注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
900416 | いじめ自殺 | 2001.1.30 2003.2.23更新 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1990/4/16 | 埼玉県熊谷市立荒川中学校の吉野直子さん(中2・13)が、未明に自室の窓から投身自殺。亡くなったとき、ハンカチと小さいときからいつも抱いて寝ていたぬいぐるみがそばに落ちていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
経 緯 | 中学1年の2学期、入浴中に大きな声で泣いたり、叫んだり、お湯をわざとバシャバシャさせたりしているのが、聞こえることが多くなっていた。何度も、「どうしたの。学校で何かあったの」と尋ねても、「何もない」と言って語らなかった。 直子さんは春休みを楽しく過ごしていた。母親に、「早く学校へ行きたい。休みにはもうあきたよ。今度の担任は誰かな」と話していた。始業式の日には、「また同じ担任でいやだな」と父親にこぼしていた。 4/11から亡くなる知らせが入るまで、母親は実家の親の入院・手術に駆けつけていて、家を留守にしていた。 2年生の1学期の計画ノートには、担任への不満、意味不明な文が書いてあった。最後の15日は、「二年生が始まったばかりで、なかなかクラ」で終わっていた。 遺族はA子のことを小学校からの娘の親友だとずっと信じていた。 7/22 同級生からの情報で初めて、死の数日前に「ブル(直子さんのあだ名)のバカ死ね」と校門の近くや通学路に落書きされていたこと知る。(死の直後、母親の友人からいじめの噂があることは聞いていたが、その時はまさかと、信じられないでいた) |
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遺書・ほか | 5/2 父親が蛍光灯スタンドの小物入れに入っていた直子さんのメモを発見。「ごめんなさい」とのみ、小さな文字で書いてあった。 直子さんの死後、自室のゴミ袋の中に、ノートを1枚破り取って「○○○○(A子の姓をひらがなで)いじめ」と大きく書いてあった。(その時は、何のことか分からなかったので、捨ててしまった) |
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報 道 | 直子さんの件は、一切報道されなかった。その遺族が問うと警察署は、「亡くなった少女の名誉と残された家族の今後のことを配慮して、警察署内で決めた」と回答。各紙も、家族に配慮して中学生ということで名前も明かさなかったので、記事にしなかったと回答。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学校・ほかの対応 | 校長は、「申し訳ありませんでした」と言う一方で、このような事件を起こして学校にとって迷惑であるような言い方をした。 学校は生徒に通夜には行かないよう話していたため、荒川中学の生徒は一組の親子だけだった。告別式には、校長、2年の教職員、1年生の時のクラスメイト全員、2年のクラスメイト全員が参列した。 直子さんの自殺直後に召集された本部役員会議の席で、校長は事件について外部に一切口外しないよう役員に念を押した。PTAでも問題として取りあげようとはしなかった。 熊谷市内の2つの中学校では、「ある中学校でいじめによって自殺した生徒がいる」と生徒に報告し、指導を行っていたが、荒川中学校では自殺の原因を発表しなかった。いじめ対策や指導も行われなかった。 4/28 直子さんの机の中にあった勉強道具や所持品が遺族宅に戻ってくるまでに2週間かかった。(清算したお金と一緒に戻すという話から1週間) 4/15の学年通信に、武者小路実篤氏の「自分も生き 他人も生き、全部の人も生きる」という言葉を引用して、「自分が『生きる』具体的な取り組み方を考えてください。まず、自分がしっかりと生きることが他人も生きることになるのです。」と書いてはいるが、直子さんの名前も、事件の概要についても何も書かれていなかった。(後に、直子さんの事件の記事の扱いを尋ねた報委員に対して教頭が、直子さんの死については学年通信や朝礼で報告済みなのでPTA新聞では扱わなくていいと指示したことを聞く)一方、5/10に病気療養中の教師が亡くなったときには、「○○先生を偲んで」という追悼文が掲載された。(直子さんへの追悼文は、1年後の4月16日に初めて、一周忌のお知らせとして学校の印刷物に短い追悼文が載る) 8/15 「ブルのバカ死ね」と書かれていた落書きについて、教師たちは4/13から5日間も東門と西門のあたりに書かれていたのに、ほとんどの教師が車利用のため北門を使用しているので知らないという。 遺族は校長にA子の両親との仲介を依頼するが、双方に対して事なかれ主義で、頼りにならない。 |
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学校の調査 | 学校側は、遺族に何か原因に心当たりはないかと尋ねるばかりで、2年生になって1週間の直子さんの様子については何も変わりがなかったことを話すだけだった。 直子さんの死後、「A子にいじめられて死んだ」という噂が生徒間に広がり、1週間後には担任も知っていたが何も調査しなかった。 両親が、直子さんの死後、A子を中心とした数人の「いじめ」があったことを何度も訴えたが、取りあげてもらえず、調査もなされなかった。 6/3 四十九日に焼香に訪れた生徒たちに、学校の原因調査について尋ねたが、気が付いたことがあったら計画ノートに書きなさいとか、教えに来なさいと言っただけで、ほとんどの生徒が個人的には何も聞かれていないと話した。 8/14 校長は、ある女子生徒の母親から、娘がその件(落書き)について悩んでいるようなのでと相談されて知ったという。しかし校長は、「今さら終わったことの原因を探り出し、犯人を追及すれば、今度は犯人の生徒が悩んで同じようなこと(自殺の意味か?)になると大変なので、事実が判明しても、事を荒立てることを避けた」と説明。(主任から遺族は聞く)。 |
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担任の対応 | 直子さんは生前、1年生の時の担任とうまくいかず、2年生も同じ担任なのをひどく嫌がっていた。 4/9 2年最初の直子さんの「計画ノート」には、「いきなり担任が同じだった。僕(ママ)は1年の3学期「まじめになろう」と思っていたのに、僕はとてもショックだった。3年生の時の担任は絶対○○先生がいい。仕方がない。今年1年ももやし(担任のあだな)でがまんしてやるか。僕はあと8457時間後を楽しみにしている」と書いていた。 亡くなってすぐ、校長や教頭、部活の吹奏楽部の顧問は遺族宅に駆けつけたが、担任の男性教師は来なかった。 直子さんの学校での生活状況や思い出について聞いても、1年生の時の様子も、亡くなる1週間前の様子も、直子さんとのやりとりやエピソードのようなものは全く出てこなかった。 同級生の一人がお別れの手紙を棺の中に入れて欲しいと担任に託したが、「渡すのを忘れてしまった」として、遺族の手には渡らなかった。その後、教師が「手紙の内容を見てもよいか」と尋ねたのに対し、同生徒は「すぐに返してください」と言ったが聞き入れられず、他の教師の仲立ちでようやく返してもらう。 4/29 校長との話し合いの席(4/26)で、遺族が担任の教師としての資質のなさをなじる発言をしたのを受けて、校長・教頭と共に担任が遺族宅を訪れて、「自分の指導不足や、教師としての力が及ばなくて申し訳ありません」と謝罪する。 生徒に提出させていた計画ノートについて、他の生徒の分は毎日きちんと見て赤ペンでコメントを入れていたが、直子さんのノートはあまり見ていなかった。理由を尋ねると、時間がなくて見ない日もある、提出した日の分しか見ない、見ても書くことがなければ書かない、という回答だった。ノートを提出する生徒は多くて15人、少なくて5人くらいしか提出していない。提出ノートは少なくなっていくのに、直子さんへのコメントもだんだん少なくなっていった。生前、直子さんは母親に、「担任は私の分だけは見てくれないんだよ」と言っていた。 |
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「事故報告書」と教育委員会の対応 | 6/15 6/25と、母親が2度、市の教育委員会に行き、事情を話して事故報告書を見せて欲しいと言うと、荒川中学に行って直接見せてもらうように言われた。 6/26 教育委員会から学校に連絡を入れておくとの約束は果たされていなかった。校長が教育委員会に連絡し確認後、12ページにわたる事故報告書を見せてもらう。「事故の原因は不明である」と書かれていた。一方で、原因調査の形跡もなかった。また、担任教師の名前も報告書もなかった。 報告書のコピーを要求したが、市教育委員会の課長は電話で、事故報告書は情報公開制度による公文書の中に入っていないのでコピーはできない。校長が母親に見せたのは、あくまでも好意で見せたのだから、父親が再度見たいと依頼しても断ると回答。(市には情報公開条例がないので市段階では開示できないが、埼玉県は情報公開条例を持っており、県の公文書館に行き手続きをすれぱ公開可能。コピーもできる。そのことを教えてはもらえず後で知る。12/4 審査会に諮られた後、2週間後に報告書のコピーを入手する) 「報告書には原因不明とあったが、その後、娘の自殺の動機かと思い当たる事が書いてあるものが見つかったので、教育委員会から学校及び担任に調査を命じることはできないか」と相談するが、市教育委員会の課長は、「『らしい』」という推量に基づいたものでは調査できない。各個人によって考えること判断はいろいろであるから、調査の対象にならない」と回答。「では後日、原因と思われる事実がはっきりした場合、再度報告書を提出するのか」と尋ねるが、「そういう報告書はないし出す必要もない。一つの件について一度報告書が出されると、記載された内容と反する事実が出てきても、訂正されることはない」と回答。 |
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申入書と回答 | 遺族が学校に出した再調査依頼「申入書」に対し、校長が口頭で以下の内容等を回答(文書での回答を拒否)。 ・自殺の原因追及は積極的にはしていない。 ・クラスの生徒に何か心当たりがあったら、担任に直接話すように指導をした。 ・担任は自殺の原因について心当たりはないと言っている。 ・校務委員会直子さんの死後2回開かれたが、それは生徒への対策であって、自殺の原因については何も話されていない。 ・いじめがあったと聞いたが、それについて積極的に調査はしていないし、指導もしていない。 |
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経緯と調査 | 両親が、保護者了解のうえで同級生の証言を集める。
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加害者 | 直子さんが小学校5年生の時に転校してきて以来、ABは中学2年までの4年間同じクラスだった。「いじめごっこ」に加わった2人も、直子さんと仲のよい友だちだった。 告別式の夜、母親が遺族宅を訪問して「A子が親友として、直子さんが亡くなるのを助けてあげられなくて申し訳ありませんでした」「もうすぐ直子さんの誕生日(5/27)なので、何をプレゼントしようかと娘と話あっていたばかりなのです」と話した。教師が焼香に行ってはいけないと言ったとして、告別式の後は一度も焼香に訪れなかった。 遺族がA子の母親と話し合いを1度し、電話でも話した。その後、手紙で回答がある。 ・(交換日記やミニレター、いじめごっこのメモに対して)何度読んでみても、誰でもA子と同じようなことをしているから、これがいじめだとは主人も私も思えない。 ・落書きの件は、A子自身、どこにどう落書きをされていたかも知らないし、自分が書いたものではないと否定した。 ・手紙については、当時クラス数人で同じような内容のものを書いた。直子さんもこれを気にとめず遊びのような気持ちで書き合っていた。 ・また、1年の時、つき合っていた友人の中から直子さんがあみだでもっとも仲良くしたい友だちを選ぶことになって、A子はもれてしまったので、以前のように親しくしなくなった。(このことは、他の同級生からは、知らないとして証言が得られなかった) A子の母親は、A子が直子さんの自殺原因に直接関与していないことを断言。一方で、「A子を犯人扱いしたスタンスで疑問をぶつけてきた」として、「人権蹂躙だと考えている」「これ以上の詮索は一切お断り」「原因を外にだけ求めず、親としての責任はどうであったかもう一度考えていただきたいと思います」と結んでいる。 A子は「(直子さんの)親友だからいじめはない」と言い続けながら、直子さんの死後、一度も吉野さん宅を訪れて焼香することはしていない。 |
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その後 | 1991/4/9 荒川中学校の校長は、県中学校校長会会長に就任。教頭は他の中学校の校長として栄転。担任は引き続き荒川中学校にとどまり、本来なら3年の担任になるところを1年の副担任になる。 娘の無念さを伝えるために、事件概要と直子さんの遺稿を集めた本「愛しき娘よ」13歳の遺稿と母親の手記を出版。 母親は「子どもの人権と体罰」研究会の会員になる。 |
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参考資料 | 「愛しき娘よ」13歳の遺稿と母親の手記/吉野和子/1992年9月母と子社、月刊「子ども論」1993年2月号/クレヨンハウス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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