注 : 被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
900511 | いじめ事件 | 2001.10.28.新規 |
1990/5/11 | 大阪府高石市の市立高南中学校で、男子生徒(13)が、非行グループから暴行され、父親が警察に被害届を出す。その後も嫌がらせはエスカレートし、父親はいじめ被害の日誌をマスコミに公開した。 | |
経 緯 | 1989/ 秋から校内暴力が目立ちはじめる。 1990/5/11 男子生徒Aくんが顔などから出血しながら帰宅。担任教師から、「生徒の暴力によるもの」と聞いて、父親が高石署に被害届を提出。 1990/5/14、16 グループの内3人が、Aくんに「なぜ警察に届けたのか」と文句を言いに来た。その後、嫌がらせ電話が相次ぐなどし、父親が「被害日誌」を付け始める。 5/16-6/2 いたずら電話が相次ぎ、時には午前3時過ぎにかかることもあった。Aくんが受話器をとると「殺すぞ」などと脅す。母親が出ると、性的なことを言ったりした。 Aくんは、グループの嫌がらせで弁当を食べられない日が続き、昼食時間は校庭で1人でボール遊びをしてつぶした。 5/ 末には、親子とも不眠状態になる。Aくんは発熱したり、頭痛を訴えるようになった。 |
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いじめ被害日誌(抜粋) | 5/11 顔面などをけがし、出血しながら帰宅。 /12 友だちも同様の傷害を受け、被害届を出す。 /14 3人がなぜ警察に届けたか、文句を言いにくる。 /16 いたずら電話あり。午前0時5分、無言。同15分「A君おりますか。話がある」。同35分みだらな言葉。1時10分、電話のベル13回。3時15分、同11回(で切れる)。 /19 いたずら電話。午後7時15分、無言。同23分「殺すぞ、こら」。 /22 2、3人ずつ、自宅付近をはいかい。 /23 玄関先に置いていたスケボーが盗まれる。 /25 グループに呼びつけられ、他校生を含む30人に「警察に言うんと違うか」「夜店に行くから100円貸せ、ボケ」などと言われ、午後から帰宅。 /27 発熱。精神的に相当まいっている様子。 /29 本日も校内で先生が暴行を受けた。 /30 嫌がるのを無理に登校さすが「頭痛に耐えられない」と早退。 |
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学校の対応 | 1990/ 4月、5月だけで、同校では教師に対する暴力が14件、生徒間暴力が9件発生。 1989/11−1990/5 女性教師を含む10人の教師が負傷。診断書をとっているが、被害届は出していない。 1990/6/3 学校側は父母への報告会で、「安易に被害届を出すのは学校教育の放棄であり、なじまない」と説明。 Aくんの父親の「(教師が暴行されているのに)なぜ、警察に届けないのか」の質問には、「個人間の問題なので、学校としては届ける意思はない」と回答。 1990/6/2 校長は欠勤を続け、市教育委員会に休職届を提出。 |
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参考資料 | 1990/6/8讀賣(大阪)・夕(月刊「子ども論」1990年8月号/クレヨンハウス) | |
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