子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
870423 いじめ自殺 2000.9.10. 2001.9.14 2001.12.7 2003.6.15 2003.9. 2005.6.更新
1987/4/23 長野篠ノ井の長野市立篠ノ井西中学校の上原夕子さん(中2・13)が、自宅の2階で首吊り自殺。
遺書・ほか 机の中から、表に「遺書」、裏には「さようなら」と書かれた花模様の封筒が見つかる。便箋1枚に青いボールペンで、整った文字で書かれていた。

「私はこんな世の中がつくづくいやになりました。だから死を選びます。お母さん今日まで育ててくれてありがとう。わがままでしたがごめんなさい。いとこの人たちも親せきの人たちもどうもありがとうございました。みんな長生きしてください。お母さん悲しまないでください。
どうしてこの世にいじめがあるのか私は不思議です。人の悪口より、自分のことも考えて下さい。この世の中にいじめがなくなりますように。
お母さん、みんなお元気で。さようなら。 夕子より。」
「(追伸)みんな人の気持ちがわかってほしかった。ひどい」

担任教師の対応 1987/3/ 下旬に、夕子さんは生活ノートに「学校でいじめられる」「辛い」と担任にたびたび訴えていた。その後の日付の生活ノートは、教師への通信欄が白紙になっていた。
夕子さんの親しいクラスメート数人も、生活ノートに「夕子さんがいじめられている」と書いていた。

美術の時間に糸のこぎりを使っていると「上原さんが糸のこぎりを使っている」と馬鹿にしたように笑われたりしていた。男子生徒から、「汚い、使うな」と言われ、糸のこぎりを取り上げられた。
美術の授業は担任の男性教師だった。授業後、担任は夕子さんといじめについて話し合った。

翌日、
どこを直したらいじめられずにすむのか、クラスメイトの自分への気持ちが知りたいとの言葉に応じて、同担任教師が道徳の授業中に、夕子さんを別室で待たせたうえ、クラス全員に「上原さんの何がいやなのか」をテーマに匿名で作文を書かせた。
集めた作文を担任は目を通したうえで、その約半分(約20編)を本人に手渡していた。(教育委員会の調査で判明)
いじめの態様 夕子さんはクラス全員から無視(シカト)されていた。クラスの班編成の際、夕子さんが加わるのを同級生がいやがったり、討論のときに発言させないなど陰湿ないじめがあった。
クラスメイトから「タコ」「バイキン」と呼ばれたり、名前をもじって「○○菌」と呼ばれていた。
文房具を教室外にほうり出されたり、机の上にチョークの粉や塩をまかれるなどしていた。机の下の床に割れたチョークが散らばっていたことが度々あった。
登校すると、教室に自分の机が隠されてなかったりした。
学校・ほかの対応 1987/8/10 長野市は「教育的配慮が足りない面があった」として、遺族に700万円を支払うことを決定。こうした措置が取られるのはきわめて異例。
その後 同校では、夕子さんの命日を「人権を考える日」とした。
参考資料 「子どもの問題」/芹沢俊介/1995年12月春秋社、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/1999.2.10つげ書房新社、「間違いだらけのいじめ指導」/小宮山要/1996年10月明治図書、1997/4/21信濃毎日(月刊「子ども論」1997年7月号/クレヨンハウス)1987/4/24信濃毎日(月刊「子ども論」1997年3月別冊号/クレヨンハウス)



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