注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
861215 | いじめ自殺 | 2002.9.22新規 | |
1986/12/15 | 東京都江戸川区の区立松江四中の田島友加さん(中3・14)が20時25分頃、自宅近くのマンション10階の廊下から飛び降り自殺。12/22夜、内蔵破裂で死亡。 | ||
遺 書 | 2枚の便箋とカードに書かれた遺書が机の上にあった。 「私の死の真相」という題で、「一五日放課後、三人に呼びだされ、殴るけるのリンチに似たものをされた。つっぱって暴走族に入れといわれた。最後にトイレで土下座までさせられた。 明日から八〇センチ丈のスカートと、ベストをきないで学校にこいといわれた。私はつっぱりたくない。一生をダメにしたくない。それなら死んだ方がどのくらい私のためになるかと思った。」と書かれていた。 別の1枚に、「お父さん、お母さん、本当にごめんなさい。最後まで普通の子としてやっていきたいから、絶対つっぱりたくありません。」と書かれていた。 |
||
警察の対応 | 小松川署は「いじめではなかった」としながら、女子生徒3人(中3)を暴行の容疑で書類送検。 | ||
いじめ態様 | 8/15 午後4時半頃、学校2階のトイレでに3人の女子生徒が友加さんに呼び出しをかけた。内1人と友加さんが取っ組み合いのけんかになり、友加さんが負けた。 もう1人も友加さんを殴った。友加さんにけがはなかった。 |
||
学校ほかの対応 | 「8/15以前に友加さんがリンチや暴行を受けた事実は浮かんでこない」「3人は死を知り、驚いて泣き出した」「トイレの事件は元より、いさかいについても何も知らなかった」と話した。 校長は、「田島さんが書いたものを残したと聞いているが、私は見ていない。3人の女生徒も無防備なものを寄ってたかって乱暴したわけではなく、最後は『友だちになろう』と言って別れたと聞いている。それが、なぜ自殺に結びついたのかわからない。」と話した。 |
||
被害者 | 1985/9 友加さんは生活指導委員をしており、校内で洋服や頭髪をチェックする役目だった。 | ||
加害者 | 女子生徒3人は日頃から、「友加さんは先生にはいい顔をしながら、かげではバイトをしたり化粧をしている。いい子ぶるな」と思っていたという。 | ||
参考資料 | 1987/1/17朝日新聞(いじめ問題ハンドブック 分析・資料・年表/高徳 忍/1999.2.10つげ書房新社)、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化 | ||
Copyright (C) 2000 S.TAKEDA All rights reserved.