の報道でいじめの事実が明らかになると、県教委が町教委に再調査を指示。

町教委は学校を通じて、卒業生らに改めて当時の事情を聴いた結果、「新しい事実は確認されなかったが、暴行があったことや書き置き(遺書)によっても、『いじめ』と判断するのが妥当」とした。
警察の対応 庄司くんの自殺後、警察は同級生(中3)を殴ったなどとして、暴行・傷害容疑で書類送検。
1993/10/ 大津家裁で「不処分」の審判。
参考資料 いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、1995/4/19毎日新聞夕刊(月刊「子ども論」1995年6月号/クレヨンハウス)、1994/12/17中日新聞(月刊「子ども論」1995年2月号)



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