注 : 加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
870525 | いじめ報復 事件 |
2002.9.22新規 | |
1987/5/25 | 愛媛県野村町の町立野村中学校で3年3組の給食のみそ汁に農薬が混入され、生徒と担任教師の計43人に農薬反応が出て入院。5/28全員が陰性になる。同クラスの複数生徒らからいじめにあっていた女子生徒(中3・14)が犯行を認めた。 | ||
警察の調査 | 5/25 警察は給食当番の生徒らを中心に事情聴取。犯行時に配膳室近くにいたという目撃証言から、別のクラスの女子生徒A子を重要参考人として出頭を求めて事情聴取。 5/29 朝までにA子が犯行を全面自供。「(1年前からしつように繰り返された3年3組の複数の生徒からのいじめに)じっと耐えていたけど、がまんできなくなり、前から考えていた仕返しの方法として、みそ汁に農薬を入れた」「殺すつもりはなく、3組の生徒が授業を受けられないようになればよいと思った」と供述。 混入量が微量だったことやA子が殺意を否定していることから、殺人未遂罪から傷害罪に切り替えた。 |
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経 緯 | 5/25 A子はふだん通り登校。給食前の4時限に教室を抜けだして、12時頃、自宅から持ち出したパラコート(農薬)の容器を持って3階東端の給食配膳室に入った。 同じクラブに所属する友人のB子(中3・14)を廊下に見張りとして立たせた。 棚の最上段に置かれていた3年3組用のみそ汁のバケツ容器に農薬数10CCを入れた。 このあと、配膳室の斜め向かいの進路相談室に行き、かぎのかかっていなかった教材棚に農薬容器を隠し、自分の教室にもどった。 |
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いじめ態様 | A子のクラスと3年3組の生徒は、2年生当時から仲が悪く、A子を含めて複数の生徒を巻き込んでのいじめやけんかが繰り返されていた。A子も1年くらい前から、3年3組の複数の女子生徒と男子生徒から再三いじめられていた。(1985/春 A子が3年3組の生徒らからいじめを受けていたことを複数の生徒が目撃) 1985/3 A子のクラスの生徒2人が、3組の生徒10数人のグループに取り囲まれ、いやがらせをされたうえ殴られた。 1985/5 月初めに、A子のクラスの男子生徒が3組の生徒数人からいじめを受け、逃げようとして2階の教室窓から転落。けがはなかった。 |
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背 景 | 同校ではいじめ事件が多発していた。 1984/4 いじめが多発。 1985/4 体育クラブの3年生十数人が、部室に2年生を閉じ込め、暴力をふるって鼻血を出させた。 |
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加害者 | 校長は「A子の家庭は両親が健在で性格はやさしい」と話した。 | ||
参考資料 | 1987/5/29讀賣新聞、1987/5/29東京読売新聞(いじめ問題ハンドブック 分析・資料・年表/高徳 忍/1999.2.10つげ書房新社)、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化 | ||
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