注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
911117 | いじめ自殺 | 2002.12.16.新規 |
1991/11/17 | 東京都江東区の区立中学校の男子生徒Aくん(中1)が、登校拒否後に自殺。 | |
遺 書 | なし。 | |
経 緯 | 1991/11/11 朝会で、区内の中学の柔道対抗試合で3位に入賞したことで表彰を受けた。 11/12 両親に理由も告げず、学校を休むようになった。1歳違いの弟には「オレ、もう学校に行かないんだ」と話していた。 |
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被害者 | Aくんの祖母は日本人で中国人と結婚。Aくんの父は中国人の女性と結婚。一家の日本帰国の思いは強く、5年前、日本に住んでいる叔母がAくんを引き取った。小学校4年生の時に、父母、弟も日本で一緒に暮らすようになった。11/5 父親とともに法務省に日本国籍取得の手続きをしていた。 Aくんは中国では「日本人」と言われ、日本では「中国人」と言われることがあった。「どっちがいい」と聞かれて「日本人がいい」と答えていた。 Aくんは体が大きく、区の柔道大会で3位に入賞。明るくひょうきんで、同級生からは人気があった。 家族からの話でも、自殺をうかがわせるような兆候は見当たらなかった。 |
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証 言 | 東京新聞の取材でいじめの事実が浮上。 同校では上級生が下級生に命じて、トイレやドアを締め切った教室内で、数人で1人を殴るなどの「トイレ詰め」と呼ばれるいじめが以前からあった。複数の生徒がたびたび被害にあい、Aくんも被害にあっていた。 11月初め頃、Aくんは上級生に「あいさつをしなかった」などと校内のトイレに呼びだされ呼びだされ、上級生に命令された数人に殴る蹴るの暴行を受けていた。 |
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学校・ほかの対応 | 休んでいたことで、11月19日に母親と面談することになっていた。 校長は「校内でいじめがあるとは考えられない。学年で一番体が大きく、とてもまじめな子だったのに」と話した。 |
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参考資料 | 1991/11/18東京新聞(「月刊子ども論1992年1月号/クレヨンハウス) | |
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