子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
921020 いじめ自殺 2003.2.23新規
1992/10/20 福岡県北九州市小倉北区の中学校の女子生徒(中3・14)が、朝食後、自宅を出たあと、友人の家の玄関先に借りていたリュックサックを返しに行き、その後、自宅のあるマンションの屋上で首吊り自殺。
遺書・ほか 親しい友人の家の玄関先やポストに、友人4人あてにノート用紙に書いた手紙やAさんが大切にしていたぬいぐるみが置いてあった。

家族3人にあての遺書があった。
「お父さん お母さん お兄ちゃん ごめんなさい。初めて学校をさぼってここにいます。
私は学校で友達から無視されています。原因はよくわかりません。ただわかることは、私が悪いらしいのです。だから、あやまってみました。でもゆるしてくれはいないようです。
なんだかわけがわからなくなってきました。そのうち学校に行くのもおもしろくなくなってきて、いまでは起きるのも気が重くなってきました。そんな自分がとてもいやになりました。本当にごめんなさい。
おとうさんへ おじいちゃんのところにお見舞いに行ってください。
おかあさんへ
10月27日、おたんじょうびおめでとうございます。
いままで作ってくれたお弁当、おいしかったです。」
とていねいな字で書いていた。
経 緯 亡くなる10日ほど前にAさんは兄に、「のけ者扱いされている。いじめのグループに入っているように言われて、先生に叱られた」と話していた。
参考資料 いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、1992/10/26毎日新聞(月刊「子ども論」1992年12月号/クレヨンハウス)、「いじめ問題ハンドブック/高徳忍著/1992.2.10発行づけ書房新社



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