子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
881000 いじめ自殺 2003.7.21新規
1988/10/ 岐阜県多治見市の中学校で、男子生徒Aくん(16)が中1の時にいじめをうけて登校拒否の末、出席日数が足りずに卒業できなかったことでひどく落ち込み、ガス自殺。
経 緯 1985/ 1年生の2学期の三者懇談会で、担任が母親に「お金を取られているようだ」と話したが、それ以上の対応はなかった。

1年生の3学期から登校拒否になり、家に閉じこもった。
登校拒否から1年後、Aくんはいじめグループに金を取られていたことや、いじめられていたことを話はじめた。

1988/10 出席日数が足りずに卒業できなかったことでひどく落ち込み、ガス自殺。  
担任ほかの対応 1年生時の担任は、登校拒否後、家庭訪問し、Aくんを学校に戻そうとしていた。

2年生時の担任は、1度訪問してAくんに会えないと、それっきり訪問しなかった。養護や音楽の教師らが家庭訪問して勉強を指導。

3年生時、教師の退職、転勤もあって、訪問が途絶えた。Aくんは「僕は見放されとる」と落ち込んでいた。
学校の対応 学校は荒れており、突っ張りグループが下級生から恐喝をするなどのいじめを学校側は把握していたが、それ以上の対応はなかった。
登校拒否の生徒はAくん以外にも数人いた。学校側はAくんの登校拒否をいじめが原因とは思っていなかった。

校長は訪問指導を出席には換算せず、卒業を認めなかった。

Aくんが自殺した通夜の席で、母親にAくんが死亡した日付けの卒業証書を手渡し、「前の年に卒業したことにしておきます」と話した。
参考資料 1994/12/17中日新聞(月刊「子ども論」1995年2月号/クレヨンハウス



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